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週末のアカデミーは、既に授業も終わり静まりかえっていた。
エリーはなるべく足音を立てないようにしながら、アイゼルの部屋を目指す。
「何よ」
控えめに扉をノックした後、たっぷり数十秒は過ぎてからようやく姿を現したアイゼルは、
初めて出会った頃のようなとげとげしい態度でエリーを出迎えた。
「あ、あの……良かったら、今夜泊めて欲しいな……って」
「何で?」
それでも恐る恐る頼んでみたものの、アイゼルの答えは取り付く島もなかった。
何をこんなに怒っているのかエリーには訳が判らない。
それでも、何故か扉を閉ざそうとはしないアイゼルに、
もしかしたらただ単にすねているのではないか、という気がして軽い探りをいれてみる事にした。
「あ、あの……ごめんね。一ヶ月も留守にして」
アイゼルは無表情を保っていたが、眉がわずかに動いたのをエリーは見逃さない。
やっぱり……
ため息をついてしまいそうになるのを懸命にこらえて、
すぐにすねてしまう意地っぱりのお嬢様を説得にかかる。
「その……私も、もっと早く帰ってこようとは思ったんだけどね、
なかなか見つからない材料があって、それで」
「それで?」
エリーの言い訳を遮ったアイゼルは不機嫌そうに腕を組み、
綺麗な、ミスティカティよりも澄んだ瞳でエリーをまっすぐ見つめている。
多分もうそんなには怒っていないのだけど、引っ込みがつかなくなってしまったのだろう。
アイゼルのそんな不器用さが大好きだけれど、今この場面では少し苛打ってしまう。
腕を組んで仁王立ちをするアイゼルに、面倒くさくなったエリーは実力行使に出た。
不意に肩を掴んで、強引に口付ける。
わずかに開いた唇の柔らかさが、和解のしるしだった。
三つゆっくり数えてから、顔を離す。
「……もう。こんなのでごまかさないでよ」
アイゼルは不機嫌そうなままそう言ったが、腕はいつのまにかエリーの腰をしっかりと抱いていた。
作戦が功を奏してエリーは嬉しくなったが、
ここで笑ってしまうとアイゼルがまた不機嫌になりそうなので、ほころびかけた口を無理やり閉じる。
「ごめんね。ちゃんとおみやげもあるんだけど、家に置いてきちゃって」
「いいわ。明日取りにいくから」
最初に現れた時とは別人のように上機嫌になったアイゼルは、
騎士が貴婦人にするようなうやうやしさでエリーの手を取ると部屋の中に招き入れた。

薄暗がりの部屋の中で、影が二つに分かれる。
アイゼルはエリーを部屋に入れるなり、一ヶ月分のキスだ、と三十分程も唇を重ねていた。
「……ふぅ」
満足そうにため息をつくと、アイゼルは改めてエリーの身体を抱き締める。
ほとんど同時にエリーもため息をついたが、アイゼルのそれとは微妙に意味合いが異なっていた。
アイゼルとのキスが嫌いな訳は無いけれど、昨日あれだけ激しくマリーにされた後だったから、
さすがに積極的にはなれなかったのだ。
もちろんそんな事実をアイゼルに知られては大変なので、
表情に出ないよう慎重にならざるを得ない。
「……もう、向こうで変な事して来なかったでしょうね?」
「してないってば。心配性だなぁ、アイゼルは」
マリーと身体を重ねたのはザールブルグに着いてからだったから、嘘は言っていなかった。
だからといってもちろん胸を張れるわけでも無く、
良心の咎めを感じたエリーはアイゼルの腰に回した腕に軽く力を込める。
「……ん」
それをエリーが自分を求めていると勘違いしたアイゼルは早くもうなじに舌を這わせはじめた。
エリーは慌ててアイゼルの顔を押さえると、
彼女が不快にならないよう気をつけてうなじから遠ざける。
今ここで始められてしまっては、している最中に倒れてしまうかも知れなかった。
「ま、待って。まだ今日何にも食べてないから、お腹空いちゃった」
「……しょうがないわね。でもここの食堂はもう閉まってるし……仕方ないわ。
飛翔亭に食べに行きましょう」
随分と不満そうな表情を浮かべながらも、とりあえずは言う事を聞いてくれたので、
ほっと胸を撫で下ろしたエリーは、アイゼルの手を引くようにして飛翔亭へ向かった。
今日の夜の事はなるべく考えないようにしながら。

