第五十四話〜剣翼〜


 あの時出せなかった答えを、今、示そう

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 森の中を進む。森の中といっても、林と言うべきだろう。その間を、己が翼を開いて進んでいる。
 明日菜さんと、かつての機能得先生。そうであった二人。しかし、既にそうではなくなっている、二人。
 単独で追ってしまったことを恥じなければならない。
 神鳴流の剣士でありながら、こうして単独行動を取るなど未熟者が己が力に過信している証拠だ。

 僅かに振り返って、己が白い翼を見てみる。
 この翼を、長い間私は己の恥として抱え続けていた。一族の恥。
 烏族の恥として、今まで抱え続けていた。
 だが、今となっては最早恥も何も無い。
 鋼性種。かの存在が頂点を極めてこの世界で、翼が白い黒いなどの事は最早恥でも何でもない。
 烏族とのハーフと言うのも、ソレがどうした程度だ。

 事実、神鳴流本山でのわたしの扱いは他の剣士と何ら変わらなかった。
 自身の正体を明かしたとて、誰も私を拒否するような人など居なかった。
 解っている。それは所詮鋼性種と呼ばれる存在のおかげなのだ。
 鋼性種が出現し、意思疎通も何も出来ない完璧種の存在が、他の人外存在を限りなく薄ませているのだろう。そう考える。
 鋼性種と言う意思も技も一切の通用しない相手よりは、私たちのような存在は確かに人間的で人間に近い。
 否、鋼性種と比べる事事態がおこがましいだろう。
 私も、そしてエヴァンジェリンさん。あの人も、やはり、人の中では人なのだ。人以上などでもない、人と同格の、それなのだ。

 私は一人で明日菜さんを追った。
 一人で追ったのは、決して驕りではない。本当の事を言うのなら、私は、彼女に帰ってきてほしかった。心底に、帰ってきてほしかったんだ。
 彼女が帰ってくれば、いつかと同じになれるような気がした。
 明日菜さんと剣を交え、このちゃんと共に語り合え、ネギ先生に剣を預け、皆さんと、あの時と同じように。
 私は、かつてをほしがって居るのかもしれない。帰ってなど来ない筈のあの頃。
 まだ若く、皆が皆の道を求めて模索しながらも楽しい日々を過ごしていた、あの頃。私は、あの頃をほしがって―――

 頭を振るう。飛翔しながら、飛び散っていく羽根を送りながら、それを否定しなくてはいけない。
 それは、余りに独善的過ぎるからだ。
 それは、あまりに私の勝手過ぎるのではないか。私の幸福の為だけにかつてを取り戻したいなど、それはあまりにも。
 解っている。本当は独善的でも何でもない。
 私は、お嬢様、いや、このちゃんと一緒にいたいだけだと。彼女と一緒に仲良くしたいと、そう思っているだけだと。
 だから、それをダシに使っているだけだ。私は皆が思っていたほど綺麗な人間ではない。
 幸福と剣。二つとも選ぶといって、結局、選べたものなど僅かなもの。

 私はどうしたいのだろうか。私は、何を選ぶべきなのだろうか。
 幸福と剣。二つを選ぶ事など出来ないと言う事を知り、私はどちらを選ぶべきなのか―――
 答えは出ているのか出ていないのか。五年と言う歳月が私たちに齎したもの。
 明日菜さん。ネギ先生。私。このちゃん。エヴァンジェリンさん。
 皆に与えられた五年と言う年月は、絆や想いを磨耗させる為にあったのか―――

 左右の刀を見る。右の夕凪。左の―――明鏡。
 京都神鳴流本山最高師範代より譲り受けたもう一本の破魔の霊刀。
 この二本で、あの鋼化した二体を相手に出来るなどと私は考えているのか。
 それは無理だ。無理に決まっている。大体、かの二体は魔ではない。故に、霊刀の効力など無いにも等しいが。
 だが、思考は其処までだった。天空が一際赤く発光したと同時に―――薄臙脂の髪が、闇に揺れた気がした。

 

 そうして、林の中での打ち合いが始まった。十字に組み合わされる刀。
 そこに打ち込まれるのは、かの多重構造の加えられた分解剣。
 一本の剣に見えながら、多重の構造によって遠中近距離全てに対応が出来るようになっている剣が、桜咲刹那の肉体が押し戻されるほどの勢いで叩きつけられたのだ。
 牙を剥く鋼化明日菜と、歯を食いしばって叩きつけられた打突に耐え切る桜咲刹那。
 嘗て、剣ならざる剣を交えた時とは比べ物にならないほどの打ち込みに、桜咲刹那は改めて驚嘆と畏怖を味わう。

 あの時の未熟さなど何処吹く風か。
 目の前の獣の少女の打ち込みは、世界に名だたる対魔集団神鳴流の剣のソレにも勝るとも劣っていない。
 否、その反射神経と身体能力の高さだけを見るならば、それは神鳴流の剣士を遥かに上回っている。
 しかも、目の前の少女は強化すら体には加えていない。
 単純な膂力と筋力。それだけで打ち込み、それだけで相対しているというのだ。

 その意味を理解できていないわけではない。
 相手は、鋼化している。鋼性種化現象に担った地球上二体目の存在。
 より濃く、より深い鋼化をその身に施した存在なのだ。
 だが、かの鋼化アーニャ以上に濃度は濃いとは言えない。
 鋼化アーニャの鋼化現象は特殊なのだ。それは、鋼化しながらも自我を保っている所から判断できるだろう。
 それははたしてかの『未来完了』に直接触れた事で得た恩恵なのか。それは誰にも解らない。
 解らないが―――少なくとも、桜咲刹那の刀と鍔競り合って居る獣の剣士は、五年前以上にその全体能力を強化させていた。

 十字に組み合わされていた刀で弾く。
 一瞬バランスを崩した鋼化明日菜に、翼を生やした事でよりその能力が上昇した桜咲刹那が肉薄、その二本の刀を平行に構え、一気に振るう。
 だが当たらない。当たる筈も無い。弾かれたと同時に、地面に接地させたのが弾いた意味を無意味とする。
 鋼化生命体には人間の身体能力等は該当しない。
 よって、接地した瞬間に筋力を足に込めれば、仮令バランスを崩していようが、飛び上がって回避するなど容易いのだ。
 空中で反転し、そのまま二本の刀を振り抜いた桜咲刹那の背後目掛けて大降りの大剣が振り下ろされる。
 空中で逆様に成っている鋼化明日菜の一撃を、二本の剣を平行にそろえたままに反転した桜咲刹那が受ける。

