第三十話〜機転〜


第三十話〜機転〜


醜いものほど幸いなり。醜いが故、彼の者たちは全力である。醜いが故、必至に生きようとするのだ。

 


 二日経った。
絡繰茶々丸は遂にその姿を現すことはなかった。
学園中に朝倉和美が新聞を張り巡らし。長谷川千雨でさえ、パソコンを、アーティファクトまで導入して情報収集に努めたというのに、絡繰茶々丸の足跡はまったくのゼロだった。
 クラスメイトもそうだったが、何より一番堪えていたのがエヴァンジェリンであった。
火が消えたかのような意気消沈とした態度。
ネギ・スプリングフィールドに対する態度も厚顔尊大なものではなく、親を失った少女のように暗く、重い。励ましの言葉も聞き流し、全てが終わったかのような態度でしか物事に反応しなかった。

 葉加瀬聡美曰く、絡繰茶々丸の体電源はとうに尽きている筈との事であった。
ならば、何処かで動けなくなっているのではないか。
Aクラスの人間。ないしはネギ・スプリングフィールドを初め、以前担任を務めていたタカミチ・T・高畑も協力。加えて多くの魔法生徒・教師らは、あらゆる手段を講じて絡繰茶々丸の足跡を辿った。
狭くは学園内の端から端までを。広くは、そう、世界中までを徹底して調べつくしたのだ。
だが、ソレを以って尚、絡繰茶々丸は見つからなかった。
葉加瀬聡美。超鈴音の開発した探査レーダーさえ用いても無意味。反応はおろか、所在さえも確認されなかった。

多くの人間は、最悪の状況を予想した。
即ち絡繰茶々丸の崩壊。あるいは死亡。それを予感した。
だが口に出さなかったのは何故だろうか。それはやはり、かのエヴァンジェリンを想って口に出さなかったのだろうか。
だが、ソレさえも違うのだろう。正確には現実を見つめたくないだけなのかもしれなかった。
彼女らは普通の人間なのだ。絡繰茶々丸もそうであると彼女たちは思っていた。普通の人間として接し、今日までクラスメイトであり、友であったのだ。

だからこそそれを予感してしまった。
都合のよいものなどない。明日死に絶え。今日も死ぬのだ。
機能得限止のそんな言葉を思い出しつつ、しかし、彼女たちは絡繰茶々丸の姿を求めた。
朝から晩まで。部活を休んでまで捜す人間さえも現れた。
そうして二日。失踪より二日目の昼の事。Aクラスにて、エヴァンジェリンは一人、静かに立ち上がった。

「エヴァちゃんっ。何処に行くの?」
「……キノウエの処へ行く。茶々丸が居なくなった時、あの男は意味深な事を言ったのを思い出した」

 それだけ告げて、エヴァンジェリンは歩みを進めた。
廊下の端を歩く。普段廊下の真中を歩いていくのではなく、端を。縮こまるようにして進む。
 神楽坂明日菜は自然とそんなエヴァンジェリンの傍らについた。
比較的、絡繰茶々丸と雰囲気が似ていた神楽坂明日菜が背後に立った時、エヴァンジェリンは僅かに振り返り、そして変わらぬ貌で正面を見る。

「茶々丸さんの代わりにはなれないけど、一人よりはいいんじゃない?」

 エヴァンジェリンは無言だった。
それを神楽坂明日菜は肯定と取り、その傍らにつく。
誰に言われたでもない。神楽坂明日菜の意志がそうさせたのだ。
一人の辛さを知っているからこそ、そうしたのだ。一人が苦しい事を知っているから、そうさせたのだ。
 代わりにはならなくても、一人で居るよりは存外マシだったのだろう。
エヴァンジェリンの歩みは若干軽やかになった。
だが絡繰茶々丸と共に居た時ほどではなかった。
それは無理もない。間もなく三年間ずっと共に居た従者と。三年間同じクラスであっただけの、しかし、最近は付き合いが多くなったある意味での友人とでは大きく異なり、大きく違うのだ。
共に居るのと、共に居たのではまるで違うのだ。
 

