ネギ補佐生徒 第26話





 精神集中。
 空間が澤村の頭の中で構築されていく。
 大気の流れを感じ取り、すべての動きを把握しようと五感を張り巡らせる。

 ――――――――右だ!

 ざっと左足を動かし、体を左へと移動させた。

 が、衝撃が襲う。

「―――――っ!」

 ジャージ越しの背中に感じる鈍い痛み。ジャージは部活で使用しているもので、制服だと動きづらいと思った澤村が自主的に着替えたのだ。
 そんな澤村は痛みに思わず体を仰け反らした。
 閉じていた目蓋も勢い良く開かれる。

「だ、大丈夫ですか!?」

 制服姿の刹那が慌てて澤村に駆け寄る。よほど痛かったのか、澤村は刹那の問いに答えず、そのまま痛みに悶えていた。
 現在の時刻、午前5時30分。
 まだ薄暗さの残る、世界樹で澤村は刹那に避けるということを教えてもらっていた。

「つー……大丈夫。ちょっと痛かっただけ」

 本当はちょっとどころではないのだが、澤村の男としての小さなプライドが正直に言うことを拒んだ。とはいっても、刹那にはバレバレなのであまり意味のないことなのだが。
 刹那は、澤村を心配そうに見ながらも、

「見込みがあると思ったのですが……」

 そう零した。
 澤村は顔を顰める。その先の言葉は言われなくてもよく理解していたからだ。
 修学旅行の時、互いの勘違いが故に露天風呂で軽い戦闘となってしまった刹那とネギ。その時に傍にいた澤村が、刹那の攻撃に反応できていたことを刹那は忘れていなかったのだ。
 なので、攻撃よりもまずは防御と鍛錬を始めたのだが……

「また勘で動いています。私が投げる方向を勘で当てるのではなく、この本の位置と動きもそうですけど……空間そのものを感じてください」

 そう言いながら刹那は、澤村の足元にある分厚い本を拾い上げた。
 投げるとそれなりに大きな音をたてるために使っているのだが、これが当たるとかなり痛い。
 この練習を初めてから30分。
 澤村は背中やら足やらに分厚い本の攻撃を受け続けた。言うまでもなく体中が痛い。

「その“空間を感じる”っていうのがさっぱりなんだけど」

 澤村の言葉に、刹那は本についた汚れを払いながらも困った表情をしてみせた。
 彼女自身もうまく説明できないことなのだ。これは体で感じる物であり、あとから頭で理解した方がいい。頭で間違った理解をしてしまえば、体で覚えるのは無理だ。余計な知識が覚えるということの邪魔をする。真っ白な状態ならなんでも染めやすいのと同じである。
 刹那はそう説明した。
 澤村は刹那の言葉に頭を掻くことしかできない。

「避けるということに関しては、とりあえず保留にしておきましょう。組み手などをしているうちに、ぱっとできるケースもありますし」
「……ごめんよ」

 才能のなさに申し訳なく感じてしまい、澤村はそう謝る。
 いえ、と刹那は微笑して答えたが、次の瞬間には、その表情はとても鋭いものとなっていた。
 澤村は、自分の出来の悪さに教えることを断られるのかと思ったのだが、

「―――――どうして強くなりたいんですか」

 全く違う返答で、澤村を貫いた。





  ネギ補佐生徒 第26話 女の子と鍛錬と





 澤村は刹那の言葉に、

「男だし」

 とまるで用意していたセリフを読み上げるように答えた。
 いつもの澤村にしては妙にあっさりとした答えに刹那は違和感を感じ、彼を見続けた。
 もっと戸惑いを見せたりすると思ったからだ。
 明日菜はネギとの仮契約をしているため、強さを求めることに多少見当はつくのだが澤村には何も思い当たる節がないのだ。
 彼の表情から、軽はずみな気持ちから体術を教えてほしいといったわけではないことは重々承知している。
 真剣な表情。その真意が知りたかった。
 ただの好奇心ではない。武道の心得があるが故にその真意を知りたかったのだ。
 刹那の想いを察したのか、澤村は世界樹に持たれかかるように座り込むと刹那を見上げ、彼女に座るよう無言で促した。
 澤村から少しだけ距離をとり、刹那は腰を下ろす。