 だが、剣を受けたと同時に、その大剣に変化が発生する。
 それは先の変形。受け止めたと同時に、剣の刃が真正面から見て“川”の感じの如く、三枚刃に分割される。
 そして、左右の二枚が回転しだし、桜咲刹那の刀と凄まじい勢いで火花を散らし始めるのだ。
 このままでは折られると見たか。桜咲刹那が退いていく。
 先の後退よりもより速い速度での撤退行為だが、それも鋼化明日菜の敏捷性には勝てない。
 木々の間を絶妙に抜けていく翼の剣士だが、鋼化明日菜はその木々すら足がかりにして、まるで、桜咲刹那の向かう先が見えているかのように最短のルートを選出し、追い詰めていくのだ。

 回転する左右の刃をそのままに、神楽坂明日菜は桜咲刹那を追っていく。
 僅かに追いつけば、容赦なく振るわれる大剣の一撃を桜咲刹那は受けない。
 受ければ、左右の高速回転する二枚刃が容赦なく刀を削っていくのだ。
 いかに霊刀、名刀とは言えど、アレだけの膂力と回転速度を持っている刃を鍔競り合わせては、刃こぼれする事は必至ながら、打ち合いどころが悪ければ、へし折れるもありえる。
 故に、桜咲刹那はその大剣を受ける事無く、あえて身を翻す事での回避だけに徹しているのだ。

 どれだけ奥に行こうとも追撃は弱まらない。
 桜咲刹那をピンポイントで狙い、鋼化明日菜はその凶器を振りぬいていく。
 絶妙なのはその狙い。本当に桜咲刹那だけを狙っており、他の立ち並ぶ木々や草花には一切の傷もつけずに追撃を加えていっているのだ。
 易々と反撃に転じれないのは桜咲刹那も同じ事。此処は林の中であると同時に、鋼性種の手の中なのだ。
 否、手の中と言うのならば世界全てがかの存在の手の内だ。
 誤った行動一つで、此処麻帆良は再び鋼性種の脅威にさらされる。
 ソレを潜在的に知っているが故、桜咲刹那は反撃に転じれなかったのだ。

 だが、此処で僥倖が発生する。大き目の広場。
 林の中でも、幸い、夕凪を振るったり、神鳴流の技幾つかを出しても周辺には被害の出ないような場所に辿り着けたのだ。
 翼の剣士は翻り、追撃の鋼化明日菜の方に見返る。高速回転する二枚刃を従えた大剣を振り下ろす姿。
 それを紙一重で避けきる。剣の叩き落された箇所にはクレーターじみた裂傷が出来ている。
 それに即死の予感をみなぎらせながらも、桜咲刹那は左の明鏡を逆手に構え、後部へと向ける。
 前に構えられた夕凪と、後に構えられた明鏡。
 同時に湧き上がってくる、桜花の闘気。それが渦を巻いたと同時に、鋼化明日菜が振り返る。

「百裂、桜花斬―――!!」

 鋼化明日菜が跳ぶ。吹きすさぶ桜花が桜咲刹那の外周を廻り始めると同時に奔る無数の閃光。
 外周を薙ぎ払う一騎当千の豪の技が解き放たれる。
 かつて一本の刀だけで解き放たれていた時以上の速度と閃光数を以って一気に振り抜かれた無数の桜花。
 だが、それに身じろぎする事も無く、鋼化明日菜は落下してくる。その体を桜花が掠めていき、鎧の端々を傷つけていっても、一切落下に支障をきたすような事は無い。
 己が膂力を用いて解き放った嵐撃すら通じない。
 通じていないと言うよりは、恐怖心と言うものを理解出来ていない鋼化生命体に牽制などは無意味なのだ。
 桜咲刹那はそれを狙ったわけではなかった、それでも、ここまで身じろぎもしないとはと驚嘆し、横へと跳ぶ。

 叩き落された大剣。だが、それは地面まで接地していない。
 桜咲刹那が横へ飛んで避けた瞬間を確かに見止めていた鋼化明日菜は、振り下ろした瞬間に軌道を変え、横飛びした桜咲刹那へと振りぬいたのだ。
 烏族ご用達の衣服の片端が切り裂かれる。
 幸いにもそれだけですんだが、振り返った瞬間に桜咲刹那の頬に戦慄が走る。
 目の前一寸。そこに、あの回転する二枚刃が迫っていたのだから―――

 二本の刀で弾く。そこに飛び込む鋼化明日菜。
 見合うでもなく、両者は剣を鍔あわせた。
 飛ぶ火花が広場に充満する。
 牙剥く少女は獣そのものに。歯軋りさせる少女は悲しげな面持ちのままに。
 弾かれる二人の体。鋼化明日菜の剣に二枚刃が飛んできて収まり、元のかの大剣の形状へと戻る。
 弾かれた桜咲刹那が肩で息をしているのに対して、鋼化明日菜は呼吸など一切も乱してはいない。
 そも呼吸の必要があるのかなども桜咲刹那は思うも、それすら鋼化には無意味かとも思う。

 刀を構えなおし、正面切って翼の勢いそのままに突っ込んでいく。
 それを良しと見たのか、鋼化明日菜もまた、真っ直ぐに相手へと向かっていった。
 いつか、二人でこうしてぶつかり合ったのを桜咲刹那は思い出す。
 あの時の二人の姿は思い出すでも恥ずかしいと言うのに、今の二人の姿は余りにもその時からはかけ離れている。

 また、お互いに持つ得物も別もの。
 桜咲刹那はモップではなく、二本の名刀を構え、神楽坂明日菜はハリセンではなく、異常な構造の大剣。
 あの時の様な試合ではない。では死合いとでも言うのか。違う。死合う意味合いがない。
 これは単なる生存競争だ。死合いなどと言う発言は意味が無い。
 殺しあうのは、単純に生き残りたいだけの話だ。ならば、試合でも死合いでもない。
 これは生存競争。生き残りをかけているに、過ぎない。

