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日曜日の朝。
拓也は先日愛に言われた罰ゲームとやらを受けるために、朝から出かけなければならなかった。
のそのそと玄関に向かう拓也に、春美が声をかける。
「お、拓也。今日は朝から出かけるのか?」
拓也はまるで悪いことをして見つかった実のように、肩をすくめておそるおそる振り向いた。
「あ、うん……パパ、実のこと、頼むね」
「ああ、それはいいけど……大丈夫か? 熱でもあるんじゃないのか?」
全く元気の無い拓也の声に、春美は心配そうに近寄る。
「ううん、平気。それじゃ、実に見つかるとうるさいから、行くね」
本当は、それ以上心配されて原因を追求されるのが怖かったからなのだが、
とにかく拓也は靴を履くのもそこそこに、急いで家を出た。



(うう、嫌だなぁ…槍溝さんのことだから、絶対変なことさせられるよ…)
晴れ渡る秋空とは対照的に、拓也の心は曇っていた。
(だいたい罰ゲームって、僕何にも悪いことしてないのに…)
空を見上げてはため息をつき、
地面を見つめては小石を蹴飛ばしながら歩くその足取りは、鉛のように重い。
『日曜日、罰ゲームするから11時にデパートに来てね』
下駄箱に入っていた手紙にそう書いてあるのを読んだ時から、
拓也は家事もほとんど手につかない状態に陥っていた。
昨日の夜などはうなされていたらしく、驚いた実に起こされてしまったくらいだ。