 ―――――――――――――――


 神楽坂明日菜がコンコンと扉を叩くよりも先に、エヴァンジェリンは生物準備室の中に身を躍らせた。
神楽坂明日菜の静止も聞かず、奥へ。
途中に擦れ違った黒髪で美しすぎた女性の姿など目にも入らず、エヴァンジェリンはその最奥に座していた機能得限止の背後に着いた。

「出席番号二十六番だな。何の用事だ」
「絡繰茶々丸の居場所を教えろ。貴様は何かを知っているな」

 雑務をこなしていたのか。機能得限止が振り返ると同時に、エヴァンジェリンはその喉元に手をかけた。
本気で殺しかねないその状況で、機能得限止は無機質にエヴァンジェリンを見つめている。
無機質に。お前など、どうでも良いと言わぬばかりに。
否、視線でお前など、生きていても居なくても、この世にはなんら支障はないと言わぬばかりに。

「ちょっ! え、エヴァちゃん!! 先生にそれはやばいって!!」
「えぇい!! 離せ神楽坂明日菜っ!! この男は何かを知っている。
答えろ!! 茶々丸を何処へやった! 知っているだろう!! 飼い犬が鎖を食いちぎったとはどういうことだっ!!」

 神楽坂明日菜に背後から羽交い絞めにされながら、エヴァンジェリンは喚いた。
涙目で、泣きながら喚いた。幼い子供のような喚き方だと、機能得限止は思いながらも口には出さず。
一先ず座るように片手で促す。声は出さず。無言のうちで。

 腰掛けた二人今にも飛び出しそうなエヴァンジェリンを片手で諌めつつ、神楽坂明日菜とエヴァンジェリンは隣り合って機能得限止の正面に座った。
機能得限止は二人を見ない。ただ、その手に握られていた拳銃型の注射器を眺めているのみであった。

「キノウエ先生。茶々丸さんの事、何か知っているんですか?」
「勘だけでは得られるものは得られんぞ、出席番号八番。
何処へ行ったのか。それを知るのは親しかった人間からにするのが一番だろう。
例えば担任。
例えば常に一緒に居た出席番号二十六番。
己は担任にあのクラスの全権を委任している。己はお前らになど興味はなかった。最近興味の出た奴も、居なくなった。
全ての責任は担任にある。責任者は担任だ。責任者の責だ。あの小僧がそう言ったのだ。Aクラスは任せてください。そういったのだからこそ、己はそうしたのだ。
そして任されたのもあの小僧。もっと早くに何かしら手は打てただろう筈だ。
状況と言うものは刻一刻と変化していく。その変化に対する為に責任者と言うものは在る。
"仕方がなかった""どうにもならなかった"は通じない。そうなる前に手は打てた筈なのだからな。
もし己が任されていたのであれば、そうしただろう。そうしなければ。そう、やらねばなるまい。
教師と言う職業だからだ。
教師は生徒を第一としなければいけない。教員の役割だ。それすら出来ない奴に、教師など務まらん。さっさと帰るかどうにかすればいい。何時までも居る方が迷惑だからな。
そして己は副担任。副担任がでしゃばるほどはた迷惑はない。
担任が任せろといったのだ。副担任など、居ても居なくても同じだ。
そうだろう。お前たちもそうであったはずだ。
己など、居ても居なくてもかわらなかっただろう。
そも副担任の意味を理解できているのか。
副担任とは、担任の代理だ。担任がいない時だけやるべき事をやるだけの存在だ。
その他の事には、一切手出しなどするな。甚だ迷惑だ。そう言うことだ。まぁ、今はそれは良いか。重要なのは絡繰の所在だろう。
 時に聞くが。お前たちは絡繰をどう見てた。返答によってはこちらの返答も変わるぞ」

 エヴァンジェリンと神楽坂明日菜はお互いの顔を見合わせるでもなく、その質問を深く深く受け取った。
 どう思っているのか。
神楽坂明日菜とエヴァンジェリンは己が内でソレを考える。考えるまででもない事を思考する。
 だがどういえばいいのかが二人は解らなかった。
言えばいいだろう。普通に。
自分が思うことを告げればいいだけの話だ。
だがそれを行えないのは何故か。エヴァンジェリンと神楽坂明日菜はどこか違うと言う事を感じていた。
機能得限止の質問に在るものが、何か違うと思考するからこそ、まともな返答が行えないのだ。

