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練馬の空に、高笑いが響き渡る。
「ははははは。この子供たちはもらっていくぞ。こいつらは改造して悪の戦闘員にしてやる」
声量豊かな声は迫力あるものだったが、どこか芝居がかった響きがあった。
それに被さるような叫び──こちらは女性の声だ──は、先の声とは逆に、
声量こそ及ばないものの、場慣れした堂々としたものだった。
「子供達をさらうなんて許せないわ! ──正義の力、今あなたに見せてあげる!」
「しゃらくさい。返り討ちにしてやる〜!」
一組の男女は、両手を振りかざしてお互いに掴みかかった。

「ごめんね、せっかく会いに来てくれたのにこんなことに呼んじゃって」
「いや、気にしないでいいよ。こういうの面白いし」
足元にじゃれつく子供たちをいなしながら、数年ぶりに帰国した龍麻と、
保母となった桃香が話している。
その有様は、声だけ聞いたら大喧嘩にも間違われるほどのものだった。
何しろ子供達の元気の良さときたら呆れるほどのもので、倒されないようにしつつ、
しかも腹から声を出さないと会話にならない。
五年ぶりの仲間との再会ではあったが、久闊を叙するにはもう少し待った方が良さそうだった。
その間にも叩いたり蹴ったり、だんだんエスカレートしていく子供たちに、
とうとう龍麻も堪忍袋の緒が切れる。
「もう怒ったぞ。おれさまの怖さ、お前達に教えてやる〜!」
両手を広げて子供を追いかけて行く龍麻に、歓声が続く。
その後姿を微笑ましげに眺めていた桃香だったが、
すぐに自分も子供たちの渦中に巻き込まれるのだった。

日は沈み、活気があった幼稚園も、今は静けさに主役を譲り渡している。
門のところで園舎を見るでもなく見ていた龍麻は、仕事を終えて出てきた桃香に軽く手を上げた。
「お疲れ様」
「ごめんね、待たせちゃって。お腹空いたでしょ」
「まあね」
素直に龍麻が頷くと、桃香は人差し指を唇に当てて考え込む。
子供達を相手にしているからか、その仕種は、少し大げさで可愛らしいもので、
龍麻が目を細めたのは夕陽のせいだけではなかった。
思案がまとまったのか、桃香は掌を拳で叩く。
その仕種はやはり子供っぽいものだったが、提案はそうでは無かった。
「……ね、良かったらあたしの家に来ない? お礼も兼ねて晩ご飯ご馳走するわ」
「……いいの?」
「もちろんッ!」
騎士道精神に基づくには胃袋は空腹の限界を超え過ぎていたので、
龍麻は有り難くその誘いを受けることにした。

「ちょっと待ってて、着替えだけ済ませちゃうから」
そう言って先に家に入った桃香が、十分ほどして再び姿を現した時、
龍麻はしばらくその場から動くのを忘れてしまった。
「どうしたの?」
「いや、髪下ろしたところって初めて見るから」
「そうだった? ……なんか恥ずかしいな」
「ご、ごめん」
「ふふっ、いいの。さ、入って」
およそ女性の家に上がるのは初めての龍麻は、ついあちこちを見渡さずにはいられなかった。
飾り気のないシンプルな部屋は、流石に女性と言うべきで、綺麗に片付けられている。
いくつかぬいぐるみも置いてあって、ますます女の子らしさを感じた龍麻だったが、
良く見ればそれはヒーロー物のぬいぐるみだった。
彼女の部屋にはむしろあって当たり前のものではあるものの、つい微小の時間固まってしまう。
「どうしたの? 座って」
そこにエプロンをかけながら桃香が話しかけてきて、
龍麻は勢い良く薦められたテーブルに座った。
「何、そんなにお腹空いてるの?」
「え? あ、うん、子供達とずっと遊んでたからね」
「そうよね、ちょっとだけ待ってて。すぐ食べられる物作るから」
元気良く笑った桃香は、早速台所に向かう。
その女性然とした後姿と、気がつけば部屋のあちこちに置いてあるぬいぐるみとの落差に
なんとなく思わずにはいられない龍麻だった。
小気味の良い包丁の音を立てながら、桃香はしきりに話しかけてくる。
刃物や火を使いながらで危ないのでは、と思った龍麻だったが、
彼女は全く危なげなく両方をこなしていた。
「今日は本当にありがとうね。子供達にもすっごい評判だったのよ」
「そうかな。なんかずっと叩かれるか蹴られるかしてたけど」
「それは、龍麻君が迫真の演技だったからよ。他の先生たちにも受けてたもの」
自分が褒められたかのように喜ぶ桃香に、悪い気はしない。
「本物」である桃香に見劣りしないために、
恥ずかしさを捨てて真剣に演じた甲斐があったというものだった。
「最近のヒーロー物ってさ、どんなのが流行ってるの?」
何しろずっと日本におらず、元々そちら方面の知識に乏しい龍麻は、
何気ない会話のつなぎのつもりで聞いてみたのだった。
「そうね、今年から始まったのは子供達には少し解りにくいみたいで……
その点は去年の方が良かったんだけど、でもちょっとヒーローに正義の心が足りなかったのよね。
そうそう、それで思い出したんだけどあの番組がね」
水を得た魚、よりも勢い良く話し始める桃香に、うっかり聞いたことを後悔する龍麻だった。

