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拓也の家に電話がかかってきたのは、外に白い物が舞っている日だった。
年が明けて幾日かが過ぎ、正月の喧騒も終わってぼんやりとしていた所に
突然大きな音がして、弾かれたように電話機に向かう。
「もしもし、槍溝と言いますけど、榎木君はいらっしゃいますか?」
受話器の向こうから聞こえてきたのは、もうすっかり拓也の耳に馴染んだ声だった。
「あ、槍溝さん? 僕だよ」
数日聞いていなかっただけなのにひどく懐かしさを感じて、自然に声が弾む。
「拓也君、あのね、冬休みの宿題で解らない所があるんだけど、
良かったら家に来て教えてくれないかしら」
「いいよ、えっと、お昼からでいいかな?」
それは多分口実なのだろうと拓也は思ったが、
もちろん愛に会うのは嫌ではなかったから答えは決まっていた。
ふと目をやった外の雪景色にスキーに行った日の事を思い出して、
返事をしながら少し胸が高鳴ってしまう。
「ええ。私の家わかる?」
「うん、大丈夫だと思う」
「それじゃ、待ってるわね」
電話を切った拓也は急いで自分の食事を済ませると、愛の家に向かった。
約束した時間よりもかなり前に着いてしまった拓也は、
緊張に期待を微妙にブレンドしながら家の前に立つと呼び鈴を押す。
「いらっしゃい。早かったわね」
「あ、あの……こんにちは」
「何かしこまってるの?」
愛は少し身体をかがめて、下から拓也を見上げるようにしながらいぶかしげな表情をする。
「え? ……そ、そうかな?」
指摘されて初めて自分が緊張している事を知った拓也は、
それが初めて愛の部屋に上がるからだと言う事に気付いたが、口には出せなかった。
「ま、いいわ。中に入って」
吹きつける木枯らしに寒そうに身をすくめると愛は拓也の手を取って家に招き入れた。
部屋に通された拓也は、何といって話のきっかけを掴めば良いか解らず、
向こうから何か話しかけてくれるのを期待してゆっくりとコートを脱ぐ。
家に来るまでは色々と聞かれそうな事や話したい事を考えていたのだが、
いざ愛を目の前にするとそれらの事はすっかり頭の中から無くなってしまっていた。
愛は無言のまま拓也の方を見ようともせずにノートや筆記具を並べていく。
実はそれは拓也と同じく、相手からしゃべってくれる事を願ってそうしたのだが、
お互いの思惑がすれ違ってしまい、そうしている内に気まずい沈黙が部屋に満ちてしまった。
二人とも時間稼ぎの動作が終わってしまい、仕方なく向かい合って座ると、
話す糸口を掴めないまま、黙々と宿題をする。
規則正しい時計の音だけが響く部屋で、
沈黙に耐えかねたように口を開いたのは愛の方だった。
「拓也君」
「な、なに?」
拓也は宿題を広げてはいたものの、
何と言って話しかけたら良いかをずっと考えていて問題すら読んでいなかった。
そこに突然名前を呼ばれて思わず愛の方を見るが、愛は下を向いたまま顔を上げようとしない。
「寒くない?」
「あ……平気だよ。……ね、槍溝さんは初詣行った?」
拓也は再び沈黙が流れるのを恐れるように必死に話題を探して話しかけると、
愛もそれは同じらしく、お互いの手の内を探るような、少しぎこちない会話が続いた。
「ところでね、教えて欲しいんだけど」
「なに?」
「スキーの……あの時の言葉って、どれくらい本気だった?」
愛の口調はそれまでと同じでごくさりげないものだった為に、
拓也は思わず普通に受け流してしまうところだった。
不意に質問の意味に気づいて、頭が真っ白になってしまう。
「! 本気……って」
「言ってもらうようにお願いしたのは私なんだけど、
少しくらいは本気が混じってなかった? それとも、やっぱり全然思ってない?」
愛の口調は思いきり芝居がかっていて冗談のようにも聞こえたが、
冗談で返す事など出来るはずのない拓也は愛の視線から逃げると、
ほとんど聞き取れない位の声で答える。
「僕……まだ……そういうの……良く……」
「……いやだ、そんな顔しないでよ」
それは全く予想通りの返事だったが、
なお内心密かに違う答えを期待していた愛は表情に出ないように注意しつつ落胆した。
それでも拓也の本当に申し訳なさそうな顔に、安心させるように笑顔を作ってみせる。
しかし落胆が心に黒く染みわたると、胸の奥に秘めていた言葉を不意に口にしてしまっていた。
「……ね、もうひとつだけいいかしら?」
「……なに?」
「私と……深谷さんとだったら……どっちが好き?」
初めて拓也としな子を知った時から、常に抱いていた問い。
答えを聞いてしまったら後戻りは出来なくなると知っていたから、
冗談でも言わないように気をつけていたのに。
しかしもちろん言ってしまった言葉はもう戻るはずもなく、
愛はその大きな瞳で祈るように拓也をじっと見つめる。
愛の声は緊張でかすれてしまっていたが、
拓也には直接頭の中に届いたようにはっきりと聞こえていた。
何か答えなければ、と考えを巡らせても心臓の音が頭の中で響いてしまって
空しく口を開く事しか出来ない。
愛は一度開いてしまった心の扉からあふれる思いに衝き動かされたのか、
拓也の返事を待たずに続ける。
「深谷さんのことは好きだし、いい友達だと思ってるけど、拓也君を譲る気は無いから」
「……」
「今は多分、拓也君がはっきり選んでいないからその事はお互いに何も言わないけど、
深谷さんだってきっとこのままでいいとは思ってないわよ」
愛の口調は決して怒っている物ではなかったが、
拓也は言外に責められているような気がして愛の顔を正視出来ずうつむいてしまう。
「でも、拓也君がもう好きな人を決めてるんだったら…そうだったら話は別よ」
「ううん、…その、ずるいって言われるかも知れないけど、今はまだ…」
拓也はそこで言葉を切ったが、愛は拓也が言いたい事を正確に理解していた。
(今はまだ、実君が一番大事なのよね)
少し寂しい答えではあったが、今ここで結論を出されてしまうよりは
ずっと受け入れやすい答えでもあった。



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