「私は…」
「私にとってかけがえのないものの一人だ。茶々丸は私のものだ。主の命も聞かずに何処かへ行くなど、教えた覚えはない」

 神楽坂明日菜の発言を遮るようにエヴァンジェリンは告げる。
絡繰茶々丸は自分のものであると。言い淀みなく、はっきりと断言して見せた。

「―――お前のものか」
「そうだ。私のものだ」

 機能得限止の無機質な眼差し。エヴァンジェリンの決意の目線。それがお互いにぶつかり合う。
機能得限止はその目線に対しては大した事は感じていない 。
エヴァンジェリンがアレをなんと言おうと、最早機能得限止には何ら関係ないのだ。
ただ聞いておきたかったのは、絡繰茶々丸と言う存在に対し、どのような態度で接していたのかと言うことだけであった。

「出席番号八番はどうだ。どう絡繰を見ていた」
「私は…も、勿論友達として見てたわよ」

 予想通りの返答ではあったが、機能得限止はやはり特に深い感慨は持たなかった。
予想どおりなら予想通りでよい。その程度の事しか考えていないのなら、それで良い。そう思っているだけだった。
 機能得限止は大柄の地図を二人の前に広げる。
麻帆良学園都市の地図。中心には、あの一際大きな世界樹が画かれている。
やや一昔前のものであろう、大きめの地図。機能得限止は、その中心。世界樹の処を指差した。

「今夜にでも此処に来い。面白いものが見れるかも知れんぞ。絡繰の手がかりも上手く行けば見られる」

 そう告げて地図は纏められ、機能得限止は背中を向けた。
あとは好きにしろと言う態度。何時もどおりの、常に不変である機能得限止の態度に、二人はその場を後にするしかなかった。
伊達で二年半、ないしは三年共に来た者ではないのだ。
いい加減、お互いにお互いが何を考えているのか程度は読み取れねばなるまい。
 機能得限止の態度はそういうものだ。
読み取れなければ、次に何をすれば良いのかは解らない。
機能得限止が何も語らなくなったと言う事は、語るべきことはそこで語るであろうと言う事なのだ。
よって、もはや此処では何も聞けない。それが二人の出した結論だった。
 生物準備室を出る。出た瞬間に、西日の強さに二人は目を思わず顰めた。
赤い夕暮れはあまりに濃く、血のように真紅に染まっていた。そう、傍らの、あの世界樹も同じように。
 街は、紅く染まっていた。


 ―――――――――――――――――


「何だ。私と一緒に来るのはお前か、神楽坂明日菜」
「しょうがないでしょ? 茶々丸さんが居ないんだし…今日の事をネギに話したら一緒に来るって言ったけど…機能得先生、関係ない人が関係するのって嫌いでしょ?
 だから茶々丸さんが世界樹の付近に居るかもって話になって…一先ずネギはこのかと刹那さんに任せたから。こっちはこっちで世界樹の方を目指しましょ」

 夜。夜風舞う頃、エヴァンジェリンと神楽坂明日菜は合流して世界中を目指していた。
 不気味と、会話がなかった。
神楽坂明日菜とエヴァンジェリンの二人は、よく考えれば二人だけで何かを話した事はない。
以前、エヴァンジェリンがネギ・スプリングフィールドの血を狙っていた頃。
傍らに絡繰茶々丸を控えて共に話した程度だ。しかも、その時はお互いに対極の立場で。敵対するもの同士で相対していたのだ。

 今は違うのだろうか。
神楽坂明日菜は違うと思いたかった。長い間でもないが、ネギ・スプリングフィールドと言う少年と出会ってからと言うもの、何かととんでもない事のオンパレードだったと神楽坂明日菜は思考する。
その日々は、三年間共にあって、気付けなかった者にさえも気付かせてくれた。
 幽霊に吸血鬼。ロボットに烏族とのハーフ。本当に色々の出会いがあった。
中でも、烏族の少女と、吸血鬼の少女は特に関係しているのではないだろうかと神楽坂明日菜は考える。
 傍らの吸血鬼少女。子供のように子供で。
だがしかし、自分などよりも遥かに永く生き続けている吸血鬼の少女。
敵として出会い、だがその後は違ったと神楽坂明日菜は思い出し、少し笑った。