 突進力を利用して両者は刃をかちあわせる。
 だが桜咲刹那は右の夕凪一本のみで。ぶつかり合った瞬間に、彼女は左の明鏡を振りぬく。
 二刀流による時間差の撃。それを加えたのだが、それもまた防がれた。展開する大剣の一部。それが、悉く攻撃を受けるのだ。
 お互いに離れたのは一歩ずつ。その位置で、二人は体を限界点まで捻ってその剣を振りぬく。
 当たる一撃一撃は互いに互いの撃を弾き返しつつも、確実に桜咲刹那の体にダメージを蓄積させていく。
 振り抜かれていく大剣の速度は、刀であるはずの桜咲刹那のソレにも匹敵しているのだ。
 同速度で打ち抜かれていくと言うのであれば、より重量と筋力の備わっている方が有利なのは言うまでも無い。

 この生存競争に技術は必要ない。
 必要なのは、生き残るのに必要な意思と生存に対するあくなき欲求。
 生存欲足りえるものをより強く誇るものだけが、この撃の応酬に打ち勝てるのだ。
 桜咲刹那にそれは少ない。圧倒的に彼女には生存競争に打ち勝つだけの生存欲が少ない。
 それは、彼女の迷いからもきているのだ。桜咲刹那の迷い。それが、本人にも気付かせないほど僅かな鈍りを生んでいたのだ。

 振りぬいていく速度は桜咲刹那本人が引き出せる限界速度。
 二本の刀は、まるで違う軌道を以って、確実に獣の少女の一本の大剣の死角足り得る角度から打ち込まれている。
 にも拘らず、獣の少女はそれを捌いていっている。
 捌くなどと言うレベルの問題か。一本の大剣はあくまでも一本であり、その剣でまったく違う角度から打ち込まれていく二本の刀を同時にさばいていくのは不可能。
 いかに鋼化し、尋常ではない反射神経と動体視力を備えていようとも、まったく同じ速度でまったく違う角度から振り抜かれていく刀を捌く事は不可能なのだ。
 だが、それを獣の少女は成しているではないか。

 その要因は何かと問う。
 ならば見ると良い。鋼化している神楽坂明日菜の尋常ではないものは反射神経と動体視力だけではない。
 その運動能力。それもまた、鋼化している以上、尋常ではないのだ。
 故に避けている。右から叩き落された剣戟を大剣で受け流せば、足元をすくうように薙がれていく一刀を飛んで避ける。
 勿論、その撃はほぼ同速度で応酬されている。その同速度を、彼女は受け流しと捌きだけで回避しきって言っているというのだ。
 アクロバティックな動きを以って桜咲刹那は二本の刀を振り抜かれていく。
 その刀に伝わるのは、悉く受け流されていると言う実感と、何の手ごたえも無い、空気を斬る感触しか伝わってこない。

 勿論、桜咲刹那が一方的に責めていわけではない。
 鋼化した神楽坂明日菜もまた、回避の際の勢い任せて大剣を横薙ぎに振るい、その勢いのままに叩き落す事もある。
 桜咲刹那はそれを避けるに留まっている。
 理由は容易い。加速を充分なまでに付けた大剣の一撃は既に刀二本で十字になって防げる程度のレベルの問題ではないのだ。
 ソレに何より、と彼女は剣速を高めていく。知っているのだ、彼女は知っている。この距離が自分にとって、相手の一撃が最も破壊力を増す距離など知っている。
 ならば何故に離れないのか。その理由も、彼女は知っている。
 この距離は一撃抹殺される距離であると同時に、自らの剣速を最大で発揮できる距離でもあるのだ。
 桜咲刹那の狙いは唯一つ。僅かにでもバランスを崩させる。ただそれだけに集中している。

 故に、振り抜かれていく剣戟が直撃する瞬間にみねを返している。
 一瞬の出来事で、最早目視は叶わない速度でだが、彼女はソレを成しながら、目の前の獣の少女に向けて、二本の刀を振り抜き続けていたのだ。
 僅かに一瞬の隙。それを彼女は見出そうとする。
 勿論、見出せる事などほぼのゼロにも等しい率である。
 だがその一瞬に彼女は賭けた。まだ神楽坂明日菜と言う少女の体を保っている目の前の鋼化した存在。
 振り抜かれ、叩き落されていく剣戟は、いつか彼女と交えたあの剣とは比べ物にならないほど鋭いが、微かに、かつての彼女の癖が窺えているのだ。

 完全に忘れてしまっているわけではないのか。
 それとも、その身に染みこんだ癖が未だに残り続けているのかの判断は出来ない。
 だが、彼女はソレに賭けた。一瞬。一瞬だけでよかった。
 一瞬だけ、かつての彼女の大振りの癖が出れば良い。それも、ほんの僅かな隙間で構わない。そこに、彼女は踏み出せるのだから。

 二刀を振り抜き続け、その時を待つ。
 飛び散る火花と、鳴る鋼鉄の打ち合う音。
 風切り音と、風を押しつぶす音が、深い林の奥で永劫とも思える時間で続いていた。
 だが、次の瞬間に桜咲刹那の背中に冷たいものが奔る。
 本当に僅かな冷たさ。一滴の氷柱から垂れた水滴のような、そんな冷たさだった。それが、彼女の身を僅かにだけ萎縮させる。
 打ち合いに支障は無い。そんな僅かな冷たさで、彼女の剣戟は鈍らない。
 振り抜く一閃一閃を確実に見切り、相手の撃を紙一重で避けつつも、二本の剣による嵐の様な剣舞を止める気は無い。

 だが、目の前の獣の少女が、自らが突き出した刀の突きを背中越しに避けたのを視認した瞬間に―――彼女のその背中越しの脇から、黒と白、二色の獣の腕が、伸びた。
 目を見開くより早く、桜咲刹那は二本の刀で撃ち出された爆砲じみた拳戟を受け止めるも、その勢いさることながら、一部の曇りのも無い。
 ただただ純粋な、しかし、暴虐な一撃だったと桜咲刹那が思考したところで、その背中が、一本の樹木に叩きつけられた。
 痛みに苦悶の表情を浮かべるも、唸っている余裕など無い。
 自らの顔面目掛け、飛び込んでくる白黒の虎の様な狼の様な、獅子の様な獣。
 一匹。その剣牙虎の様な牙と、両顔面の左右に添えられた鉄鋼版を光らせて、彼女の顔を食い千切ろうと―――

