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 ビルの隙間に浮かぶ乳白色の月は、
たとえ密林の隙間から見上げたときの圧倒的な迫力はなくても、
門出を祝っているかのようだった。
存在を浮き立たせるほど明るくなく、手元が見えないほど暗くもない。
これからしようとしていることには絶好の加減であり、
葉佩九龍はすでに任務ミッションの成功を確信していた。
むろん、手に入れるべき『秘宝』も、それがあるはずの遺跡すらまだ見つけていない
現在は、そんな確信など妄想から半歩も変わらない。
しかし、これが初めての正式な任務である九龍は、
少し大きすぎるくらいの風船をその心に膨らませていた。
自信や希望、緊張といったものを詰めこんだ風船はともすれば
自重で浮きあがらなくなる恐れもあったが、
わずか十八歳で『ロゼッタ協会』から単独行を許された才気は、
それらを補ってなお高々と浮かびあがらせるほど九龍の心身を漲らせていた。
「よし、行くか」
 愛用のベストを着込んだ九龍は、念入りに装備を確かめた。
冒険家は目指す場所に辿りつき、生きて帰ることが目標だが、
『宝探し屋』はそれに加えて宝を持ち帰ることが必須となる。
そのために必要な道具を九龍は協会から与えられており、
それらの扱いも完全に頭に叩きこんでいた。
 東京、天香學園――
こここそが、葉佩九龍のこれから長い『宝探し屋』人生の、
大いなる旅立ちの場所となるのだ。
全ての必要な装備が整っていることを確かめ、九龍は記念すべき一歩を踏み出した。
 私立天香學園。
東京都新宿区にあるこの高校は、厳しい全寮制が採られていることで有名だ。
長期の休み以外は外出不可、その代わりに学生生活に必要なものはほぼ全て手に入る。
敷地内にファミリーレストランまで備えているこの高校は、しかしその校風からか、
校外にほとんど情報が伝わらないことでも有名だった。
最高のエリートを教育しているとも、
その逆にあらゆる落ちこぼれを引き受けているとも、
高校生たちの間に陽炎のように立ちのぼる噂は枚挙にいとまがなく、
それらの中には一度入ったら生きては出られない、などという物騒なものまであった。
 だが、九龍はそれらの噂を耳にしたことがない。
それは彼が噂に疎いだとか流行に興味がないといった理由ではなく、
物理的に噂を聞く環境がなかったからだ。
三年の二学期という不自然な時期に転校してきた九龍は、転校初日に繰りだされた
どこから来たのかという質問に対して、海外の高校の名前を出すことで、
自分たちよりも変わった高校生が世の中に存在するのだという驚きを
天香學園の生徒に与えることに成功していた。
 ただ、それは九龍の本意ではなかった。
周到に準備した偽の通学記録や成績表は、静かに、
目立つことなく学園生活を送るためのものであったのだから。
一気にクラスの寵児となってしまった九龍は、
英語が話せる程度であとは自分たちとさほど変わらない、
という設定を彼らが受けいれ、興味を失うまで辛抱強く受け答えをする羽目になり、
本来の目的がなければいきなり挫けてしまっていたかもしれない。
 葉佩九龍はある目的のために天香學園にやって来ていた。
その目的は一度や二度潜入すれば達成できるような容易なものではなく、
ある程度の期間学園内に身を置かなければとうてい無理だ。
そして高校という施設の関係上、存在に不自然さがない人間というのは
極めて限定される。
つまり教師か生徒、あるいは関係者でなければ、即不審者として疑われてしまうのだ。
第一に任務を達成する能力、第二にこの条件。
二つを満たす人材は、人種国籍を問わず多種多様な人材がいる、
九龍が属している組織にも多くはおらず、
九龍は彼らの中で三番目の候補として挙げられていた。
