第四十三話


何時だったか、爆は楓の教科書を覗いた事がある。

それには、かつて日本の首都であったという「平安京」なる都市の絵が記載されていた。
もしもそれが現代に蘇ったとしたなら、今爆の立つこの場所がそうなのだろう。

木乃香の実家―――関西呪術協会本部は、十二の世界を旅し、果ては異世界にまでやってきてしまった青年をも驚愕させていた。

山の一角を大胆に開拓した土地には和風の屋敷が無数に並び、渡り廊下で迷路の如く連結されている。
規模でも優美さでもそこらの豪邸など足元にも及ぶまい。
隙間を埋めるようにして配置され、季節外れに咲き乱れている桜も、その強大な呪術の賜物だろうか。

「(乱丸やダルタニヤンの家もこんな感じだったな……)」

巫女姿の案内人に先導され、ネギ達と庭に面した廊下を行く爆はそんな事を思っていた。

GCが家督制という独特の体制を持つ彼等は領主や貴族という地位にあり、当然その住居も城や屋敷となってくるが、それらにも充分引けを取るまい。
麻帆良学園もそうだが、魔法使いには金持ちが多いのだろうか?

「うひゃー、すげえ桜。こんなトコで酒飲んだら気持ち良いだろーなあ」

「こんなトコで爆君と結婚式できたら……フ
フフフフ……」

背後からの声。
享楽的な激はともかく、雹の不気味な発言は大問題。
こんな所で粗相する訳にもいかないので、とりあえず心の中で雹を撲殺しておく。
後に別の場所で実現するのも良い―――ふと首を後ろに回すと、銀髪の青年の肩越しに野太刀の鯉口を切ろうか迷っている刹那が見えた。

程無くして、大広間に辿り着く。
襖が開いてるために入り込んできた桜の花弁が舞い散る中、周囲に規則正しく並ぶ巫女服の女性達が鼓や横笛で演奏する囃子が流れている。
木乃香が帰還したためか、任務完了直前のネギを労わってか、その歓迎ぶりは凄まじいの一言だった。
人数分――どう調べたものか、和美、ハルナ、夕映、そして雹に激の分も――用意されていた円形の座布団に腰掛ける。

「懐かしいなー。ウチちっちゃい頃ここに住んでたんや」

「へー……」

幼かった時代を思い出して微笑む木乃香に、アスナが相槌を打つ。
なるほど、と爆は納得した。
呪術師である親が自分の娘に宿る強大な魔力に気付かぬ筈が無い。
組織内に千草のような彼女を利用しようとする者の出現を危惧して、数多の実力者が在籍する麻帆良学園に預けたのだろう。

「(親の愛、という奴か)」

捨て子だった爆には、よく解らない。

「―――お待たせしました」

男性特有の低い声が朗々と響く。
囃子が止んだ。
前方の低い階段が軋む音と共に、痩身を束帯で包んだ壮年の男性―――西の長、近衛詠春が姿を現した。
眼鏡の奥の瞳に宿るのは、柔らかな眼差し。


「ようこそアスナ君、このかのクラスメイトの皆さん」

ネギと爆に柔和な顔が向けられる。

「そして担任のネギ先生に、警備員の爆君」

言い終わるのを見計らって、木乃香はいつも爆にするように詠春の、父親の胸に飛び込んだ。
やはり寂しかったのだろう、まるで、離れていた月日を埋めるかのように。

「お父様、お久しぶりやー!」

詠春も、抱擁を持って愛娘に応じた。

「はは、これこれ木乃香」

二人の遣り取りにつられるように、爆は静かに微笑した。
シネマ村では何かと怖がらせてしまったが、木乃香には笑顔が一番似合うと思う。
なればこそ、千草の復讐に彼女を利用させる訳にはいかなかった。