 桜咲刹那はそれを屈んで避ける。一秒後、首の在った位置に飛び込んだ白黒の獣が、剣士が背中を叩きつけた樹木の一歩手前を牙が薙ぎ払う。
 直撃すれば、ギロチンのように首を弾き飛ばされるであろう一撃。或いは大砲で零距離から頭部だけを吹き飛ばされるにも等しい。
 それを何とかその巨体の下に体を滑り込ませて避けた桜咲刹那は、そのままスライディングの要領で、白黒のソレの股下から抜け出る。
 抜け出た所に、大剣を振り下ろした鋼化明日菜が居たにも関わらず。

 さらに前転。スライディングの体勢から前転を決め、片腕を地に付けて跳ぶ。
 振り下ろされた大剣の一撃は、僅かに剣士の頬を切り裂いたのか、鮮血を滴らせている。
 それを気にするような余裕もなく、桜咲刹那はその刀二本に気を注ぎ込む。否、注ぎ込もうとした。ソレすら遅い。そう言うのに―――

 左右から二体。白黒の影は右より迫り、臙脂の髪の影は左から迫る。
 その勢い。桜咲刹那は二つ目で見なければ認知できないと、白黒の陰を見入る。
 臙脂の影に対して油断したワケではない。どちらか一方は確実に気配か姿を認知していなければ、確実にどちらかに殺されると踏んだからだ。
 故に、剣士は両目で白黒の影を追い、視界から消えた臙脂の髪の獣は、その異常なまでに鋭くも、感知しにくい気配だけで追う。
 それのどれだけ無謀な事か。かりにも翼の剣士が相対しているのは、この地球上で最も第二世代に近いという鋼性種への転醒生命体。
 何らかの原因で、鋼性種の遺伝子情報を内包、その内包前の鋼性種の構築情報等に飲み込まれると言う特殊な鋼性種なのだ。

 人の形。獣の形。植物の形。
 多くは、先に転醒前でも最もその生命体に関係深い形状と能力を取るとも言うが、事実はわからない。
 兎に角、剣士に迫る二体の獣は少なくとも鋼性種。特殊な鋼性種なのだ。それ相手に挑むなど、無謀以外何者でもない。
 振り抜かれた豪腕と大剣。上方左右より叩き下ろされた撃を、彼女は一歩引いて避け、そのまま空中で反転。二本の刀を自らの正面に構えて、その二者の頭上目掛けて叩き落していく。

 だが、二体の動きは人間的なそのレベルではない。
 振り下ろされてきた二本の刀。それに合間見えるかのように、地面に食い込んでいた豪腕と大剣が振り上げられた。
 かち合う爪先と夕凪。かち合う大剣と明鏡。
 そのまま二体の尋常ではないモノの腕力のままに、桜咲刹那は、林の中の広場から、一気に上空へと弾き上げられた。

 真紅の空と、漆黒の町の狭間に浮く。そこに、叩き上げられている。
 翼を動かし、その位置を確かめようとした時、彼女の目の前に、臙脂の髪が奔った。
 大剣を、上半身を限界まで捻って、今正にバッターのように振り抜こうとしている鋼化明日菜。彼女が、唐突に目の前に現れたのだから。

 そうして振り抜かれた一撃。だが、一瞬だけ早く動き出していた桜咲刹那はすんでで避けた。
 筈だった。だが。空中で風が起きる空中で起きるにしては、あまりに強い強風。
 それに吹き飛ばされかけ、桜咲刹那は、翼があるはずなのに、翼が無い、ただ力上空へ向けて跳んだだけの鋼化明日菜よりも深くバランスを崩してしまっている。
 吹かれた強風。それは、地球が起こした風ではない。
 目の前。あの大剣を思い切り振りぬいた事で生じた強風。それが、桜咲刹那のバランスを崩させる要因だ。
 翼を動かし、その体を平行に保とうとするも、風が強く間々ならない。そこに、天空に大剣を振り上げている鋼化明日菜の姿が、目に入った。

 空中で縦に一回転したのだろう。
 凄まじい回転速度を伴っているであろう、その一撃。桜咲刹那は、瞬時に判断する。
 避けきれまい。故に、防ぎ切れまいとも思う。
 あの大剣の構造から、今の振り上げられている剣には付属されている全機能の重量分が乗せられている。
 その上であの加速で振り落とされるその一撃。防ぎきれまいと思い、彼女は足を出す。
 それは賭けだった。一歩間違えれば、自分の身体が真っ二つとなるぐらいの絶命必至の賭け。
 振り下ろされてくる一撃。その速度、やはり最速にして今までで最高速度。
 それを避ける事も、防ぐ事も出来ない。故に絶命は必至。ならば―――と、その振り下ろされてくる大剣目掛け、彼女は、その足を添える。

 一秒一瞬の戦いだ。一瞬も一瞬。文字通り、刹那の一瞬でも力の入れ加減をミスすれば彼女は死ぬ。
 桜咲刹那が実行しようとしているのはまさにその様なものだった。故に、全身全霊を、今正に叩き落された大剣に添える片足に集中させる。
 足の裏が、大剣の先に当たる感触。一瞬後にソレは激痛となるが、その一瞬後に、彼女は物も言えなくなる。
 それは知っているだろう知っていて、彼女は足を添えているのだ。
 その刃が足の皮を裂き、血管を僅かに割き、同時に、集中させていた神経に刃が触れた瞬間―――彼女は、下へ向けて吹き飛ばされていた。

 それは単純だ。横凪に振り抜かれた大剣の強風によって翼はまともに動かない。
 それで避ける事は出来ず、二本の刀で防ごうとしたとしても、大剣の一撃では叩き砕かれるが必至。
 ならばと、振り落とされた剣を足がかりとして、彼女は後方へ飛んだのだ。
 地面に落着する。クレーターが生み出されるほどの衝撃を以って、翼の剣士は地べたを舐めていた。
 苦悶に歪む顔立ちは全身を貫いた衝撃だけではない。自らの右足を引き裂くような痛み。
 恐らく、まともに歩ける事は暫く出来ないだろうといえるほどの痛みが、右のつま先を襲っている。

