七条が入院して3週間の時が過ぎた。

安静が目的の入院に安静以外の治療はなく、勝手に動き回る事もできない七条は、
特別に許可してもらったパソコンを病室内に持ち込み、平日の昼間は病室内で、
パソコンを使って出来る範囲の会計の事務処理をして過ごす毎日を送っていた。
夕方は、学校が終わった時間直後に、啓太がお見舞いに来るのが日課となっている。
時々そんな啓太にくっ付いて、遠藤も顔を見せたり。西園寺は啓太が行く時間は、彼なりの配慮で遠慮をしているようだった。
西園寺がクリニックに顔を見せるのは、大体、レギュラークラスが授業中の昼間が多い。
西園寺とほぼ同じカリキュラムの丹羽も、西園寺にくっ付いてくる形で、七条のお見舞いに顔を見せていた。

平日の昼下がり。
いつもの様に、啓太の授業が終わる事だけを楽しみに、七条は閑散とした病室の中で一人、パソコンへと向かっていた。

病んでいる七条に気を使ってか、それとも事務仕事に忙殺されているのか、
いつも自分にオンライン上の嫌がらせを仕掛けてくる中嶋からは、ここ最近、何の音沙汰もない。
普段だったら、中嶋からの悪意に満ちた嫌がらせは、抵抗するのに貴重な時間を使ってしまう為、鬱陶しいものこの上ないが、
安静を義務付けられているこの頃は、そんな中嶋からの嫌がらせさえ、仕掛けてこないと寂しく思ってしまう始末。

啓太と過ごす時間が削られ、味気ない日常が繰り返される入院生活に、七条はストレスが溜まり始めていた。

啓太という可愛い恋人が出来て、はや何ヶ月。

心身ともに相思相愛の2人は、正に今がラヴ真っ盛り。

平日の授業中以外は、ドコに行くにも2人は、お手々繋いでいつでも一緒。

授業の合間の短い休み時間も一緒に過ごすし、登下校も放課後も一緒。
三度のゴハンも一緒に食べるし、入浴も一緒。もちろん毎晩毎晩、愛に溢れた熱い抱擁と愛情確認も忘れない。
お付き合いが始まって以来、2人が一緒に過ごさなかった夜はないといっても過言ではないぐらい、愛し合っているのだ。

そんな最中に降って湧いたこの入院。

面会時間の僅かな時間にしか、愛しい啓太に会うことが出来ない七条は、例外なく欲求不満を溜めていた。

毎日、七条の元へと通ってくる啓太とは、病室内ではチュウ止まり。

本当だったら、引き止めてベッドの上にそのまま押し倒してしまいたい所を、断腸の思いで我慢していたのだった。

一人で帰っていく啓太の身を案じた七条は、外が暗くなる前に、啓太を寮へと帰す為に、
心の中に狼さんを隠して、笑顔で見送っていたのだ。

自分の日常に当たり前のようにあった、啓太の存在と温もり。

それが限られている今、こんなにも啓太が恋しいなんて。

啓太と出会って知った、蜜月の甘さや幸福感。

愛するハニーを胸に抱いて眠れない夜が、こんなにも切なく寂しい事だったなんて。

七条は、一人寝の寂しさを痛いほど実感させられていた。

そんな事を考えつつ、やるべき仕事をこなす為に、事務的にキーボードに指を走らせる。

エンターを押して、切り替わる画面にパっと浮かんだ『学生会』の文字。
エクセルで作成している書類の添付先は、学生会長の丹羽哲也。

その名前が目に入った七条は、あからさまに眉間にシワを寄せた。

中途半端な禁欲生活21日目の今日、七条のフラストレーションもピークに来ていた。

そして、今日に限って、西園寺から送られてくるファイルは、学生会絡みの物ばかり。

ファイルを開くたびに目に入る『丹羽哲也』という名前に、舌打ちを繰り返していた。

日頃、私情をあまり表に出す事をせず、誰に対しても丁寧で、胡散臭い笑顔を絶やさない七条も、
さすがに啓太絡みで水を差されると、私情をコントロールするのは難しいらしい。