「あ、あの長さんこれを……」

進み出たネギが懐から取り出したのは書状。
麻帆良学園を出発してから今日この時まで、少年が守り続けてきた物だった。

「東の長、麻帆良学園学園長近衛近右衛門から、西の長への親書です。お受け取りください」

抱擁を解いた西の長がネギから親書を受け取る。
白い封筒から折り畳んであった中身を取り出して目を通し、何が書いてあったのか苦笑。

「……良いでしょう」

再び手紙を畳むと、ネギに向き直った。

「東の長の意を汲み、私達も東西の仲違いの解消に尽力するとお伝えください……任務御苦労!! ネギ・スプリングフィールド君」

少年の表情が輝いた。
度重なる敵の襲撃に耐え、初めての重要任務を遣り遂げたのだ。
受けた傷の分だけ、その達成感は大きい。

「あ……ハイ!!」

「おー! なんかわかんないけどおめでとー先生!」

周囲の和美達が歓声を上げる。
状況を飲み込めた訳では無いだろうが、とにかくネギが何事かを成したという事実は理解できたらしい。
親書を懐にしまうと、詠春は再び口を開いた。

「今から山を降りると日が暮れてしまいます。君たちも泊まっていくといいでしょう―――歓迎の宴をご用意しますよ」



      ◇◆◇◆◇◆



「……本当に騒ぐのが好きな奴らだな」

目の前の料理を適当に箸で突付く爆は、些か呆れ気味だった。

窓の外の世界には既に夜の帳が降りているが、宴会場となっているこの大広間は昼間よりも騒がしい。
ハルナや和美達は日の丸の描かれた扇子を持った巫女達と楽しげに舞い踊り、流れる音楽も厳粛な囃子から明るいテンポの戯曲に取って代わられていた。
気付くとジバクくんが肩から消えていたが、彼もまた少女達の足元で踊り狂っていた。

激は機嫌よく酒杯を空けているし、料理を食べさせてとあーんと口を開けてきた雹は顔面への鉄拳により血の池に伏している。

「やあ、楽しんでますか?」

背中に掛けられた声に振り返ると、そこには眼鏡を掛けた柔和な顔。
爆の返事を待たず、詠春は青年の右隣に腰を下ろした。

「ん、まあぼちぼちだな」

確実に目上の人物だが、敬語は一切使わない。
爆は基本的に敬意というものは言葉でなく態度で払うものだと思っているからだ。
相応の相手にはそれなりの態度を見せる。

「……ところで、良かったのか?」

「?」

軽く杯を傾けて、爆は続けた。

「この場所に入れてだ……俺の経歴は調べられなかったろう?」

ツェルブワールドからやってきた爆には、当然この世界での過去が無い。
例えどんな情報網があったとしても、彼の生まれや育ちを調べる事は絶対に出来ない。
つまり、事情を知らぬ者から見れば彼が何処かの組織のスパイであっても不思議では無いのだ。
そんな男を本部に招き入れるなど、組織の長としては軽率といえる行為。

「お義父さん……東の長から話しは聞いていましたからね。異世界から来た、と」

「嘘を言っているのかも知れんぞ?」

問い質す爆にも、その柔和な顔は崩れない。
逆に笑顔が深められる。

「もちろん、最初は疑っていました。そんな馬鹿な話しがあるかと。そんな怪しい人物に木乃香の護衛をさせるなんて、お義父さんは何を考えているのだろう……とね」

杯に口を付けると、詠春は続けた。

「ですが、お義父さんからの連絡を受けている内に考えが変わってきましてね。結局、こちら……京都に来てからの行動を見て結論を出すことにしたのです。失礼ですが、監視させていただきました」

