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俺は辟易していた。
「きゃっ!」
また亜柚子が悲鳴を上げる。
静謐な空間を冒涜するような甲高い悲鳴に、俺はこの遺跡の主に内心で詫びた。
俺達は宝探し屋とはいうが、
どんな美辞麗句を並べ立てたところで安らかに眠る死者の側からすれば墓荒しでしかない。
しかし墓荒しにも美学はあり、目的の物以外には極力手をつけないし、
無駄に遺跡を汚すようなことはしない。
そして盗掘を防ぐために巧妙に罠を張り巡らせた先人と、勝負を楽しむように遺跡を探検する。
肉体と頭脳を極限まで使うこのスリルに満ちたゲームに、女の叫び声は全く不必要なものだった。
俺の生まれた地、東京。
生まれた、とはいっても住んでいた記憶はほとんどないが、一応出身地であり、
世界でも有数の都会であるこの街に、エジプトのピラミッドにも匹敵する
巨大な遺跡があるというのは、ちょっとやそっとでは動じない俺でも大いに驚くに値した。
更にその遺跡には人類史を根底から覆すような、超古代文明の痕跡が認められる。
現在は天香學園という高校が上に建っているその遺跡に単身潜入、調査し、
『宝』があればそれを回収せよという指令を受けて、燃えるなという方が無理だろう。
だから俺は調査が長期に渡る可能性があり、
天香學園が外部からの侵入を拒む全寮制の高校であるため、
転校生として潜入するのが良い方法と思われる、
為に派遣する宝探し屋の条件として、十代の人物、
更に日本語が堪能なことが望ましい、という報告を出した『協会』の上層部に素直に感謝し、
すぐに故郷へと渡る準備をはじめたのだった。
編入手続きその他は『協会』が仕切ってくれた。
奴らへのこれまでの貢献を思えばそれくらいは当然だが、とにかく、
俺が転入した当日から探索を始められるよう奴らは過不足なく手配してくれた。
學園では生徒会とやらいう自治組織めいたものが幅を利かせているらしい。
しかし、俺の興味があるのは學園ではなく、その下に広がる世界だ。
小さな権力闘争など勝手にやっていればいい。
俺は初日の夜から早速探索を開始した。
遺跡は俺の探求心を大いに満たしてくれる、いや、それ以上の規模だった。
幼い頃から世界中の遺跡を見てきた俺だが、東京という猫の額ほどの土地の、
更に眉間程度の広さしかない天香學園の地下には、
それらのほとんどを凌駕する巨大な遺跡が築かれていた。
地下の数十メートルにも達する遺跡は、作るだけでも大変な技術がいるだろうが、
特筆すべきは遺跡がほぼ正確な四角錘を象(っていることだ。
象っている、といってもまだ最深部まで辿りついてはいないから、本当にそうなのかはわからない。
しかし遺跡の構造を描いてみると、どう考えてもそのような形にしかならないのだ。
この遺跡を作った先人達の凄さには感嘆するほかなく、
俺は夢中でこの、明らかに強い意図をもって構築された逆ピラミッドの最奥部を目指し、探索を重ねた。
遺跡は俺の意欲に応えるように、あるいはそれ以上の熱意をもって、俺の行く手を阻んだ。
数多の謎、仕掛けられた罠、そして悪意ある存在。
それらはどれもが、ここに隠された秘宝がただならぬ物であると示していた。
金にも、それが持つ意味にも俺は興味がない。
ただそれを手にするまでのスリルと、それを最初に手にしたという達成感。
それこそが俺を衝き動かす原動力であり、その意味では俺はまさしく宝探し屋(が適職なのかもしれなかった。
「今お尻に何か触ったわ」
そんな昂揚をぶち壊すのが、この声だった。
「そんな訳ないだろう。誰が触るっていうんだよ」
俺は彼女よりも先を歩き、彼女以外に同行者はいない。
だから疑惑は気のせいか、水滴でも当たったのに違いない。
面倒くさげに──実際面倒くさかった──答えると、語勢を強めた返事が返ってきた。
「だって、本当に触られたのよ」
触られたからどうだというのだ。
尻なんぞ触ったところで腹が膨れるわけでも、金がもらえるわけでもない。
宝探しは男の仕事だ、などと粋がるつもりじゃない。
俺よりも凄腕の女ハンターは何人もいるし、ほんの毛筋ほどの亀裂から隠し部屋を発見する注意深さや
埃に埋もれたがらくたの中から宝石を嗅ぎ当てる芸当は男には到底無理だ。
だがそれはきちんと訓練を受け、更に宝探し屋としての天分があっての話で、
ただ運動神経がいいだけではあっという間に死体になるだけだ。
ましてや宝探しに挑む動機が金や名誉のためでなく、
学園をまともにしたいなどというくだらないものでは、
まだあのアロマを吸ってばかりで何もしない奴のように部屋で寝ていたほうがマシというものだ。
俺は苛立った気分をなだめるために腋の下を撫でた。
そこではすっかり精神安定剤と化してしまった相棒が、本来の役目を果たしたいと不平を漏らしている。
俺は帰ったら念入りに分解整備(してやると宥(めながら、
後ろの女もこれくらい静かなら良いのにと願うばかりだった。
神など信じていない俺の願いなど、叶うはずがなかった。
「はぐれると危ないから、手を繋いでいましょう」
一体この女は自分がどこにいて、何をしているのか解っているのだろうか。
ここは両手をポケットに入れていて平気な場所でも、
恋人同士が手を繋いでいても許される場所でもない。
指先にまで神経をみなぎらせ、
一瞬先に待ち構えている罠と化け物に即応しなければならない地下迷宮なのだ。
手など繋いでいたら棺桶が幾つあっても足りはしない。
