第二十四話



「いやー俺も長い事生きてきたけど、異世界ってのは初めてだな」

子供の様に無邪気に周囲を見渡す激に、爆は戸惑い覚めやらぬ表情で疑問をぶつけた。

「というかお前、どうやって……」

そこまで言ってから、脳裏に浮かんだのは雹のペンダントだった。
未だ宙に出現している激が現れた穴は、そのカエルの飾りから作られたのである。

「おい雹。そのペンダントは何なんだ?」

「これ? これは来る前に現郎に貰ったやつで、何でも簡易ワープゾーンを作れるとか……」

どうやらまたも現郎の発明らしい。
しかし、爆が反応したのは台詞中に出て来たワープゾーンという単語だった。
それに一筋の光明を見出したのである。

「という事は、これでお前を送り返す事も……」

お前とは、言うまでも無く雹の事だ。

銀髪の青年がびくりと肩を揺らす。
しかしそんな爆の期待は、激の呑気な言葉によって粉々に打ち砕かれた。

「ああ、それ片道だけだから」

「何ぃッ!?」

激が親指で指したちょうどその時、ワープゾーンは萎む様にして跡形も無く消滅した。
希望は、儚くも潰えたのだった。

一方、爆は一瞬前までワープゾーンの存在していた辺りを呆然と見詰めながら、停止している身体とは対照的なまでに思考回路を働かせていた。


……残りの三日間、この危険人物と共に過ごせと?


部屋は、どうする気なのだろうか。


……え? まさか、俺の部屋に?


ライオン……否、腹を空かせて餓死寸前のドラゴンと檻の中に入るようなものである。

「……」

ふと、横目で恐る恐る雹を見れば、瞳を超新星でも起こしてるんじゃないかと疑う程輝かせている。

不気味。

この一言に尽きた。

「ふふふふふ……爆くんと相部屋……大丈夫、初めてだから優しくしてあげへぶぅッッ!」

良からぬ妄想に不気味に笑い始めた雹の顔面を捉えたのは、容赦なき鉄拳だった。
拳にべっとりと付着した血糊を拭いながら、爆は激を見据えて、地の底から響いてくる様な声音で告げた。