「これから言うことは……ネギ先生達には内緒にしてくれないかな」

 苦笑しつつも人差し指を立てて澤村はそう言い、刹那はそれにしっかりと頷くことで返事を返した。
 澤村は、ありがとうと礼を述べた後、ゆっくりと話し始める。
 自分の精神的な弱さや肉体的な弱さ。そんな自分が嫌いだったと。それを変えたいと。
 上手く気持ちを表現できていない澤村の言葉は、そう言っていた。
 刹那の知る澤村翔騎。
 素人のはずなのに、妙に勘が鋭くて状況判断もそれなりにできる。
 性格もその辺にいる男子中学生と変わらない。
 もっとも、刹那の知る男子中学生といえば、たかが知れるが。
 それでもそんな刹那に一般的な男子中学生を思わせるような澤村は、彼女に驚きを与えることもあればその逆もあった。常識的な考えが飛び出たり、呆れるときだって。

「強くなって皆を守れるようになりたい、なんて贅沢は言わない。けど―――――」

 ―――――自分で自分を守れるぐらいの強さは欲しい。

 ――――――――もう皆に守られて迷惑をかけるのは嫌なんだ。

 それは、本当に最低限の強さ。
 刹那も一番初めにそれを思った。
 神鳴流を教わり初めて仕事に参加したとき、刹那はそれをどんなに願ったことか。
 今は、近衛木乃香という守りたい存在がいるものの、その気持ちはよく覚えている。
 だから、

「その気持ち、よくわかります」

 刹那は空を見上げてそう零す。
 薄暗さは完璧に消え去っていた。時間を見れば、6時。休憩にしては、少々時間を取りすぎてしまった。
 空を見上げるのを止め澤村を見れば、刹那の言葉にどう答えたいいのかわからないといった表情で刹那を見ていた。
 その表情は、やはりその辺にいる男子中学生と変わらなかった。
 そんな彼に、刹那は再開しましょうと言いながら立ち上がる。
 それと同時に、

「刹那さーん!」

 声が爽快に響いた。
 立ち上がった澤村が、声の主を見て驚きの声をあげる。

「え、なんで、どうして……ええ!?」

 刹那と明日菜を交互に見ては、大きく開けた口を手で隠すことなく声を発している。
 パニック状態だった。
 刹那のもう一人の弟子――――神楽坂明日菜が二人の傍まで駆け寄ってくる。

「あ、澤村君。もう来てたんだ」

 新聞配達を終えた制服姿の明日菜は、改めて二人を見ておはよう、と挨拶をしてくる。
 明日菜は澤村が刹那に体術を教わるということを知ってた。もちろん、その場にいたからだ。
 ネギも木乃香も知っている。明日菜が刹那に剣道を教わり初めたこともだ。
 しかし澤村はそんなこと聞いたこともない。
 知らないのも当然だった。
 目を真ん丸とさせて驚き続ける澤村を尻目に刹那がおはようございます、と挨拶を返すと明日菜は、

「それじゃ、早速始めましょーか」

 と言って、ハマノツルギを喚び出した。





 ――――――これは予想外だ。

 頭を抱えて塞ぎ込みたくなるような衝動を押さえつつも澤村は、木刀を振るい続けた。
 ちらりと横目で見れば、明日菜と刹那が軽い打ち合いをしている。
 テンポ良く明日菜は刹那の攻撃を跳ね返しており、その逆も難なくこなしていく。その様子は、澤村との実力差を現していた。
 惨めな気持ちがあるが、それでもへこたれずに木刀を振るう。
 どこか伸びのある音が木刀から聞こえてきた。