俺は強く握ろうとする彼女の手を払い、拒絶の意思を明確に示すために一歩前に出た。
「あ……」
怯え、がっかりした様子の声がいつの時代かすら特定できない古ぶるしい石壁に反響する。
これもまた超古代の遺跡にはおよそ似つかわしくないと感じ、俺は何度目かわからないため息をついた。
そもそも、一介の国語教師に過ぎない彼女が、なぜ俺の本分である遺跡探索に同行することになったのか。
まったくあれは俺らしくないミスだった。
用心に用心を重ねたつもりが、この学園の地下にある、予想を遥かに超えた大きさの
古代、いや、超古代遺跡への入り口にいざ何度目かの潜入をせんと最後の装備の点検を行っていた時に、
亜柚子に見つかってしまったのだ。
墓地などという辛気臭い場所で待ち伏せていた彼女に訊けば、
最近授業中によく寝ているので、夜何をしているのだろうと気になったのだという。
何もなければ夜の散歩だと言い張れないこともなかっただろうが、
スターライトゴーグルを被っていては良くて覗き魔にしか見えない。
彼女の教育熱心さと俺の怠慢の双方を呪いつつ、俺は観念し、事情を説明するしかなかった。
もちろん協会のことは伏せ、偶然この遺跡のことを知ったと適当に言いくるめて。
「明日はちゃんと起きてるから」
見逃してくれ、と俺は頼んだ。
探索はいよいよ佳境に入り、理性と本能の双方が潜れと促している。
こんな状態で無駄に一日を過ごす羽目になっては、俺は発狂してしまうかもしれない。
いざとなれば亜柚子など振りきって遺跡に飛びこむつもりでいたが、彼女は思案した挙句、
「私も一緒に行くわ」
などと言い出したのだ。
冗談じゃない、ここはまだエジプトのように観光気分で歩ける場所じゃない。
これまで踏破したなかでも数多くの罠が仕掛けられており、
更にこの遺跡にはこれまで見たこともないような異形の生物が跋扈(しているのだ。
『協会』の動物部門の連中が見たら垂涎の海で溺死すること間違いない、
地球のどんな生態系とも異なる化け物。
一匹捕まえただけで『協会』からは半年は遊んで暮らせるだけの報奨金が支払われるだろうが、
あいにく俺の仕事は『宝』の探索であって動物観察じゃない。
しかも奴らは明確な悪意を向けてきたので、俺は容赦なく奴らを駆逐していた。
どうやら奴らは繁殖はしないらしく、俺が倒せばその分は確実に減っているとはいうものの、
何も知らない国語教師をガイドできるほど安全じゃない。
俺は怒鳴りつけたいのをこらえ、犬を追い払うように手を振った。
「冗談じゃない、帰って寝てろよ」
「いいえ、あなたが行くのをやめない限り私も行くわ。教師として生徒の危ない行動は見過ごせないもの」
こんな意固地かつ頭の悪い女を俺は知らない。
こんなところで時間を浪費していられないが、
馬鹿には馬鹿と教えてやらなければ、と俺が口を開きかけた時、足音が聞こえてきた。
こんな日に限って校則違反を犯す奴が多いらしい。
俺はやむをえずそれ以上の説得を諦め、遺跡へ続く墓穴に彼女を押しこんだのだった。
自分が教鞭を執っている、いささか癖はあるものの普通の高校であると思っていた敷地に、
想像を絶する景観が眠っていたと知って、亜柚子は声すら出ないようだった。
これで腰を抜かしでもしてくれればありがたい、
上のほとぼりが冷めた頃に彼女を放り出して、俺は探索を始められる。
そう思っていたのだが、それがとんでもない思い違いだと気づかされるまでに時間は要さなかった。
「それじゃ、行きましょうか」
砂色──世間ではクリーム色とでもいうのだろうか、お上品なブラウスとスカートを着ている亜柚子は、
自失から我に返るとぬけぬけとそう言ったのだ。
彼女の間抜けな面に溜飲を下げていた俺は、今度は自分が同じ表情をする羽目になった。
「言ったでしょう? 一緒に行くって」
教師だから、二言はないとでもいうのか。
のほほんと笑っている亜柚子に、俺は本気で腹が立った。
こうなったら多少危ない目に遭わせて、
興味本意で俺の領域(に首を突っ込むとどうなるか思い知らせてやるしかない。
そんな、子供じみた算段を練った俺は、表向きは仕方ないというように首をすくめ、
亜柚子を連れて遺跡の中へと入っていったのだった。
だが、またしても俺は思い違いをしていた。
突然壁から射出される矢や落ちてくる天井といった罠に、亜柚子は驚きはしたものの、
怯えはせず、俺についてくるのを諦めなかったのだ。
「凄い……罠が仕掛けられている、ということはよっぽど大切なものが奥にあるってことね」
俺は頷くしかなかった。
まさに俺も同じことを、経験から考えていたからだ。
これだけ周到に、かつ執拗に罠が用意されていた遺跡は初めてだ。
日本神話を辿るように浅い階層から神代の伝が始まっていることからも、
この遺跡は誰かを呼んでいるようにすら俺は考えていた。
仕掛けを解くだけの知識を持ち、罠をくぐりぬけられるだけの知恵を持つ者を。
それが俺だ、などとうぬぼれるつもりはないが、
この遺跡を独力で踏破できれば宝探し屋(として箔がつくのは間違いない。
俺は張り切っていたし、それだけに遊び半分でついてくる亜柚子がうっとうしかった。
どうすれば、非日常に触れて──これこそが俺にとっては日常なのだが──
興奮しているお嬢様を元の日常へと追いやることができるか、そればかり考えて歩いていた。
それがいけなかった。
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