「で、結論は出たのか?」

詠春が頷く。

「ええ―――あなたほど高潔な人間も珍しい」

「気付くのが遅いな」

ははっと、二人して笑い声を上げた。

「………ところで、その、お義父さんから聞いたのですが……」

「?」

詠春の表情が、些か硬くなる。
先ほどの饒舌さが嘘のように紡ぐ言葉も途切れ途切れで、声も小さい。

「あの、木乃香とは……」

「ばっくさ〜ん!!」

「ぐおっ!?」

背後からの衝撃に、爆の上半身がつんのめる。
体勢を立て直す間も無く、白い繊手が首に絡められた。
頬と肩に掛かるのは、アルコールの匂いが混じる吐息と長く黒い髪。

「こ、木乃香!?」

「爆さんも一緒に飲も〜?」

右手で空のコップを掲げ、けらけらと壊れたかのように笑いながら、木乃香は狼狽する青年の背中に紅の差した頬を擦り付ける。

「ええと、このか?」

詠春の声は、裏返っていた。
少女の首が父親の方に回される。
眩しいまでの満面の笑顔。

「あ、お父様。見て見てー、この人ウチのお婿さん♪」

笑声が耳を貫き、鼓膜を串刺しにする。
魂まで凍りつく、婿(仮)と少女の父親。
踊りや料理に夢中で周囲の人間の耳に入らなかったのは幸いだった。

「……えっと、ではとりあえず披露宴を」

機械的なまでに平坦な、詠春の声だった。

「待て! 落ち着けッ!」

首に木乃香をくっ付けたまま爆が叫ぶ。

「ええ落ち着いてますとも。でも孫の名前は付けさせてくださいね」

「完全に混乱しとるだろーがッ!」


夜は更けてゆく。


宴会の喧騒から逃れるように、刹那とアスナは庭園が覗ける典雅な大浴場に来ていた。

「ふぃ〜……今日は色々あって汗かいたからさっぱりする〜♪」

刹那の背後で、シャワーの噴水口から吹き出る湯を白い肌に受けたアスナが長い溜め息を吐き出した。

「フフ……疲れもしっかり洗い流してくださいね」

刹那自身も桶で体を洗い流した。
適度な熱が全身に伝わってゆくのが心地良い。

アスナとネギには、本当に世話になってもらった。
慣れぬ実戦がどれほど心身に負担を掛けるかは、身を持って理解している。
それを考慮すれば、弱音の一つも吐かない彼女は尊敬に値した。

「あ、そういえば」

湯船に肩まで浸かったアスナが、何事か思い出したらしい。
唇に人差し指を当てる。

「「聞いたわよー! シネマ村でこのかのことを身を挺して守ったんだって? なんか刹那さんってお姫様を守る騎士ってカンジだよねー♪ 単なるボディーガードじゃないみたいってゆーか」

「!」

嬉々とするアスナ。
愕然とする刹那。

……違う、違う違う違う!!

確かに自分にとって木乃香はただの護衛対象では無い。
幼馴染で、大切な存在だ。
しかし、だからと言って恋愛感情を抱いてる訳ではない!!
顔面を真っ赤にして、刹那は湯船に浸かったままのアスナに掴みかかった。

「そそそ、そんな関係じゃありませんよっ! それに私は……」

「爆さん?」

「!!」

ニヤリと意地悪に笑う、赤い髪の魔女。
刹那は完全に手玉に取られていた。
だが、負けてばかりいる訳にはいかない。
必死に思考を疾駆させ、敵の弱みを模索する―ー―発見。

「……そ、そーゆー神楽坂さんはどうなんですか!! ネギ先生にあんなに一生懸命協力するのはちょっとおかしいです!!」

アスナの不敵な笑みが一転、狼狽に陥る。

「なっ!? ななな何の話してんのよ!!」

「一般人の神楽坂さんがあんな危険な目にあってまだ協力するなんて!」

「ちがっ……だってあいつガキだし心配で!」

「私もお嬢様が心配なだけですーーーっ!」

腕を振り振り、終結の見えぬ論争を交わすアスナと刹那。
放っておけば、このまま永久に続くと思われたが―――

「ハハハハ、しかし10歳で先生とはやはりスゴイ」

「いえ、そんな……」

「俺はGCの修行をしていたな」

湯煙を越え、戸の向こうから聞こえてくる聞き覚えのある声。
それが男性の物であるという事実に、二人は硬直。

「(あの声はネギに爆さんにこのかのお父さん!?)」

「(なっ……あわわどうしましょう!?)」

あたふたと混乱を極めるアスナと刹那。
だが無情にも、戸は開かれた。

それからの行動は実に迅速。

刹那はアスナの肩を掴むや、近くの岩陰に飛び込んだ。
呼吸音も抑え、出来る限り気配を消す。
三人が湯船の中に入ったらしい。
岩を隔てた背中で上がった水音と、水面が揺れる気配。

