ネギ補佐生徒 第39話





「くそ……っ!」

 女子寮を走りながら澤村は悪態つく。
 神楽坂明日菜達の部屋には、誰一人いなかった。
 ただあったのは、何時ぞや飲んだ紅茶がぶちまけて落ちているティーカップのみ。

 何が起ころうとしているのか、なんとなくだがそれでわかった。

 ネギの関係者――――もしくは、澤村翔騎の関係者が、さらわれた。
 目的が何なのかはっきりしないが、自分達になんらかの用があるのは確か。
 そして、澤村を襲ってきた化け物が退いたのは、きっとこれから何か始まるからだと推測する。
 澤村は、現時点から1番近い和美の部屋へと向かっている。
 だが、彼女の部屋につく前に澤村の視界に、あるものが跳びこんできた。

 2人の子供が走っている。

 もう片方は黒い髪なのはわかったが後ろ姿でわからなかった。けれどもう片方は知っている。

 ネギ・スプリングフィールド。

「ネギ先生っ!!」

 澤村はできるかぎり大声でそう呼んだのだが、2人には聞こえることなく、そのまま走り去られてしまった。

「え、あ……さ、澤村君っ?」

 裏返った声。
 子供の姿に驚いて、この声の主をはっきりと認知していなかった。
 ネギ達を見送るために、開けっぱなしの扉から顔を出した少女。こちらを向く彼女の表情は、酷く困惑している様子だった。
 長谷川千雨とは別の意味で一般常識を持っていそうな女の子。でも平凡過ぎて、クラスにロボがいたりすることになんら疑問を持たない子……と、澤村が思っている子。
 現クラスメイトである、村上夏美だった。





  ネギ補佐生徒 第39話 出撃ス





 鋭い目がマイナス方面で印象的なクラスメイト、澤村翔騎という人物に随分切羽詰った表情で見られ、夏美は小さく息を呑んだ。
 初めて話すかも。それに私服を見るのも初めてだなぁ。ちょっと地味だけど……なんて心の隅で思いつつも、現状の掴めていない頭でなんとか彼に何を言うべきかを夏美は考えた。
 だが、考え付く前に、

「何があった!?」

 少し低くて、大きな声に夏美は肩を竦めた。
 そんな彼女を見て、澤村はごめんと今だに切羽つまったような表情で謝ってくる。
 とは言え、夏美自身この状況を掴めていないので答えることができない。澤村の視線が、夏美の足元へと落とされた。

「雪広さん!?」

 しゃがみ込んで、あやかの体を触れようとするのを躊躇う澤村を見て、夏美も慌ててその場にしゃがみ込んだ。

「ネギ先生は眠ってるだけとか言ってたけど……」

 そっか、と零した彼の鋭い目は、ひどく安心しているように見えた。伸ばしていた手も下ろされる。
 玄関で倒れた女子を囲んでしゃがみこむ男子と女子。
 なんだかシュールだ。

「本当に何があったか教えてもらえないかな。それが無理なら、ネギ先生が何処に行ったのかだけでもいいから教えてくれ」

 少しだけ早口で、少しだけ落ち着いて――――懇願するような声。
 夏美は、少しだけ息を飲んだ。
 そして、上手く伝えられているのかわからない説明で、先ほどまであったことを澤村に話した。
 しきりに頷く彼は、状況を少しでも理解しようとしているように夏美には見えた。

「ありがとう」

 全てを伝え終わると、短い言葉と共に澤村は急に立ちあがった。
 夏美も慌てて立ちあがる。

「ね、ネギ先生、たぶん世界樹の広場のステージに行ったと思う」

 つっかえながら言った夏美に澤村はもう一度ありがとうと礼をいい、走り出―――――

「あー……」

 ――――す前に、ばつ悪そうにあやかを見下ろした。
 何故だろう、と夏美は首を傾げてみせる。
 頭をがしがしと掻きながら、彼はあやかの前にしゃがみこんだ。
 そこでようやくわかった。

「あ、あ……いいんちょのことは私に任せてっ」

 夏美とあやかの身長差は、見てすぐにわかる。玄関に倒れているあやかを夏美が部屋の中へと運ぶのはできないことではないが、困難なのは確か。
 澤村が手伝ってくれると助かるのが本音だが、急いでネギ達のところに行きたいはず。
 だからそう言ったのだが、