 右足を見て、やはりと確認。
 つま先は赤に染まり、血が滲んでいる。
 それに苦悶の眼差しを向ける桜咲刹那だったが、そんな余裕はないと、二本の刀を杖代わりに立ち上がる。
 向き合うは、二体。既に地上へと降り立っていた、大剣の持ちの獣の剣士。
 二本の刀を同じ高さにまで構えたと同時に、臙脂と白黒が動く。
 再び左右。同じ方向ではない角度から襲い掛かってくる二つの襲影。
 どちらに照準を合わせるのかなど、最早構っているような余裕など無い。
 襲い掛かってくる爪牙と大剣に刀を合わせる事。彼女が出来る精一杯の抵抗は、その程度だった。

 打ち合う爪と大剣。それを相対するかのように押さえ込もうと振り抜かれていく二本の刀。
 だが、前進を貫いた衝撃はあのままに。しかも、つま先に受けた傷痕は予想以上に深く、爪と刀。大剣と刀が打ち合うたび、その衝撃が彼女の傷に響いていく。
 一瞬、彼女の身体が横に揺れた。それが後手。大剣が右手の夕凪を弾き、爪が左の明鏡を弾く。
 桜咲刹那は徒手空拳。爪と大剣を振るった勢いで、目の前の白黒と臙脂は背中を向けている。
 だが反撃に転じれない。気を練る様な余裕もない。背中を向けた二体を見送るように桜咲刹那は見つめていて―――その腹部に、鈍い鈍痛を味わう。

 腹部を貫いた衝撃二つの正体。それを、桜咲刹那は不思議と懐かしそうに見ていた。
 片方は尾撃。その強靭な白黒の尾から繰り出された、大木の鞭の様な一撃であったが、もう一撃に桜咲刹那は食らい覚えがあったのだ。
 腹部を貫いているのは、脚。具足に包まれたその鋼化した神楽坂明日菜の脚が、桜咲刹那の腹部を貫いている。
 それを、彼女は懐かしげに感じていた。
 腹部を貫かれた覚えはなかったが、彼女は神楽坂明日菜と言う少女に、足技の切れが良いと教えていたのだ。
 止めとなる一撃。尾撃と合い成すように打ち込まれた、深い深いミドルキック。それが、桜咲刹那の腹部を傷め―――その勢いのまま、桜咲刹那は吹き飛んだ。

 そして停止。どれ程吹き飛ばされたか。否、広場の端の樹木に体を強く叩きつけたのみ。
 衝撃だけだが、脚や、加えて地面に落下した際の衝撃も残ったままでのこのダメージ。
 徒手空拳にもなり、気を練るような集中力さえも割かれたような状態。桜咲刹那は、敗北を認めた。
 素直に強くなったと認める。目の前の獣。彼女は、獣となってもやはり神楽坂明日菜と言う少女であり、真っ直ぐなままだと。
 真っ直ぐなままで―――だが、目の前のようになってしまった事を、桜咲刹那は心底に悔やんだ。

 もし、あの頃のままならばこうはならなかっただろう。
 もしあの時のまま、彼女は真っ直ぐなままの神楽坂明日菜で、今もこの麻帆良に居たならば。
 桜咲刹那は、ありえない期待を思想する。それはありえないと知り、願ってもならないと。
 迫る二つの陰。一瞬で事は終わる。一瞬で桜咲刹那は引き裂かれるだろう。
 徒手空拳で、体もまともに動かないと言うのならば、一撃で落とされるは確実。彼女はそう覚悟し、二つの影が近づく気配を感じつつ、目を閉じかけた所で―――

 桜咲刹那の周囲を、何かが包み込んだ。
 風が撒く。風を撒きながら、それは桜咲刹那の外周を取り撒いて行っていた。まるで桜咲刹那を守るように。
 その物体。桜咲刹那の目には、二等辺三角形にしか見えないその物体が、何十、何百と言う単位で桜咲刹那を取り巻いていっているのだ。
 ゆっくりとした動きで桜咲刹那を取り巻いているソレ。
 それが何かを確認しているような余裕など無い。二つの陰。臙脂の影と、白黒の影が桜咲刹那に肉薄し、飛び掛ってくる。
 振り上げられた大剣と、振り絞られた豪腕。一撃で他者を絶命させるであろう一撃が、絶妙なコンビネーションと共に今正に解き放たれようとし、実際として解き放たれた。

 だが届かない。振り下ろされた二撃は、如何なる防御網でも防ぐのが不可能に近い一撃だ。
 それは、桜咲刹那も理解しているし、外周を廻っていたソレでもどうしようもない事ぐらいは把握しているつもりであった。
 だが届いていない。繰り出された二撃は、桜咲刹那目前も目前で停滞している。
 何百と言う二等辺三角形状のソレ。それ、大剣と豪腕を桜咲刹那の顔面から数cmの所で押し留めているのだ。
 振り下ろされた二撃が直撃する刹那に、桜咲刹那は見た。
 自らの外周を廻っていたその物体が一点に集い、まさに盾の様になって、剣と爪を防ぎきったその動き。
 まるで、自我意識を持つかのような動きで自らを守った、ソレの動きを。

 かち合った中で、二つの影がその場から退く。
 一歩の跳躍だけで、二体は広場の端まで飛び去ったのだ。そうして見合う桜咲刹那と鋼化明日菜。
 意思があるのは、恐らくは桜咲刹那だけ。彼女はその真摯な眼差しで桜咲刹那を見つめ、しかし、鋼化した神楽坂明日菜は、その視線から目線をずらし、夜の林に消えていった。
 追おうともしたが、全身を貫いている衝撃と痛みがソレを阻み、何より、未だに外周を廻っているかなり硬質であろうその刃がソレを赦そうとしない。
 桜咲刹那は、去っていく鋼化した二つの命を見届けながら、その場に体を預けた―――