丹羽のお蔭で、自分はこんな痛手を負わされて、入院させられる破目になったのだ。

自分の怪我なんて、そんな事は恨んではいないが、腹立たしいのは、
啓太との甘い時間を制限させられる、入院生活へと追いやられた事だ。

相思相愛、一心同体を自負するバッカプルな2人だから、きっと啓太も自分と同じ切ない思いをしているに違いない。

温厚な七条を一発でキレさせるのは、啓太との時間をジャマされる事と、啓太に実害が及ぶ事。

そんな七条的タブーを犯してしまった丹羽は、いま猛烈に七条の恨みを買っていた。

見当違いな逆恨みに思えない事もないが、啓太禁断症状に陥っている七条に、そういう冷静さを求めるのも、無理な話だった。

ストイックに書類を作成する七条の指は、恨みがましい気持ちを叩き付ける様に、キーボードをガチャガチャと乱暴に触っていた。

そんな七条の病室に、ドンドン!と大きなノック音が響き渡る。

ノックの叩き方の癖で、来訪者が誰だか分かる七条は、その音に眉尻をピクンと上げた。

「・・・・・・・・。」

「おーい!七条!いねーのかぁ?」

暢気に聞こえてくる声。

「いますよ。どうぞ。」

「なぁんだ〜。いるんなら、返事ぐらいしろよなぁ。よっ!元気にやってるか?」

にこやかな声色高く、姿を見せたのは、七条が今、最もイライラをぶつけたい丹羽本人だった。

「お蔭さまで。この通りです。安静なので全く動けません。」

七条は、口元だけを上げてニンマリ微笑んだ。

七条の場合、人を睨み付ける表情より、顔の筋肉だけで微笑む黒い笑の方が、
向けられた相手をゾッとさせる効果が高い。

「あ・・・・そ。元気そうで何より。今日は郁ちゃんが来れねーって言うからさ、俺一人で来たんだぜ。
七条の好きな物持って来たから、そう凍りつくような笑顔すんなって。な、七条!」

七条の悪意に満ち満ちた笑顔を瞬時に見抜いた丹羽は、なるべく七条の顔を見ないように、
手に提げていたコンビニの袋とケーキの箱をベッドの上に置いた。

丹羽は丹羽で、七条に入院させるほど怪我をさせてしまった事を、彼なりに反省していたのだ。

西園寺がいない状態で、一人でココに来るのがどんなに勇気がいった事だったか。

学生会の仕事に忙殺される毎日。

鬼のように怖い副会長の監視下のもと、その鬼の目を盗んで、抜け出すのにどんなに苦労をした事が。
しかも行き先が、犬猿の仲の七条のもとなんて知られた日には、どんなお仕置きを彼にされる事か。
いろんな自業自得なリスクを背負って、自分の小遣いをはたいて、
定期的に七条に、彼の好物のケーキやお菓子の差し入れをしていたのだった。

「な、そう怒んなって。ほら、これ七条が好きな甘いもんだぜ。なんとかっつう、ケーキ屋のなんだったっけ?
ブロ・・ブロマイド?お前が好きだって、成瀬に聞いたから、買いに行ってきたんだ。」

「フロマージュですよ。」

ツンと冷たく言い放つ、七条にタジタジの丹羽は、苦笑いを浮かべて、わざとらしく頷いた。

「そう!それ、ふ・・ふろ・・まーじゅ。」

「・・・・・・・・。」

「あ・・はは・・・それにしても、洋菓子の名前って舌噛みそうになるな。
もっと分かり易い名前で良いのによ。こう、団子とか煎餅とかさ。」

「・・・・・・・・・・・。」

気まずい、場の雰囲気を一新しようと、丹羽が彼なりに冗談を言って見せても、
そんなウケないボケは、七条にはかえって逆効果。

ますます白けた目で見られてしまう。

「なぁ、七条。悪かったって。本当、勘弁してくれよ〜。
俺さぁ、今、ヒデにも郁ちゃんにも、この一件で睨まれて、ぶっちゃけ、針の筵なんだ。
もう何でも言う事聞くからよ、機嫌直してくれ!」

この通り!と垂れた頭の前に、両手をパチンと合わせて、丹羽は精一杯うな垂れた。

その姿を、冷めた視線で見詰めていた七条は、丹羽の最後の一言に何かを思いついたように、ほくそ笑んだ。

「丹羽会長。まぁ、頭をあげてください。僕もそんなにされては、逆に申し訳なく思ってしまいます。」

いつものような丁寧な口調で、穏やかに七条は微笑みかけた。
うな垂れる丹羽の肩に手を添えて、さぁ、と優しく促す。

「七条。すまなかった。痛い思いをさせて。もう、七条の事を『郁ちゃんの犬』なんて呼ばねーから。」

自分に対してずっと冷たかった七条が、掌を返したように態度を変えた。
その事に何の疑いもなく、素直に安心した丹羽は、ホッと胸を撫で下ろしたのだった。

「・・・別に僕は犬呼ばわりに怒っているわけでもありません。この怪我だって、別にどうってことはありませんよ。
僕が怪我しなかったら、伊藤くんにこの災いが降りかかっていたかもしれません。
そうなる方が僕は、悔やまれてなりませんから。貴方と大差ない体格の僕でさえ、こんな痛手を負ったのだから、
これが伊藤くんだったら・・・考えるだけで涙が出てきます。嗚呼!考えるだけで身を切られるような思いです!」