 そして現在九龍がここにいるということは、先の二人が失敗したからに他ならない。
それも単なる失敗ではなく、消息を完全に絶ってしまったのだ。
二人続けて消息を絶つというのは組織でもあまり前例がなく、
条件はともかく能力において先の二人に劣る九龍が
潜入したところで成功率は低いと言わざるをえず、
上層部には一度計画を練り直すよう命じる者もいた。
 だが、計画の中止を決める会議の間隙を縫うかたちで九龍は強引に日本に出発した。
もう少し誰かの『宝探し』に同行させて、
経験を積ませるべきだという自身の評価を結果で覆すつもりだった。
 結局、次の候補者が選定されていなかったこともあって、
九龍の独断専行は認められ、正式な探索の許可とそれに伴うサポートが
得られることになった。
しかし当然、結果、それも上層部の期待に完璧に応える結果を提出しなければ、
若き『宝探し屋』に二度目のチャンスは回ってこないだろう。
必ず探索行をやり遂げるという決意も固く、九龍は天香學園に潜入したのだった。
 九龍が転入して一週間、未だ探索に進展はない。
これは予想外の事態であり、九龍は焦りを覚えずにいられなかった。
 この一週間で校舎内は調べ尽くした。
遺跡への手がかりとなるような場所は見あたらず、残るは外しかない。
この学校は夜間外出禁止であり、違反した者には重罰が下されるという。
そのようなものを怖れる九龍ではないが、巡回のパターンを調べる必要もあり、
これまでうかつな行動は慎んできたのだ。
 だが、今日こそは入り口を突き止めてみせる。
すでに一週間なんの収穫もなく、これ以上無為が続けば
一度は探索を認めた協会からも見放されかねない。
せめて遺跡を発見し探索を開始したという報告を、
いい加減に送らなければならない頃合いだった。
 金曜日の夜は温情とでもいうつもりか、点呼が一度しかない。
生徒同士の会話からその情報を得た九龍は、決行をその日と定め、
自室で点呼に応じると素早く行動を開始した。
 扉ではなく、窓から外に出る。
部屋は三階だがこの程度の高さは『宝探し屋』にとってなんでもなく、
一切の音を立てずに地表へと降り立った。
どこから探すかは目星をつけてある。
そろそろ夏の暑さも過ぎ、過ごしやすい季節にさしかかっていたが、
内側からあふれる熱気に九龍は燃えあがらんばかりで、
意気揚々と、しかし無音で歩き始めた。
 そのときだった。
「どっこ行っくの」
 背後からいきなり聞こえてきたのは、九月の夜には少し似合わない、
音符をつければ今にも踊りだしそうな声だった。
文字通り飛びあがりそうになった九龍は、プロにあるまじき失態を罵る余裕もなく、
声に釣られでもしたのか、一人勝手にダンスをはじめた心臓を抑えつけ、
後ろを振り向く。
そこにあったのは、地上の星のように輝やいている目と、
なぜか夜目にもそれだけは判別できる、頭の上に乗っかっている二つの団子だった。
「へへーん、天香ここは夜勝手に出歩いたらいけないんだよ、葉佩クン」
「や……八千、穂……」
 背後を取るという、戦闘なら完全に勝利を決める偉業を九龍相手に成し遂げたのは、
一週間ほど前に九龍の同級生になったばかりの、八千穂明日香という名の少女だった。
探索に全神経を集中させていた九龍はあまりこの少女と会話を交わしていないが、
やたら声が大きく、過剰に目立っているという印象を持っていた。
先の理由と不用意に正体を気取られないようクラスメートとできるだけ
接触を避けていた九龍が、このような感情を抱いたのは唯一彼女のみで、
しかし探索の邪魔をされることはないだろう、と放置することに決めていたのだ。
それがまさか同業者も舌を巻くほど鮮やかに出し抜かれて、
九龍は己の甘さを月の下で悔いる羽目になった。
「ね、そんな格好して何するの? 學園に潜んだ悪を討つ?
