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奇妙な物音に、マリアは足を止めた。
自分が発する音を極力消し、聞き間違いでないか確かめる。
不規則に、しかし途切れることなく続く物音。
それは、学び舎にあるまじき物音──女性の嬌声だった。
そのような不埒な行いを教師として見過ごせるはずもなく、マリアは声の方へと向かう。
もしやとは思ったが、声はなんと自分の教室から聞こえてきていた。
他所のクラスの生徒が忍びこんでいる可能性も無くはない。
しかし、普通に考えれば中にいるのは教え子の誰かだ。
怒りに形の良い唇を噛んだマリアは、自分の受け持つ教室に忍びより、そっと中を窺った。
そこにあった光景に、思わずマリアは小さく息を呑んだ。
裸の女が、学生服の男の上に跨っている。
足を一杯に開き、卑猥に腰を振りたてている姿は、どう誤解のしようも無いものだった。
二人は、交わっている。
まだ教師として真神に来て日が浅いマリアは、そこまで学校に愛着を持っている訳ではなかった。
しょせんはかりそめの生業であり、目的が果たせれば明日にも消えてしまって構わない。
生徒達は慕ってくれているが、彼らも所詮は人間であり、
過度の肩入れをする理由など人間への憎しみを糧とするマリアにはどこにも無いのだった。
しかし今彼女に涌き起こった、自分の聖域を汚されたという思いは驚くほど強く、
マリアは動かぬ証拠を掴むため、あるまじき行為に耽っている二人の正体を確かめようと、
よりはっきり彼らが見える場所へと身を移した。
気付かれないぎりぎりの位置まで近づいても、男の方は逆光で顔が見えない。
女も背をこちらに向けており、顔は判別出来なかったが、その美しい黒髪に、マリアは息を呑んだ。
日本人特有の、濡れ羽色という表現があるらしい髪の中でも、特に彼女のそれは際立っていて、
初めて見た時、マリアはらしからぬ羨望を覚えさえしたものだ。
彼女はこの学園の生徒会長であり、クラスの委員長でもあり、
何かと不馴れな自分を色々とサポートしてくれてもいる。
同僚から彼女は聖女とも呼ばれていると聞いた時、さもありなんと大いに頷いたものだった。
その、名を美里葵という彼女は、今、顔立ちだけでなくスタイルも美しいことを惜しげもなく晒していた。
椅子に座っている男にしがみつき、上下だけでなく、前後や回転さえも交えて腰を動かし、
淫らな欲をだらしなく貪っていた。
「ああ、あんっ、はぁ、はぁ……っ、いい……いい、の……」
陶酔しきった声からは、普段の知性と理性に溢れた彼女の面影は微塵も感じられない。
そして喘ぎに混じって聞こえる粘りけのある音は、
聞いているだけで欲情を覚えてしまうほど卑猥なものだった。
無論マリアは音ごときで我を失ったりはしないが、出ていくタイミングも掴めず、
二人のセックスを間抜けに覗いているしかない。
それにしても、気になるのは男の方だ──マリアが改めて疑問を抱いた時、室内の声が一際高まった。
「はっ、あっ、あっ、ぁ……緋勇くん、私……も、イク……っっ、いやぁ、はぁぁ……んっ」
細い叫びと共に、葵の裸身がしなる。
ほとんどそり返りそうになっていた背中は、男の手によって抱きとめられ、
その限界点で遠目に判るほど痙攣していた。
いかにも快さそうに身を震わせた葵は、絶頂を迎えた特有の甘ったるさで男にしなだれかかり、
束の間の静寂が訪れる。
今こそ教室に入る時だ。
理性はそう命令していたが、葵が発した男の名前に、マリアの全身は麻痺してしまっていた。
緋勇、龍麻──彼女が真神にやって来た、理由。
人でありながら人ならざる、マリアが欲する『力』を持つ少年。
彼がこのような行為をしていることに、マリアが抱いたのは怒りだった
もちろん彼も一介の人間であり、高校生であるから、性欲に踊らされていても不思議ではない。
事実彼は紛れもない人気者であり、クラス内だけでなく、
学校中の女子生徒から毎日何かしら声をかけられている。
別に人間が種の繁殖と建前をつけた、堕落した肉の交わりに励もうと知ったことではない。
しかし、滅びゆく運命の一族を救いうるかもしれない鍵となる男が、
このようなただれた淫楽に耽っているなどと、許せるはずもなかった。
それがかなり身勝手な感情であると自覚しつつ、マリアは本気で彼に対して忿怒していた。
一瞬こそ動きを止めてしまったものの、すぐに内側から噴出する膨大な情念に後押しされ、
再び踏み込もうと息を整え、扉に手をかける。
「どうしました? マリア先生」
まさにその瞬間に扉の向こうから行われた龍麻の挨拶は、あまりにも自然だった。
つい教師の顔で「何かしら?」と答えてしまいそうな、ごく普通の挨拶。