「澤村さん、剣筋が鈍っています。一振り一振り、きちんと丁寧に」
「わ、わかった……」

 明日菜の相手をしつつも刹那がそう指摘してくる。
 音でわかったのだろう。さすがプロ、というべきか。
 澤村は細く息を抜いて、木刀を握り直す。
 言われた通りにしなくては。
 刹那に教わったことを一つ一つ頭の中で整理し、再現する。
 短く鋭い音が聞こえてきた。
 これが刹那が実際にやってくれたときの音である。
 澤村が言われたのは、この音を発し続けること。
 明日菜のように打ち合いをするには、澤村の腕では無理だと言われ彼は言われた通りにしている。
 基礎体力に関しては、魔法関連や武術を極めた者達に比べれば多少劣るものの、それはもう少しハードな筋トレをすれば済むことらしい。
 だから澤村は木刀を無心で振ろうと努力している。
 努力しているのだが――――――

「きゃっ」

 小さな悲鳴に澤村の手が止まる。
 澤村の視線の先には、刹那の剣を捌ききれずにハマノツルギを落とした明日菜の姿。
 大丈夫ですか、と刹那が声を掛けている。
 手をひらひらとさせて明日菜が大丈夫と答えているのを見て、澤村はほっと胸を撫で下ろした。

 ―――――どうしても明日菜と刹那が気になってしまうのだ。

 身も心も男子の自分より遥かに強い女の子。
 こうやって改めて彼女達を見てみると、外見はとても可愛らしい女の子である。
 マネージャーの和泉亜子も確かに可愛いが、彼女とはもう2年間以上の付き合いだ。それも部活という繋がりで、女の子というイメージとしては彼女が思い浮かぶものの、先輩とのいざこざ以来は放っておけない妹的な存在だった。
 ……それを口にすれば、きっと亜子は頬を膨らますだろう、と澤村は苦笑を漏らしそうになる。
 明日菜や刹那の事も、ああなれたらいいという憧れに近い視点で見ていた。
 もしくは、別世界の人間でも見るかのような。
 修学旅行が終わり、澤村もその別世界へと足を踏み入れた。
 強くなろうと。
 そうなり、明日菜や刹那達との交流を深めていくと、彼女達を身近に感じられた。
 自分と同じように……いや、それ以上に悩みを抱えて生きてきた刹那。
 元々澤村と同じ境遇であり、急に魔法の世界へと足を踏み入れたのにもかかわらず強くなろうとする明日菜。
 そんな二人の強さに憧れを抱くと同時に、

 ――――――その姿がひどく美しいと感じている自分がいたのだ。

「澤村さん?」

 咎めるような刹那の問いかけに、澤村は反射的に謝りの言葉を言うと視線を逸らす。
 結局初めての朝練は、集中することができずに終わってしまった。





 教壇から見える教室内は、いつもと同じように賑やか……ではなく静かで穏やかだった。
 先ほどまで眠っていたまき絵も今はきちんとネギの授業を受けている。
 テストが近いせいか、眠っている生徒は少ない。喜ばしいことだ。
 ホクホクとした気持ちでネギは黒板にチョークを走らせる。
 カタン、とチョークを置くとネギはくるりと振り返った。
 皆、きちんとネギの方を向いて彼が書いた事をノートに書き移している。
 とはいっても、エヴァンジェリンは興味なさそうに頬杖をついたが。
 教室に来て授業を聞いているだけでもましな方か、とネギは心の中で苦笑を漏らす。
 それに日曜日には彼女のテストを受ける予定だ。
 テストを受ける前に何か言って、彼女が臍を曲げてテストは無しだと言われても困る。
 解説を口にしながらも、ネギはあることに気が付いた。
 ちらちらとエヴァンジェリンが横を見ているのだ。