それでも、几帳面な拓也は、結局待ち合わせの時間の十分前には約束の場所に着いてしまっていた。
(槍溝さん、急に用事とかで来られなくなった……とか無いかなぁ)
それが一時凌ぎにしかならないと解っていても、ついそんな事を考えてしまう。
「はぁ……」
もう何度目かわからないため息をついた時、突然、背後から尻を撫で上げられた。
「逆セクハラ」
「う、うわっ、槍溝さん……」
「おはよう、拓也君」
振り向いた先には、今日の約束の相手、槍溝愛が立っていた。
愛は拓也が驚くのを楽しんでいるかのように、笑いながら手を振って挨拶する。
「こんな人の多い所で……やめてよ、もう」
「人が多いからいいんじゃない」
愛は楽しそうにそう言うと、拓也の手を取ってデパートの中に入っていく。
拓也は本当は人前で手を繋ぐのも恥ずかしかったのだが、
それを言うとまた難癖をつけられるのが解っていたから黙ってついていった。
「あ、あの」
「何?」
「本当に罰ゲーム……するの?」
「当たり前じゃない。この日の為に寝ないで考えてきたんだから」
愛は立ち止まって振り向くと、妙に気合の入った表情で拓也に詰め寄る。
その勢いに圧倒された拓也は、何も言い返せなくなってしまった。
(でも、デパートの中ならそんなに変なこともさせられない……よね)
エスカレーターに乗りながらそう考えて、少しだけ安心する拓也だったが、
程なく、それがいかに甘い考えだったかを思い知らされることになった。
「今日の罰ゲームは、ここ」
何度かエスカレーターに乗った後、そう言って愛が指し示したのは、女性の下着コーナーだった。
色とりどりの下着が並び、幾人かの女性達が手に取ったり、
ふざけながら胸に当てて物色をしている。
その光景を拓也はもちろん正視など出来るはずもなく、槍溝の手だけを見て話しかけた。
「こ、ここって……」
「ここで、私の下着を買ってきて」
「買ってきてって……槍溝さんは?」
「私は遠くで見てるわ」
「そんな……せめて一緒に居てよ」
「それじゃ罰ゲームにならないじゃない。はい、これお金」
懸命に訴える拓也の頼みを一蹴すると、
愛はお金を渡して自分の下着のサイズを告げ、さっさと歩き去ってしまった。
(どうしよう……)
愛が去った後も、拓也はお金を握り締めてその場に立ちつくす。
頭の奥からひどい耳鳴りがして、ほとんど何も考えられない。
握った掌から汗が噴出して、背中にも冷たい物が伝う。
(だけど、ここで逃げたらもっとひどい事させられるだろうし……)
意を決した拓也は、大きく息を吸いこむと足を踏み出す。
その瞬間、右前方のカーテンが開いて、試着を終えた女性が姿を現した。
「………!」
女性は声こそ上げなかったものの、
明らかに場違いな場所にいる拓也に容赦の無い視線を向けると、
音高らかにハイヒールの音を響かせて歩き去る。
もうたまらなくなって、拓也はその場にしゃがみ込んでしまった。
周りにいる者全員が自分を見ているような気がして、とても顔を上げられない。
(もしこんな所知ってる人に見られたら…)
一度不吉な方向に考えが傾いてしまうと、悪い展開ばかりが次々と浮かんでくる。
とにかく今出来るのは、一秒でも早く下着を買ってこの場を離れること。
そう考えた拓也はなりふり構わず下着を探し始めた。
と、売り場の喧騒に混じって、どこかで笑っている声がするのがはっきりと聞こえてくる。
(絶対、僕の事笑ってるんだ……!)
顔に集まってきた血の熱さを感じながら、声のした方を向こうともせず下着を選び続けた。
柄やデザインなど気にする余裕も無く、サイズだけで探し続けて、
ようやく目的の物を見つけると、乱暴に掴んでレジに向かおうとする。
と、進路を塞ぐように人影が割って入ってきた。
周りを殆ど見ていない拓也はもう少しでその人影を突き飛ばしそうになりながら、
謝る余裕さえなく横をすり抜けようとする。
「あれ……? え〜っと……拓也君、じゃない?」
こんな所で名前を呼ばれると思ってもいなかった拓也は、飛びあがらんばかりに驚いて立ち止まった。
(知り合いに見られた……?)
緊張と恐怖と羞恥がピークに達した拓也は、その場を駆け出して離れようとする。
「ちょっと、待ちなさいったら」
しかし、二、三歩進んだ所で襟首を掴まれて、それ以上前に進めなくなってしまった。
「離してください!」
拓也は掴んでいる手を振り解こうと、激しく身体を振ってむりやり前に進もうとするが、
声の主は強引に拓也を振り向かせる。
「やっぱり……拓也君じゃない。どうしたの? こんな所で」
動作とは裏腹の優しく問いかける声に、拓也は暴れるのを止めて声の主を見た。
「あ……藤井君の、お姉さん……」
そこに立っていたのは、藤井の姉、明美だった。
見られたのが同級生では無かった事に安心した拓也は、一気に身体の力が抜けていくのを感じる。
「ちょ、ちょっと……あたし何にもしてないわよ」
その場に座りこんでしまった拓也にうろたえた明美は誰に言うでもなく弁明すると、
鞄からハンカチを取り出して差し出した。
「はい。とりあえず、これで拭きなさい」
「え……?」
声を出して始めて、拓也は自分が涙を流しているのに気が付いた。
それがきっかけになって、本当に泣き出してしまう。
「何かあったの? 良かったらあたしに話してみなさい」
突然泣き出した拓也に更にうろたえながらもそう言う明美に、拓也はつっかえつっかえ事情を説明し始めた。
もちろん、どういう経緯で罰ゲームをする事になったのかは伏せながら、
要点だけをかいつまんで話す。
(ふ〜ん……罰ゲームか……面白い事考える子もいるのね)
妙な所で感心した明美は改めて拓也の顔を見る。
まだ涙を止めることが出来ずしゃくりあげていたが、
泣きはらした顔は、元が整った顔立ちだけに、明美の加虐心に火を点けてしまった。
(あたしもちょっと、いじめちゃおうかな)
「あのさ」
手早く作戦を立てた明美は、顔を上げた拓也に笑顔を浮かべて説明する。
「あたしが手伝ってあげてもいいわよ」
「本当?」
罠とも知らず、目を輝かせて抱きつかんばかりに近づく拓也。
弟などとは違う、華奢な顔立ちに心が疼いてしまうのを、明美はもう抑えられない。
「ええ。あたしが買ってあげるから、後で拓也君に渡せばいいんでしょ?」
拓也は明美のことを女神とでも思っているのだろう。
喜びの余り声が出ないのか、ただこくこくと頷くだけだ。
「それじゃ、買ってきてあげるから、拓也君はバレないようにここを出て、
そうね、一階下のトイレの前で待っててくれる?」
(え……なんで、トイレの、それも一階下なの?)
拓也は内心そう思ったが、明美の機嫌を損ねたら大変だと思い口にするのは避けた。
明美は立ちあがると、周りを見渡して自分たちを見ている者がいないか確認すると、
拓也の背中を押して先に行かせる。
(さて……と)
明美は拓也が行ったのを見届けると、明美は愛の下着を適当に物色してレジに向かう。
支払いを済ませると、足取りも軽く拓也が待っている場所へと歩き始めた。



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