 ―――――――――――――――――――――――――


 どれ程経ったのだろう。体に掛かっていた衝撃は幾らか解れ、つま先から流れていた出血も漸く止まりかけ、痛みを麻痺へと変えている。
 それでも外周を廻るチェーンで繋がれてもいないかの三角刃を、私は黙って見つめていた。
 魔法の力とは違う気配。どちらかと言うと、感じた事の無い未知の力。これからは、それが溢れていることを感じ取る。
 いや、これは未知の力と言うべきではない。これは未知と言うよりは、未曾有。
 この世界に生きるようになってから私たちが常日頃に感じているモノと極めて似た、未曾有の力が打ちに込められている存在とまったく同じ気配ではないのだろうか。

 ゆっくりと、風に流れるように回り続けている三角刃。
 ピラミッドの如く、円錐形に廻っているその一枚に触れてみようと手を伸ばした。
 けれど、触れようとすると自らの意思でもあるかのように、三角刃は私の手からするりと抜けていってしまう。
 こんなものにまで嫌われてしまったのかとも思ったが、どうやら違うようだ。
 三角刃が音もなく、林の奥へと規則正しく消えていく。
 本当に中空に浮んでいるだけだったのかも怪しいほどの滑らかさで、三角刃は林の奥へ消え、妙な金属音を立てていった。

 そうして次に響く音に、私は意識を凍らせる。
 何者かの近づいてくる足音。ざくざくと躊躇なく進んで来るその足音は、とても強い意志の力を感じさせると同時に、あの未曾有の力を持った存在であるとも、その気配から感じ取る事が出来た。
 一歩一歩近づいてくる。幸い、体を動かす事の出来ない程の外傷ではないからか、何とか飛ぼうと思えば飛べるし、刀まで奔ろうと思えば奔れる。
 体力的には難しいかもしれないが、逃げおおす事。その程度はと、背中の白い翼に決死の覚悟を注ぎ込んだ。
 足元が見えたと同時に駆け出す。そのつもりで、腰を据え、前傾姿勢となり、進んでくる音のする方向へとその視線を向けて集中する。
 そして、私の目が鋼鉄製の具足を捉え、両足に瞬動の気を流し込もうとした一瞬。

「あら。桜咲さんではありませんの」

 ぴたりと、体の動きが止まった。
 視線を上げ、背中の翼を仕舞う事すら忘れてしまって呆然と彼女を見る事しか出来ないでいる。
 林の奥から出てきた女性の姿はとてもその女性がするような姿ではなかった。
 少なくとも、彼女はあのような出で立ちで人前に姿を見せる事は無かったと私は記憶しているのだが、目の前に現れた金髪の女性は、何の迷いも躊躇も無い足取りで進み、私の前へと立つ。
 両肩には前後にスプーン型の装甲を取り付けたかのような、その内にジェットエンジンのようなものを見え隠れさせる重甲冑なような物を携え、片腕には幾何学模様をそのまま三次元化させたかの様な正体不明の物体。
 何より目を引くのは、腰辺りで纏められた、しかしチャイナドレスのように深いスリットの入ったスカートと、臍と腹部の白い肌を露にし、かつ胸元はボタン一つで留められている様なそんな上着だけと言う強烈に印象に残る格好。
 美しい肌と、綺麗な金の髪であった。
 恐らく、このような格好でなくても街中を嘗て歩けば十人中十人の男性は振り返っただろう。
 今では振り返る人間自体が少ないのでなんともいえないが、それでも女性でも振り返ってしまうような優雅さを携えた女性。目の前に彼女は立っていた。

「まぁ綺麗な翼です事。フフフ、なんだか羨ましいですわ。
 ホラ、婦女がその様に泥だらけで地べたに這い蹲っているものではありませんわよ。さぁ」

 差し出される白い手。それに片手をつかまれたとき、ふわりとした柔らかい感触が全身を駆け巡っていくようにもなった。
 心底に感じる、目の前の彼女の優しさと力強さ。それは、かつての明日菜さんと同じような、あの、輝かしさ。
 立ち上がれば今のこのちゃんと同じ程度の身長。
 私よりは、二、三センチ高いであろう身長の女性。それと目線が丁度合わさった。
 にこりと言う笑顔は、彼女が最後の最後まで失わなかった太陽の様な笑顔そのままに、彼女と相対し、しかし、それ故に彼女とは最も深く繋がって、彼女を見ていたという事を髣髴させる。

「お久しぶりですわね。お帰りなさいませ、桜咲さん」

 二の腕を廻され、重装備だと言うのにその冷たさも感じないほどの温かさの中で包まれる。

「――――ただいま帰りました、いいんちょさん」

 雪広あやかと言う人は、温かなままに私を、受け入れてくれた―――


 林の広場。先ほどまでの激突は嘘のように静寂に包まれている。
 その内にあるのは二人分の影だけ。私と、そして、『伐採魔法少女』と呼ばれるモノであると言う、いいんちょさん。
 既にいいんちょさんではないというのにそう呼んでしまうのは、やはりそれだけ定着していたと言うことなのでしょうね。
 彼女が委員長と言う役割であった事。その役割は正に、彼女の為に在ったと、そう思えます。

「――― 一つ、宜しいでしょうか?」
「いいえ」

 真っ先に否定されるのはちょっと以外だったので、その顔を窺っている。
 けれど、青の顔立ちは先ほどから変わっていない。あの雪広あやかさんと言う美しい顔立ちの女性のままに、彼女は、私を見つめ続けている。
 どこか、全てを見通されてしまっているかのようなその眼差し。
 いえ、見透かされていると言うのならば、それはきっと五年前から。
 私がここから逃げ去り、そうして帰ってきたというのに、ああも温かく迎え入れてくれたワケ。それを、理解できないわけも無い。

 やはり彼女は委員長と言う役割の人間であり、しかし、彼女ほど多くを見透かせる委員長は居まいと思えるほどに優れた人だったのだ。
 今ならば、それを確信として、思える。
 けれど、真っ向からああも否定されてしまうと何処か物悲しい。そう思った矢先だったか。

「言いたいことは解っておりますわ。この出で立ちでしょう?
 フフ、初めは恥ずかしかったのですけれど、世界中この出で立ちで鋼性種の方々とやりあい続けてましたもの。いい加減に慣れましたわ」