「大丈夫」

 そう苦笑して、あやかを抱き起こした。
 俗に言うお姫様抱っこ。
 とはいえ、澤村も背があやかより低い。軽々と持ち上げたところはカッコイイが、その苦笑顔と背の違いは少しだけマイナスだった。

 だから……少しだけ似合ってて、少しだけおかしかった。





 流れる景色が遅く感じられて、澤村は苛立っていた。
 上に来た黒いTシャツが雨で濡れて重い。白い3本のラインが入った黒いジャージのズボンも重たくてしょうがなかった。
 何度か失敗をしながらも、なんとかもう一度『戦いの音』を使って走ってはいるが、それでも遅く感じずに入られない。
 どれくらい走り続けただろうか。
 わかるのは、『戦いの音』の効果が切れてから、かなりの距離を走ったということだけだった。
 あまり来ることのない、ステージ。
 そのステージに着いた時、澤村は愕然とした。

 ―――――捕われの身となっている、パジャマ姿の神楽坂明日菜に。

 何故、彼女が捕われている?
 彼女だけじゃない。木乃香、のどか、夕映、和美、古菲。気を失っている刹那と千鶴。
 那波千鶴に関しては、夏美から聞いていたので、驚きはなかった。
 明日菜と木乃香が捕まっていることも予想できていた。かと言って、のどか達が捕まっていることに驚きは感じない。これも既に予想していたことであった。
 それなのに、愕然としてしまったのは――――きっと、神楽坂明日菜がまるで特別だと言っているかのように、水色の何かで捕われていたからだろう。
 少しの間だけぼうっとしていた澤村に、振動と爆音が響いた。
 視線をずらせば、ネギと黒髪の少年が見える。その先には、黒いハットに黒い革のズボン、黒い手袋に黒いコートに身を包んだ男。ハットから覗く白髪から年齢が大まかにはわかった。
 ネギ達は、その男と戦っていたのだ。
 そのせいか、まだ誰も澤村の存在に気がついていないようだった。

 なら――――今、自分にできることは、なんだろう。

 考えろ! 考えるんだっ!!

 修学旅行の時のようにただ見ているだけなんてことにならないように。
 ネギ達を手伝い、明日菜達を救い出す。
 だが、澤村の足を止めるものがあった。

 ――――――だからこれはお願いです。

 ―――――――――“こちら側”に……魔法使い達のいる世界に踏み込まないで下さい

 頭の中で響く、ネギの声。
 今まであやふやにしていた自分の立場。

 魔法使いか一般人か。

 中途半端な気持ちでここにいるのならば、修学旅行の後、ネギの補佐生徒を辞めればよかったのかもしれない。
 けれど、それでもここにいたかった。
 魔法と関わっていたかった。
 魔法使いになる気がなくても、魔法学校で魔法を学んで、自分の身を守れる人間になりたかった。

 だから澤村翔騎は、今こうしてこの場に立っている。

 決断をしなくてはいけなかった。
 自分の嫌いな人間が、意思表示をしたのだ。自分がしないでどうする。
 顔にかかっている濡れた髪をがっと掻きあげる。
 そして一歩、小さくだが前に踏み込んだ。

 ―――――補佐生徒なら補佐生徒らしく、補佐してみせようじゃないか。

 そんな想いを抱いて。





 朝倉和美は、自分達に近付いてくる人影に気がついた。

「さわっ……」

 名を呼ぼうとしたが人差し指を立てられ、慌てて口を閉じた。
 皆も自分の声で澤村翔騎の存在に気がつき、驚きに目を見開く。気がついているのは、和美達だけのようだ。
 明日菜もネギ達の戦いに釘付けになっているし、スライム達も澤村が気がついていないようだった。

「旦那っ。丁度いい、少し手伝ってくれ!」

 木乃香の頭にのっているカモの小声の言葉に、澤村はこくりと頷いて水牢越しにカモに耳を近づけた。
 だが、

「オイ、侵入者。そこでぬけぬけとくっちゃべってんじゃねーヨ」

 そんな声と共に伸びてくる水色の手。
 スライムのすらむぃだ。
 澤村は、ぎりぎりのところでそれを避け、ステージから飛び降り、走り出す。それを追いかけるスライム3人娘。

