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「ね、また別荘、行かない?」
拓也がしな子から誘いを受けたのは、10月も半分を過ぎた頃だった。
「別荘って……夏休みに行った所?」
「うん。あそこにね、お母さんの昔の衣装があるんだって。
あたしも初めて見るんだけど、それで榎木君にもね、見て欲しいの」
しな子の話を聞きながら、拓也の頭の片隅を夏の記憶がよぎる。
それは未だに昨日の事のように思い浮かぶ、鮮烈な体験だった。
あれ以来幾度か経験を重ねても、拓也はまだしな子の気持ちにも、
愛の想いにもはっきりとした答えは出せないでいる。
二人が協定のような物を結んでいると言うのもあるが、
拓也自身も「好き」という感情にとまどっていたからだ。
それでも、以前は全く頭の中になかった女の子のことが
実や家族、ゴンの次くらいに意識するようになったのは、
わずかながら進歩した、といえるのかもしれない。
「どうかな? 槍溝さんも一緒なんだけど」
しな子は手を後に組んで、軽く身体を傾けながら拓也を誘った。
拓也はすぐには答えず、わずかに考え込む表情になる。
頭の中に実の顔が浮かんだが、沸き起こった好奇心には抗えず、結局首を縦を振った。
「あ……うん。泊まらなければ大丈夫だと思うけど」
「本当? じゃ、今度の土曜日、駅の前で待ち合わせね。槍溝さんにも伝えておくから」
しな子は手を振ると、スキップするような足取りで去って行く。
拓也はしな子を見送りながら、実の絶叫が響き渡るであろう今夜の事を考えて頭を痛め始めていた。
別荘に着いた三人は荷物を置いて一休みすると、早速しな子の案内で衣装部屋に向かった。
「深谷さんのお母さんって、どんな人なの?」
「舞台で女優してたんだって。あたしも直接は見た事ないんだけど」
「僕ね、深谷さんの家で写真見た事あるんだけど、すごいきれいな人だったよ」
拓也の言葉に前を歩いていたしな子は振りかえると嬉しそうに頷く。
「あ、この部屋ね」
しな子が扉を開けると、そこには色とりどりのドレスが出番を待っていた。
「きれい……」
愛は近づいていくつか引っ張り出しては、うっとりしたように呟く。
「ね、着てみない?」
「いいの?」
しな子の提案に、愛は珍しく少し興奮した口調で答えた。
「うん。お母さんもね、たまには袖通した方がいいって。今日はそのつもりで来たの」
「それじゃ、遠慮無く着させてもらうわね。実は、一回こういうの着てみたかったのよね」
愛は嬉しそうに気に入った服を手当たり次第に取り出して品定めをしていく。
それにつられるようにしな子も反対の端から自分が着る物を選び出した。
「決まった?」
「ええ。とりあえずこれにするわ」
「拓也君」
「あ……な、なに?」
「着替えるから、あっちの部屋行っててくれる?」
「う、うん。ごめんね」
二人が選ぶ様をぼんやりと見ていた拓也は、
しな子の言葉に我に返ると慌てて後ろを向いて部屋を出ようとした。
その背中に愛が悪戯っぽく語りかける。
「拓也君が見たいって言うなら、別にいいけど」
愛の言葉に固まってしまった拓也は、次の瞬間壊れた扇風機のように首を振っていた。
「じゃっ、じゃあ、後でね」
振りかえらずにそう言うと、脱兎のように部屋を飛び出していく。
その後姿に二人は顔を見合わせると、思わず吹き出していた。
「榎木君、いいわよ」
「うわぁ……」
扉を開けた拓也が思わず言葉を失ってしまうくらい、二人は見違えるように変身していた。
化粧こそしていなかったが、それが逆に大人と子供の中間の、
ある一瞬にしか放ち得ない妖しさを醸し出している。
愛が選んだのは、薄いクリーム色のドレスで、長く広がった裾や、
