第四十二話



「ふう……また失敗か……」

憂鬱気な声が、日の当たらない城の裏側で零れた。
ずれた眼鏡を指で戻して、天ヶ崎千草は思慮に耽る。

「(アレがお嬢様の力か……)」

芝生で発生した光輝が脳裏に浮かんだ。
目の当たりにしただけで気圧されてしまう程の魔力の奔流。

予想以上だ。

これなら『アレ』の封印を解き、そして意のままに操る事など容易いものだろう。
その際に起こるであろう混乱に、千草の心が喜悦に躍った。

だが、それも木乃香を手に入れなければ取らぬ狸の皮算用だ。

既に二度も失敗している。
面倒なのはあの大剣を振るう青年だ。
護衛についているのはあの刹那という少女だけだと聞いていたが、何しろ木乃香が京都に来ると聞き付けてから急遽立てた計画。
情報不足は否めない。

「高い金払って雇ったアンタも、いまいち頼りにならへんしなぁ……」

「はい?」

壁に背中を預けた千草がじっとりとした眼差しを送ると、月詠は可愛らしく首を傾げた。
その顔に微笑みが張り付いているのが無償に腹が立つ。

神鳴流有数の実力者であり、生粋の戦闘狂である彼女。

体術に長けた、狗族と人間のハーフである犬上小太郎。

そして、もう一人……忌まわしい西洋からやって来た少年。

駒は揃っていたし、作戦の穴も多少力押しで何とかなると高をくくっていたが―――状況は芳しくない。
溜め息と共に言葉を漏らす。

「これじゃ、仇は……」

「ここにいたか」

恐ろしく平坦な声が、頭上から降ってきた。

「!?」

反応した千草が顔を蒼穹に向けるよりも、長身の影が目の前に降り立つ方が一瞬だけ早い。
カウボーイハットに背負った大剣、そして肩に乗ったピンク色の球体。
そして、獣の様な姿勢で着地したまま千草を一直線に睨めつけてくる黒瞳。

爆の手が、素早く背の大剣の柄に回される。

「ッ! 月詠はん!!」

恐慌した千草が呼びつけた時には、双刀の少女剣士は青年に向けて跳躍していた。

逆手に握った銀刃が、横合いから爆の首に叩き込まれる―――その前に、跳ね上がった爆の手が月詠の眼鏡を取り上げる方が早かった。

「あうっ」

目標を見失い、放たれた斬撃は空気を断つのみ。
一歩後退した爆の目の前を飛んでいった月詠はどうにか着地に成功したが、眼鏡無き今身動きも取れない。

「ああっ眼鏡眼鏡」

土の上にしゃがみ込んで地面を叩くも、目的の物は彼女を見下ろす青年の手の中だ。

「さて……」

爆の首がゆっくりと旋回し、その黒瞳が千草を見据えた。
静かな憤怒を帯びた視線が、矢の様に彼女を射抜く。

「……っ」

下唇を噛み、懐に仕込んである呪符に手を伸ばす。
だが式神を顕現させるよりも疾く、千草の喉元に大剣の刀尖が突きつけられた。
刃は肌に触れていないものの、微動でもすれば傷つく紙一重の距離。

「いい加減貴様らの相手にも飽きてきた」

刀尖の反対側で、片手でそれを支える爆が絶対零度の声を出した。

「殺しはしないが、しばらくは静かにしててもらおう」

「くっ……」

千草に出来る抵抗と言えば、ただ彼を睨み付ける事しか出来ない。
呪符を放つよりも爆が自分を気絶させる方が先だろうし、そもそも猿鬼や熊鬼ではまるで相手にならない。
護衛である月詠の助けも全く完璧に期待出来ない。

このまま、終ってしまうのだろうか?

