第二十三話



ぴしゃんと、荒々しく戸が開かれた。

湯気の向こうから現れたのは、腰まで届く美しい金髪の少女。

「おや、爆に坊やじゃないか」

―――エヴァンジェリンである。

その一糸纏わぬ白い肢体を見て、途端にネギの顔が火でも通したかのように真っ赤になる。

「エエエエ、エヴァンジェリンさん!?何でここに!?」

「そうだ、まだ生徒の入浴時間じゃないぞ!」

爆の論点は、何処かズレていた。

「爆さん、そういう問題じゃ……」

漫才でもしているかの様な二人を尻目にして、エヴァンジェリンは桶で体を流すと、ざばりと湯船に身を沈めた。

「ふう……まあ、そう固いことを言うな。どうも昼間に酒を飲みすぎてな。アルコールを抜きに来たんだ。あと、ここは混浴だ」

豪気に笑うエヴァンジェリン。

彼女の背後に、部下の給料を奪い取り全て競馬に注ぎ込む獅子舞の幻影が見える気がするが、気のせいだろう。

「失礼します……」

その時、戸が慎ましく開かれた。

入ってきたのは、主のエヴァンジェリンに連れられたのか、従者である茶々丸だった。
こちらはきちんとタオルを体に捲いている。

「む、茶々丸か………何でそんなに見る?」

戸口に佇んだまま、彼女は爆の体を食い入る様に、じーっと見詰めていた。
眉を顰めた爆の問いには、少し遅れて平坦な声で応じる。

「いえ、何でもありませんので、気にしないでください」

その直後、ピッという警告音が鳴り、

『画像を保存しますか?』

次いで感情の篭らない電子音が告げた。

「おい、何か聞こえたぞ」

「……」

急に口を閉ざす茶々丸。

黙秘機能まで有する辺り彼女は優秀だが、はたしてそれがロボットとして正しい姿なのかは甚だ疑問である。
こうなると、疑問を撤回するまで彼女は決して口を開かないという事を爆は知っていた。

「……わかったわかった、もういいから、さっさと入れ」

返答を諦めた青年が親指で湯船を指すと、それまで沈黙し、置物の様に微動だにしていなかった茶々丸が恭しく頭を下げる。

「では、失礼します」

どうやら防水加工は施されているらしい。
皆と同様に体を流し埃を落とすと、己の主の隣に納まった。

湯船の中に立っていたネギと爆も、湯冷めして体が冷えてきたため、再び湯の中に体を沈めた。

ネギはやはり恥ずかしい様で、エヴァンジェリン達との間に爆を挟み、出来るだけ横を見ないように努力している。

「……それにしてもだ、爆。この私の裸を見て眉一つ動かさんとは……男として間違ってるぞ」

頭に畳んだ手拭いを置いて、エヴァンジェリンが忌々しげに呟く。
それに爆は無愛想に応じた。

「ふん、俺は女の体なぞ興味は無い。大体、お前の場合犯罪の影が過ぎるだろうが」

体は子供、頭脳は大人(六百以上)。

どこぞの名探偵じゃあるまいし、そんな矛盾した肉体を持ってしまった彼女は、はたして幸せなのか不幸なのか。
少なくとも、意中の男性の心を射止められない今は、極めて不幸と言えた。

もっとも、爆の場合相手が女神だろうが天使だろうが、一ミリだろうと心を動かさないだろうが。

「……」

そんな彼に拗ねに拗ねて、鼻の下まで湯に沈めたエヴァンジェリン。

その時である。


「「ひゃあああ〜〜っ!!」」


衣を裂く様な悲鳴が一同の鼓膜を直撃した。
二つの、それも聞き覚えのある声が重なっている。
脱衣所の方からだ。

「何だ!?」

弾かれたように湯の中から飛び出すと、爆とネギは脱衣所へと駆け出した。
エヴァンジェリン達は面倒らしく、全くのノーリアクションである。
どうやら傍観を決め込む心算らしい。