 彼女の横の人物―――――澤村翔騎。

 最近エヴァンジェリンは彼のことを気にかけているようだった。
 エヴァンジェリンだけではない。
 気が付けば、刹那や木乃香、楓、亜子を含む運動部四人組も澤村とよく話すようになっていた。
 教師として、それは喜ばしいことだ。

 けれど、喜ばしくないことが一つだけあった。

 神楽坂明日菜。自分の慕う姉、ネカネに外見が良く似た少女。
 彼女が最近、澤村といることが多くなっているような気がする。
 喜ばしくないどころか、不快なのだ。
 理由は全くわからない。
 ただ、小さな喪失感があるだけ。
 大きくない。それは本当に些細なものだ。

 この気持ちは何だろうか。
 この不安定さは何だろうか。

 わからない。
 まだ10歳だというのに特殊な人生を歩んでいる彼には、感情を学ぶことは少ない。
 純粋な経験が足りないのだ。
 それは魔法使いとしてではなく、

 ―――――――― 一人の人間として。

 ネギは悩む。
 悩んだ頭を抱えながらも、彼は授業を続けた。





 昼休みになり、澤村はとある場所へと向かっていた。
 麻帆良学園に来てから、2、3回程度しか行っていない場所。
 それは―――――

「すごい量だ……」

 ポツリと言葉を零す。
 脚立を使わなければいけないくらい高い棚の中にびっしりと詰められている本。
 高い棚が立ち並ぶ中、大きな机と椅子が数個ある。
 そう、ここは女子中等部の図書室だ。
 翻訳するために必要な本を探すためには、ここが最適である。
 澤村は溜息を漏らす。
 こんな大量の本の中から、目当ての本を探すということを考えただけで疲労感が襲ってきた。
 とは言っても、図書委員の働きによって大分本を探しやすい環境となっている。
 分類分けを頼りに澤村は図書室の中を歩き回る。
 昼休みといっても時間はそれほど多くはない。
 放課後はまた明日菜と共に刹那に鍛練をつけてもらうのだから、今のうちに探さねば。
 しかしこれが中々見つからない。
 タイトルだけではさっぱりだった。ラテン語の単語一つ一つがわかっても意味がないのだから、文法もわかる物を探してはいるのだが……そういった物が見つからないのだ。
 少し投げやりな気持ちで、適当に手を伸ばし本を取ろうとしたとき、

「あっれー? 澤村君がこんな所くるなんて珍しいわねぇー」

 あまり聞きなれない声が聞こえてきた。
 本から手を離し、澤村が振り返るとそこには苦手な子と分類されている人物がいた。

「早乙女さん……」

 早乙女ハルナ。
 パパラッチ娘こと朝倉和美の次に秘密を明かしてはいけない人物だ。
 分厚い本を何冊も重ね、両手でそれを抱えているハルナを見て、澤村は独り言かのように言う。

「そっか、図書委員だった」
「ちょっとそれどういう意味よー。それに、正確に言うなら図書館探検部。今日はのどかの手伝いなの」

 眼鏡越しに睨まれて澤村は乾いた笑いを浮かべる。別に他意はなく零した言葉にそう言われては返す言葉がない。
 ハルナは抱えている本の山を重そうに持ち直した。
 どうやらかなり重いらしく、本を持つ手は少し赤くなっている。

「よかったら手伝おうか?」

 意外にもハルナは、大丈夫大丈夫と澤村の申し出を断った。
 澤村としては、シネマ村での印象から、結構遠慮のない女子だと思っていたためこの行動は非常に意外性の高いものだった。
 結構失礼な認識を持ってしまっていたのだなと反省しながらも澤村はハルナに、

「俺、ちょっと手伝って欲しいことがあってさ。その代わりにそれ手伝いたいんだけど……」

 そう言ってみせた。
 んー、とハルナは唸ってみせる。
 しばらくの間の後、

「それじゃお願いしちゃおっかなー」

 と、澤村に本を半分渡してくる。全てを澤村に任す気はないらしい。
 やはり遠慮してくるハルナに、澤村は苦笑しながらも大丈夫だからとハルナが持つ残り半分の本も器用に取り上げた。