 冷徹そうで。冷酷そうで。
冷静沈着に見せて、実は百面相。
驚いたりすれば。泣いたり。笑ったり。照れたり。恥ずかしがったり。
彼女は神楽坂明日菜を初め、多くの人間と何ら変わりない。普通の少女であっただろう。
 意外にも面倒見は良く、居候の少年を鍛え、多くを与えてくれている。
自分たちでは知りえない知識を与えてくれる事もある。
口は悪いが、それは彼女の性格なのだから仕方がないと神楽坂明日菜は思い。時折こうして笑っている。
エヴァンジェリンからすればはた迷惑かもしれないが、だが、エヴァンジェリンは無意識で違うと思っていた。そう。それすら心地よい。そう考えていたのだった。

 厳しいところもあり。
悪人であり。
悪の魔法使いであると言ってはいるが、エヴァンジェリンの本質は面倒見の良い姉御肌な善人なのだと、神楽坂明日菜は考えている。
だからこそ、窮地になれば助けてくれる事もあったし。居候の弟子入りも渋々ながら納得してくれたのだろう。

「むっ? 神楽坂明日菜、貴様何を笑っている」
「べっつにー? ただエヴァちゃんって素直じゃないところあるなーってね」

 やや顔を顰めたエヴァンジェリンの反応を見て、神楽坂明日菜はやはり絡繰茶々丸の失踪は相当に彼女の枷になっているのだと確信した。
 今のやり取り。今までのエヴァンジェリンなら子供の様に怒り出し、それを絡繰茶々丸が諌めるという系図が完成していた。
だが、今はソレがない。絡繰茶々丸の欠損により、エヴァンジェリンは自らが怒り出しても止める者が居ない事を心底思い知らされている。
だから怒らず、内に篭らせてしまう。神楽坂明日菜はそれを懸念していた。
 エヴァンジェリンも神楽坂明日菜も、実は似たもの同士である事を二人とも自覚していない。
自覚すれば、きっとこの様に並んでは歩けないだろう。
自覚していないからこそ、神楽坂明日菜とエヴァンジェリンはお互いに轡を並べていられるのだ。
 二人の苦手。それは孤独。一人であるという事であり、昔。一人は少し。一人は遠い。そんな昔に、大切だった人を失っているという事。
一人は死と言う別れ。一人は永別に近しい別れ。神楽坂明日菜とエヴァンジェリンは酷く根源的な処で似通っているのだ。

 エヴァンジェリンが絡繰茶々丸と共に居るように。
神楽坂明日菜が近衛木乃香と共に居たように。

 エヴァンジェリンが大切だと思った者を失った時、その感情は怒りとなり憎しみに成り、その息子に向けられたように。

 神楽坂明日菜が大切だった者を目の前で失った時、その感情は嘆きとなり悲しみに成り、周囲の全てを拒絶したように。

 二人は似ていた。多く深いところで。
まったく同じではないが、その成り立ち方はとてもとても似ているものであったのだ。
 だからこそこうしてお互いに居れるのであろう。
神楽坂明日菜が知るエヴァンジェリンの過去。
居候の少年から、エヴァンジェリンはその少年の父が好きだった、と言う事を聞き、そして知った、あの過去。
しかし、それでも根底は知らない。嘗てのエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルと言う少女を彼女は知らないのだ。
方や、エヴァンジェリンは神楽坂明日菜の過去にはあまり興味は持っていなかった。
何故魔力を無力化できるのか。何故、咸卦法が使えるのかなどの事柄にしか興味は懐いていなかった程度だ。
極々最近、その過去に興味が持ち始めてきた、そんなところだ。