それとも、どこかに隠された黄金でも探しに?」
 勝手に喋ってくれたおかげで、明日香がどこかのエージェントでないことは判った。
だが同時に当てずっぽうといえども正解もされ、
探索ほどにはディベートの経験を積んでいない九龍は、
見事に答えに窮してしまうのだった。
「……」
 どう返事をすれば、この場を切り抜けられるのか、
教師に報告でもされれば一巻の終わりだ。
独断専行のあげくに探索の遥か手前でつまづいた『宝探し屋』を、
『協会』の連中は許してはくれないだろう。
命を取られるようなことはなくても、
『宝探し屋』の資格の剥奪、装備の没収は免れまい。
死と引き替えにしてでも任務を成功させるつもりでいた九龍だが、
失敗どころかスタートラインにさえつく前に転んでしまうのは
あまりに情けない事態だった。
 手袋の内側をびっしょりと濡らし、九龍は必死に考えた。
ありとあらゆる言いわけは、だが、どれも通用するとは思えない。
いっそ隕石でも降ってくれればいいのに、とまで考えたのは、
年の割に大胆不敵なこの挑戦者が、
どれだけ追いつめられていたのかという証拠かもしれなかった。
 ところが、隕石は落ちてこなかったが、それに匹敵する衝撃が九龍の鼓膜を撃つ。
「何ぼーっとしてるの? 早く行こうよ」
 彼女は今何と言った?
思考力の大半を、この場をどうやり過ごすかに向けていた九龍は、
至近距離にもかかわらず明日香の言ったことを聞き逃していた。
眉をひそめ、もう一度繰りかえすよう目で告げる。
薄暗がりであるにせよ、月明かりは九龍の顔を映しだすには充分なはずで、
無言であっても表情から意図は充分に伝わったはずだ。
なのに八千穂明日香は、他人の弁当箱に美味しそうなおかずを
見つけたときのような笑顔を浮かべるのだった。
「どう見ても夜の散歩じゃないよね、その格好。
何をしにどこへ行くのか知らないけど、あたしも一緒についてってあげる」
 あげる、とは何という言い草だ、と九龍は憤った。
同時に選択肢がないのも事実だった。
好奇心を砕いてちりばめたような瞳は爛々と輝いていて、
九龍が何をするか突きとめなければおとなしく帰って寝ようなどとは到底思うまい。
逃げだしても学園関係者に報告されれば万事休すだし、
それ以前にここで大声を出されたらどうしようもない。
見つかったときに命運は決していたのだ。
 九龍はあきらめ、そして決断した。
「お前、この学園で怪しい場所知らないか?
立ち入り禁止の場所とか、あんまり生徒が近寄らないところとか」
「あるよ」
「え?」
 返事はほとんど期待していなかったのだが、明日香はこともなげに即答した。
「校庭の裏手にね、墓地があるの。立ち入り禁止じゃないけど、
近づくと管理人さんに怒られるし、あんまり近寄る子はいないよ」
「……」
 学校に墓地というのはどう考えても怪しい。
まず勉学に必要がないものだし、学校生活でそれほど死者が出るとも思えないからだ。
罠の可能性が高いが、あまりにあからさますぎてかえって
本当に何か秘密があるのかもしれない。
九龍は指を鉤の字に曲げて唇に当てたが、長い時間のことではなかった。
「よし、そこに行ってみよう」
「うん」
 そこに目指すものがあるかどうか、まずはそれからだ。
九龍は気持ちを切り替え、前を行く明日香のことはあえて考えずに走りだした。

 急激に暗さを増す学園の裏手にあった墓地は、九龍の想像を超える規模だった。
整然と並ぶ墓石の数は、五十以上はあるだろうか。
目の前に広がる、ここが学校の中だと忘れさせるほどの寂寥とした光景に、
九龍はごく短い時間ではあるが圧倒された。
墓地という場所には縁深い九龍だが、ここ百年ほどの死者を弔う場所は、
やはり居て気分の良いものではない。
だからこそ何かを隠すには都合がよいわけで、
自分の目的を思いだした九龍はすぐに思考を切り替えた。
「これ、誰の墓だよ」
「知らない。昼間に近づこうとすると管理人さんに追い払われちゃうし、
