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黄昏色の照明に照らされた同色の壁に、チャイナドレスの影が浮かぶ。
口に煙管を咥えたシルエットは、その色にふさわしい大人びた、あるいは爛れた印象を見る者に与えた。
彼女が座っている場所が、高校の中であると言われて信じる人間はおそらくいない。
だが彼女はまぎれもなく高校の職員であり、おそらくは全国探してもここにしかないだろう、
學園内に設置されたバーで同僚と夜のひとときを過ごしていた。
一見して愛情に等しい手間をかけられているのが判る、
この店にもっとも多く存在する色である濃い琥珀のカウンターに肘を乗せ、
時折グラスを傾けながら、それよりは多い頻度で紫煙をくゆらせている。
銀座か六本木あたりの、それも高級な部類に属する店の女主人にふさわしい優美と妖艶とを兼ね備えた
彼女は、名前を劉瑞麗と言った。
そして瑞麗の隣に座っている同僚は、雛川亜柚子という。
瑞麗がこの店の雰囲気に合っていながら聖職者には見えないように、
彼女は聖職者でありながらこの、彼女の外見からするとややそぐわない店で、
瑞麗よりも早いペースでグラスを空けていた。
それは瑞麗の目から見るとやや危なっかしい量だったが、諫める適当な理由も見つからず、
やんわりと相づちを打っているうちにここまで増えてしまったのだ。
「教師はなによりも生徒のために存在するべきだと思うんです」
正しいが青臭い主張に、一杯煽ることで瑞麗は巧みに同調を避けた。
たとえ酒の席でのことであっても、今の瑞麗は安易に他人の意見に与するわけにはいかない。
うかつに勢いづかせてなんらかの行動を起こされ、巻きこまれては困るのだ。
瑞麗は亜柚子と立場が異なる。
同年代の同性ということで意気投合はしていても、本来の意味でも、また学園内での身分においても、
瑞麗は彼女と同じ教師ではなかった。
現状、この學園には大きな謎がある。
それを調査、あるいは解決するのが瑞麗の仕事であり、職員の不満を聞いて環境の改善を図る任務など帯びてはいない。
瑞麗が亜柚子の愚痴を聞くのはあくまでも個人的な興味の範疇でしかないのだ。
「それなのに……」
そこで言葉を切ったのは、同僚や職場に対する批判を避けたのだろう。
吐きだすつもりだったであろう息を止めた亜柚子は両手でグラスを握ると、
残ったウィスキーを一気に飲みほした。
露になった白い喉が動くのを、瑞麗は半ばは呆れ、半ばは気遣わしげに見やる。
亜柚子の不満の原因を、瑞麗はおそらく知っている。
だがそれを告げることはできない。
立場の上からも、もし真実を知った彼女が自ら危険を冒そうとするリスクを考えても、
瑞麗は一人の少年に可能性を託すしかなかった。
その歯がゆさと、亜柚子が抱いている不満が正当なものだと思うからこそ
こうしてつきあっているのだが、できるのはこうしていくらかでも不満を晴らさせてやるくらいで、
酒量も回を重ねるごとに微量ではあるが増えていて、効果がどれほどあるのかは疑わしかった。
彼は今、どの程度まで進んでいるのだろうかと瑞麗は思いを馳せる。
亜柚子の教え子である彼は、仕事を全うしているだろうか。
本当なら手助けに行ってやりたい瑞麗だが、基本的に外出できないこの學園内で、
酒の誘いを用事があるといって断るのは難しい。
早い段階で他者の耳目を引くのも得策ではなく、
いずれは同行するとしても、彼が深奥部に達するまではうかつに動くべきではないだろう。
それに九龍はあくまでも自分のために行動しているのであって、
亜柚子を、ひいては學園を救うために命を賭けているわけではないのだ。
瑞麗もその点は同じで、彼女の任務が終われば転任、あるいは退職という形で學園を去ることになる。
つまり亜柚子の心配を共有する必要も背負う責任もないのだが、
瑞麗はこの一歳下の同僚を、可能な限り助けてやりたいと考えていた。
ふと、隣で影が揺らぐ。
自分の思惟を追っていた瑞麗が顔を上げると、亜柚子がカウンターに突っ伏していた。
もともとそれほどアルコールに強くはない彼女だが、今日はやや度を超してしまったようだ。
瑞麗は参加していないが夕方に職員会議があったはずで、それが影響しているのかもしれない。
