<<話選択へ
次のページへ>>

(1/2ページ)

教室に入る前に、マリアはわずかに呼吸を整えた。
胸元を直し、服装の他の部分にも乱れがないか確かめる。
何故そうしたのかは、これから授業を行うのが自分の受け持つC組だからだ。
より正確に言うなら、この教室には──彼がいるからだった。
一週間前、事もあろうに教室でふしだらな行為に及んでいた、教え子である美里葵と緋勇龍麻。
その淫毒にあてられたのか、マリアは教師たる身分すら忘れて共に肉欲に溺れてしまったのだ。
ともされたかつてないほどの淫楽の焔は、家に着くまで消えることが無く、
それどころか思い出しただけで容易に再び燃えあがってしまった為、
マリアは眠りにつくまで幾度か自分を慰めねばならなかったほどだった。
その羞恥たるや、とても翌日に彼と顔を会わせられるものではなかったが、
龍麻は平然と、マリアの芯に刻み込んだ淫らな楔そのものを忘れ去ったかのような態度を取っていた。
しかしそれでマリアは楔を消し去ることが出来たかというとそうではなく、
年下の男に女を意識させられてしまうことが更なる羞恥を呼び起こし、
彼女はほとんど授業にならないくらいの混乱を来していた。
家に帰るや否や自らの身体を慰め、満たされない淫欲に身悶える。
そんな生活を数日続け、ようやく理性が欲望に勝るようになったのが、まだ昨日のことだったのだ。
頬を軽く叩きたいのを抑え、息を吐き出すだけに留めて扉を開けると、
騒がしかった生徒達が慌てて席に戻っていく。
彼らが席に座り終え、教科書を取り出すまでのごく短い時間、
マリアは教室の一番後ろへ眼差しを向けた。
緋勇龍麻は、そこに座っていた。
隣の席である美里葵と机を並べて。
マリアはすぐに視線を逸らしたつもりだったが、龍麻はめざとく、
あるいは初めから見られることを知っていたとでもいうように、自分から軽く手を挙げた。
「すいません、教科書忘れちゃって」
「わざと忘れたんじゃねェのか?」
悪意の無い京一の声に、口笛が何本か重なる。
龍麻はわざとらしく頭を掻いてみせ、更に冷やかしの音色が高まった。
心騒がせられるのを無理に封じこめ、マリアは教科書を開く。
「はい、それくらいにしなさい。仕方ないわね、美里サン、緋勇クンに見せてあげて。
それでは授業を始めます」
彼女の早急な口ぶりに気付いたのは、四十人を超える教室の中でただ一人だけだった。