何も成すことも無く、仇も取れぬまま………

「―――こんな大騒ぎを起こしてまで権力が欲しいとは、欲深い奴だ」

「!!」

忌々しげな嘆息。
全身が燃え上がるような感覚に襲われた。

「……権力、ちゃうわ」

奥歯を噛み締めての言葉は、憎悪に満ちていた。

「何?」

問うように片眉を上げた爆に、千草は続けた。
感情の濁流と共に、言葉は口唇から溢れ出て
くる。

「そんなもんどうでもええ。うちは、許せへんだけや」

憎しみが止まらない。

「うちの両親を奪った、西洋魔術師をな」



二十年前、現在では《大戦》と呼称される戦争が起きた。

それは銃弾や砲弾が飛び交う表の世界の戦いでは無く、火炎が稲妻が吹雪が咆哮する魔法使い達の戦争。

当時幼かった千草の両親も、この戦いに参加していたのである。

「必ず帰ってくる」

その言葉のみを糧に、千草は一日千秋の思いで二人の帰りを待ち続けた。
だが、その希望を打ち砕かれたのは間も無くの事だった。

「戦死した」

骨すら残らず消し飛ばされたと。

目の前が暗闇に包まれた。
苦しいほど悲しいのに、涙一粒さえ零れなかった。
戦争孤児として関西呪術協会に引き取られたのは、しばらくしてからの事だった。



「のうのうと生きとる奴らに、思い知らせてやるんや」

残された者の痛みを。
喉元の刃の存在も忘れたかのように、千草は酷薄な笑みを浮かべた。
対する爆は―――全くの無表情。
黒瞳が、真っ直ぐに千草を見詰めている。

「―――ふざけろ」

青年の口唇が短く言葉を紡いだ。

「なっ……」

自分の全てを否定するが如き言葉。
無論黙っていられる筈も無く、激昂を声にしようとする。
だが、爆がそれを遮った。

「貴様は、独りになった苦しさを紛らわそうとしてるだけだ」

「あんたは、失ったことが無いからそんな事言えるんやっ!」

胸の衝くままに放った言葉に、青年の反論は無い。
だが、一瞬だけその瞳に哀みの色が走ったのは、あるいは気の所為だったのかも知れない。

「……ああ、自分の苦しみは自分以外には分からんさ」

喉元から刃が消失した。
大剣が爆の背中のホルダーに収められる。

「次、俺の目の前に現れてみろ。命の保障はできん」

未だあたふたと地面這いずる月詠の手元に眼鏡を落とすと、爆は身を翻した。
その背中は無防備に思えたが、呪符を握った手は、何故か動かない。

次の瞬間には、青年の後ろ姿は幻のように消え去っていた。



      ◇◆◇◆◇◆



ネギ達と合流した爆達が関西呪術協会本部の門前に辿り着いた時には、日は既に傾きかけていた。

「で、何でお前らがいるんだ?」

紅の太陽の下、爆は並ぶ三人の少女を睨み付けた。

しかしそれを何処吹く風と受け流して、ハルナ、夕映、和美達は平然としている。
のどかの事は此処に来る道すがらにネギから聞いていたが、彼女等の存在は看過できる事では無かった。
和美が携帯電話を掲げる。

「ふっふっふ……こんな事もあろうかと、桜咲さんの荷物にGPS携帯放り込んどいたんだよね〜♪」

GPSとは、人工衛星を利用して人や物などの位置を割り出すシステム。
その機能を搭載した携帯電話が、刹那の荷物の中に仕込まれていたのだった。

撃ち落すぞ、人工衛星。

爆は本気でそう思った。

「すみません、爆さん」

謝ってくる刹那に、軽く手を振って応じる。

少なくとも、和美とは一度真剣に話をする必要があった。

彼女が見ているのは、魔法という事柄の明るいファンタジックな部分だけだ。
その裏側に厳然と存在する暗部を想像すらしていない。
シネマ村で悪魔に射られた刹那にしても、下手をすればこの世の人ではなかったのだ。

まだ引き返せる内に、彼女に選択させなければならない。

「あ、見て見て! あれ入り口じゃない?」

ハルナの呑気の声に、爆の意識は現実に回帰する。
彼女が指差すのは、茂る木々に挟まれた道の奥に鎮座する門。

「レッツゴー!!」

などと陽気に叫びながら、ハルナ達は無用心にもそこに向かって駆け出していった。
しかも敵の狙いである木乃香まで。

「あーッ! ちょっとみんなー!!」

アスナの叫びにも、少女達の背中が停まる事は無い。

「ちっ……」

舌打ちして、爆がその後を追う。

此処は仮にも敵―――関西呪術協会の本拠地。
それを知らないとはいえ、何も自ら虎の口の中に飛び込むような真似をしなくても良いものを。
背中の大剣の柄に手を回しつつ、爆は四人に続いて厳しい門を潜り抜けた。

だが、彼等を待っていたのは百の罠でも千の敵でも無かった。


「おかえりなさいませ。このかお嬢様」


一糸乱れぬ礼で優雅に迎えたのは、奥へと続く石段の両脇に居並ぶ巫女服の女性達。
その周囲では無数の見事な桜の樹が淡い桃色の花弁を舞い散らせている。

「な……」

「「へ?」」

絵画の如き幻想的な光景に愕然とする爆の背後で、追いついて来たネギとアスナも間抜けな声を零す。

『このかお嬢様』。

そう呼称するという事は、まさか……

「……ここが、木乃香の実家なのか?」

額に張り付いた桜の花弁も払わず、爆は呆然として呻いた。


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