 自分の姿を見眺めつつ、呆れたように両手の平を天へ向けるいいんちょさん。
 そして、私は驚きっぱなしで居る。まさか、そこまで解っていたというのだと。
 五年前は合気道を学んでいるクラスの委員長であるとしてしか見ていなかったにも近しかったけれど、彼女は、思っていた以上に他者の心を理解して上げられる人間なのだ。
 だけれど、まだ疑問はある。その出で立ちもそうだけれど、その役割。
 委員長と言う役割から、雪広財閥の重役クラスまで上り詰めたと言うのは、鋼性種のニュースに紛れつつも世界中から伝わってくる衛星中継で知っている。
 それの二束草鞋で行っている伐採魔法少女と言うのは、一体。

「あ、いいですわ。私の方から全てお話ししますもの。ちょっとわかり難い事も在りますかもしれませんけれど、質問は後で。
 私は五年前、華道部の一員でしたわ。
 その中に掌引心香鶺鴒と言う先輩が居たのですけれど、この役割は、彼女から継承されたのですわ。半ば強制でしたけれどもね。
 でも、この鎌……伐採鎌を持った時、全てを理解したんですの。
 鋼性種。伐採魔法少女。鋼化。そうですわね……今地上で事を荒立たせている要因の八割大。
 それが頭の中に流れ込んで着ましたわ。鋼化現象と言うのはある鋼性種の一部分に残された情報源をその鋼性種が他生命体に介入した瞬間に解放、その生命体を以って鋼性種として再び活動する、と言うものでしょう? 機能得先生のお書きになられた鋼化現象の定義。聞きましたわ。
 この役割も同じ。魔法少女と言う役割は、その手に持った単一性元素肥大式に混入された先代、先々代の魔法少女の技術と技能を継承する限りなく人化させた鋼化現象。魔法少女というのは、そう言うものでしたわ。
 早い話が、単一性元素肥大式で構築された物体は、例外なくその内に歴代の記憶と状態を情報源として蓄積。
 別の命の手に渡ると、それを流し込む、と言う事らしいですわ。故に鋼化と言う現象は発生しますの。
 鋼性種の残した一部分。それは例外なく単一性元素肥大式ですもの。そう、それは、きっと、明日菜さんに、機能得先生も―――」

 いいんちょさんの表情が、曇った。
 けれど、それ以上に驚いている事が二つ。一つは、鋼化現象と単一性元素肥大式との関係性。
 かの機能得先生の残した論文にさえも記されていなかった真実。そしてもう一つは、いいんちょさんが、明日菜さんの鋼化を知っていると言う事―――
 彼女は五年前当時では深い魔法関係者ではなく、かつ、精神状態も不安定だった為、明日菜さんと機能得先生の鋼化を知らされていなかったはず。
 私とて、神鳴流の本山で小耳に挟んだ鋼化現象第一種と第二種は互いに元人間であり、しかも、一方は臙脂の髪の少女であるという噂を聞き、それを、エヴァンジェリンさんに確認を取ったのが始めて。
 彼女は、鋼化した生命体が明日菜さんと機能得先生であるとは知っていなかった筈。だと言うのに、彼女はソレを当ててみせ、かつ理解もしていると―――

「私は伐採魔法少女と言う役割と雪広財閥による援助活動の為に世界中を回ると言うのを利用して、世界中の鋼性種とコンタクトのようなモノを取ることにしましたわ。
 勿論、何処ぞへと消えてしまった明日菜さんを探す為に。
 尤も、コンタクトといっても、鋼性種と多少やりあい、伐採鎌で削った一部を伐採鎌を通して『見る』程度ですわ。
 そうして、感じ取れたのは鋼化生命体の三つの反応。それだけで、後は流れるままに、と言ったところですわね。
 情けないものですわ。やっと五年前以上に皆さんのお力添えが出来ると思いましたのに。
 でもまぁ、鋼性種の方々の視線から世界を見れたのは大きな収穫でしたわ。
 如何様にして雪広財閥が皆さんに手をお貸しすればよいのか、よく解りましたもの。
 人間と鋼性種。お互いにお互い、長く長く生きてける道。それを探す事が、出来ましたわ」

 肩を竦めて微笑むいいんちょさん。
 彼女も、また戦っていたのだと知る。
 魔法少女と言うのがどんな役割なのかを知らずとも、彼女の身から放たれているその気配は、紛れもなく戦いに身を置いていた者が放っている気配。
 否、戦いに身を置いていたなどと言うものか。彼女は、あの鋼性種相手に、世界中で明日菜さんを求め、全力を持って鋼性種相手に『生存競争』を繰り広げていたのだ。
 それで、恥ずかしくなってしまった。彼女は、五年間で何一つしてこなかったのではない。
 彼女は、五年前に強制と言う形で継がされたその役割さえも使って、ずっとずっと神楽坂さんを求めていたのだ。あの五年前を、彼女は取り戻そうとしていたのだ。

 ならば、私はどうなのだろうか。
 私は、果たして全力だったのだろうか。
 このちゃんから逃げ、明日菜さんを帰ってきたから求め、そして、剣も何もかも中途半端で投げ出してしまった、私。
 私は、かつての様にならずとも、全力と言えたのだろうか。
 いいんちょさんは全力だったのだろう。
 それは、彼女が身の内より放っている気配と、その言葉の重みから伝わってくる。
 彼女は明日菜さんを求め、かつ、鋼性種とやりあってでも、私達人間全体と鋼性種の間柄を埋めようとしていたというのだ。
 それがどれだけの困難であり、どれだけの研鑽の上で積み重ね挙げられた事なのかなど―――最早想像するのもおこがましいだろう。
 だから恥ずかしい。私は、一体、あの五年前から、何を、していたのだろう。

「……いいんちょさんはお強いですね。私などでは、とても。
 何もかも中途半端なままで終わらせてしまった私などでは、とても追いつけないほどに。
 フフフ、このちゃんに嫌われてしまうのも、無理ないですね」

 そうだ。このちゃんに嫌われてしまうのも無理は無い。
 私は、あの五年前、幸せも剣も何もかも捨て去って、京都へと逃げ帰ったのだ。
 何も出来なかった自分。誰も守れなかった力。
 あの業火と破壊の中と、この身を貫いた電撃一閃。
 それに背を向けて、私は逃げた。私は、直視したくない現実を蚊帳の外に置いたのだ。それで今更元に戻れるなど、甚だしいにも程がある。

