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かつて、まだこの街が東京と呼ばれていた頃、そして俺も人間であった頃、
サンシャインと呼ばれたビル。
今ではその意味はカグツチに近い事だけにあるバベルの塔の最上層に、千晶はいた。
力を求め、力に滅びたゴズテンノウの残骸の上に、力無く。
広間に入った時から彼女が見えてはいたが、妙な違和感を感じていた俺は、
違和感の正体を知って軽く息を呑んだ。
同級生──そんな関係だったのはもうどれくらい前なのか思い出せない──
だった彼女の右腕は、肩口のところからすっぱりと無くなっていたのだ。
その傷がいつ負わされたものかは判らないが、
出血はしておらず、今すぐ死には至らないようだった。
悪魔が跋扈する今のトウキョウで腕を失う事など珍しくもないのかもしれないが、
それでも、誇り高い彼女がこうも無力感を他人に晒すまでには、どれほどの事情があったのだろう。
慰めの言葉をかけようとして、人であった頃を思い出し、
そういうものを好まなかった彼女に口をつぐむ。
千晶は俺の姿に気付いてはいたが、目を向ける以上の関心は持っていないようだった。
そのまま放ってもおけず、俺は数歩彼女に近づく。
その時突然、俺の物でも、無論千晶の物でも無い声が虚ろな空間にこだました。
遥か頭上からにも聞こえ、目の前からにも聞こえるその声には、聞き覚えがあった。
「女よ……何故この地を訪れたるや。その身の怒りはいかなる故ぞ」
「わたしが感じていた力は、あなたなの? そう、滅びてはいなかったのね…
あなたが呼んでいたのかしら? ゴズテンノウ……」
千晶の唇から発せられた声は弱々しいながらも、消えかけていた生命の燃焼がはっきりと感じられた。
彼女には声の源がはっきりと判るのか、幾度かバランスを崩しながら天を仰ぎ見る。
奸計にかかって滅びたマントラの頭領は、憤怒を声に変えて千晶に語りかけた。
「女よ。その身に、我が精を得よ。おまえの説くコトワリも我らが力の国の一つの姿。
我が最後の力、おまえに託そう!! 女よ、我が精を得よ!」
俺はこの時、彼女を止めるべきだったのだろう。
力有る者だけが正義だというマントラの法は、少なくとも俺と相容れないのは明白だったからだ。
しかし、どこかで彼女が、千晶が、
どんな形にせよ以前の千晶らしさを取り戻してくれる事を願っていたのかもしれない。
とにかく、俺が逡巡している間に運命は大きく軋みながら舵を取り始めていた。
「あなたの力で、私が強くなれるなら…世界が創れるなら……」
俯き、顔を上げた千晶の瞳には、もう迷いの一片も無かった。
力のみを求める、美しく、そして危険な瞳。
ところが彼女はその瞳を天上から外すと、いきなり俺の方に視線を投げつけた。
「でも、少しだけ待って」
「……よかろう。だが、他のニンゲンもコトワリを啓こうと動いておる。さほどの猶予は無いぞ」
「大丈夫よ。手間は取らせないわ」
足をよろめかせて近づいてくる千晶を、俺は助けるでもなくただ見ていた。
それに不満があったのか、俺のそばに来た時、
彼女の顔にはゴズテンノウにも似た怒りが浮かんでいた。
しかし怒りを口にするという事は、同時に自分の弱さを認める事になる。
それに気付いたのか、千晶は下唇を破れそうなほど噛み締めただけで何も言わなかった。
それでも激情は収まらないらしく、首を二、三度振ってようやく話を切り出す。
「ねえ。……抱いて、くれないかな」
咄嗟に返事が出来なかったのは、俺に人間らしい感情が無くなったからではなく、
全く逆の理由からだった。
確かに、もはや真の意味で人間と呼べるのは五人しか居ないこの世界では
感情が摩滅するのはやむを得ない所ではあるが、まだ完全に失うほど堕してもいない。
現に今、一時的に、千晶の言葉に驚き、驚いた自分にまた驚く、
合わせ鏡のような感覚に囚われてしまっていたのだ。