抜け出す隙が無いかと爆達の方を覗いて―――刹那の目は釘付けとなった。

以前ちび刹那を介し、爆と風呂に入ったことがある。
その時は、実は恥ずかしくてあまり彼を体を直視はしなかった。

改めて見た彼の背中は、傷で埋め尽くされていた。
過去に巨大な獣とでも戦ったのだろうか、背中を斜めに横断する四本の爪痕。
所々に窺える円形の傷は、槍のような鋭利な物体に貫かれたものらしい。
その他にも大小あわせれば、とてもでは無いが数え切れない。

左隣の詠春にも匹敵する戦傷。
守る者として生きて来た男の背中だった。

「(……そういえば、私もよく守ってもらったな……)」

複雑な心境だった。
嬉しくもあり、不安でもある。
爆は人を守るためならば、自身の命など紙の如く軽く投げ出してしまう。
それでも彼は「世界制覇をする男が小娘の命一つ守れないでどうする」などと不敵に笑うが、見ている方としては心配でたまらなかった。

「この度は、ウチの者達が迷惑をかけてしまい申し訳ありません」

詠春が口を開く。
その語調は苦々しいものを孕んでいた。
それに応じたのは、爆の静かな声。

「―――あの、猿の式神を使う女のことなんだが」

「猿……天ヶ崎千草のコトですか…」

頷いて、青年が続ける。

「戦争で、親を亡くしたらしいな」

「(え……)」

刹那は、思わず声を上げてしまいそうになった。
あの悪辣非道という言葉を体現したような女に、そんな過去があるなどとは思ってもみなかったのだ。
爆を凝視するネギの横顔が見える。
恐らくは、自分と同じことを考えたのだろう。

「……ええ。それで、木乃香を利用して、東への復讐を企んでいるのでしょう。木乃香の持つ魔力はネギくんのお父さん……サウザンドマスターをも凌ぐ程ですからね」

「(……)」

刹那は、昼間に矢を受けた左肩を撫でる。
傷跡は存在しなかった。
貫かれた際の痛みが幻覚であるかのようだ。
一つの術式も知らずにこの威力。
修行を積めば、世界にその名を轟かせることも夢ではあるまい。

「あ、あれ……ところでサウザンドマスターのことをご存知なんですか……?」

会話に父親の名前が出てきたことに、ネギが詠春に訊ねる。
男の顔が微笑を刻んだ。

「フフ、よく存じてますよ。何しろ私はあのバカ……ナギ・スプリングフィールドとは、腐れ縁の友人でしたからね」

言い終わった、ちょうどその時。
戸の向こうから、再び声が聞こえて来た。

「ですから、あのシネマ村の一件はどう考えても不可思議なのです! 物理的に!」

「だからもーCGだってばCG」

「私をこのかさんといっしょにしないでください!!」

宴会を終えたらしく、話し声の正体は和美や夕映達の一般人組だった。
ネギ達の顔色が変わる。

「おやおや、ご婦人方が……、これはいけませんね! 緊急事態です、ネギ君、爆君! 裏口から脱出しますよ!!」

「……あ、あれ? 爆さんがいない!?」

トラブルを嫌ったらしく、テレポーテーションを使って一足先に逃げたらしい。
青年の姿は、浴場の何処にも見当たらない。
それよりも問題なのは、ネギと詠瞬が刹那達が身を隠す岩の方へと走って来ていることだ。

「(こ、こっち来たわよ! どーすんの!?)」

「(ど、どーと言われてもっ)」

逃げ場は、無かった。

「わあっ!?」

「きゃあっ!?」

激突し、互いの悲鳴が交錯する。
はらりと舞い上がったアスナのタオルが地に落ちた時、アスナはネギに押し倒されていた。
しかも少年の手が彼女の胸を掴んでいる辺り、神が悪戯を仕組んでいるとしか思えなかった。

そして、とどめとばかりに戸が開かれた。

手拭いだけを体に掛けて入ってきた木乃香、ハルナ、夕映、和美、のどか。
少女達が最初に目にしたものは、絡み合うネギとアスナ。

双方の視線が交差する。
気まずい空気。
そして、一秒後。

「きゃーーーーッ!!」

「いや〜〜〜ん!!」

「お父様のエッチーーー!!」

「何で男女別じゃないんですかーーーー!?」

悲鳴の嵐が巻き起こった。


前へ 戻る 次へ