 円の席を囲むようにして美砂、桜子、円は昼食を摂っていた。
 食堂を利用したり、天気がいいからと外で食べる生徒もいたが、チア3人組は教室内で和気あいあいとしていたのだが……

「まだ澤村君のこと信用してないの?」

 という美砂の言葉に、円は卵焼きを口に運ぼうとした手を止めた。美砂を見てみれば、どこか苦笑しており桜子はしきりに頷いていた。
 唐突な質問。
 円は特にこれといった返事をせずに、止めた手を動かす。
 卵焼きの甘い味が舌に広がっていった。

「そんな悪い人じゃないと思うよー?」

 桜子の言葉に円は、

「わかってる」

 少しだけ苛立った声を返した。
 美砂と桜子が顔を見合わせる。それなら何故澤村を睨んだりするんだろう。 
 二人の視線が円へと移されるが、彼女はそんな二人を無視して弁当のおかずを口へと運んでいく。
 美砂と桜子の言葉は、良くわかっていた。
 だからこそ、腹立たしいのだ。
 最初は確かに下心でネギの補佐生徒などやっているのだと思っていた。
 でも、澤村翔騎という男は、変なところで生真面目だった。
 ネギの補佐生徒として、ネギをよく見ているし寮に来て次の日には挨拶回りにも来ていた。
 なんだかんだで紳士な所もあった。
 現にクラスの女子ともそれなりに仲良くなっている。
 かといって、デレデレしているようにも見えない。
 だから、下心があってネギの補佐生徒をやっているなんて疑いはすぐに消し飛んだ。

 ――――――大体、澤村翔騎がどんな人間か、釘宮円を含めチア部の3人は知っている。

 思い出すのは、2年の夏。初めてサッカー部の応援をした時のこと。
 点差は圧倒的だった。
 本当ならば勝てる試合だったのだが、エースである先輩が相手チームのスライディングで前半からいなくなってしまったのだ。
 後半になっても0対4というサッカーでは絶望的にも近い点差。
 残り時間から見ても巻き返すことは難しく、もうだめかとさすがの円達も思った時、澤村翔騎は現れた。
 エースである先輩の変わりに入っていた先輩と交代。フォワードに入った。
 彼は、フィールドに入った途端に拳を作った両手を高らかに挙げて第一声を放った。

「――――――まずは1ゴール! 頑張りましょう!」

 敬語だったのは、2年生より3年生の人数が多かったからだろう。
 それなのに、その時の澤村翔騎は誰よりも子供っぽい裏で、誰よりも大きな人間に円は見えた。
 結果的に試合は負けに終わる。
 試合結果は、3対4―――――その最初の1ゴールは澤村が決めた。
 ボールが敵に回れば誰よりもしつこく、ボールを奪おうと相手選手に食いついた。
 ボールが味方に回れば誰よりも大きく、声を張り上げてチームを引っ張った。
 だから円達は彼を知っていたのだ。
 応援している自分達でさえ、彼のその姿に心打たれたから。
 素直にすごいと思えたから。

 ―――――それなのに彼は、女子中等部に来てからその面影を見せない。

 サッカーをやっている時とは全く違っていた。
 ふと見る澤村の表情は暗く、影が濃い。
 何かを諦めきった表情。
 何かに怯えて尻込みしているようにも見えた。
 それがどうしても赦せなかった。
 別にあの時の試合で彼に恋心を抱いたなんていうことはない。
 ただ純粋に、すごいと思えた。
 単純な想いが円の中に在ったのだ。
 それなのに、澤村はマイナス思考に近かった。
 それは修学旅行を終えた彼の表情は、大分ましな物になったとはいえ、やはり深く暗い影がある。
 だからまだ赦せない。
 しかしそんな青臭いことなど親友でもある美砂と桜子にすら言えるはずもなく、 