「ちょ、ちょっとカモっち! 澤村君大丈夫なの!?」

 サワムン、なんてからかいのあだ名で話している状況ではなかった。
 和美の知る彼は、ただの一般人だった。多少そういった能力があるらしいが、使い方はわからないと修学旅行で聞いている。それ以外は本当に一般人。
 そんな彼が、あのスライム達の相手をできるというのか? 正直そうは思えない。
 けれどカモは、薄く笑って、

「大丈夫だ。旦那も頼りになる人だから」

 ―――――それに俺が頼んだことは、旦那だからできることだ。

 と。
 和美はその言葉に、澤村の姿を目で追った。





 カモに頼まれてことは、たった一つ。
 木乃香達が水牢を破るまでの間、スライム達を引きつけておくことである。
 澤村は、左足から踏みとどまり、右足が走った勢いで左足より前に地に付いた。勢いに任せて深く右膝を折ると、

「がぁぁあっ!!」

 その体を半回転させながら、右足を振った。

「澤村さん!?」
「やるやないか!」

 澤村の蹴りが3匹のスライムを蹴りぬいていた。
 彼に気がついた二人の声を聞きながらも、澤村は自分の蹴りで飛ばされていったスライムとの間合いを詰める。
 軟体なスライムに打撃の攻撃は意味がない。怯むことのない2匹のスライムは、澤村の右足と左腕に絡み付く。スライムが絡み付いてきた個所がひっぱられ、前に進もうとした澤村は動きを止めさせられた。
 もう1匹のスライムが澤村に特攻をかけてくる。

「ぐはっ……っ」

 みぞに入ったスライムの攻撃で澤村は、自分の胃の中のものが逆流するかのような圧力を腹部に感じた。
 しかしそんなことで膝を折っている暇もないし、スライムが絡み付いてるせいでできない。今だに右足と左腕の自由が利かず、第2破がこようとしている。
 澤村は、思いきり自由の利く左足を振り上げ、重力に任せてかかとを落とした。
 びたん、と音を立ててスライムは、ヘドロ状となって床に広がる。
 そのスライムが形状を戻す前に澤村は、空いている手と足でなんとかスライムから逃げ出す。

 いや、2匹のスライムはわざと澤村を手放したのだ。

 澤村が距離をとる暇もないまま、復活したスライムが目の前まで迫っている。
 ずれた重心で左に飛び跳ねた。こんな態勢、相手からスライディングをうけるサッカーでは日常茶飯事なことだ。難なく左足をしっかりと地につけ、膝を折ることで身体が沈む。
 スライムが澤村の右を通りぬけると同時に、そのまま右足を左足の後ろにつくと、横を通ったスライムを追うようにぐるりと身体を回す。
 流れる視界。
 右腕に何か柔らかいものを感じるのと同時に、スライムが吹き飛んで行くのが見えた。しっかりと伸ばされて振られた右腕にスライムを捕らえたのだ。

 ―――――ついていけてる!

 少々不利だが、なんとか足止めはできると澤村は確信した。
 後ろから2匹のスライムがまた襲ってくる。それを左の回し蹴りでなぎ払う。
 1対3では、休む暇などなかった。
 右肘で一匹、左の拳で一匹、右の蹴りで一匹。
 3匹はそれぞれ三方から襲ってくる。三角形の重心に澤村はいるのだ。どう向いても澤村は、背後を取られてしまう。
 回し蹴りや振り返りながらの腕の振り抜きでうまく3匹を撃退しながらも体力が削られて行くのを感じる。
 それと同時に、引き付けるに限界がくることも澤村は確信していた。





「僕がっ……僕が戦っているは―――」
「――――― 一般人の彼女達を巻き込んでしまったという責任感かね? 助けなければという義務感? 義務感を糧にしても決して本気になどなれないぞ、ネギ君」

 ……実につまらない、とヘルマンはネギの言葉を遮った。
 歯を食いしばるネギの額に汗が流れる。
 ヘルマンの後ろには、捕われた生徒たちと苦しそうに汗を流す明日菜の姿。
 修学旅行の時のように、また生徒を巻き込んでしまった。今、彼女たちを救えるのは自分だけだし、救う義務があるのも自分だ。

 ――――僕が助けなきゃ!!