「どうし……」

破壊せんばかりの勢いで戸を開けた爆を待っていたのは、異様な光景だった。

「いやぁぁ〜〜ん!!」

と、木乃香。

「なんかおサルが下着をーーーっ!?」

と、アスナ。

……無数の、ラクガキの様な顔をした小猿が、二人の下着を剥いでいた。

「一体コレは……!?」

「むう、両生類の次は霊長類か……行け! ジバクくん!」

『ヂィッ!』

爆に命じられ、ジバクくんが鎖鉄球片手に猿の撃退に走る。

『キキッ!』

殺気を纏う聖霊に対し、小猿の一匹もぴょんと躍り出る。
二匹は、しばらく睨み合い、何事か言い合っていた(?)。
ジバクくんと小猿の間に、剣呑な沈黙が降りる。

そして―――

『ヂィ〜』

『キキー』

がしっと、手と手を繋ぎ合った。

それはきっと種族……というか生物の壁を越えた和解で、感動すべき場面なのかも知れなかったが―――状況が状況である。

「くぉら生物!! なに敵と意気投合しとるんだ!!!」

「ああっ! このかがおサルにさらわれるよー!!」

アスナが指差す先を見ると、小猿達が蟻の如き抜群のチームワークで木乃香を湯船へ連れ出そうとしていた。
漫才をしている場合ではない。

「ひゃああ〜〜!?」

「ッ木乃香!!」

爆が勢い良く床を蹴った。
翳した右掌に、ピンポン球程の極小のシンハを浮かび上がらせる。

「失せろ!」

鋭く突き出された右腕から放たれたシンハは、狙い違わず式神達を直撃した。

『キキー!!』

念力波に飲み込まれ、小猿達が消滅してゆく。
後に残った数枚の破れた呪符が、木の葉の様にタイルの上に落ちた。

「あっ……」

突如支えを失った木乃香が、湯船に投げ出される。
しかし、そこに滑り込んだ爆が、間一髪彼女の体を抱き止めるた。
再び膝まで湯に浸けて、爆は息をついた。

「ふう、西とやらめ、随分と面倒な事をさせる……ん?」

爆が忌々しげにぼやく。
その時、腕の中に納まっている木乃香の顔が赤い事に気付いた。

「どうした?」

消え入る様な声で、彼女は答えた。

「……あの……爆さん……うちら、裸……」

言われて初めて、爆は自分の姿を見直した。

白い手拭いを腰に捲いているだけだった。
木乃香は、先程小猿に下着を剥ぎ取られたため、無論全裸である。
しかしながら、青年は顔色一つ変えなかった。

「ん、たしかにこのままじゃ風邪を……む?」

額に眉を寄せると、木乃香を湯船の中に下ろした。
そして、背後を振り返る。
同時にジバクくんを呼び戻し、右手に構える。

爆の視線の先には、竹で作られた壁の向こうにある一本の木。
そこから、何やら邪悪さを漂わせる視線を感じたのである。

「行けッ! ジバクくん!!」

投擲されたジバクくんは浅く弧を描いて木の中に飛び込み、直後爆発した。

爆風に葉を残らず吹き飛ばされ、丸裸となった木。
その中でもっとも逞しい枝に、視線の主はいた。


それは、鼻血を滝のように流しながら、手に一眼レフを構えた――――雹だった。


「……ッッ!!」

全く予想だにしなかった事態に、あんぐりと口を開け、絶句する爆。

黒焦げとなった雹は既に意識を失っており、ぐらりと前に姿勢を崩し、どさっと、温泉の床に落ちる。

それを視線で追った爆は、長い、永遠とも思える程長い時の中で思案を駆け巡らせると、くるりと身を翻し、

「……何だ、カラスか」

現実からの逃亡を試みた。

「え……でもあの人……」

「何を言っとるんだネギ。カラスは一羽だぞ」

しかし、爆の必死の現実逃避にも関わらず、倒れ伏す雹が、呻いた。

「うう……爆くん、グッジョブ……」

彼の顔面と接するタイルに、大量の鼻血が川を作った。


荒縄でぐるぐる捲きにされ、芋虫状態になった雹を連れて温泉から出ると、入り口の前で刹那が待っていた。

「あっ、桜咲さん……あの」

ネギの言葉を遮るように、刹那が縦に首を振る。

「……全て、お話します」

就寝時間になり、ネギは生徒達に寝るよう指示を出すと、アスナを伴って待ち合わせの場所のフロントに向かった。

「―――つまり、あんたは味方ってワケね?」

一通りの説明を聞いて、確認を取るアスナ。
刹那が頷いて肯定する。

「そうです。木乃香お嬢さまを守るのが、私の役目ですから……」

ネギが恥じるように顔を伏せる。

「すみません、その、疑っちゃって……」

「い、いえ、私も紛らわしい事をしてしまって……」

お互いに続ける言葉を失った所で、それまで腕を組み、むっつりと押し黙っていた爆が重々しく口を開いた。

「……それで、雹。何でお前がここにいる?」

横目で、縄で拘束されている雹を睨み付けた。
彼はすぐさま瞳をらりーんと輝かせると、

「それはもう僕と君の愛の賜物『ゴッ』はぶッッ……ごめんなさい、つけてました」

修学旅行の事を聞きつけ、今朝からずっと隠れて爆達を尾行していたらしい。

ストーキングも、ここまで来ると立派ですらある。
きっと命も賭けている事だろう。

「とりあえず、これは没収だ」

雹の持っていたカメラを取り上げる。
既にフィルムは十五枚ほど使われ、その全てに爆が映されていた。

「そんな! せっかくコレクションが六百枚になったのにッッ!」

銀髪の青年が悲痛な叫び声を上げる。
それ以前に盗撮した五百八十五枚は、ハヤテ宅の雹の部屋でアルバムに大事に保管されている。
寝顔やら風呂やら修行やら、様々な爆が映されているという優れ物だ。

告訴する証拠としても優れ物。

「……雹さん、いつかそれ、見せてくれませんか……?」

「何か言ったか刹那!?」

爆のぎらりとした眼光が刹那に向けられる。

「い、いえ、何でも……」

目を反らし、俯く刹那。

その時、爆は雹の首に見慣れないペンダントが掛けられている事に気付いた。
カエルを機械的に表現した様な飾りだ。

「ん、何だそれ?」

「ああコレ? これは……」

爆がそれを手に取った瞬間、カエルの口に当たる箇所から、虹の様な、七色の光が放たれた。

「うわっ!?」

「きゃっ!」

ネギとアスナが驚いて目を瞑る。
七色の光はそれぞれ混ざり合うと、やがて青く渦巻く穴を空中に形成した。

「な、何だ?」

爆が狼狽した様な声を漏らす。
その時、穴から一つの人影が飛び出してきた。

とん、と軽く地面を叩いて着地したそれは、爆を認めると親しげに左手を上げて、

「よー、爆。ひっさしぶりだなあ」

黒い衣装で大柄な体を包んだ、垂れ目の青年。
右手には、身の丈を超える長い棍棒が握られている。

「お前は、激!!」

爆が、青年の名を呼んだ。


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