夜、と言ってもまだそれ程遅い時間でも無かったが、飛翔亭の中はまずまずの賑わいをみせていた。
大きな声で騒ぐ、早くも出来あがりつつある酔客達に顔をしかめながら、二人はカウンターに向かう。
「おお! 随分と久しぶりじゃないか。旅の話でも聞かせて貰いたい所だが、
その顔じゃあまず腹に何かいれないとだめだな」
ディオはそう言って笑うと、素早く二人の為に奥の席を確保してくれた。
ほどなく、簡単ではあるが温かい料理が並びはじめる。
自分はヨーグルリンクだけを頼んだアイゼルは、
ほとんど料理に占拠されてしまったテーブルにかろうじて肘をつく場所を作り出すと、
次々と運ばれてくる料理を片っ端から空にしていくエリーに呆れつつ話を聞いていた。
「……で、あたしの所に来たって訳ね」
「うん。いいでしょアイゼル」
食べるだけ食べてようやく人心地ついたのか、
エリーは幸せそうな表情でナプキンで顔を拭いながらそう締めくくった。
今、エリーがアイゼルの部屋に泊まることはほとんどない。
それは寮で睦み合う訳にはいかないからであって、
アイゼルが自分の部屋に泊めるのが嫌だとかではないのが解っているから
エリーも気軽に訪れたのだが、アイゼルの返事は予想を裏切る物だった。
「だめよ。そんな事している場合じゃないでしょ」
「え……?」
「馬鹿ね。わざわざあなたを追い出すのよ。よっぽど見られたくない事をするのに違いないわ」
あっけに取られるエリーに、アイゼルはきっぱりと断言する。
「見られたくない、って?」
「それは判らないけど、きっと私達の知らないすごい秘術よ。
ほら、ぼんやりしていないで、早く見に行くわよ」
「あ、うん……」
マリーがこそこそとそんなことをする性格とはエリーには思えない。
それでもエリーが頷いたのは、アイゼルの勢いに圧倒されたのが主な原因だった。
「でも、最後にりんごのパイ食べてからでいいでしょ?」
火が点きそうな激しい視線に睨みつけられてエリーは思わず首をすくめるが、
もう頼んでしまった後だったから、ここはエリーとしても譲れない。
「…………」
「ね、アイゼルにも半分あげるから」
アイゼルの表情に危険を感じたエリーは、ご機嫌を伺うようにとっておきの笑顔で下から覗き込む。
これまでこの笑顔でアイゼルが言う事を聞いてくれなかった事は無かった。
現に今も、二度まばたきをして怒りを収めるかどうか迷った後、
エリーの笑顔に騙されてしまう自分が気に入らない様子で、浮かしかけた腰を再び下ろす。
「……いらない?」
「食べるわよ!」
ほとんどうなるように答えるアイゼルに、エリーは震えだす肩を必死で抑えないといけなかった。

結局最後の一切れまでしっかり食べた二人が飛翔亭を出たのは、
あれから30分程も過ぎてからだった。
「ほら、灯りが点いてるわよ。私の言った通りでしょう」
(だっていくらなんでも、まだ寝る時間じゃないよ……)
アイゼルに引っ張られるようにして自分の家に戻ってきたエリーは、
裏側からそっと家の様子を伺う。
「ここからじゃ良く見えないわね。もう少し近づくわよ」
アイゼルは窓から中を覗きこむが、
窓辺にはエリーの錬金術の道具が乱雑に置かれていて視界の邪魔をしていた。
「もう、だからいつも片付けなさいって言っているでしょう」
「……ごめんね」
小声で謝るエリーには目もくれず、
アイゼルはなんとかして中の様子を見ようと少しずつ身を乗り出していく。
「見つかっちゃうよ……!」
エリーの静止も聞かず、遂にはほとんど頭一つ分も窓から出してしまったアイゼルの動きが急に止まる。
「アイゼル……?」
呼びかけても返事がないので、仕方なくエリーもアイゼルの頭の横から室内を覗きこむと、
そこには一糸纏わぬ姿で睦み合っている二人の女性の姿があった。
衝撃的な光景にエリーは息を呑みつつも、目はしっかりと室内を観察する。
上になっている、腰の下まである長い金髪の持ち主は、
つい昨日同じ場所で同じことをエリーにした人物に間違いなかった。
「マリーさん……? したい事って、まさかこの事……?」
呆然と呟いたエリーは、マリーに組み敷かれている女性の顔に見覚えがあることに気付く。
「あれって……シアさん?」
昔ここに親友が住んでいたから。
そう言って何度かエリーの家に遊びに来た事がある、
ドナースターク家の令嬢が、自分の命の恩人とこんな関係だったとは。
エリーは自分とアイゼルの関係を棚に上げて驚いていた。



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