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 九龍が図書室に入ると、他に生徒はおらず、
図書委員がひとり、受付で本を読んでいるだけだった。
扉が開く音で顔を上げた女の図書委員は、なじみとなった九龍に親しげな笑顔で挨拶した。
「こんにちは、九龍さん。今日もですか?」
「ああ、出雲神話のあたりをもう少し詳しく調べたくて」
 九龍が答えると、女生徒は頷いて立ち上がった。
彼女について九龍は図書室の奥に向かう。
普段は鍵がかけられていて一般生徒は立ち入りができない、禁貸し出しの蔵書が収められた書庫。
ここに九龍は一週間ほど前から通うようになっていた。
 特定の分野、具体的には日本神話の類に関しては、
なまじの図書館よりも遥かに稀覯きこう書の揃った書庫は、
図書室を利用する者のほとんど全員にとって意味のない、無駄な空間にすぎない。
しかしある限られた人間──この學園の地下に広がる、巨大な遺跡の存在を知る者──
にとってみれば、これらの古ぶるしい、おとぎ話と変わらぬような荒唐無稽な書物の数々は、
黄金などより遥かに価値のある文字通りの秘宝だった。
 葉佩九龍も、その価値を知る数少ない人間のひとりだった。
いや、遺跡を探索し、その秘密を解き明かすために転校生を装ってこの學園に潜入した
九龍こそが、おそらく最もこの書庫の意味を知る者に違いない。
 遺跡内に施された、日本神話を象徴した仕掛けの数々。
はじめは盗掘者を眩ませるための性質たちの悪いトラップかと思っていた九龍も、
幾つかの仕掛けを解くと、この遺跡自体が神話を伝える語り部、
失われた歴史の真実を印す金字塔なのだと悟った。
となれば、まるでこの學園の創立者が、地下の遺跡のことを知っていたかのように
質量共に地下を向いて揃えられた書物。
幾らかでも手間と危険が省けるのなら、これらを活用しない手はない。
書庫に入るために必要な鍵を持っている、
図書室を管理する七瀬月魅を説き伏せるのは容易なことではないと思われたが、
意外にも、それとも当然というべきか、古代神話について造詣が深い彼女は、
記紀神話について研究したい、と告げた九龍に対して幾つか質問をし、
九龍が興味本位だけでないと知るとあっさりと閲覧を許可してくれた。
 文献は大いに役に立った。
なにしろ地下の遺跡は、完全に忠実に神話を辿ってくれているのだ。
いや──もしかしたら、こここそが神話の原型アルケタイプとなった地なのかもしれない。
どちらが真実なのかは遺跡の探索が進めば明らかになるだろうが、
いずれにしても、事前に記紀神話を学んでおけば、それだけ有利に事が運べるのだから、
九龍は熱心に図書室に通った。
その熱心さは遺跡を窮めたいという思いから生じるものであり、
それ以外にはないはずであった──今日までは。
「それじゃ、用が済んだら声をかけてくださいね」
「ああ、悪いね」
「いえ、私は受付にいますから」
 研究をするのに邪魔にならないよう、月魅は配慮してくれる。
まだ図書室に通うようになってそれほど日は経っていないのに、
こうも信用されると少し面映おもはゆい。
月魅はよほど同好の士に飢えていたのだろうと思うと、
彼女に地下の遺跡のことを教えてやりたいしんじつはそこにあるという誘惑に駆られる九龍だったが、
少なくとも遺跡の最奥部に到達し、目的を達成するまでは口外はできなかった。
見たところ彼女は八千穂明日香とは異なり、軽々しく秘密を喋ったりするようには見えないが、
それでも、用心は敷くにこしたことはない。
ここは教師よりも強い権限を持つ『生徒会』が幅を利かせている場所であり、
遺跡の探索に集中したい九龍としては、些事を増やしたくないのだ。
 目的を達成し、自分が學園ここを去る段になったら案内ガイドしてやっても良いが、
それまでは今日は何を調べたのか、書庫から出た後に決まって訊ねてくる月魅に
つきあってやるくらいが精々だった。