夜は外出禁止だから」
 いくら規模が大きいといっても、部外者が立ちいる心配がほとんどない
この学校で、管理人というのはいかにも大げさだ。
ますます怪しさを覚えた九龍は、詳しく調べてみるために、
頭に引っかけたゴーグルをおろした。
「あっ、それ、赤外線見えるやつでしょ。すごい、なんか本格的だね」
 的ではなくて本格なのだが、九龍は答えなかった。
 軍用と同じ性能を有する『協会』の支給装備であるナイトビジョンは、
九龍たち『宝探し屋』にとって必須ともいえる道具だ。
闇の中でうかつに光を点ければ、そこに居る生物が一斉に反応するかもしれない。
宝探し屋の死因で多いのは罠、次いで毒なのだから、
用心するに越したことはないのだ。
 正確な格子状に置かれたそれぞれの墓石を、九龍は注意深く眺める。
「ねえ、なにか見える?」
 そのための道具なのだから見えるに決まっている。
とは答えず、九龍は緑がかった視界に目を凝らした。
焦る気持ちを抑え、三分ほども観察していた『宝探し屋』は、
やがて音を出さない口笛を短く吹いた。
 横から見ると墓石のひとつが微妙にずれている。
並べ方が奇妙すぎるという直感は正しかったのだ。
 ゴーグルを額に戻した九龍はその墓に駆け寄った。
やや遅れて明日香もついてくる。
背の低い、洋風の墓石の前に立った九龍は、
石の角に手をかけると、軽く揺さぶってみた。
期待通りの手応えが返ってきたので、今度は力を入れて押してみる。
すると眠りを妨げられた墓は怒るでもなく、
小さな不平を漏らしただけで一メートルほど水平に移動した。
その下には安らかに眠っているはずの死者も土さえもなく、ただの四角い穴がある。
こここそが九龍が探し求めていた、地下遺跡への入り口に違いなかった。
 明かされた学校の秘密に明日香は息を呑んでいるが、
九龍にとってこれは始まりの扉にすぎない。
穴を覗き、内部が思ったよりも暗くなく、
人工の空間であることを確かめると、早速降りる準備を始めた。
バックパックから折りたたみ式の縄ばしごを取りだし、地面に引っかける。
外れないことを確かめた上で明日香をちらりと見た九龍は、
ちっとも怖がっていないどころか期待と興奮に目を輝かせている彼女に
ほんの少しだけ落胆して、穴の中へと身を躍らせた。
 三十秒ほどの垂直移動の後、堅い床を踏みしめる。
乾いた小さな音が俺にとってのまさしく第一歩なのだ、
と九龍は感慨にふけらずにはいられなかった。
これから世界を股にかけて活躍するトレジャー・ハンター葉佩九龍。
その偉大なデビュー戦が今ここに始まるのだ。
偉容を誇るこの、未だ人類にほとんど知られていない遺跡にどんな罠が待ち受け、
どんな宝が隠されているのか。
隅の隅まで余すところなく調べ尽くしてやる、と決意も新たにする九龍だった。
「うわ……何これ。ホントに学校の地下なのここ!?」
 その神聖な決意を台無しにする黄色い声に、凛々しく決めた九龍の顔が歪む。
デビューから完璧な『宝探し屋』などいないと判っていても、
自分の犯したミスは致命的ではないかと、
上がった意気も地の底まで消沈してしまうのだ。
「ね、ね、葉佩クン、葉佩クンはこれを調べに来たの?」
「ああ」
「これ、遺跡だよね?」
「ああ」
「奥には罠とかお宝とかがある?」
「たぶんな」
「凄い……! 葉佩クンってインディジョーンズなんだ!」
 おそらく世界で最も有名な『宝探し屋』の名前は、当然九龍も知っていた。
彼を目指してこの職業を選んだのではないにせよ、映画は何度も観ている。
しかし現実は映画とは異なってもっと地味で過酷で報われないものであると
悟っている九龍としては、安易に例えられるのは気分の良いものではなかった。
「で、これ何遺跡なの?」
 明日香は九龍の気分などお構いなしで、好奇心の赴くまま質問攻めを行う。
 せっかく東京の高校に入ったのに、長期の休み以外は学校の外に出ることを
禁じられ、憧れの都会を味わうことはほとんどできなかった。