「雛川先生」
軽く身体を揺すってみるが、亜柚子は口を意味のない形に動かしただけで起きる気配もなかった。
最後の一口をあおりながら、瑞麗は思案に暮れた。
このバーは學園内にあるので、極端な話ここに放置してもそれほど問題にはならないだろう。
他の教師達はすでに自室に戻っており、醜態を見られる心配もない。
ただ、寝姿を晒したとなれば女性はやはり気にするだろうし、
置いていかれたとストレスを余計に溜めこませる結果となっては意味がなかった。
「……仕方ないな」
マスターに退店を告げた瑞麗は、亜柚子の腰を支えて立たせた。
ほとんど意識のない亜柚子の体重がほとんど全部かかってきたが、
わずかによろけただけでバランスを取ると、店を後にした。
晩秋の冷気が頬を裂いていく。
適度に酒精を宿した瑞麗にはむしろ快い風だった。
「ほら、雛川先生、帰るぞ」
一方で亜柚子の体温にも心地よいものを感じつつ、瑞麗はもう一度呼びかけた。
「ん……」
亜柚子は生徒にはとても聞かせられないため息で応じただけで、足元も定まらない。
このままでは五分の距離が一時間になってしまうと考えた瑞麗は、彼女を背負っていくことにした。
「よ……っと」
瑞麗の膂力は見かけ以上にあり、成人女性、それも重心がめちゃくちゃな人間を背負っても揺らぐところはない。
店内からそうしなかったのは、亜柚子がかなり丈の長いスカートを履いていて、
背負うためにはかなり裾をまくらねばならなかったからだ。
膝の少し上までスカートを捲りあげられた亜柚子を背負った瑞麗は、
今日が曇りで良かったと呟いてから歩きだした。
幸いなことに誰にも目撃されずに自室まで帰ってくることができた瑞麗は、
備えつけのベッドに亜柚子を下ろすと、まず大きく息を吐いた。
腰に手を当て、軽く反りかえる。
「思ったよりも重いんだな、雛川先生は」
次に彼女が聞いていないのを確かめたうえで嫌味を言った。
亜柚子は年齢相応の身長と体重だと思われるが、初めて対面した際、瑞麗は末の妹より幼いと思ったものだ。
それが実際は一歳しか離れていないと判明したとき、瑞麗は内心の驚きを隠すのに苦労したものだった。
とはいっても、亜柚子が幼いのはあくまで外見だけで、若干理想に傾いているところがあるにしても、
思考はしっかりとした成人のものであるのはすぐに判明し、亜柚子の方でも一歳差という以上に知識と経験が豊富な、
端的にいうなら大人の女性である瑞麗と意気投合し、教師であっても外出を禁じられているこの天香學園で、
仕事後の時間を共に過ごすことが多くなった。
今ではすっかり友人と呼べる仲だから、本人に聞かれたところで冗談として通じるだろうが、
秋になって亜柚子は少し痩せたいようなことをほのめかしていたので、
一応面と向かっては言わない方が賢明だろうという判断だった。
かいがいしく乱れていたスカートの裾を直してやった瑞麗は一度立ちあがり、右手を顎に当てて亜柚子を見下ろす。
数秒思案していたかと思うと、再びベッドに腰かけ、亜柚子の脇に手を入れた。
ブラのホックを外し、ブラウスのボタンもいくつか外して胸を楽にさせる。
ここまで事務的に進めたところで、瑞麗の手が止まった。
服の間から覗いた下着の妖艶さに驚いたのだ。
亜柚子も二十歳の半ばを過ぎているのだから、この程度はむしろ相応といえるかもしれない。
けれども時に彼女の教え子と同年代とも間違えかねないほどの童顔との組み合わせはやはり意外だった。
これが単なる趣味なら構わないが、ストレスに起因するものだと良くないかもしれない、
などと余計な気まで回してしまう。
「……」
今のうちに箪笥の他の下着をチェックしてみようか、などと余計どころか危険なことまで考えたところで
瑞麗は頭を振り、愚かしい考えを捨て去った。
亜柚子が起きる気配はまだない。
しばらく逡巡したあとに瑞麗は、彼女のスカートのホックも外してやることにした。
「ん……」
これでだいぶ楽になったのか、亜柚子は目に見えて弛緩し、呼吸が深く、大きなものになった。
ただ、今度は服が邪魔なのか、身体をよじりだしている。
同性の裸に関心はない瑞麗だが、苦しげに呻く亜柚子はなぜか悩ましげで、
