<<話選択へ
次のページへ>>

(1/3ページ)

高校生にしては多忙な日々を送る龍麻でも、何の予定もない日ももちろんある。
今日はまさに、そんな日だった。
一緒に帰る相手すらおらず、一人で校門を出る羽目になった龍麻は、
わずかながら寂しさを覚えて苦笑する。
普段仲間達に囲まれているのが、どれほど幸福なことなのか再認識したのだ。
マリアのところにでも行こうか、とも思ったが、彼女もまだ仕事が残っているに違いない。
行けば構ってはくれるだろうが、こういう形で邪魔をするのは好むところではなかった。
結局下駄箱までに妙案を思いつけなかった龍麻は、
一日ぐらいおとなしく家に帰り、学生らしいことでもしようか、と決心する。
ところが予定は、学校を出たところで急変を強いられた。
鞄を脇に抱えて校門を出た龍麻を、すぐのところに立っていた、
真神とは異なる制服を着た女子高生が気さくに手を上げて出迎えた。
茶色に染められた髪と、いかにも丈の短いスカートは、
真神の生徒が大部分を占めるこの場所からは相当に浮いていたが、
少女は意に介した風もなく龍麻の許に歩み寄る。
「サボってたらどうしようかと思ってたけど、案外まじめなのね」
初夏の風に漂うような軽い口調でそう言ったのは、藤咲亜里沙だった。
彼女とはつい先日知り合ったばかり──と言っても、肉体関係は既にある──だ。
下校を共にするような関係ではないと思っていたのだが、彼女はそうは思っていないようだった。
「どうしたんだよ、今日は」
なぜ墨田区の高校に通う彼女が、新宿にある真神で待っていられたのか、
龍麻は皮肉を言ってやろうとしたが、多分効果がないだろうと思われたので、短くそれだけ言った。
「ご挨拶ね。わざわざ女が男に会いに来てるんだから、素直に喜びなさいよ」
警戒する龍麻を一蹴した亜里沙は、さっさと腕を巻きつける。
振り払おうとした龍麻は、自分達が既に注目を浴び始めており、
ここで騒ぐのはあまりに危険だということに気付いた。
「あん、待ってよ、せっかちねぇ、もう」
仕方なく早足で歩き出すと、恐らく嫌がらせなのだろう、亜里沙はことさらに甘ったるい大声を出す。
ますます集まる人目から逃れるために、龍麻は亜里沙を引きずるようにして家へと向かった。