豪奢なフリルが、愛をどこかの国の王女のように仕立て上げていた。
しな子が纏っているドレスはバラを思い起こさせるような鮮やかな深紅で、
可愛らしさを強調したデザインは、しな子に可憐なイメージを与えている。
「どう? 似合ってるかしら?」
愛はおどけたように軽く裾をつまんで一礼するが、
しな子は顔をドレスに劣らず真っ赤にして俯いたままだ。
「……うん。二人ともすごいきれいだよ」
放心したように二人を見つめていた拓也は、愛の言葉にやや早口で答えた。
「……本当? 本当に似合ってる? おかしくない?」
「うん。映画に出てくる人みたい」
それを聞いたしな子は顔を上げると、嬉しそうにその場でくるっと一回転する。
すると、大きく開いた背中が拓也の目に止まった。
「あっ、あの……」
今更のように拓也は赤面するが、自分がそうさせた事に気付かないしな子はきょとんとした表情をする。
「榎木君、どうしたの?」
「拓也君はね、あなたの背中見て照れてるのよ」
「あ……!」
愛の言葉に、肩越しに振りかえって自分の背中を確認したしな子は、
ようやく自分が随分と大胆なドレスを選んだ事に気が付いて、拓也と同じ表情でうつむいた。
その背筋を愛がすっと撫で上げる。
「ひゃっ!」
驚いたしな子は飛びあがった弾みでバランスを崩して拓也にもたれかかってしまった。
「あ……」
拓也はしな子が無事なのを確認すると、慌てて離れようとしたが、
しな子の背中が映ると、どこに手を置いていいものか一瞬迷う。
「へへー」
その隙に、しな子は拓也の首に手を回してしがみついた。
「ちょっ……深谷さん」
「榎木君も、ぎゅっとして」
「え……?」
「そしたら、離れてあげる」
「ぎゅっと、って……」
「早く」
「こ、こう……?」
仕方なく拓也はしな子の腰に腕を回すと、しな子は一層腕に力を込めて、
そのまま拓也の胸に顔を埋めて幸せそうな表情を浮かべる。
「嬉しい……なんだかお姫様になった気分」
「…しまった、失敗だったわ」
「え……槍溝さん、なに?」
なかなか離れようとしないしな子に途方にくれた拓也は、
愛が小さく呟いた嫉妬の言葉にも天の助け、とばかりに鋭く反応した。
「……ううん、なんでもないわ。ところで、ここにもう一着あるんだけど」
おもむろに愛は横に置いてあったドレスを手に取ると、軽く目を細めて拓也に差し出した。
しな子もようやく拓也から身体を離すと、愛の方に向きなおる。
「ここで問題です。……これは、誰が着るんでしょう?」
愛の言葉を聞いた瞬間、拓也の背中を冷たい汗が滑り落ちた。
拓也は答えたくなかったが、二人の視線に耐えきれず、
答えが外れる事に一縷の望みを託して、絞り出すような声で告げた。
「……ま、まさか……僕、ってことは……ないよね」
「ご名答」
「榎木君だったらすごく似合いそう」
拓也の甘い期待を打ち砕くように短く答えた愛は、楽しそうに歩み寄る。
後ずさりしようとした拓也は、
いつのまにか背後に回りこんでいたしな子に肩を押さえられて逃げ道を失ってしまった。
「じゃ、早速」
愛は素早くズボンに手をかけるとボタンを外そうとし、
しな子はそれにあわせるように、拓也に抱きつくようにして上着に手をかける。
「ちょ、ちょっと待ってよ。判ったよ、判ったから自分で着るってば」
拓也の言葉に二人は残念そうに動きを止める。
それが巧妙な罠だと気が付いたのは、二人を部屋から追い出した後だった。
(いつのまにか着る事になってるし……!)
拓也は自分のうかつさに、ドレスを持ったまましばらく天を仰いでいた。
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