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ザールブルグを出発して一ヶ月。
エリーは遂に錬金術の高みを目指す者が必ず訪れる場所、ケントニスへと辿りついていた。
長い船旅でよろめく足をふんばりながら、街の外れに見える白い建物に思いを馳せる。
逸る心を抑えてまず宿を確保したエリーは、水を一杯、
ひと息に飲み干すとすぐにアカデミーへと向かった。
小一時間ほど歩いた頃、エリーの目の前に重厚な扉が現れる。
前に立ったエリーはひとつ深呼吸すると、興奮と緊張に手を震わせながらそっと押し開けた。
扉の向こうの光景はザールブルグとそんなに変わらなかったが、
ここに来るまでの苦労というフィルターがかかってエリーの瞳をわずかに潤ませる。
「やっと……ここまで来たんだ……」
胸の内に押し寄せる静かな感慨に目を閉じて浸っていたエリーの耳に、
突然女性の大きな声が飛びこんできた。
「あら? あなた確か……久しぶりだね。その様子だともう病気もバッチリ治ったみたいだね」
その声の持ち主はロマージュよりも少し年上に見えるが、
初対面のはずのエリーにやけに親しげに話しかけてくる。
わずかに眉をひそめて警戒しようとしたエリーの耳に、女性の一言が引っかかった。
(病気って……もしかして)
自分の病気の事を知っているのは、ロブソン村の人達とイングリド先生、
そしてあと一人しか居ないはずだった。
命の恩人で、錬金術の大先輩のマルローネしか。
もちろん、ここに来れば会えるかも知れない、
と言う淡い期待を抱いてザールブルグからはるばるやって来たのだが、
こうもあっさりと、しかも自分のイメージと全く違う女性だった為に気付くのが遅れてしまったのだ。
「マルローネさん! 以前は命を救ってもらってありがとうございました!
私、あなたにお礼が言いたくて……それで……!」
「そんな、大げさだなぁ。それにあのとき村の人達にもお礼を言われたから、もう充分だよ」
感極まったエリーは、泣き出しそうになるのを懸命に堪えながらお礼を言ったが、
マリーは軽く手を振っただけであっさりと話題を打ちきってしまった。
「どう? 皆元気? ってあたしも二年前に一回帰ってるんだけどね」
「は、はい。イングリド先生とか去年こっちに来たらしいんですけど、会わなかったですか?」
「え、そうなの?」
「はい、フラウ・シュトライトを倒しに行くって。
でも結局倒せなくて、カスターニェでは随分話題になったみたいですけど」
「う〜ん、知らなかった……あたしも倒そうと思ったんだけどね、
津波起こされてとっておきのメガフラムがしけっちゃったのよね。
なんとか逃げ出す事は出来たんだけど、全身びしょ濡れになるし、もう散々だったよ」
余程苦労したのか、珍しく思い出に浸りはじめたマリーだったが、
今いる場所を思い出してひとつ首を振った。
後ろで結わえられた淡い金色の豊かな髪が波打つ。
「ここはザールブルグとは較べ物にならないくらいたくさんの本があるから、
あなたもここで何か掴めるといいね。それじゃ、あたしはこれで」
そう言ってマリーはさっさと踵を返してしまう。
せっかく会えたこのチャンスを無駄にしたくはなかったエリーはとっさに引き留めていた。
「あ、あの、マルローネさん。一緒に旅をしてもらえませんか?」
口にしてから、憧れの錬金術士に会ったばかりでこんな事を頼むのは恐れ多いと思ったが、
意外にもマリーは少し天を見つめただけで、あっさりと首を縦に振る。
「いつのまにかあたしも雇う側から雇われる側に……。いいけどね」
「本当ですか!?」
飛びつかんばかりの勢いで感激するエリーに、
マリーが何か答えようとしたとき、小さなせき払いが聞こえた。
二人揃って振り向くと、恐らくアカデミーに併設された図書館の司書らしい女性が
軽く睨みつけている。
表情はほとんど変わらず、目だけが怒った形なのがかえって怖く、
さすがのマリーもばつが悪そうに軽く頭を下げた。
「とりあえず、外に出ようか」
悪戯を見つかった子供のような表情で囁くマリーに
ロブソン村の悪友の事を思い出したエリーは思わずくすりと笑ってしまい、
マリーは訳が判らず訝しげな顔をするばかりだった。