「わかってるけど、やっぱりまだ赦せそうにないの」

 という言葉を言う事しかできなかった。





 ハルナは澤村が抱えている本の山の1番上の本を手に取る。
 背表紙の下の方を見れば、どの棚かすぐにわかるのでそれに従って歩を進めて行った。
 澤村も本を抱えたままハルナの後ろを付いて行く。

 ―――――が。

 ここは女子中等部。
 当然男子……澤村がいることに違和感を感じない者がいるはずもなく、

「ねぇねぇ、あれって……」
「うん、補佐生徒の子だよ」
「相変わらず目、怖いよねぇ」

 修学旅行の時と差ほど変わらない会話がハルナと澤村の耳に入ってくる。
 澤村は居心地の悪さに眉を顰めた。
 だからこの目は生まれつきだ、と心の中で嘆くが彼女達に伝わるわけがない。
 ハルナは澤村の顔を見ると、にやついた顔をして小声で言う。

「澤村君、人気者ねぇ〜」
「いやー、困ったもんだよ……って言うと思うか?」

 後半は随分と力のない澤村の言葉に、ハルナはツッコミが甘いわね、などと戯言を返す。
 そう言われても澤村には知ったこっちゃないのでムスリとしてハルナを見るのだが、彼女は軽く笑い飛ばすだけだった。
 ハルナは、手に取った本を丁寧に棚へしまいながらも、

「男子中等部ってどんななの?」

 意外な発言をした。
 ラブのにおいがどうのとか言って来るハルナの口からそんな質問が飛び出てくるなんて澤村は思いもよらなかった。

「同い年の男子ってどんな感じなのかなーって思ってさ。ほら、何だかんだで私達、女子校に通ってるわけだしさ」

 その言葉にあー、と澤村を声を出す。
 澤村が同い年の女子に関して知識や経験がないのならば、ハルナもそれは同様だった。
 彼と話すのも確かに新鮮でいいのだが、男子の集まりという事柄に興味があるのだ。
 単体的にではなく団体的に。

「で、どうなの?」

 本を棚にしまい終わり詰め寄って聞いてくるハルナに、澤村は困った表情で、

「どうなのって……別に男子も女子もあんまり変わらないけど」

 と返した。
 事実澤村はそう感じていた。
 相手の考えていることがわからないと言うのもあるが、それは男女関係なくそういうものだ。
 へぇーと意外そうな声を漏らすと、ハルナは次の本を手に持つ。
 ふと自分が持ち出した本のタイトルを一通り頭に浮かべると、ハルナは澤村の持つ本の背表紙を見た。
 全て今目の前にある棚だったので澤村にも頼みつつ本を棚にしまっていく。
 本を数冊持って少し離れたところに行った澤村に、ハルナは次の質問をしようと口を開いた。

「じゃーさ。澤村君から見て私達ってどう見える?」
「はい?」

 なんともの気抜けた声。離れているせいか、小声では聞こえなかったらしい。
 だーかーらーとハルナは本をしまうついでに少しだけ澤村に近づいて言葉を続ける。

「澤村君から見て、私達はどんな女子に見えるかってこと」

 ハルナは自分と澤村の距離の近さを感じ、これをパパラッチ娘である朝倉和美に目撃されたら騒がれるのかな、なんてことを思う。
 ちらりと横目で澤村を見れば、彼はんー、と唸って宙に目を泳がせていた。
 そしてハルナを見て、