しかし龍麻は裸の葵を抱いたままであり、自分に向かって上げられた手は、
そのまま少女の胸へと伸びた。
気配を殺し、彼からは全く見えない位置から見ていたのに、何故気付かれたのか。
機先を制された悔しさとぶざまさに白い顔を鮮やかな赤に変え、
マリアは龍麻の前に出ていった。
「マ……マリア……先生……」
葵の驚ききっている声も、マリアには白々しく感じられる。
学校内で服も着ずにあのような、廊下にさえ響き渡る淫声をさえずっておいて、
見つからないとでも思っていたのだろうか。
マリアが隠そうともしない侮蔑の眼光を浴びせると、
葵はとにかく服を着ようとするが、龍麻に制され、裸のまま立たされていた。
女性としての発育をほとんど終えている身体は、汗と淫猥な体液でうっすらと輝いている。
ほとんど隠せていない乳房と、たった今まで男を感じていた下半身を両手で懸命に覆う姿は、
あまり認めたくは無いが、中世の絵画のような美しさだった。
一方龍麻は、学生服こそ着たままであるが、葵を辱めていた男根を隠そうともしておらず、
ふてぶてしく座る姿はまさしく淫魔(を思わせるものだ。
鼻をつくいかがわしい匂いを発する白濁に塗れた醜怪な異物を、
視線からどかすのに何故かてこずりながら、マリアは教え子を難詰した。
「アナタ達……ここは学校よ、何を考えているのッ」
非のほとんどない優等生である葵は、教師の叱責に身も世もないほど俯いたが、
席に座ったままの龍麻は、恐れ入るどころか横に立たせた葵の尻を撫で回している。
「こいつは自分の席でするのが好きなんですよ。な、葵」
揶揄する龍麻に葵の顔が、全身の血が集まったかのように赤くなる。
クラスで最も信頼している生徒である彼女がいいように辱められていることに、
マリアは激しい義憤を覚えた。
その義憤を嘲るように、龍麻が続ける。
「葵は俺が転校してきた日にもう気に入っていたみたいでね、俺のこと。
だから落とすのは簡単でしたよ」
「やっ、緋勇……くん……」
龍麻はまるでマリアなど眼中に無いかのように葵への愛撫を続け、
まだ拭いてもいない、生々しい行為の跡が残る股間を指先でいじる。
葵は切なそうに身悶えしながらも、決して龍麻を止めることはなく、
マリアは自分がひどく馬鹿にされたように思い、必要以上に声を荒げた。
「止めなさいッ! アナタ達の処分は校長先生と相談して改めて伝えます。
相当に厳しい処分が下されるでしょうが、覚悟しておきなさい」
本当に校長に報告するか、まだマリアは決めた訳ではない。
何しろ自分のクラスの不祥事であり、管理能力を問われかねないのだ。
しかしこの時は間違い無く本気で言ったのであり、
自分が恥をかくこととなってもこの男を反省させねば気が済まなかった。
叩きつけるような声と表情に、葵は赤から青へ、惨めに顔色を変えている。
しかし龍麻は、それでもなお葵を辱める手を止めようとしなかった。
「別に退学になったって俺は構いませんけど……
マリア先生だって脛に傷ひとつ無いって訳じゃないんじゃないですか」
龍麻の、錆びた刃のような言葉がマリアを抉る。
思いもよらない反撃に、彼女はうかつにも言葉を詰まらせてしまった。
「何を……言っているの」
「先生、人間じゃないでしょう? その陰氣、隠したつもりでも俺には判ります」
生徒達につき続けている唯一の嘘を見破られて、マリアは動揺を隠しきれず、
わずかにその厚い唇を震わせてしまった。
失策に気付いて急いで瞳から色を消すが、龍麻は勝ち誇った笑いを浮かべ、
葵を腿の上に座らせると、腰を抱いた手を陰部へと潜らせる。
未だ火照りの残る部分を触られて、声を出さないよう必死に耐えている彼女は哀れですらあった。
愛撫によって再び熱を帯び始める葵の身体から可能な限り身を離して、
マリアは教師の口調ではなく、冷徹な大人のそれで言った。
「例えワタシがアナタの言う通り人間でないとして、そんな話を他人が信じると思っているの」
それ自体が小説のような事実に、大人で、しかも教師である自分と高校生に過ぎない彼との差。
いくら彼が真実を述べたとしても、社会が信じるはずがなかった。
そこで思考がストップしたのは、
彼女が自分で思っているよりもずっと人間社会に馴染んでしまっていたからかもしれない。
そんなマリアに龍麻が持ち出したのは、闇の世界の住人にしか通用しない脅迫だった。
「さあ? でも信じたがってる奴らはいますよね。
悪魔狩り、なんて称して悦に入っている奴らとか。
俺に言わせりゃそんな奴らよりマリア先生の方がよっぽど大事なんですけど」
自身が悪魔であるかのような脅迫を言ってのけた龍麻は立ちあがり、マリアの腰を抱いた。
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