 ヘルマンの言葉の通り、彼女達を巻き込んでしまった責任感や助けなくてはという義務感で戦っているのかもしれない。けれど、本気で戦っていないと言うのは、嘘だ。本気で戦っている。

 しかし、ヘルマンの言葉は、ネギの心を波立たせていた。

 自分と勝負しにくるために関西呪術協会から逃げ出した来た犬上小太郎は、ヘルマンのダメージが抜けずに地に伏している。
 ちらりと澤村の方を見ていると、彼も体力を消耗しているらしく、スライムに何度も捕われそうになっていた。
 戦況は最悪。
 そんな中、

「なるほど……彼がそうなのか」

 語りの途中で呟いたヘルマンの言葉が、ネギの耳に届いた。
 波立った心が少しだけそれで静まる。

「澤村さんを……知って、いるんですか?」

 雨音に邪魔されながらもそう問うと、ヘルマンは小さく目を見開いたと思えば、ハットが頭が落ちてしまいそうなほど顔を上げて大声で笑って見せた。

「そうか! 彼がサワムラ・ショーキだったねっ!」

 わからない。
 けど、彼は何かを知っている。
 自分の事だけではなく、澤村の事も。
 ヘルマンは一頻笑うとハットを被り直して、

「今は、彼の事より君のことが優先だったね。さて、ネギ君―――――」

 表情を打ち消した。

「――――――君が戦うのは、あの雪の夜の記憶から、逃げるためかね?」





 体を打つ雨が鬱陶しい。
 3匹のスライムの攻撃も避けきることはもうできなくなっていた。

「お前らっ、さっき俺を襲った奴だろ!?」

 体力的にボロボロの体で澤村は言葉をぶつけた。
 すらむぃの蹴りが頭を掠め、あめ子の拳が澤村の鳩尾に入る。
 胃の中のものを吐き出しそうになったが、ぷりんに首を掴まれて地に叩き込まれることで引っ込んでしまった。
 激痛が背中を襲う。
 首を掴むぷりんの力は、窒息死しない程度のものだったが、苦しいものは苦しい。

「アア、確かに襲っタ」

 すらむぃが言う。

「本当は、捕まえて計画通りの場所に渡すつもりダッタノデスガ……」

 あめ子が言う。

「こちらの計画に間に合わなくなったから、諦めタ」

 ぷりんが言う。
 首を地面に張りつけられたせいで、起きあがることは不可能。
 足をじたばたさせても、首に巻きついたぷりんを取ろうとしても、意味が無かった。

「なんでっ……なんで、俺を狙うんだっ? 俺の魔力目当てかよ!」

 締まる咽喉で叫ぶ。
 体力の激しい消耗と、スライム達から受けたダメージで視界が霞んでいた。雨にも打たれているせいか、瞼を上げているのも辛い。

「てめーの魔力なんか、あいつに比べれば劣るもんダ。そもそもキョーミがネェ」

 すらむぃが腹の上にあぐら掻いたかと思えば、その足は一気に広がり、腹が地面に張りつけられた。

「私達は、ただ計画通りに動いているだけデス」

 あめ子の小さな手が足首を掴み、地面へと張りつけた。

「それだけじゃナイ……」

 ぷりんの首を絞める力が強まった。
 戦って時間稼ぎを行なうのは、もう限界。カモ達が行動を起こすまで、なんとか時間を稼がなくてはいけない。ならば、言葉で時間を稼ぐしかなかった。
 けれど、スライム達の言葉は、それとは別の思考を澤村に持たせる。

「……確かに、純粋にてめーが嫌いだってーのもあるナ」

 少しだけ拗ねたようなすらむぃの口調に少しだけこのスライム達に人間味を感じた。
 けれどそれも一瞬のことで、

「ようは、てめーに消えてもらいたいだけダヨ」

 胸を指すようなすらむぃの言葉が、澤村を襲った。
 身動きのできない自分。
 自分の腹の上で殺気を放つ化け物。

 澤村の群青の瞳には、大きな闇に走る光と水色の小さな手が映っていた。

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