「元気だなって思う」

 厚みのない返事が返ってきた。
 ハルナは思わず溜息を漏らす。

「それ、返事になってないぞー?」

 そんなこと言われも……と澤村は苦笑しつつも本を棚へとしまう。
 ハルナは澤村の持つ残った本を取り、背表紙を確認しながらも口を動かした。

「お、あの子可愛い。あ、この子綺麗。っとかもないわけ?」

 ピタリ、と澤村の動きが止まった。
 ハルナの眼鏡がきらりと光る。

「ほうほう、いるわけだね?」
  
 狙った獲物は逃がさない。そんな目をしてハルナは澤村を見た。

「そりゃあ、俺も男だし」

 本をしまい終え、空いた手で喉元をぽりぽりと掻いて見せる澤村。
 ネタだ。今、参考になりそうないいネタが目の前にある。

「どれどれ、お姉さんに言ってみ?」
「同い年だろうがっ」

 耳に手を添え、ハルナは澤村に顔を近づけるが彼のそんな言葉と共に手で顔を押し返される。
 幸い、今ハルナ達がいる場所は図書室の一番奥のため、二人の会話は周囲には全く聞こえなかった。
 これだけの広さだ、当然のことだろう。
 チッ、と舌打ちをふざけてしながらも、ハルナは共学の学校で男子と話していたらこんな感じなのかもしれないと思う。
 困ったような溜息を澤村は漏らすと、

「――――それよりも。それの手伝いのお礼、して欲しいんだけど?」

 ハルナが持つ最後の本を指差してそう言った。





 誰もいない道場。
 そこに澤村はいた。
 全ての窓と扉を閉ざしたため、視界は目を開けても辺りは暗闇に包まれている。
 密室状態のせいで、室温が上がっていた。
 澤村は額に汗を感じながらも、その集中力を高め続ける。

 音がする。

 それと同時に空気の震えのようなものを感じた。
 澤村は身体を左へと翻す。

 そして、何かが背にめり込んだ。

「あいたぁーーーーーぁあ!?」

 背に走る激痛に声を上げた。それもう大きな声。今朝よりも大きい音を掻き消すほどの大きさだ・
 思わず床に倒れ込む。

「だ、大丈夫ですか!?」

 制服姿の刹那が今朝と同じように澤村に駆け寄る。
 パチ、という音と共に暗闇が晴れた。

「あちゃー、今の洒落にならない音したわよ」

 同じく制服姿の明日菜の声が道場内に響いた。
 澤村は四つん這いのまま、痛みにプルプルと身体を震わせている。

「す、すみません。少し強過ぎましたね」

 刹那の手が自分の背を撫でているのを感じつつも澤村は大丈夫と一言答えた。

「さ、さっきよりぶつかった場所が右にずれてるって事は、少しは読めたって事だろ?」
「え……は、はい。今朝よりかは」

 五十歩百歩のようなものなのだが、あえて刹那は澤村の言葉に頷く。
 背を擦る刹那に礼を述べつつも、澤村はゆっくりとした動作で立ち上がった。

「神楽坂さんもごめんな、付き合わせちゃって。避けるやつは、また明日とかにするよ」

 そう? と聞いてきた明日菜に頷く澤村。
 刹那もしゃがんでいたが、立ち上がって澤村を見る。

「本当に大丈夫ですか? 角がめり込んだように見えましたけど……」
「大丈夫大丈夫」

 手をひらひらとして見せて澤村は道場の隅に置いてあった木刀を2本、手に取ると刹那に1本を手渡した。

「これ以上、俺の我が侭で時間を無駄にしたくないしさ」

 木刀を肩に乗せつつも、澤村はそう言った。
 放課後に入り、澤村が一番に刹那に頼んだこと―――――それは今朝できなかった避けるという鍛錬である。
 刹那も少し考えがあったため、場所は道場へと移っていた。
 密室の場所でやる方が、空間を感じ易いからだ。
 しかし結果はこの通り、失敗に終わった。
 じっくりやって行くしかないな、と澤村は思いつつも木刀を振るう。
 今朝と全く同じだった。
 澤村は木刀を振るい続け、明日菜は刹那と打ち合いをする。
 不満がないと言えば嘘だが、基本は大事だというのはサッカーで良く知っているため文句を言わず木刀を振り続ける。
 今朝のように、集中できないなんて失態は起こさない。
 明日菜と刹那の声を脳が認識しないように、無駄な思考を排除する。

