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本屋を出たしな子は、まとわりつく木枯らしに寒そうに身体をすくめると、
家に帰ろうと足早に歩き始めた。
(あ……榎木君だ)
しかし、商店街を抜けた所で拓也と実がこちらに向かってくるのに気が付くと、
あっさり予定を変更して小走りに駆け寄る。
「榎木君」
「あ……深谷さん」
「こんにちは、実くん」
「こんちゃ」
「どうしたの? お買い物?」
「うん……あ、そうだ。お願いしてもいいかな? しばらく実見ててくれない?」
「……ええ、いいわよ」
しな子の返事が一瞬遅れたのは、昔の出来事を思い出したからかもしれない。
やや遅れてその事に気が付いた拓也は、少し気まずそうな顔になったが、
しな子は軽く微笑んで気にしていないことを知らせると、しゃがみこんで実に目線を合わせた。
「ちょっとの間、あたしと遊ぼうか」
「おねちゃー、みのとあそぶのー」
「じゃ、ちょっと行ってくるね」
拓也は軽く手をあげると、商店街へと走っていく。
しな子は、遊んでくれない事を不満に思った実が
コートの裾を引っ張っているのに気付くまでその後姿を見送っていた。

二人がしばらく公園で遊んでいると、白い息をリズミカルに吐きながら拓也が戻ってきた。
「ありがとう、助かったよ。久しぶりにゆっくり買い物しちゃった」
妙に所帯じみたその言い方にしな子は思わず吹き出してしまう。
「どうしたの?」
「う、ううん、なんでもない」
慌てて首を振るしな子に、拓也は不思議そうに首を傾げたが、それも一瞬の事だった。
「ね、ケーキ安かったから買ってきたんだけど、食べる?」
「いいの?」
「うん。実の面倒見てくれたし、そのお礼」
しな子は、拓也が純粋に自分に対する好意から言ってくれた訳でない事に少しだけがっかりしたが、
だからといって拓也の誘いを断る訳はなかった。
「うん。それじゃ、ごちそうになるわ」
「じゃ、僕の家行こうか」
「おねちゃもいくのー?」
拓也が実の手をとって歩き始めると、実はしな子の手を掴んで二人の間に立つ。
揃ってある光景を想像した二人は急に気恥ずかしさを覚えて慌てて実の手を離そうとしたが、
実が半泣きになってだだをこねるので、仕方なくそのまま拓也の家に向かうことにした。
(確か……ママがいた時は、僕が実みたいにして歩いてたんだよね)
そう考え、必然的に自分としな子の関係に思いを馳せた拓也は一人で赤面してしまい、
実が楽しそうに何か話しかけるのもほとんど耳に入らず適当に受け答える。
あたし……こんな風に小さい子がお父さんとお母さんと手を繋ぎながら歩いてるの、見た事ある……)
しな子は拓也が上の空なのに気が付いて、恐らく自分と同じ事を考えているのだと思い、
時折チラチラと横顔を盗み見ながら無言で歩き続けていた。
「お、拓也じゃねーか」
「せっ、成一さん」
家の近くまで来て、もう誰かに見つかる心配もない、
と胸をなでおろしかけた拓也を無情にも成一の声が襲った。
「お? 拓也、これ彼女か? それとも嫁さん?」
「なっ……ちっ、違うよ! 違うったら!」
なんといって誤魔化そうか考え始めた矢先の成一の真正面からの問いに、
拓也は軽いパニックに陥ってしまう。
「お、なんだよ、ムキになって否定するとこがまた怪しいね。
でもよ、そうやってるとお前がまだ小っちゃかった頃の春美ちゃんと由加子ちゃんみたいに見えるぜ」
「だから、そんなんじゃないってば!」
拓也は自分でも驚くほど大きな声で詰め寄るが、
それは成一に対しては火に油を注ぐようなものだった。
「なー実、ママだよな」
「まま?」
繋いでいる手から、しな子の顔に目線を移していく実。
「あ……あのっ、あたしっ」
「成一さんってば!」
返答に詰まったしな子をかばうように拓也がなじる。
「おー怖。ま、いいや。俺これから仕事だからもう行くわ。んじゃ」
成一はおどけたようにそこまで言うと拓也の耳元に口を寄せた。
「頑張れよ」
拓也にしか聞こえないように囁き、下卑た笑いを浮かべると、悠々と歩き去っていった。
言いたい放題言われて呆然と立ちすくむ拓也にしな子が心配そうに顔を向けると、
実もそれに同調して兄の顔を見上げる。
「あ……うん。家、入ろう」
二人の視線に気が付いた拓也はぎこちない笑みを浮かべると、
ふらふらとおぼつかない足取りで家に入っていく。
気まずくなったしな子は、このまま帰ってしまおうかとも考えたが、
拓也の後を追いかける実に引っ張られるように玄関をくぐってしまっていた。