部活のテニスも頑張ったけれど、大会で優勝が狙えるというレベルでもなく、
学園生活がつまらなかったというわけではなかったけれども、
ずっと物足りなさを感じていた。
 そこに現れたのが、季節外れの転校生だった。
葉佩九龍という一回聞いたらちょっと忘れない名前と、
初めからクラス全体、もしかしたら学校をも相手にしていないような大人びた態度。
顔は好みにぎりぎり引っかかるという程度だったけれども、
明日香は妙に彼に惹かれ、それとなく彼を観察するようになっていた。
朝、休み時間、放課後。
暇を見つけては九龍を捜すうち、明日香は確信した。
あの転校生は怪しい。
常に一人で学園のあちらこちらを歩き回り、ときどき立ち止まって周りを見渡している。
それに少し目を離しただけで突然消えてしまうときがあり、
もしかしたら九龍は忍者かスパイか超能力者かもしれない。
そんな突拍子もないことを半ば本気で考え、
少なくともこの退屈な毎日から抜けださせてくれる白馬の王子だと信じた。
 明日香の努力は正しく報われ、それ自体が楽しみとなりつつあった
転校生の尾行を始めて一週間が経った日。
その日は九龍がやけにおとなしく、休み時間にも机に突っ伏して寝ているだけだった。
 なにかある。
絶対に、なにかある。
もう明日香はいてもたってもいられず、九龍が何かリアクションを起こすのを待った。
 授業が終わり、放課後になると、九龍はあっという間にいなくなる。
クラスメートは九龍が居なくなったことにさえ気づいていなかったが、
彼をずっと観察していた明日香だけは知っていた。
だから部活もズル休みして、飛ぶような勢いで戻った部屋から男子寮の方を、
お菓子片手にひたすら見張っていたのだ。
音が立たないお菓子を選ぶというこだわりようで日が沈むまで待った明日香は、
期待はずれに全く動きがない九龍に、ついに決断した。
外に出て直接見張ろうと。
 天香學園は時間外の外出を固く禁じており、
違反した者には容赦のない制裁が待っている。
男女、そして一年も三年も分け隔てなく与えられる刑罰は、
もっとも規律に反発する年頃である生徒達ですら
年に数人違反者が出るかどうかというくらい怖れられていた。
好奇心旺盛な明日香でも、あえて自分で試してみようと
いう気にはこれまでなれなかったが、今回は違う。
思いきって寮を脱出し、男子寮まで行くことにしたのだ。
 夜の影に隠れるように学校の敷地内を移動する。
たったそれだけのことでも、胸が張り裂けそうなくらいにドキドキした。
これで葉佩クンが、考え通りに何か行動を起こしたとしたら――
もう明日香は怖ろしい生徒会のことも頭になく、ひたすら待ち続けた。
――明日香が男子寮に到着してわずか数分後、三階の窓から人影が外に向かって
飛び出したとき、彼女の忍耐は正しく報われたのだった。
 念入りに整えた準備が正しく報われなかった若き宝探し屋は、
ほんの少し出発たびだちの時間が遅かったばかりにいきなり大トラブルに
遭遇したという事実を知らぬまま、トラブルの正体である少女に答えた。
「さあな、お前こそ学校で噂でも聞いたことないのかよ」
「ないよ……こんなのがあるなんて噂聞いてたら、あたし絶対探してたもん」
 それはそうだと九龍は信じることにした。
 改めて遺跡を見渡す。
地上から五メートルほど下に移動したところにある空間は、想像以上の広さだった。
奥どころか左右も光が完全には届かないほどで、百メートルはあるだろうか。
あちらこちらに石柱が立っており、荘厳な雰囲気を感じさせる。
これほどの遺跡を建設するとなればかなりの権力を持った人物の存在が
うかがわれるが、いったいいつの時代の遺跡なのだろうか。
少なくとも知られている歴史には、この遺跡を作った文明や文化はないはずだ。
それを解き明かすのも『宝探し屋』に与えられた特権で、
九龍はすぐにも探索を始めたくなった。
「よし、とにかく少し調べてみよう。行くぞ」
「うんッ!」
