file:01-02 緋色の、







強い雨の音が背中から聞こえる。
まだ止む気配はない。

前へ進むと背後で自動ドアが閉まって、雨音を遮った。

元親は既にエレベーターに乗り込んでいる。

「早くしろよ」

鞄を持ったまま、渋々エレベーターに乗った。
中からエントランスを見ると、俺の傘から垂れた雨が綺麗な床に不似合いな模様を残していた。

















大体予想はついてた。
見た目凄いマンションだから部屋も相当だろう、って。

(ここまで期待を裏切らねぇか…)

相当階を上がって、入れられた部屋は、正しく金持ちの家!って感じがした。
何というか、生活感がない。

ただ玄関だけで、圧倒される。

「何だ、ここまで来て玄関だけで帰る気か?」
「、いや…お邪魔します…」

今だに俺は元親の鞄を抱えていた。
これを返せば、俺がここにいる意味はない。
…そう考えると、何故だか抱える腕の力が強まった。

「ここで待っといてくれ。着替えてくる」

リビングのソファを指差された。
頷いて、ジャケットを脱いだ。
ふと元親を見ると、スーツの右半身が酷く濡れていた。
髪からは水が滴っている。
傘を差していたことを疑いたくなるくらいだ。
…エントランスでは気付かなかった。

「お前、めっちゃ濡れてんじゃねぇか!」
「だから、着替えてくるって言ってんだろ」

それもそうだ、と思ったが論点をずらされた気分になって慌てて返した。

「だけど、それ…!」

けれど言葉を続けられなかった。
俺が濡れないように傘を傾けて持ってたからじゃないか、とは何故か言えなかった。

「座っとけよ」

言い残して元親は寝室らしき部屋に消えた。
俺はその背中を見送って息を吐いた。
脱いだジャケットを元親の鞄と一緒に脇に置いて、ソファに腰を落ち着けた。

どうかしてる。
あんな風に元親が濡れてるからって深くなんて考えなくていい。
単にあいつの良すぎるガタイが問題だったんだ。
そう割り切ってしまえば良いのに、思わず全く濡れてない自分の肩を見てしまう。
…どうかしてる。
少しでも嬉しがってる自分が不可解で堪らない。

(…訳分かんねぇ…)



主の居ない部屋に一人残されるは、居心地が悪い。
キョロキョロ見回すのもみっともない気がして、だからといって背筋を正して待つのも疲れる。
落ち着かない。
早く出てこないかと、元親が消えた部屋のドアに視線を投げた。

すると、

『オゥ、イマカエッタゼ』

やたらカタコトな声がどこからか聞こえた。

(な、何だ?)

思わず立ち上がって部屋を見回すと、部屋の隅に大きめの鳥籠に赤いオウムが居た。

(あいつ、オウムなんか飼ってんのか…)

今帰ったぜ、なんてオウムが覚えるくらい言ってるんだ。
凄い淋しい奴に思えてきた。
笑いが込み上げてきて、隣の部屋に聞こえないように忍び笑った。

けれど、それを見られては意味がなくて。

「何笑ってんだよ?」

後ろから頭を小突かれて、慌てて笑いを引っ込めた。
でもすぐに笑ってやった。

「別に〜。ただこのオウムが面白いこと言ったからさぁ」

少しでも慌てたらいい、とからかい半分で言ったのに、元親の反応はつまらないものだった。

「んな面白いことなんか教えてねぇけどな」

それだけを言って、さっさとキッチンに向かった。

…つまんねぇやつ。
背中を見送って毒づく。

着替えた元親は黒のパーカーにジーンズを穿いてた。
髪を拭いたからか、首にはタオルがかかってる。
その割りに髪は乾いてない様子だけれど。

ラフな格好って見たことなかったから(まだ会って2回目だけど)、何だか新鮮だった。
あんなセリフをオウムが覚えるくらいなら、彼女とか居ないんだろうな。
…そう考えて、何だか落ち着かなくなった。