千晶は反応の鈍い俺を軽蔑するように瞳をひらめかせると、簡単に説明を始めた。
「コトワリを啓いて神を呼べば、きっと私は私でなくなる。
それは私にとって歓迎すべき事。でも、橘千晶の最後の記憶として、君を残したいの」
彼女の言葉には恋愛の情など微塵も無く、ただ自分の都合だけだった。
セックスを選んだのも、他に適当な手段が無かっただけの事だろう。
しかし、俺はそこに彼女が持っている──いや、持っていた彼女らしさを感じて思わず笑いそうになった。
それを彼女と同じように下唇を噛んで堪えると、黙って頷く。
多分、橘千晶と話をするのはこれが最後になる。
そう五感が訴えたからだ。
千晶は頷いた俺を真っ向から見据えると、ためらいもなく身に纏っていた橘千晶を脱ぎ捨てる。
暗灰色の風景に浮かび上がった白い裸身は、しかし、まだ紛れもなく千晶そのものだった。
滑らかなカーブを描いて張り詰める乳房に、まだどこかに硬さを残す腰のライン。
下腹部を黒く塗り立てる茂みまで、一通り肢体を眺めた俺は彼女に倣って衣服を脱いだ。
全身に走る蒼い紋様を、千晶が興味深げに指でなぞる。
「君のこれ……悪魔の証は、すごく素敵ね」
悪魔の証という言い方は気にいらなかったが、
彼女に悪気が有った訳では無いのは判っていたから、俺は黙って頷いた。
千晶の指は腹を降り、そのまま男根を掴む。
もはや使う機会も無くなったそれは、久々に出番を与えられてたちまちに漲った。
「……ここは、人間の時のまま?」
あまりに素直に反応した手の中の物におかしさを感じたのか、
千晶は俺に『受胎』以来初めての笑みを見せると、跪いて先端に唇を触れさせた。
粘質の柔らかい物が、下腹を包み込む。
あたたかな刺激に一物が千晶の中で更に膨れ、彼女の苦しそうな呻きが聞こえた。
たまらず吐き出し、苦しそうにむせた後、思い通りにならなかったのが腹立たしいのか、
色事の最中にはおよそ相応しくない、苛烈な視線で俺を睨みつける。
この時初めて彼女に愛らしさを覚えた俺は、その視線を受け止めながら、
剥き出しになっている肩を軽く押した。
「きゃっ……!」
あっけなく床に崩れた千晶の上にのしかかり、唇を奪う。
強い意思を宿して閉ざされた門をこじ開け、陥落させる喜びに酔いしれた後、
暴れる舌を力で抑えこみ、ねじ伏せ、彼女の息が続かなくなった所でじっくりと貪る。
「うぐっ、んむ………ぅ、ふむぅ……」
敗北を認めるように鼻息が漏れ、舌先から力が抜けた。
しかし驚いた事に、次の瞬間千晶は俺の頭を掴むと、自ら激しく舌を絡ませてきた。
目も閉じず、挑むような目つきさえ浮かべながら。
俺は襲いかかってくる千晶の舌に一時的に主導権を渡したものの、すぐに反撃を始める。
それはキスなどと呼べる物ではなく、荒ぶる肉体の争いだった。
激しく唾液を飛ばしながら闘いは続いたが、しまいには俺の方が勝ち、
望むがままに千晶の口内を蹂躙する。
「……君、やっぱり少し変わったわね」
わずかに顔が離れると、千晶は屈服させられた不満を浮かべつつ、まんざらでもない表情で呟いた。
俺はそれを無視して、彼女の、大きいが、まだ硬さの残る乳房に手を這わせる。
「っ……随分、手慣れてるわね……高校の時に経験済みなの?」
高校、という千晶の言葉に俺の動きが止まる。
まだあの日……『受胎』が起こった日からそれほどは経っていないはずだが、
それはもう、遠くに霞む蜃気楼だった。
千晶もそれに気付いて、どこか寂しげな表情を浮かべ、俺の身体を引き寄せる。
「祐子先生も……勇君もどこにいるのか判らない。もし、皆一緒だったら……何か、変わったかな」
「…………」
「ごめんね、変な事言って」
多分俺は困った顔をしていたのだろう。
千晶は眉をしかめて目を閉じて表情を消したが、その唇の端が震えているのに気付いた時、
俺は再び唇を重ねていた。



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