「……いいか、お前らを泊めてやる。だがな、激。もしこの変態が少しでも妙な真似をしたら、その時は迷わず―――消せ!」

その時の彼の目は、黄色くどんよりと光っていた。

そこには、決して抗えない迫力が織り込まれている。
さしもの激も、鋭い眼光に心臓の辺りを貫かれている様な感覚になって、冷や汗を垂らした。

「わ、わかった……そういや、カイやピンク達が会いたがってたぜ。たまには帰ってこいや」

「ああ……おいネギ、ソイツに触れるな。変態が移る……そうだな、そのうち……何だネギ? 血? 気にするな。そいつ血気盛んだから」

激の言う通り修学旅行から戻ったら、少しツェルブワールドに帰省するのも良いかもしれない。
その時ついでに、件の雹のコレクションとやらも灰燼に帰そう。

「アリババの奴も騒いでたぞ。早く式をあげたいって」

「……」

その一言は、爆の決断を揺るがすには充分過ぎる程の威力を持っていた。

あのオカマ盗賊がウエディングドレスを着込む姿を想像して、青年の顔がさっと青く染まる。
網膜に捉えた瞬間、うっかり大バクシンハを撃ってしまいそうだ。

そもそも、彼はルーシーやらジャンヌやらの求愛もことごとくかわしながら旅をして来たのである。
アリババの事はともかく、戻ったら一悶着は免れなさそうだ。

まだ人生の墓場に片足を突っ込む気は無い。
無論、男やオカマと身を固める気も無い。


……何だか、途轍も巻く憂鬱な気分になってきた。


「……俺は警備に行って来る。激は雹を見張っててくれ」

そう言って、爆はふらふらと旅館から夜の外気に身を投げた。

「……ああ……すごいよ爆くん……」

そんな、雹の気色悪いうわ言を振り切って。


「はあ……何で俺はあんな奴と関わってしまったんだ……」

大剣が収められたバッグを背負い、とぼとぼと夜道を行きながら、爆は世にも恨めしげな声を漏らした。
思えば、その昔二の世界『セカン』で戦ってからの腐れ縁である。

今戦えば勝利を掴むのは容易い事だが、あの変態鳥人の厄介さはベクトルが違う。

例えるなら――そう、ゴキブリを相手にするような。

酷評ではあるが、爆は別に雹が嫌いなわけでもないし、憎いわけでもない。

ただ、これが素直な感想なだけである。

『もてますね〜爆さん』

右肩にちょこんと乗っかったちび刹那がけらけらと笑った。
満面の笑みを浮かべた彼女は実に可愛らしいのだが、今の爆には忌々しいものでしかない。

「黙れ! 男にもてて嬉しいか!?」

『でも、本体はスゴかったですよ。部屋に泊めるって聞いたとたん、心の奥底からドス黒いモノが……きゃ!』

己の半身の心情を述懐している途中で、ちび刹那は悲鳴を上げた。

爆が突然歩みを止めたため、危うく転げ落ちそうになったからだ。

『どうしたんですか?』

間一髪衣服にしがみ付いた式神の問いに応えず、青年はただ真正面の暗闇を見据えている。

現在爆達がいるのは、旅館からはそう遠く無い公道だった。

右の方は林となっており、肩の高さ程の石垣の上に鬱葱とした木々が覗いている。
左は車道で、歩道とは白いガードレールで仕切られていた。

人も車も、何も通らない、時間が止まってしまっているのかと思わせる、不気味な空間だった。

「隠れてないで、とっとと出て来い」

鋭く放たれた言葉は、停滞していた世界に確かな変化をもたらした。


「あらら、見つかってしまいましたか〜」


応じたのは、間延びした声だった。

それと同時に、結界でも張ってあったのか、ぐにゃりと空間が歪曲し、そこから幻の様に一つの人影が生み出された。

最初はぼんやりとした輪郭だったが、やがて明確な人の姿を形作る。

闇に映える純白の衣装。
頭にクッションにも見える大きい帽子が乗っけられている、眼鏡を掛けた少女だった。

「あ、ウチ月詠いいます。どうもよろしく〜」

ぺこりと、のんびりとした様子で頭が下げられる。

しかし、次の瞬間。

「……あと、さよなら」

少女――月詠の両手に、それこそ魔法の様に刀が出現した。

間髪入れず敵である青年に迫撃すると、小柄な体ごと凶器を旋回させた。

「おっと」

爆はそれを仰け反ってかわす。
閃いた銀色に、前髪の先端が数本夜風に混じった。

「お前も西の奴らか。懲りない奴らだな……」

連続して放たれる剣閃を避ける爆の声は、些かうんざりとした様子だった。
高速で操られる双刀のコンビネーションは実際見事なものだが、より巧な使い手を二人知っている。

「ウチもそう思うんですけどね〜依頼主の人達も必死でして〜」

戦いの中でものんびりとした語尾と共に、左手の切っ先が眉間に向けて繰り出された。
爆は自ら後ろに跳躍して、月詠と大きく距離を置く。

アスファルトの上に着地してから、敵手である少女を見据えた爆は悩む様に喘いだ。

「むう……どうしたものか」

『何がですか?』

斬られては大変と、首の後ろに避難していたちび刹那が訊ねる。
苦悩の理由は、実に彼らしいものだった。

「女をと戦うのは、どうにも気が乗らん」

戦士に対してそれは侮辱だとは知っていたが、それが爆のポリシーだった。
しかし、そんな事を言っている場合でも無い。

「余所見してる暇や無いですえ〜」

死の具現を胸の前で十字に組み合わせた月詠は、雌雄を決しようと爆に向かって勢い良く地面を蹴りだした。

「ちッ、仕方あるまい」

背負われていた黒いバッグが夜空に舞ったのは、舌打ちとほぼ同時だった。

その時には、爆は両手で握った大剣を振り翳している。

「はあっ!」

月下に、もう一つの三日月が現れた。

豪風を纏って振り下ろされた肉厚の刃に、月詠の双刀が噛み砕かれる。
半ばで圧し折られた刀身は、緩やかな弧を描いてアスファルトに転がされた。

「きゃん!」

それでも衰えぬ剣撃の余波に、少女が背中から倒れ込む。
爆はゆらりと落下してきたバッグを空中で掴んだ。

「やれやれ、とりあえずこれで……」

一件落着と一息ついて肩に大剣を担いだその時、顔の前にちび刹那が回り込んできた。
それも、能天気な彼女とは思えぬ緊迫な表情を貼り付けて。

『爆さん! 大変です、このかお嬢さまが攫われました!!』

「!!」

自分としたことが油断していた。
敵が組織であるという事を失念していたのだ。

「くそ……案内しろ!!」

奥歯を噛み締めて、爆は駆け出そうとする。

「あ、待ちなはれ……きゃ!」

彼の背中をよろめきながらも立ち上がった月詠が追いすがった―――しかし、どたりと前に倒れる。

額をぶつけて痛がるその顔には、眼鏡は掛けられていなかった。
どうやら、彼女は重度の近眼らしい。

「はううう……眼鏡、眼鏡〜……」

ぺたぺたと、虫でも潰しているかのように両手で地面を叩いて、眼鏡を捜し求める月詠。

「……む?」

ふと足元を見ると、そこには彼女の物とおぼわしき眼鏡が転がっていた。
それと、慌てふためく月詠を交互に見遣って、

「……チッ」

爆は一瞬躊躇したが、爪先で眼鏡を月詠の方に蹴り転がした。
かしゃんと軽い音を立てて地面を滑り、眼鏡は持ち主の元に戻った。

「メガ……あ、あった」

それを見届ると、爆は身を翻して走り出した。

『何で敵を助けるんですか!?』

先行するちび刹那が、可愛らしい怒鳴り声を上げる。
それを涼風と受け流して、爆は飄々と答えた。

「気にするな。武士の情けと言うやつだ」

しかしちび刹那は納得できない様で、ぷくりと頬を膨らませる。

「それより、居場所は分かってるんだろうな?」

「あ、それは大丈夫です。本体が追いかけてますから」

「そうか……なら、急ぐぞ」

飛んでいるちび刹那を掴んで、肩に押し付ける。

「しっかり掴まってろ」

言われて、ぎゅっと彼女は爆の肩にしがみ付いた。
それを確認するや、爆は息を深く吸うと、気を練り上げる。
足の筋力が、増幅されてゆく。

「行くぞ!!」

跳躍するその姿は、まるで翼が生えているかの様だった。

顔を強かに打ち付ける風に目を瞑ろうともせず、爆は月夜に舞った。


―――その頃、旅館では。


「止めるな激!! 爆くんの所に行くんだぁ!!」

空気を裂いて振り下ろされた棍棒を、重ねた双剣で受け止める。

「馬鹿野郎! お前を行かせたら俺が逝くんだよ!」

激は踊るかの様に上体を振って、下段から棍棒を振り上げた。

「知るかそんなの!」

雹はバックステップを踏んでやり過し、すかさず前に踏み込んで平行にした刀を繰り出す。

「んだとッッ!?」

前髪を僅かに斬られながらも、半身になって避ける。
同時に、棍棒の先を弾丸の如く突き出した。


水面下での戦いも、白熱していた。


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