傍で聞いているとあまり精神に良くないと感じ、今のうちにシャワーを浴びておくことにした。
浴室から戻った瑞麗は髪を乾かすよりも先に、ベッドの上の惨状に眉をしかめた。
眠っているくせに脱ごうとしたのか、ブラウスは下からボタンが三つ外され、
しかもスカートがずり下がっているものだから、腹部が丸見えになっている。
一見すると乱暴されたかのような服装の乱れ具合だが、寝顔は健康そのもので、
どんな夢を見ているのやら、笑っているようですらあった。
「まったく……教師ともあろう者が、だらしない」
本気で思っているわけではないにせよ、唯一の寝る場所を占領されているのだから、瑞麗の口調は厳しい。
とはいえ亜柚子が起きる気配は微塵もなく、このままでは床に寝る羽目になりそうだった。
予備の布団など用意していないので、掛け布団だけで一夜を過ごすことになるから、
いつもの軽装では風邪を引いてしまうかもしれない。
何を着ようか、大して服など入っていないたんすの引き出しを開けて中を物色していると、
背後から死人が蘇ったときのような声が聞こえてきた。
「うう……ルイ……先生……?」
振り向いた瑞麗は、亜柚子が期待に違わぬひどい顔をしているのを見て、
酔客には判別できない程度に笑った。
一夜の宿を提供する礼として、これくらいは構わないだろう。
「明日は休みだから、ゆっくりするといい」
コップに冷水を満たして亜柚子に渡す。
素直に受けとり、飲みほした亜柚子は、眠たげなせいでますます子供っぽく見える眼を、
それでも懸命にこじ開けて瑞麗を見上げた。
「いえ……ご迷惑をかけたみたいで、すみませんでした」
「気にすることはないさ」
瑞麗にたとえほんのわずかでも泥酔した亜柚子に対して苛立ちがあったとしても、
怒られた子犬のように悄然とする彼女を見ればそんな気持ちなど微塵もなくなった。
「先生」
目を伏せていた亜柚子が何を思ったか、にわかに顔を上げる。
髪は乱れ、肌は赤らみ、お世辞にも美しいとはいえない顔だったが、
ただ双眸の輝きだけが瑞麗を惹きつけた。
「私……解っているんです。このままじゃいけないって。
でも私はまだこの学校どころか教師にだってなったばかりで、それを言い訳にして何もしない自分が悔しくって」
「大丈夫だよ、雛川先生」
彼女の抱える困難は、単に教師としての経験を積んだとしても、とても対処できないほど大きい。
こんな状況で亜柚子が諦めるのは許せなかったが、真実を話してしまうわけにもいかない。
真情の欠片でも伝えられれば、と亜柚子の隣に腰を下ろした瑞麗は、
彼女の手を取り、可能な限り優しく諭した。
「この学校に問題があったとしても、きっと解決できる。雛川先生のような生徒思いの教師がいるんだからな」
「そう……でしょうか」
亜柚子の声に力はない。
もともと悲観的な考えをする女性ではないと思っていたが、
彼女の裡に根を張っている無力感が酒のせいで成長しているのだろうか。
酒で晴らせる憂さはあくまでも軽微なもので、それ以上のものはかえって悪い影響を心身に及ぼす。
それはいけない、と瑞麗は亜柚子の手を強く握った。
「先……生……?」
亜柚子が驚いて顔を上げる。
至近にあった彼女の瞳は、己の力不足と、それゆえに誰かにすがりつきたいという想いに濡れていた。
その相手は自分ではないと瑞麗は思う。
けれども、重要なのは今この場で彼女を慰めてやれることだった。
五秒ほどの間、亜柚子と視線を重ねた瑞麗は、意を決して唇を奪った。
「――っ!」
いきなり、やや乱暴に舌を挿れたのは、
強い嫌悪の感情であっても悩みを追いだすことができるのではないかと考えたからだ。
ところが思惑に反して亜柚子はさほどの抵抗をみせず、それどころか応じさえしてきた。
「ん……ッ……」
それならばそれでいい、どうせならこちらの方が歓迎だ、と瑞麗は唇を舐める。
大胆に腰に手を回しても、やはり嫌がられはしなかった。
あまりにスムーズに事が運んでしまうのでもしやと思い、一度手を止めて彼女の瞳を覗きこんだ。
「雛川先生は、その手なのか?」
「そうじゃない……と思います。ただ、男の人はちょっと怖くて」
亜柚子の返事を聞き流しながら、はだけたブラウスに沿って腹部から胸へと手を這わせる。