五十分の授業の半分ほどが過ぎた頃、いつものように授業を進めていたマリアは、
異変に気付いて危うく教科書を取り落としそうになってしまった。
全員がノートを取っているか、教科書を見ているはずの教室で、
奇妙に動いている生徒がいたのだ。
奇妙に、と言ってもそれはマリアから見てであって、他のどの生徒も気付いていない。
しかしやや高い位置から見ているマリアには、美里葵が下唇を噛んでいるのが丸見えだった。
龍麻達の席は一番後ろであり、生徒は横にしかいない。
それを利用して、龍麻が葵の足に触れていたのだ。
恋人同士のように肩を寄せ合いながら、何気ない動作で内腿を撫で、その奥へも触れている。
葵も肩幅ほどに足を開いてそれを受け入れながら、長い髪で巧みに表情を隠していたが、
うっすらとその頬は朱に色付いていた。
思わず凝視してしまっていたマリアは、生徒達の視線によってそれに気付く。
「あ、そ、そうね、それでは次の人、訳してください」
適当に当て、もう一度、確かめる為と心にいい訳をして彼らを見た。
やはり龍麻の手は彼女のスカートの中に消えており、時折その肩が本当に微かに揺れている。
そして葵は懸命にノートを取るふりをしているが、その手先は震え、
快感を堪えているのがはっきりと見てとれた。
彼女の愉悦の表情は、ようやく忘れ去ることが出来たはずのはしたない情欲をマリアの裡に蘇らせた。
この場所で行われた性交、嗅覚に染み付いた淫臭、優美に踊る彼女の裸身。
それらがあまりに一度に記憶中枢を産め尽くしたので、
マリアの思考はややずれた方向へと進んでしまっていた。
以前から彼らはこんなことをしていたのか──違う。
いくらなんでも、こんなことをしていればすぐに気付く。
では。
龍麻は、自分に見せつけているのだ。
それに気付いたとき、マリアは下腹に強い疼きを覚えた。
一週間前に与えられた、記憶すら飛んでしまうような快感。
思い出すだけで動悸が早まり、性的な興奮を抑えることが出来ない、彼のペニス。
あれから龍麻は何も、話しかけてさえ来なかったが、
それがどんな意図をもって行われていたのか、ようやくマリアは知ったのだ。
教室に沈黙が流れる。
再び自分が授業を止めてしまっていると知り、慌ててマリアは口を開いた。
「そうね、それじゃ──緋勇クン」
彼の名を呼んでしまった瞬間、マリアは自分の心臓が音高く鳴ったのを聞いた。
それは彼と自分にとって、破滅に等しい行為だったのだ。
しかし龍麻は返事こそわずかに遅れたものの、何事もなく立ちあがり、淀み無く読み始める。
本場の発音には及ばないものの、充分に及第点を与えられる音読に、同じく的確な和訳。
龍麻はマリアの教え子の中でも最も優秀なグループに属していたから当然とも言えたが、
直前に及んでいた行為を周りに全く気取らせないのは異常と言えた。
「ハイ、良く出来ました」
どこまで彼が読んだのかすら把握しないまま、マリアは訳を止めさせる。
もちろん龍麻は何も言わず着席してマリアを安堵させたが、
完全に腰を下ろす寸前、鋭い眼光で彼女を射抜いた。
「……ッ」
怒っているのでも、脅しているのでもない、不思議な光。
その正体が解らないまま、マリアは光を取りこんでしまう。
それは奇妙な安らぎと、奇妙な興奮を同時に彼女にもたらしたのだった。
心の扉を叩き壊すが如き鼓動にさいなまれながらも、
どうにか最後の授業を終えたマリアはそのままホームルームを始めた。
特に伝達事項もなくあっさりとそれを終えると、途端に教室が騒がしくなる。
それをマリアは少し疎ましく思いながら職員室に戻る前に雑事を片付けていると、
喧騒の中、龍麻と葵が教室を出ていった。
堂々と、しかし実に巧みに、二人は揃って姿を消す。
彼らが何をしようと自分には関係無い──そう言い聞かせ、マリアは職員室へと戻る。
しかし半分ほどの距離を戻ったところで、どうしようもない衝動が彼女を襲った。
ほとんど一瞬で思考の中枢にまで達したその衝動に抗えたのは、振り向くまでだった。
走り出す寸前の早足で、来た道を引き返す。
勢い良く開けた扉に、残っている生徒達が一斉に振り向いた。
今の自分の顔は、生徒達にどう見えているのだろうか。
そう自分を客観視する余裕すらマリアは失っていた。
「あれ先生、どうしたの」
「いえ……ちょっと忘れ物をしてしまって」
「へー、マリア先生でも忘れ物なんてするんだ」
無邪気に尋ねる小蒔に愛想笑いで応えてみせながら素早く教室を見渡す。
もちろん葵はいない。
そして、龍麻も。
安堵と落胆を同時に覚えつつ、マリアは平静を装って尋ねた。
「桜井サン、緋勇クンを見なかったかしら」
「ひーちゃん? そういえば、今日はすぐに帰ったみたいだけど……せんせー、探してるの?」
「いえ、大した用じゃないの。でももし見かけたら、ワタシの所に来るよう伝えて」
「はーい」
のんびりと答える小蒔に背を向け、教室を後にする。
小蒔は帰ったと言っていたが、まだ龍麻は学校のどこかにいるという確信がマリアにはあった。
探してどうするのか──
はっきりとした考えがある訳ではない。
美里葵も喜んでいるようであるし、他人の男女関係に口を出すなどくだらないにも程がある。
ただ、自分は──学校で、教室であのような行為をされたのが許せないだけなのだ。
だから彼らがまた同じことをしていたら、止めるだけ──
歩を進めるうち、マリアはそう自分を説得していた。
それが全くの欺瞞であると知っていたのは、彼女の身体のごく一部だけだった。