桃香が作ってくれた料理は、掛け値なしに美味しいものだった。
食の本場である中国を旅してきた龍麻だったが、何しろ予算がごく限られていた上に、
途中からは劉と京一の旅費まで龍麻が負担させられることになって、
時には一日一食で過ごすことさえあった有様なのだ。
ごく普通の、日本的な味付けがされた食事は何年ぶりかで、感動せずにはいられなかった。
「美味い……」
しみじみと言う龍麻に、桃香はわずかに頬を赤らめる。
「そんな、大げさね。お腹が空いてるから、美味しく感じるんじゃない?」
「そんなこと無いって。……っと、ご飯おかわりしてもいい?」
「もちろん。全部食べちゃってもいいわよ」
嬉しそうに頷く桃香に、遠慮しなければ、と思いつつ龍麻は箸を止めることが出来なかった。
しばらく食べる事に専念していた龍麻も、テーブルの上のものをあらかた胃に収め、一息つく。
そこに、自分の分はとうに食べ終えていた桃香が、お茶を淹れながら話しかけてきた。
その話題は、必然的に五年前の仲間たちのことだった。
思えば龍麻と桃香にしても、仲間として過ごしたのは五年前の、
わずか半年にも満たない間に過ぎない。
それでも、そこで生まれた絆はどの友人たちよりも強く、打算の無い絆だった。
「レッド……紅井と黒崎は?」
「……そっか、龍麻君は中国行ってたから知らないんだよね。
紅井君は実業団で野球を続けてるの。今年のオリンピックにも出るんだって」
「そりゃ……凄いな」
「黒崎君はイギリスのサッカーチーム……ごめんなさい、名前は忘れちゃったけど、
とにかくそこで今プレーしてるって」
「それじゃ、イギリスに?」
「ええ、何ヶ月か前までは日本にいたんだけど、今は向こうよ」
「そっか……凄いな、アランもパイロットになったし」
かつての仲間達の出世ぶりに、龍麻は目を丸くするしかなかった。
何しろ紅井と黒崎が──桃香もそうだが──
実際に野球やサッカーをしている所を見たことは無く、
運動神経の良さから、下手ではない、とは思っても、
オリンピックに出るほどの有名選手になるとは思っていなかったのだ。
何かと言えば馬鹿でかい声で笑う紅井と、
それを諌めつつ実は全く諌めていない黒崎の顔を思い浮かべ、龍麻の胸に懐かしさがこみ上げる。
遠くを見つめているような龍麻の瞳に、
桃香も同じ景色を重ねたようで、今度は龍麻の周りの近況を知りたがった。
周り、と言っても龍麻は高校を卒業するとすぐ中国に行ってしまったのだから、
一緒に行った京一と劉、後は真神の仲間くらいしか知らないのではあるが。
「葵は先生で桜井は婦警になったって、貰った手紙に書いてあったなあ」
「ふーん……二人ともぴったりよね」
桃香の感想に、龍麻は何故か簡単に頷いただけだった。
それ以上彼女達について触れられるのを避けようとしているかの態度だったが、
桃香はそれに気付かず、そして龍麻の望み通り他の仲間への関心へと話題を移した。
「京一君は?」
「あいつ、飛行機は同じだったんだけどなぁ、空港でもうはぐれちまったよ。
多分貸した金踏み倒すつもりじゃねぇのかなアレ。あのバカ中国で財布落としやがってさ」
「ふふッ、そうなんだ。それじゃ……龍麻君は?」
話の流れからしたら、その質問が出るのは当然と言えた。
にも関わらず、龍麻はすぐには答えなかった。
「俺? 俺か……恥ずかしいけど、今は無職っていうのが正しいかな。
一応、世界中にある龍脈の流れを視て、乱れていたら正すってことをしてるから、
風水師って言えないこともないけど」
どう言葉を飾ったところで、今の日本の社会からは逸脱してしまっているのが龍麻の現状だった。
その力は彼が自分で把握しているよりもずっと強い影響を世界に及ぼしていて、
やんごとない筋から食うに困らない程度の資金を提供されているのではあるが、
とにかく、真面目に働いている桃香を目の当たりにした後では、胸を張って言えることではない。
しかし、桃香の反応は龍麻の予想と全く異なるものだった。
「凄いじゃない! 世界中を飛び回っているってこと?」
「あ……ああ、アランとも空港で会ったんだ。
びっくりしたよ、いきなり制服着た人間に肩叩かれたから、どこか連行されるのかと思った」
龍麻は安心しつつも意外さを禁じえなかった。
桃香は自分に対して抱いているであろう五年前のイメージと今との差に、
間違い無く幻滅すると思っていたのだ。
そんな龍麻の心配を吹き飛ばすようにひとしきり笑った桃香は、
その笑いを収めると、寂しそうな、大人びた表情をした。
「そッか……皆、凄いんだ。あたしだけね、こんな普通の仕事なのは」
華々しい活躍をする仲間達に対してコンプレックスめいたものを感じていたのは、
桃香も同じだったのだ。
つまらないひがみなど捨て、彼女を励まさなければならないと思った龍麻は、
少し大げさな表現を選んだ。
「……保育士だって、立派な仕事じゃないか。それに、子供たちあんなに本郷さんに懐いて。
きっとあの子達は夢の大切さを知る大人になるよ」
「……そうよね。ごめんなさい、弱気なこと言って」
気持ちが伝わったのか、頷いた桃香は表情を改め、話題を変えた。



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