だからこそ。お互いに知らないからこそ、共に居れるのだろう。
一人だけである事を隠しあうように。二人で居る事に、何か意味を見出すかのように。

「エヴァちゃん。茶々丸さんを見つけたらどうするつもり?」
「厳しく言ってでもやるかな。主を置いていくとは何事だ、とでもな」

 左折。世界樹の黒い外様が窺えた。

「………実はな。茶々丸が居なくなった日から魔力的な繋がりが感じられんのだ。
あれほど深く編み込んだ術式が誰かに解かれるとは思えんし、茶々丸本人が解ける筈はない。だが、でも、それでは何故」

 エヴァンジェリンの独白に神楽坂明日菜は黙ったまま耳を傾けていた。
このような姿を見たこともなかったのでどの様に対処していいのかが解らなかったというのが正しい見解なのだが、それでも神楽坂明日菜は、エヴァンジェリンのその態度には深く問い詰める事はしなかった。

「……二年ちょっと前か。私が茶々丸と出会ったのは。
ああ、お前らと出会ったのもその頃だったな。お前らとであった時は入学式だったが、私と茶々丸が出会ったのはハカセの研究室だった。
当初から魔法に関して調査していたハカセとチャオに協力して、私は魔法と科学で稼動するロボットの開発に興味本意で協力した。暇つぶしのようなものだ。それがここまで深い関わりになってしまうとはな。
私もまだまだ未熟と言うことかも知れんな。ぼーやに好き勝手言ってはいるが、いざこうして茶々丸が居なくなればここまで落ちぶれられるものとはな。
まったく、高い授業料だが気付かせてもらえたよ」
「……エヴァちゃん。ちょっと変わった?」
「否定はせんがな。正直に言ってみろ。どう変わって見える?」
「……なんか。そうね。丸くなった?」

 だろうな、とエヴァンジェリンは笑った。
自嘲気味に。珍しく、自分を卑下するかのような態度にも、神楽坂明日菜は少々驚いていた。
その変化は何なのだろうと考えて、やはり、それは絡繰茶々丸の存在の大きさも在ったのだろうかと思った。
そう、それもあった。だがソレとは逆にエヴァンジェリンは気付いていたのだ。

「違うよ神楽坂明日菜。私は吸血鬼なんかではなかった。
私はただの。我儘で、少しばかり聞き分けの悪かった子供でしかなかったんだ。
それに気付いたから変わってしまったんだよ」

 シルエットだけが栄える夜の麻帆良。世界樹も、またシルエットだけが栄え、明確なものは月ぐらいだ。
 その月を見上げて尚、エヴァンジェリンは高揚の表情はうかがわせなかった。
気持ちの良い夜なのではないとエヴァンジェリンは判断する。
気持ちが良いどころか、ただの恐ろしい夜ではないかと結論する。
あの木を見ろ。常識を淘汰して巨大。人知が及ぶ範囲の物体ではない。そう冷静に考え。エヴァンジェリンは少し歩みを弱めた。

「吸血鬼じゃないって…じゃあエヴァちゃんって、何?」

 その質問はあるいは正しかった。エヴァンジェリンは何なのだろう。
その質問を今までのエヴァンジェリンに問えばもれなく低脳を示唆するような発言と共に『私はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル! 最強無敵の悪の魔法使いだ!』というだろう。
だが、今のエヴァンジェリンはそれを言えない。吸血鬼などではない。エヴァンジェリンはただの人だ。ただの人だったのだ。そう宣言されたのだから。
だから、今のエヴァンジェリンにソレを問えば『私は人だよ。ただの人だ』そう答えただろう。
 だから神楽坂明日菜のその言葉にも、エヴァンジェリンはいたって普通に、そう答えた。