最初からそのつもりで服を脱がせていたのだと誤解されるかもしれなかったが、
それでも一向に構わなかった。
あっさりと乳房にたどりついた指を、瑞麗はためらわず頂へと進ませる。
亜柚子はなかなか良い感度をしているようで、少し転がしただけで乳首はしこり、弄びやすい大きさになった。
爪を立てないよう気をつけながらじっくりと愛撫していると、亜柚子はすでに気分を出しているのか、
甘えるようにもたれかかってくる。
「瑞麗先生は……そうなんですか?」
「そうじゃないと思うが、雛川先生のような可愛い女性なら構わないな」
冗談めかして言うと、亜柚子は血色の良い頬を一層赤らめてうつむいてしまった。
その仕種はもともと若く見える彼女をより幼く見せ、同性の瑞麗をすら惹きつける。
女だからといって可愛さだけを売りにするような手合いを瑞麗は嫌っていた。
しかし亜柚子は自分の容貌を少なくとも武器にはしておらず、知性にも不足はない。
さっきまで任務の妨げになるような関わりは一切持つな、ときちんと機能していた理性も
アルコールが回ってしまったようで、原始的な欲求に抗しきれなくなっている。
亜柚子の体温と柔らかさはあまりに快く、瑞麗は掌全体を使って豊かな膨らみを味わった。
「ん……っ、ルイ……先生……っ」
うわずった亜柚子の声が、欲望を加速させる。
空いた手で亜柚子に振り向かせ、しどけなく開かれた唇を強く塞いだ。
「ん……っう……」
亜柚子の鼓動が早くなり、やがて落ちつく。
心臓を直接握っているかのようにはっきりとそれを感じた瑞麗は、いつまでも唇を離そうとしなかった。
「ルイ先生、煙草の味がするんですね」
「雛川先生は酒の味かな」
「ひどい」
亜柚子が大きな目をわずかに細めたのは怒っているつもりらしいが、
まるで迫力がなく、瑞麗はかえって可笑しくなってしまう。
「私は酒の味がするとは言ったが、不味いとは言っていない」
「あ……で、でも、そん、っ、ふ……」
上下の唇の隙間に沿って舌をそよがせ、亜柚子の反応をうかがう。
浅く、弱く、蛇のように舌先を小刻みに操っていると、ほどなく亜柚子は瑞麗を受けいれた。
「あ、あぁ……あ、うっ、うぅ……」
亜柚子の方からも舌を絡めてきたが、酒精が入りこんでいるためか、瑞麗と動きが噛みあわない。
やがて亜柚子もそれを自覚したのか応じるのをやめ、瑞麗にキスを委ねてきた。
亜柚子の身体を引きよせながら、瑞麗は深く舌を挿れる。
優しい、大抵の女性が好むキスでなく、あえて器官を溶かすような淫らなくちづけを、息が続く限りまで。
灼けるような熱さの舌を擦りつけ、吸いあげると、
亜柚子は心地よさげに抱きしめ、しがみついてきた。
「……キス、上手なんですね」
「そうかな? 喜んでもらえたのなら嬉しいが」
瑞麗にそれほど上手いという自覚はなく、おそらくは亜柚子が上手くないのだろう。
けれども褒められて悪い気はせず、潤んだ瞳で熱い呼気を吐きだす顎をつまむと、
亜柚子はすっかり陶酔したようすで目を閉じた。
瑞麗は内心で肩をすくめる。
教師としての青臭さはともかく、こちらの方面では彼女は間違いなく少女趣味なところがあるようだ。
ただ、それは亜柚子の童顔には似合っていたし、全体的に丸みを帯びた彼女の顔の中でも、
特にふっくらとした唇に触れるのはなかなかに気持ちが良かった。
「っふ……ん……」
唇を丹念に舐めてから、舌を挿しこむ。
亜柚子の漏らすか弱い鼻息に刺激され、やや乱暴に口腔を掻きまわしてみたりもするが、
亜柚子に嫌がるようすはない。
そうすると必然瑞麗の舌も激しさを増していき、すぐに唾液を交換するほどの爛れたキスになった。
「はぅ……っ、ん、ん、ぅぷ……っ、んん、んふ、ん、ん……っ……!」
舌を啜り、貪る。
触れるところ全てを舐め、吐息すら飲ませる激しい接吻に、
亜柚子は少ししがみつく手の力を強めただけで最後まで抗わなかった。
ただ、途中からは本気で彼女を犯した瑞麗が口を離すと、たちまち糸が切れたようにぐったりとする。
身体を支え、ほとんど顔の下半分を汚した、どちらのものとも判然としない体液をぬぐってやると、
亜柚子は丸い目の端を恥ずかしげに下げた。
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