アカデミーの外に出たマリーは、大きく伸びをして潮風を全身に浴びる。
「あーあ、二日ぶりの太陽だぁ」
「二日ぶりって……ずっと図書館にいたんですか?」
流石に自分の命を救ってくれただけはある錬金術士だ。
エリーは尊敬に満ちた眼差しでマリーを見やったが、マリーの返事は何故か声が小さかった。
「え? あ、うん……あそこの椅子は、寝心地が良くってね」
「……」
「そ、それでさ、何処へ行くの?」
エリーの視線に痛さを感じたマリーは慌てて話題を変える。
エリーもこれ以上自分の中の命の恩人像を壊すのはまずいと思ったのか、
それ以上尋ねる事はせずに行き先を告げた。
「一度、ザールブルグに戻りたいんですけど」
「いいわよ。ここでの研究も一段落着いたし、久しぶりに戻るのも悪くないわね」
「それじゃ、私もまだここに来たばっかりなんで、一週間後に出発するって事でいいですか?」
「うん、わかった。それじゃ、あたしも大抵アカデミーにいるから、何かあったら呼んでね」
「はい!」
結局、エリーはケントニスに居る間中マリーの傍を離れなかったので
この時のやりとりは無意味になってしまったのだが、とにかく、
こうしてエリーは錬金術士になった理由の半分位は無事達成する事が出来たのだった。

ザールブルグへ帰る途中は行きよりもずっと楽しいものだった。
道中で話してくれたマリーの研究譚はエリーの中で揺らぎはじめていた
彼女への威信を取り戻させるに充分なものだったし、
魔物に襲われた時の獅子奮迅ぶりはエリーに信仰に近い尊敬の念さえ抱かせた。
もっともこれは新型爆弾の威力が強すぎてもう少しで味方ともども真っ黒焦げに
なりそうになった時、再びわずかに薄れたのだが。
いずれにしても、一ヶ月近い旅を終えてザールブルグに戻ってきた時、
二人は昔からの友達のように仲良くなっていた。
「あー、やっと着いたぁ。流石に疲れちゃったわね」
「そうですね……私ももう、へとへとです」
懐かしいザールブルグの門をくぐった時、
一人旅が長く、もう半分冒険者の趣さえあるマリーはともかく、
エリーは杖にしがみついていないと立っているのさえ辛そうだった。
とにかくまずは一度工房に戻ろう。
二人とも疲れた足を引き摺るようにして石畳の道を歩き、懐かしの住処を目指す。
「あれ? 誰か家の前にいるよ」
地面を見ながら歩いていたエリーは全く気付かなかったが、
工房の前にはマリーの知らない男性が立っていた。
マリーが声を上げるとその人物もエリー達に気が付いてこちらに駆け寄ってくる。
「お帰り、エリー。……大丈夫?」
「あ、ノルディス……」
「その様子だと、あんまり大丈夫じゃなさそうだね。明日また来るから、今日は休みなよ」
埃だらけの顔を亀のようにゆっくりと持ち上げるエリーを見て事情を察したのか、
ノルディスと呼ばれた少年はマリーに向かって軽く会釈すると、
残念そうな顔を浮かべつつもすぐに帰っていった。
見るからに優等生と言った面持ちのその少年は、マリーにある知り合いを連想させる。
「あいつもあのくらい礼儀正しかったらねぇ……」
「え? 何か言いました?」
「あ、ううん、ほら、早く中に入ろう」
マリーは頭の中に浮かんだ考えを振りはらおうと頭を大きく二、三度振ると
エリーの背中を押して工房へと入っていった。



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