 ――――――強くなりたい。  

 澤村にとって、今はそれだけだった。
 木刀を振るう。
 聞き慣れ始めた音が、澤村の耳に響いた。





 木乃香は一人、寮の部屋にいた。
 明日菜は刹那と剣の鍛錬。
 ネギは古菲と中国拳法の鍛錬。
 本当は明日菜についていきたかったのだが、夕飯の買出しをしていなかったためにそれはできなかった。
 夕飯の支度をし終え、今は二人の帰りを待つだけだ。
 テーブルに両肘で頬杖を付く。
 いつもは騒がしい部屋も一人では酷く寂しかった。

「二人共、遅いなぁ」

 独特のイントネーションの言葉が虚しく部屋に響く。
 帰ろうと帰路についたのだろうか。 
 それともまだ鍛錬を続けているのだろうか。

 ――――――強くなりたいから。

 澤村の言葉が木乃香の頭に響く。

 自分と同じように、力を持っていて、
 自分と同じように、捕われの身になって、
 自分と同じように、戸惑いと恐れを抱いて、

 自分と同じように、術を知らなかった。
 自分と同じように、自分の無力さを呪った。
 自分と同じように、心の奥底で苦悩していた。 

 そんな彼が、今自分よりも先の道を歩んでいる。

 自分の祖父である学園長――――近衛近右衛門に澤村が体術だけでなく魔法も学び始めたのか聞こうかと思っていた。
 けれど、それはできなかったのだ。

 もし近右衛門が自分の言葉に頷いたら、

 ―――――――自分が何を想うのか、知るのが怖かった。

 京都での体験が、木乃香の恐怖を煽っていた。
 弱者である自分が魔法を学ぶことで、あの時のように刹那や明日菜、ネギ達といった周囲の人々にまた怪我をさせてしまうのではないかと。
 自分のことより誰かが傷つくのが怖くて、苦しい。
 木乃香が魔法を学ばなくても、それは変わらない。
 それはよく理解している。
 だがどうしてもそう思わずにはいられない。
 中学3年生。心は大人と子供の中間――――その心は不安定だ。
 根拠のない不安が木乃香を戒める。
 そんな木乃香には、魔法を学ぶという覚悟ができない。魔法の世界に足を踏み入れる覚悟ができない。
 父である近衛詠春が、どうして魔法のことを自分に伝えなかったのかもよくわかっていたから。
 安易に世界に足を踏み入れれば、死が付き纏うことになる。
 澤村には、その覚悟ができたのだろうか。
 力の使い方を知らなくても、必死に木乃香を守ろうとした彼の姿。
 その必死さが刹那と被る。
 木乃香はテーブルに顔を伏せる。

「せっちゃん……」

 篭った声で名を零す。
 強くなりたい。
 今まで守ってくれていた彼女を、今度は自分が守りたい。
 心もそうだが、己の身を鍛えたかった。
 自分は運動神経もよくない。
 戦えるような人間ではないと、嫌でもわかっている。
 身体的に強くなるのは難しいのだ。

 それでも、どうしても、

 ――――――誰かに守られるだけなのはもう嫌で、それ以上に誰かが傷つくのが嫌なのだ。

 木乃香の思考は、既に混濁し始めている。
 自分が何を想っているのかわからない。
 何を望んでいるのかわからない。
 そんな木乃香の耳に、

「ただいまー!!」

 明日菜とネギの元気な声が飛び込んで来た。

「おかえりぃー!!」

 先ほどまでの考えを吹き飛ばすかのように木乃香は、声を張り上げて明日菜とネギを出迎える。
 木乃香が顔を伏せていたテーブルには、ほんの少しだけ雫が残されていた。

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