「なぁ、政宗。お前、飯は?」
「…食ってない」

言われて気付いた。
そういえば、バイト後ここに直行したから、夕飯はまだだ。

「何か食うか?…っても何もねぇな…」

この時間に出前ってやってんのか…?とかブツブツ言ってる元親が少し可笑しかった。
仕方ない、ここは俺が腕を振るってやるか。

「いいよ、わざわざ要らねぇ金使うなよ」

元親のいるキッチンに入って、袖を捲った。
きょとんとした元親に、ニッと笑ってやる。

「エプロンねぇ?俺が作ってやるよ」
「、お前、料理出来んのか?」
「これでも毎日自炊してんだぜ?」

元親が渡す、少し大きめのエプロンをつけた。
冷蔵庫には野菜とミンチ。卵もある。
案外冷蔵庫の中は生活感だらけだ。
あとは米…、炊飯器の中にあるにはあるけど。

「元親、この冷や飯いつの?」
「それは昨日の。スイッチ切ったのは今朝だな」
「オッケ、上等。ほら、邪魔だから向こう行ってろよ」

追い払う仕草で言うと、元親は素直に分かった、とキッチン内が見渡せるカウンターに座った。

「簡単なもんだけど、いいよな?」
「腹に入るなら何でも」
「人が作るんだから、そーゆう言い方すんなよ…」

――かと言って、望むコメントがあるわけじゃない…けど。

元親の家のキッチンは、あまり広くないし簡素だけど使い易かった。
まぁ、自分の家のが狭すぎるだけ、か。

流しはカウンターと対面する形になっていて、野菜を洗ったりすると元親と向き合うことになる。
何を言うわけでもなく、ジッと見てくるから何だか居心地が悪い。

「…あんま、ジロジロ見んなよ…!」
「わりぃ、でも手際良いからさ。俺、眼帯して包丁持つのは無理だったわ」
「慣れだよ、それも。結膜炎だかで慣れない眼帯して、いきなり包丁持ったら普通は指切る」

最後にピーマンを洗って、まな板に乗せた。
玉葱切るの嫌だな…、泣いたら格好悪い。
リビングの方へ行け、と視線で言っても元親は気付かないのか、カウンターに居座ったままだ。
しかも何か考え事をしてる感じ。

「すぐ出来るから、向こうで待ってろよ」
「、あぁ」

うわの空の返事が気にならなかった訳じゃないけど、切った玉葱のせいでそれどころじゃなくなった。
ボロボロ落ちる涙を拭いながら、何とか切ってフライパンに投げ込んだ。













「出来たぜ」

卵と野菜と牛ミンチだけの簡単な炒め飯。
あの生活感のないキッチンからはこれが限界だった。

「ぅ、わ…マジで出来てる。お前、火傷とかしてねぇな?」
「大丈夫だって。慣れてるって言ったろ?ほら、冷めねぇうちに食えよ」
「ん、いただきます」

飯を誰かに作ると、必ず一口目をマジマジと見てしまう。
不安と期待が入り交じった感じで待つのは、嫌いじゃない。

「ん、うまい」
「マジ?よかった。じゃあ俺も食おう」

正直、バイト上がりでかなり腹は減ってた。
食費が一晩分浮いたし、よしとするか。

「ホントよくやるよな、片目で。俺も見習うべきか」
「別に元親は両目使えんだからいいだろ。まぁ、料理はしたほうがいいけ――」
「両目使えるわけじゃねぇよ、両目あるだけだ」
「、え…?」

スプーンを取り落とすところだった。
今の元親の言葉は、比喩なんかじゃなくて…?

「…どっちか、見えねぇのか?」
「いや、見えなくはない。ただ、明るいとこじゃ見えないに等しい。光に弱いんだ」

こっちの目がな、と元親は自分の左眼を指差した。
見たところ、右眼と変わりない。

「このままじゃ分からないか」

そういうと、元親は立ち上がり隅のルームスタンドを持ってきた。
それを点け、部屋の明かりは消した。
薄暗い中、元親は左眼に指を添えた。
眼球を摘むみたいにして、何かを取った。

「カラコン…?」
「ああ、」

暗いからイマイチ分からないけれど、結構突飛な色のように思う。
でも、元親の目を見て変に思ったことはない。
訝しげに改めて元親の目を見直して、俺は言葉を失った。

「、ッ…!」

薄暗くてもハッキリ分かった。
元親のそれは…赤かった。

「…鬼の眼、らしい。気持ち悪いだろ」

元親は自嘲気味に言ったけれど、俺はその元親に腹を立てた。
より一層覗き込んでやる。

「バッカ、何言ってんだよ。めっちゃ綺麗じゃねぇか」
「…、…」

同情や慰めなんかじゃなかった。
心底、そう思った。
だって、自分にはこんなの、ない。

「もうちょい見てていいか?明かり、痛くねぇ?」
「…平気だ」

元親は一言で俺の質問に答えた。
俺は食い入るように見つめた。

「、すげ…」

ルビーみたいに真っ赤で、固そうにも見えた。
イチゴの飴みたいで、甘そうにも見えた。
自分でも気付かないうちに、かなり至近距離にまで顔を近付けていた。

何故か急に右眼が疼いて、咄嗟に左眼を伏せた時だった。

「、ん?、…ッ…――」

何も言えなかった。
正確には、言わせてもらえなかった。


――そりゃ、キスされちゃあな…。


頭は一度冷静にツッコミを入れてから、止まった。


「っ………」
「、わりぃ」

元親は頭を掻いて、それだけを言った。
それが何に対しての「悪い」なのか考える前に、俺は勢い良く立ち上がっていた。
弾みで椅子が派手な音を立てて倒れた。

「…、帰る」

やっとのことでそれだけを声にして、玄関へ走った。
靴を履くのもそこそこに飛び出した。

足音が後ろから聞こえてて、乗り込んだエレベーター、ドアの方を振り返る気にはなれなかった。
だって、俺、今、どんな顔してるか分かんねぇ。



外はまだ雨が降ってたけど、気にせず走った。

ただ、頬が熱くて熱くて…。




当たった雨が蒸発しそうだった。















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チカダテ2話目。
お持ち帰りしていきなりキスしちゃってんよ、こいつ(笑)
展開はえぇ!!(自覚あり)

この後もノロノロ更新で続きます。

06.01.27