「私は人だったんだよ、神楽坂明日菜。普通の人だ。永生きしただけの、ただの人だ。
私は吸血鬼で、魔法の力によって更に優れたモノとなったと自負していた。ずっと人を超えたものだと不遜を張り続けた。
だけど違ったんだ。私は吸血鬼などと言うモノではなかった。人の形をして。人の知識をもって。人の記憶を記録して。人の感情で動き、人の言葉で思いの丈を綴ってきていた。
コレの何処が吸血鬼だ。
如何なる超越的な存在でも。人の形。言葉。感情。それらを以って活動してしまえば、それは人だ。
人とは人の感慨を以って在るもの。違うかもしれないが、私はそう考えてしまった。
だったら、私はただの人だ。人の形も。人の知識も。人の言葉も。人の感情も。人の記憶…思い出や遠い約束さえも捨てる事の出来ない、真祖の吸血鬼などと言うそんなありえないものになったと自負して調子付いていただけの、人だった。
子供だった。頭の悪い、誰かが傍に居なければ何も出来ないいつまでもそのままの子供だったんだ。
悲しい事だが、それに気付かされてしまった」

 気付かされたという言葉。そして、エヴァンジェリンの語った言葉の端々に窺えた単語。
そこから神楽坂明日菜は、意図せず彼女に彼女自身は吸血鬼などではなく。
ただの人間であると認識させた人物を容易く連想できた。
 それは。恐らく。機能得限止。
会話の端々に窺えた単語は紛れもなく、機能得限止本人が生物学の授業で語っていたものそものであった。

「な、何言ってんのよ。エヴァちゃん吸血鬼なんでしょ? すっごく強いし……魔法だってネギとかじゃ比べ物にならないぐらいすごいの使えるし……
あ、あとそれに。それに、キノウエ先生言ってたじゃん。他人の主張なんて関係ないって。
エヴァちゃんだって今の今まで吸血鬼だって言う事言ってたじゃん、なら」
「あえて人間じゃない、と言う言葉を言わないようにしているな? お前の心の動きなどバレバレだ、神楽坂明日菜。
それにお前は大きな勘違いを犯しているぞ。
キノウエの奴が言ったのは主張ではない。事実だ。
人間として持つもの。人間とは何か? その答えはきっと万人で異なるだろう。
人の形をして居れば人間。
人の心を持っていれば人間。
人の業を持っていれば人間。
だが、そも人の形とは何処から何処までであり。人の心とは何処から何処までであり。人の業とは何処から何処までを指すのかなど不透明だ。
キノウエはそれ自体を人間の条件としたんだよ。
即ち、人の形。人の人格。人の精神。人の記憶。それら全てを相乗しての、人と言うものそのもの。
それがキノウエの人であり、この人は余りに多くのものに当て嵌まってしまった。私も同じだと考えたんだよ。

神楽坂明日菜。私はそう言うものだ。人と、何も変わらない。ただの子供と、何処も変わらない。
吸血鬼だと自負するのはいいだろう。だが、まさにそれがどうした? だ。
吸血鬼などと言う存在は、多少人より優れているか劣っているか程度の機能を取り揃えただけの。ただの、人だ。
私にも当て嵌まってしまったんだ。つまり人以外であり、人以上とは。
人の領域を超えているもの。
ヒトでは思考できないもの。それを越えた向こう側にあるものだ。
キノウエの言葉を理解できず。ヒトでは言葉にして形容する事すら出来ない形状を重ね供え。ヒトの人格も何もない。
全ての記憶も、悲しかった事も、嬉しかった事も、怒った事も、辛かった事も、幸せだった事も、そうして最後には、きっと。キノウエが持つような"だからどうした"。こんな感情すら投げ捨てて、その領域へ至る。
ここまで成してこそヒト以外であり、ヒト以上であり、ヒトを超えたものと言えるのだ。
それらが残っているのであれば、もはやそれはヒトでしかないんだよ。
それに、気付いてしまった。だからきっと、私は。今までも。多分これからも。ただの、ヒトだろうな」

 夢から覚めたかのような眼差しで、エヴァンジェリンは夜空を見上げた。
自分の滑稽さに笑い出したくもなり、何をやってきたのかと言う後悔に泪しそうにもなった。
 エヴァンジェリンは変わらないであろう。
その事実を認知してしまい、無視できなくなったとしても、やはり彼女が悪の魔法使いで、多くの異名を名乗る吸血鬼と言う事実が薄れるわけでもない。
ネギ・スプリングフィールドからの教えを乞う事にも反論は示さないだろうし、相変わらず厚顔尊大な態度のまま生活を続けていくだろう。