 そんな中で九龍がそれを発見したのは、まったくの偶然だった。
今探索を進めているエリア──ご丁寧に、地下の遺跡は世界の始まりから順に日本の歴史を辿って
いくようになっている──に関連する書物を調べようと、本棚を目で追っていた九龍は、
一番下の段の隅に、不自然な窪みを発見したのだ。
立ったままでは気にも留めない窪みだが、一度気づいてみればいかにも怪しい。
まさか隠し部屋へのスイッチがあるわけでもないだろうが、と考えながらも、
身についた癖で九龍はしゃがみ、注意深く窪みを覗きこんでみた。
「……?」
 見てみればなんということはない、小さな本が押しこまれていて、
それが上からだと窪みのように見えただけだった。
ただ本はカバーがかけられていて、
そもそも本という体裁さえなしていないものが多いこの部屋の文献にあって異彩を放っている。
だが、何の気なしに適当にページを開き、目を走らせてみた九龍は、思わず低く笑ってしまった。
 その笑い声を聞きつけたのか、棚の向こうから月魅が姿を見せる。
不審を浮かべる彼女に、九龍は薄く笑ったまま本をかざしてみせた。
「へえ」
 九龍が取り出した本に、月魅の顔は一瞬で青ざめていた。
こんなところにも『秘宝』は存在し、そして護り手がいるというわけだ。
九龍はうつむいてしまった月魅の傍に寄ると、顔を覗きこんで語を継いだ。
「月魅はこういうのが好きなんだ」
 文学、とくくるのもはばかられる、卑猥な単語を羅列した文章。
欲望を満たすことに重きを置かれた、ただそれだけの文章は、高校の図書室にあるべきものではない。
誰かが私物として持ち込まなければ決して置かれることはなく、
そしてこの書庫室の鍵は月魅が管理していた。
本を愛する、と公言し、休み時間さえ本の整理に当てている月魅が、
こうしたイレギュラーな本の存在を知らないはずがない。
二つを合わせればこの本の持ち主が誰か推察するのは容易であった。
「お願い……です。皆には」
 消え入りそうな──事実、月魅はそうしたいと思っていたことだろう──声でうつむく月魅を、
九龍は無言で眺めた。
 言うつもりなど元からない。
こんなことを暴露したところで月魅が恥をかくだけで九龍が得するわけではないし、
秘密といえば九龍の方が遥かに重大な、そして危険な秘密を持っているのだ。
官憲に捕まった間抜けを助けてくれるほど、『協会』は甘くはない。
秘宝を手に入れているならともかく、見捨てられておしまいだろう。
用心深く行動してきたおかげで、今のところ誰にも『宝探し屋』のことは気づかれていないようだが、
万が一の時のためにも、安全弁は多く確保しておくにこしたことはない。
 一歩踏み出しただけで、月魅はびくりと肩を震わせる。
小動物のような脅え方に、九龍は胸中にさざめくものを感じた。
探索をおろそかにするつもりはない。
しかし、息抜きがあっても良いのではないか。
それが実利にも繋がるのならば、なおのこと。
 浮かびかけた笑みを抑制した九龍は、目を閉じ、
悪夢の通り過ぎるのを待っている月魅の前に立つと、無造作に尻を掴んだ。
「……!!」
 スカートの上から一周、円を描いた手はすぐにその内側へと入る。
月魅は立場を理解しているのか、震えるだけで抵抗しようとはしなかった。
柔肉の感触よりも、月魅の反応の方にに快感を覚えながら、九龍は尻を握った手にじわりと力を込める。
「……っ……」
 月魅が息を呑むのが伝わってくる。
彼女が息を吸いきったのを確かめてから、九龍は手を滑らせていった。
柔らかな丘から、もうひとつの丘の間にたたずむ谷間に。
淫靡な目的を持っていることを隠そうともしない動きで、渓谷を音もなく進ませる。
やがて指先が目指す場所に辿りついても、月魅は動かなかった。
口の端を吊り上げた九龍は、もう片方の手を彼女に巻きつける。
 二つの影は長く伸び、静かに絡みついていった。



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