そうなのだ。たとえ自分が無傷だったとしても、あの時のあの状況を思えば、
どっちにしろ、どちらかが怪我をしていたのだ。自分が入院させられたお蔭で、啓太との時間を奪われてしまった。
そう思うと怪我も入院も恨めしいが、痛い思いをしたのが、自分の方で良かった。という気持ちに嘘はなかった。

啓太をかばって負った怪我。

率直に言ってしまえば、真実はそうなのだけど。

平和に過ごしていた、啓太の部屋に土足で無断で駆け込み、こういう状況を作った張本人は、やはり丹羽なのだ。

下手をしたら、啓太が大怪我を負っていた可能性だってある。

『ごめんなさい』で、『はいそうですか』とはスンナリ許せない。

「今まで貴方からは、謝罪の気持ちが込められた、ケーキやお菓子をたくさん頂きました。
そのお気持ちは嬉しい。だけど、残念な事にそれらのケーキは、どれも僕の心には響きませんでした。
それに安静に寝ているだけの毎日に、高カロリーなケーキは正直言って食傷気味ですので、もう結構です。
その代わりと言ってはなんですが、僕が退院する日までに、僕の心を揺さぶるような素敵なプレゼントを1つだけ下さい。
そのプレゼントが僕の心に響いたら、貴方の仕出かした今回の一件は、僕の中で、なかった事にします。
僕の事で貴方を睨んでいるという、副会長は、おそらく僕からの報復を懸念しているんでしょうから、
貴方も僕に必死になって謝っているんでしょう?僕が本気でそちらのPCにウイルスを仕掛けたら、
学生会の積み上げた機密データなんて、一瞬で藻屑ですもんね♪」

ふふふと楽しそうに笑ってみせた七条に、丹羽は言いようのない恐怖を感じた。

今回の一件で、副会長の中嶋が口にしていた言葉が脳裏を過ぎる。

『あの犬に弱みを握られるような事をするな。噛み付かれたら性質が悪いんだ。』

と、眉間を顰めた、中嶋の姿が浮かぶ。

一人で見舞いに来るんじゃなかった・・・と丹羽は後悔していた。

胡散臭い笑顔の裏の顔・・・・・。

本当に怖いのは、笑顔でそんな脅しを持ちかけるこの男だ。

啓太の前で見せているあの、デレっとした甘い微笑みは、幻だったのか・・・。

この黒い悪魔を骨抜きにする啓太に感心しながらも、
自分ごときでは、ケーキぐらいじゃ、決して満足されない事を思い知ったのだった。

「でもよ、お前が喜ぶモンなんて、俺、ケーキぐらいしか思いつかねーよ。
はっきり欲しいもんを、言ってくれ!あ・・でも金品はナシだからな!」

「失礼な人ですね。僕は貴方に金品を要求するほど、お金に困ってなんかいませんし、
そんなセンスのない犯罪めいた要求はしませんよ。丹羽会長、僕の退院予定日は来週の月曜日だそうです。
僕の心に響くものです。もし僕の心に響かないものだったら、僕は遠慮なくそちらのPCに期待通りのものをしかけますから。
何でも言う事を聞くと言ったでしょう?期限は僕が退院する前日の17時です。どちらにしても、楽しみだなぁ・・・。」

啓太の前では絶対に見せないであろう、黒い微笑を浮かべた七条は、
本当に楽しそうに、パチンと片目を閉じ、丹羽に向かってウィンクを飛ばして見せた。

そんな七条だったが、本心では本当は丹羽からのプレゼントなんて、ちっとも期待していなかったのだ。
要は退屈で単調な入院生活に、ちょっとした楽しみをもたらそうと、腹いせも兼ねた意地悪をしただけだったのだ。

無粋でデリカシーに欠ける丹羽へ、抽象的で分かりにくい難題を期限付きで要求して、
タイムリミットまでの数日間、催促でもしてチクチクと苛めて、反応を見て退屈しのぎしようかと、思ったのだ。

彼流の、趣味が良いとは言えない悪戯心。

もちろん、学生会のPCへの嫌がらせメールなんて、口先だけで、本当はそんな馬鹿げた事をするつもりはなかった。

だけどチクチクと苛められている張本人は、素直にそれを間に受けてしまった。

なんとか期限までにそのプレゼントとやらをしない事には、学生会のPCは遣られてしまう。

性質の悪い笑顔を向けられた丹羽の脳裏に、この悪魔を手懐けている西園寺と、骨抜きにしている啓太。
そして対等に言い争う、中嶋の3人の顔が浮かび、あいつら・・・・ただものじゃねぇ・・・・・と、ゾッとしたのだった。















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