 そう、それが、絡繰茶々丸既存であれば―――その日々はきっと何時までも何時までも続いてきただろう。
だから変わらず、機能得限止の授業を受けた後であっても、今更にそんな事を感慨深く語るような真似にはならなかった筈だ。
 何かが狂ったと言うのであれば、それはやはり絡繰茶々丸の失踪。それが大きな要因であった。
一人を味わい、一人であるが故に。己を見つめたが故に。記憶の中から掘り出されてしまった機能得限止の言葉に感化されてしまい、今に至る。
エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルなど、所詮は唯のヒトだったと。その再認識を持って、今に。

 神楽坂明日菜は遠く、霞む蜃気楼を見るような眼差しで傍らの少女を見つめていた。
いつものあの尊大な態度からは考えられないほどに真摯なその態度。
悪巧みする時のようなものではないし、ましてや、修行などを行っている時に弟子を見守るようなものでもない。ただ物寂しげに。ただの少女のように。
エヴァンジェリン・A・K・マクダウエルは、この日吸血鬼(自ら)を自らを以って、否定した。
世界樹は近い。
狂ったような世界。歪んでいく現実。腐っていく幻想。
何が正しいのか。何が起きるのかなど、誰にも解らない。
エヴァンジェリンにも。神楽坂明日菜にも。機能得限止にも。そして、恐らくは、かの魔法少女二人と。今この地に居る、もう一人の魔法使いにも
だからどうしたと言う声が聞こえた気がした。
そうなのだろう。何が起ころうとも、結局そんなモノは、それがどうしたで済まされてしまう程度の事でしかない。
それがどうした、と。だが、エヴァンジェリンと神楽坂明日菜はそうは思うことが出来なかった―――

 

 現れた神楽坂明日菜とエヴァンジェリン両名の前に。昼間と変わらぬ姿が、世界樹の袂に居た。
夜の闇に染みてその身体は見えず、その石膏のような白い顔だけが、中空に浮いているかのような錯覚を思わせると、両名は感じた。

「遅かったな。あと五秒待ってこなければ帰っていた」
「能書きはいい。ここで何が在るのかを教えろ。茶々丸の手がかりが得られるとは、本当か」

 機能得限止はその場から腰も上げずに指を世界樹の袂へ向けた。
世界樹広場の上。位置的に、現在エヴァンジェリン。神楽坂明日菜。機能得限止の位置は、以前ネギ・スプリングフィールドがエヴァンジェリンに弟子入りを申し出た時と同じ。
三者は世界樹広場の、連なる四つの大階段の中腹に座し。そして機能得限止は、まさに世界樹の真下にあたるバルコニーを―――明確には、そのバルコニーに立つ絡繰茶々丸を指差していたのだ。

 息が止まった。否、世界が止まったと言っても過言ではなかった。
エヴァンジェリンも、神楽坂明日菜も理解できず。ただ一人機能得限止だけがたいした感慨もなさそうに現れた絡繰茶々丸に視線を送っているだけであった。

 世界樹広場は酷く静かだった。
時間の流れが止まったかのような静けさの中に三者、否、四者がいる。
一人は視線一つ向けず。二人は一人を見上げたまま動けず。一人は三者を見下すかのように。
有機的な眼差しをしているのは僅かに二人のみ。
神楽坂明日菜とエヴァンジェリン二人だけであり。絡繰茶々丸と機能得限止は、至って冷徹な眼差しのまま、二人ではなく、世界を見ていたのであった。

 エヴァンジェリンが一歩歩み出る。その目は今までどおりのエヴァンジェリンに戻っていたのを、神楽坂明日菜は見た。
あの、絡繰茶々丸と共に居るエヴァンジェリン。
厚顔尊大で、プライドが高く、しかし、子供のようで時折絡繰茶々丸に窘められるエヴァンジェリン。
 笑っていたかのようにも見えた。
喜びの表情。それは当たり前かもしれない。
二日以上姿を見せていなかった神楽坂明日菜にとっての友であり、エヴァンジェリンにとってはかけがえのない従者。それが帰ってきたのだから。
 

第二十九話 / 第三十一話


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