 やたらと元気のいい返事に九龍はとまどいつつ、
神秘とロマンが詰まっているはずの遺跡を調べ始めた。
 まず驚いたのが、この広間は若干荒れているとしても、
遺跡自体は非常に高い完成度を有していることだった。
使われている石は加工されて大きさもある程度揃っていて、
煉瓦のようにきちんと積まれている。
そういった遺跡はエジプトのピラミッドやペルーのティワナコなどがあるが、
ここはそれらをも上回る精度で建設されたようだ。
そして巨石文明で基本的な謎となる、石をどこで切り出してどうやって運んだのか。
その辺りのことはサンプルと画像を送れば本部が調べてくれるだろうし、
九龍もさほど興味がない。
ただ、いつの時代の遺跡なのかという情報は探索全般において重要だったし、
古代文明については一通り頭に入っている九龍も、
こんな完成度の高い遺跡は初めてで、気にならないわけがなかった。
「凄いな……」
「ね、何かわかった?」
「見当もつかねえ」
 あっさりと肩をすくめる九龍に、明日香は落胆する様子もなかった。
「それじゃ、もうちょっと奥に行ってみようよ。そしたらわかるかも」
 軽やかな足取りで広間を走り回り、四方を見渡している。
まがりなりにもプロである九龍は地図を作り、
見当をつけてから探索を始めようと考えていたのだが、
「あっ、この扉開くよ葉佩クン!」
 目についたものを片っ端から探る明日香に台無しにされてしまった。
「馬鹿、開くからっていきなり開けんじゃねえよ。罠が仕掛けられてたらどうすんだ」
「あ、そっか……でも、開いたよ」
 確かに両開きの、なにやら複雑な意匠が彫りこまれた扉は来訪者を誘うように
奥に向かって開いている。
だが、そのまま入っていくのはどうにもしゃくで、
九龍は明日香が開けた扉の向かいにある扉に向かった。
「えー、なんでそっち行くの?」
 不満げな明日香を無視して九龍は広間を歩く。
広間には全部で十二の扉があるようで、十二といえば星座か干支か、
どちらかに関係があるかもしれない。
ここは誰が、いつ作ったのかというのがまったく不明な、
これまでにない遺跡ではあるが、何らかの意図は絶対にあるはずで、
漠然と歩くよりはそういうイメージを持っていた方が踏破の手助けになりうるのだ。
 そんなことを考えながら扉の前に立った九龍は、軽く扉を押してみた。
扉の正面には立たずに開けようと試みたのはプロのなせる業だったが、
扉はびくともしなかった。
軽く眉をしかめつつ、今度は扉の前に立って両手で押してみる。
だがやはり扉は開かず、思わず悪態をついた九龍は別の扉も試してみた。
ところがどうしたことか、ひとつとして九龍の期待に添った扉はなく、
結局十一の扉を全て試して明日香のところに戻ってくる羽目になってしまった。
「ね? やっぱりここからでしょ?」
「……お前、本当にこの遺跡のことは知らなかったのか?」
「あったり前でしょ、知ってたらとっくに探検してるって」
 ならば単に運が良かっただけなのか。
納得しつつも釈然としないものを感じながら、
明日香が開けた扉の中へと九龍は入っていった。
「ほら、これ持て」
「あっ、なんかそれっぽいね」
 ランタンを手渡されて感激する明日香に、九龍は苦笑する。
彼女がそれっぽいと言ったのは間違いではなく、
これはランタンの形をしていても光源はLEDなのだ。
昔はこれで風向きを見ることもあったと聞くが、
明るさはLEDの方がはるかに明るいし、風を読むなら他の手段もある。
この最新の科学技術の結晶は、九龍のお気に入りだった。
「壊すなよ」
「まかせといて」
 明日香にランタンを渡した九龍は、同じLEDを用いたペンシル型のライトを
肩につけ、手にも一回り大きなライトを持つ。
「よし……行くぞ」
「うんッ」
 場違いに陽気な明日香の返事に顔をしかめつつ、九龍は歩きはじめた。



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