「実君、あたしのいちご食べる?」
「いちごー」
「実、貰ったらお礼言わなきゃダメだろ」
「ごじゃーます」
成一と話をしてからというもの、拓也はほとんどしな子に話しかけず、
しな子もほとんど拓也の方を見ようとしないで、実と遊ぶ事でなんとか間を持たせようとする。
「あ、あの、僕食器洗わないといけないから、ちょっと洗ってくるね」
「う……うん」
自分の分のケーキを食べ終わった拓也は、
その場を逃げ出すように用事を作って部屋を出ていったが、
今はしな子にもその方がありがたかった。
(彼女か? って聞かれて動揺するってことは、少しは気にしてくれてるのかな?)
(……でも、思いっきり違うって言われちゃったし……)
(パパとかママとか、あの人榎木君の小さい頃も知ってるって言ってた…)
(お父さん……お母さん……あたしも、いつかお母さんになるのよね……)
色々な事が次から次へと泡のように浮かんでは消え、頭が痛くなってくる。
「おねちゃ?」
膝に置かれた実の手に、しな子は我にかえった。
「あ、ご、ごめんね」
無理に笑みを浮かべると、実を抱き上げて膝の上に座らせ、おでこをくっつける。
「ねぇ、実くん」
「う?」
「おにいちゃんのこと、好き?」
「あい」
ほとんど間をおかずに答えが帰ってくる。
「じゃ……おねえちゃんのことは?」
幼児に聞くのでさえ緊張を覚えたしな子は唾を呑みこんで呼吸を整えたが、
それでもかすれた声になってしまった。
「すきー」
実の「好き」は自分の求めている「好き」とは違うのは判っていたが、
それでも、そう聞いた瞬間しな子の肩からすっと力が抜ける。
「ふふっ、ありがと。あたしも、実くんのこと好きよ」
実と、実以外の誰かに語りかけるように言うと、しな子は実に頬擦りをしてぎゅっと抱き締めた。
その後も二人は絵を書いたりして遊んでいたが、
実は普段と違う相手と遊ぶのが少し緊張したのか、
いつしかゆっくりと船をこぎ始める。
しな子がそれに気が付くのとほとんど同時に実はそのまま眠ってしまい、
頭から落ちそうになる所を慌てて支えてやると、床に寝かせてやった。
実の手を握ってやりながら寝顔を見ていると、しな子もうとうととし始めて、
つられるように眠りに落ちてしまう。
「実? 深谷さん?」
隣の部屋がいつのまにか静かになっていた事に気が付いて、拓也は二人に呼びかけた。
返事が無いので洗い物を中断して部屋を覗くと、手を繋ぐように眠っている二人がいた。
「二人とも、寝ちゃったんだ……」
拓也は残っていた食器を手早く洗うと、二人に掛けてやろうと毛布を取りに行く。
すっかり寝入っている実に毛布を掛けてやると、しな子の方に向き直った。
心地良さそうに眠っているしな子の顔に、わずかに呼吸が高鳴る。
他の事を考えるよう意識しながら毛布を掛けてやろうとした拓也は、
一瞬、しな子の全身に目を走らせた。
乱れたスカートの裾から覗く太腿に、大きく息を吸いこんだまま固まってしまう。
「ふっ……ふかや、さん……?」
顔をそむけながら、拓也は小声で呼びかけた。
邪念を打ち払うように首を振るが、そうすればするほど、
脳裏に焼きついた映像が、徐々に質感すら伴って拓也を惑わせ、
自分が何をしたいのかも良く判らないまま、再びしな子の身体を顔からゆっくりと見下ろしていく。
わずかに開いている薄桃色の唇、ゆるやかに波打つなだらかな胸の隆起、
そしてもう少しで見えてしまいそうな下着、そのどれもが理性を揺さぶるのに充分だった。
(さわって……みたいな……でも、バレちゃったらどうしよう……)
(少しだけなら、きっと大丈夫……ちょっとでも動いたら、すぐ止めれば気付かれないよ)
葛藤、というには心の中で正論を唱える声は弱々しく、あっという間に押し流されてしまい、
拓也は夢遊病者のようにしな子の肢体に手を伸ばし、
最後にもう一度素早くしな子の顔を見て、起きる気配がない事を確認する。



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