 私は弱かったのだ。誰よりも。烏族と人間のハーフだからと言う理由で虐げられてきた私にとって、誰かと共にあるというのは、大きな支えだった。
 けれど、私はその支えを強固なモノにしたいという思いと、危険に晒したくないと言う思いから、常に距離を置く事が多かった。
 それが私の弱さだ。このちゃんを擁護し、明日菜さんに縋り、ネギ先生の剣になるなどと言う都合の良い口実を作った。
 他になんの意味があろう。私は私の為に、周りの人間を利用していたに過ぎなかったんだ。
 それが崩れかけて逃げた。それが私だ。私は卑怯者で、私は卑しい人間だった。
 ただの、人間だった。烏族とのハーフと言う理由から誰かを求め、誰かに縋り、誰からか頼られたいたいと言う我儘な願望。そんなモノを懐いていた、愚かしい人間だったのだ。

「―――まぁ、一日に違う方から同じような悩みを聞いておくのも、この先の人生で役立つかもしれませんわね。
 で、刹那さん。貴女のお悩みは―――このかさんとの事ですわね?」

 コクリと頷く。本当に良く見てらっしゃる方だ。心底に感嘆できる。
 彼女は私たち戦術家の様な技術を嘗ては持っていなくとも、今は有し、しかも、嘗てから備えていたその洞察力より更に優れた洞察眼を有する人間となったのですね。
 そうはなれない自分。そうはなれなかった自分。
 卑しかった私は、卑しいままに今日まで生きてきて、漸く、自分の醜さと無様さを見つめなおす事が出来た。
 エヴァンジェリンさんが温和になった理由。それは、きっと今の私と同じような苦悶を乗り越えたからだろう。
 人間という立場の問題。自分は、確かに弱く、卑しく、それでも生きている、ただの人間だと言う事を。

 私は乗り越えられない。そう思っている。
 だって、そうでしょう。私は逃げ出し、このちゃんを傷つけた相手に向かっていく事すら出来なかった。
 エヴァンジェリンさんは命を賭けて己が宿命と向き合い、結果、今のような状態になってしまったというのに。私は、何をしていたというのか―――
 ぽたりと、自分の握り拳の上に一滴、水滴が落ちる。
 それが、私の泪だと感づくまでは然程猶予はかからなかった。
 あの五年前。病院を抜け出すあの時、一時として流れ出なかった涙。それが、私の拳を濡らしていく。

 悔しい。それが一番だった。徒只管に悔しい。
 明日菜さんに対してでも、ネギ先生に対してでも、ましてやこのちゃんに対してでもない。
 私は、私自身に悔しさを覚えている。何も出来なかった卑しい私。何もしようとしなかった醜い私。
 そして何より、この五年間を、あまりに無駄に費やしてしまった私自身に。徒只管、悔しさを感じていた。
 ふぅ、と深い溜息が頭上から聞こえてくる。それに視線を上げれば、あのいいんちょさんは木の幹に背中を預け、少々呆れたような眼差しで私を見つめていました。

「不器用ですこと。お二人とも。本当に五年前から変わってしまったと、心底に思いますわ。
 アレだけ仲の良さそうだった貴女方お二人がこうまでも変わってしまうなんて。
 まぁ、解らない事もございませんけれども。それで、桜咲さん? 貴女は、どうしたいんですの?」
「私が……どうしたいかです、か? ……それは……」

 解らない。そう思ったはずだった。だと言うのに。

「嘘ですわね。答えは、当に出ていらっしゃるでしょう? 桜咲さん」

 いいんちょさんのその言葉を胸に、静かに、己の中に埋没していった―――
 わたしの答え。それが出ていると、いいんちょさんはおっしゃられた。
 それが何を意味するのかは、私は解らない。
 否、違う。それは違う。解っている筈。私は、私自身の心をちゃんと理解できている筈だ。それが、解らない筈はない。
 かつての自分を思い出す。このちゃんを守りたいと、そう願い、幸せも剣も、どちらとも選んで見せると誓った頃の私。
 そうか。あの頃の私は、そうだった。まだ、未熟だったのだ。剣も、幸せも。どちらも私んは不慣れな物で、それを受け入れていく事しか出来なかった。

 けど、今は違うのだ。鋼性種の大量発生。それによる世界環境の大激変。
 五年で変わった世界と、変わっていった私達。もう、あの頃のような私達ではない。世界を見て、今を見て、こうして今も生きている筈だ。
 何を知って、何を得てきたのか。剣を学び、守りたかった人は、私の守りなど要らないと言った。
 わたしの、守りを要らないと言ったのだ。それが何を示すのか。私は、理解しなければいけないのか。

 いつか、エヴァンジェリンさんに言われた筈だ。剣か幸せ。そのいずれかどちらか一方を選べと。彼女に、そう言われた筈だ。
 あの時、私は彼女に言われたとおりだ。私は餓鬼も同じ。まだまだ子供で、一方を選ぶなどと言う拾捨選択は選べず、二つを選んでしまった。
 それが、どれだけ傲慢な事なのか。それが、どれだけ重いものを背負う事になるのか。どれだけ卑しい事なのかも知らずに。

 そうなのかと、己自身に訴える。
 あの時迫られた筈の究極の選択は、今の私には、簡単に選べる選択となっている。
 剣と幸せ。どちらを捨てるのかなど、今の私には簡単に選べる。
 解っている筈だ。このちゃんと、二本の刀。どちらを選び、どちらかを捨てるかなど、今の私には―――簡単すぎる。
 両目を閉じて、嘗ての言葉と、彼女の言葉を思い出す。
 大切な幼馴染の言葉と、人外と語りながら、しかし人として生きている方の言葉と、そして、私自身の言葉。
 剣と幸せ。その二つが指し示す、意味は。

「いいんちょさん」

 目を開き、立ち上がり、白い翼を開いて見せた。
 目の前の彼女は優しく微笑み。

「思っている事が同じならば、答えも同じ。さぁ、参りましょうか。
 そろそろ大変な事が起こりますから、皆さんとネギ先生を助けてあげなくてはいけませんわ」

 頷き、月を見上げる。
 このちゃん。答えが出たえ。漸く得た、僅かな勇気や。
 ウチは、幸せの為に、このちゃんの為に―――剣を、捨てる。

第五十三話 / 第五十五話


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