ほぼ学校中の生徒が溢れかえっている校舎の中で、人気が無い場所。
考えを巡らせたマリアは、一箇所該当する場所を見つけると、足早にそこに向かった。
階段を昇り、静かに扉を開け、足音を立てないよう注意しながら彼らを探す。
すると彼女の、人のそれよりは鋭敏な聴覚が何かを捉えた。
それは聞き覚えのある、嬌声だった。
マリアは耳を澄ませ、声の源を探ると、足音を殺して近づいて行った。
建物の影に、彼らはいた。
壁に手をつき、身体を折っている葵の背後から、龍麻が被さっている。
制服こそ脱いでいないが、彼らが何をしているのかは一目瞭然だった。
再び目にする彼らの交わりに、マリアの網膜は機能に異常をきたしてしまう。
空も、周りの風景も全てが消えうせ、彼ら二人の姿のみが映像として脳に送りこまれた。
マリアは彼らから姿を隠すのも忘れ、みっともなく腰を合わせて情事に耽る二人を見やっていた。
葵の膣を味わっていた龍麻は立ち尽くす彼女に気付くと、気さくに手を挙げた。
「あぁ、マリア先生」
平然と呼びかける。
葵を犯すことは、既に彼にとって日常であるのだった。
引いていた腰を葵に密着させ、小さく円を描かせる。
マリアが来たと知って葵は顔をそむけたが、快感には抗えないのか、
あられもない声が口を衝いていた。
「んっ……あっ、は……ぁ……」
とろとろに溶けた淫蕩な喘ぎは、およそ普段の彼女から想像出来ないものだ。
生々しい光景を見せつけられたマリアの、心に微かな変化が芽生える。
しかしマリア本人はまだそれに気付くことはなく、
太陽の下で見る男女の交わりを息苦しさを覚えつつ見ているだけだった。
肺が多量の酸素を求め、口を開かせる。
ほとんど無意識にマリアが胸元を軽く押さえると、
龍麻は上半身を前傾させ、葵の舌を貪りながら言った。
「この間マリア先生がこの格好でされるの見てから、葵も気に入っちゃったみたいで。な、葵」
龍麻の声にも葵は快楽を享受するばかりで答えなかったが、
龍麻が制服の中に手を突っ込み、胸を激しく掴むと返事を絞り出した。
「あっ! え、えぇ……凄く……気持ちいい……わ……」
壁に手を付き、足を開いて男を咥える葵は、心底龍麻に酔っているようだ。
大人としての知性と理性を充分に身に着けていると思われる彼女が肉欲に溺れるのは、
マリアにとって非常に衝撃的だった。
龍麻が腰をぶつける度、日本人特有の艶やかな黒髪が踊る。
日光を受けて美しく輝く葵の髪と、龍麻のひどく間抜けで、そして卑猥な動きは、
何故か自分も同じように犯されたのだとマリアに想起させた。
「緋勇……くん……私……」
葵の嗚咽が高まる。
一際強く龍麻が腰を突き出した時、葵の背中がしなやかに反りかえった。
大きく震える肢体が、今まさに精を受けているのだと見る者に伝えていた。
前のめりに倒れそうになる葵を支え、壁にもたれかからせた龍麻は、ようやくマリアの方を向く。
まだ勢いを保ったままのペニスが、マリアの目に飛び込んできた。
白濁に汚れている赤黒い器官からは、危険な臭気が漂っていた。
なまじ人間よりも嗅覚が優れているマリアは、その臭いを思いきり嗅いでしまう。
思考を奪い、肌を熱くさせるただれた香り。
それはマリアに、何故龍麻を探していたのか、という答えを示していた。
「ワタ……シ……」
「ほら、もう少しこっち来ないと誰かに見つかっちゃいますよ」
からからになった喉から、必死に何かを言おうとすると、龍麻が腰を抱き寄せる。



<<話選択へ
次のページへ>>