亜里沙に自宅を教えることに、危惧がなかったわけではない。
ないけれども、龍麻もしょせん一介の学生であり、
会うたびにホテルを使えるほどには金銭的な余裕はないのだ。
ならばホテルを使うようなことをしなければいい、少なくとも毎回は、
というのが一般的な意見だろうが、とにかく今日は、他に選択肢はなかったのだった。
「へえ、ここがあんたのアジトってわけ」
いかにも流行りに敏感な今時の女、という見かけの割に古風なことを言う亜里沙に、
龍麻は思わず苦笑してしまった。
ちなみにここはアジトでもなんでもなくただの下宿で、
彼女の言う意味のアジトはここではなく、龍麻の担任教師であるマリア・アルカードの家である。
いずれ亜里沙もあそこに招待するとしても、今日はその予定の日ではない。
家主不在で秘密の、ベッドの上でのみ行われる淫靡なパーティーを行っても、
マリアは怒りはしないだろうが、妙なところで道徳心がある龍麻は
勝手に人の家に上がるのは好きではなかった。
それに極端なことを言えば、ベッドがひとつあればするべきことはできる。
ただ舞台が大きいか小さいかの違いで、それほどの差異はないのだ。
亜里沙一人だけなら、一部屋あれば全く問題はなかった。
「シャワー借りるわよ」
部屋のものには興味を示しもせず、亜里沙は既に浴室に入ろうとしている。
彼女の潔さ、あるいは欲求は見上げた率直さで、
まだ一息ついてもいない龍麻は考える暇も与えられず頷くしかなかった。
扉に手をかけた亜里沙は、意味ありげにこちらを見る。
それに適当に答えた龍麻が、彼女がシャワーを浴びている間は
とにもかくにも束の間の安息が得られると思った瞬間、玄関の呼び出し音が鳴った。
「はい」
視線で問う亜里沙に、来客の予定がないことを、これも視線で答えておいて、
少しずつ、だが確実に遠ざかっていく安息に苛立ちつつ龍麻は扉を開ける。
どうせ勧誘か何かだろう、と思っていた龍麻の予想は、現れた、
腰まで届く長い黒髪の女性の姿で大きく裏切られることとなった。
「葵」
同級生である美里葵が龍麻の家を訪れることは、初めてではないにしても
それに近いくらい少ない。
だから龍麻の驚きは、素に極めて近いものだった。
「緋勇……くん……」
そして同級生の突然の訪問に驚く龍麻が見たものは、負けじと驚く同級生の姿だった。
彼女が驚いた理由を、龍麻は多分見当がつく。
さらに葵の驚きには微量の嫌悪がにじんでしまっていて、その理由も、
驚いた理由とほぼ重なるものに違いなかった。
「あら、どうしたの?」
浴室の扉に手をかけていた亜里沙が訊ねる。
それはいかにもわざとらしいもので、
彼女がどこに入ろうとしているか気付いた葵の顔が、能面のように強張る。
それでも帰ろうとしないのは、帰ってしまえば負けを認めたことになると思っているからだろうか。
状況を生み出した原因は、無責任に二人の女を等分に眺めていた。
葵と、亜里沙──ほとんど水と油といった印象を与える二人は、
普通に生活をしていたら、友人になることさえないであろう。
龍麻も亜里沙の気の強さは承知していたので、
彼女を葵やマリア達に引き合わせる時期については多少考えていた。
それがどういった運命のいたずらか、二人はまともな挨拶も交わさないまま、
寝所を共にしようとしている。
亜里沙は葵に対しても隔意を抱いていないようで、さすがといったところだが、問題は葵の方だ。
他者への嫌悪をあまり露にしない彼女が、それと判るほど亜里沙を敬遠している。
葵が亜里沙と出会った経緯を考えれば無理もないのだが、どうもそれだけでもなさそうだ。
それを亜里沙だけでなく、自分にも向けられた暗い眼差しで龍麻は感じ取った。
葵はマリアや絵莉がいることについては何も言わないのだから、
龍麻の許に複数の女が侍るのが嫌なのではないのだろう。
つまり彼女は、亜里沙が龍麻に対してあけすけな好意を見せるのが気に入らないというわけだ。
自分を絡めた関係で、女が嫉妬するのは悪くない気分だ──しかもそれが、
破綻しないことが判っているのなら更に良い。
思いがけず今日も、新鮮な愉しみを享受できることになって、龍麻は内心でほくそ笑んだ。
正統派の美少女と、小悪魔的な、これも美少女。
全く異なる二種類の味を同時に味わうのは、また格別なのだ。
葵は玄関に立ったまま入ってこない。
帰ってしまうのは感情が許さないし、
ずけずけと上がっていくほどには理性を捨て切れないといったところだろうか。
さすがに助け舟を出してやらなければいけないか、と龍麻は思ったが、先に第三の当事者が動いた。
「どうするの? あたしは別に構わないけど」
事もなげに言った亜里沙は、これみよがしに龍麻の肩にしなだれかかってみせる。
どうやら彼女は自分の役割を素早く理解し、協力してくれるようだ。
龍麻は亜里沙の頭の回転の早さに感嘆しながら、表面上は中立を保ち、無言を保った。
まるでこの場にいることが罪であるかのような視線と、
咎めてはいないが積極的でもない、帰るのならば止めはしないという眼差し。
二人の視線を浴びた葵は視線を伏せたが、
その逃げた先で亜里沙の手が龍麻の腰に回されるのを見せられてしまう。
龍麻が自分一人を見てくれることは、残念ながら多分ない。
それでも良いという関係を受容したのは葵自身で、
彼の興味は一定の枠で収まらないというのも受け入れているが、
新たな女性の出現によって彼の関心が減ってしまうのは嫌だった。
「わ、私も……構わないわ」
顔を上げた葵は、龍麻ではなく、亜里沙の眼を見据えて言った。
挑発的な、そして自信に満ちた瞳は、真っ向から葵の眼光を受けとめていたが、不意に和らぐ。
ほとんど喧嘩腰というくらいの、彼女には珍しい種類の眼差しをぶつけていた葵は、
肩透かしを食わされた格好になってしまった。
まるで自分ひとりが怒っていたような、そんな羞恥に囚われ、うつむいてしまう。
そんな葵に近づいた亜里沙は、うやうやしいほどの仕種で彼女の手を取り、室内へと招き入れた。
「そう、それじゃよろしくね、葵」
わずかな駆け引きの間に、もう亜里沙は自分の優位を確立してしまったようだ。
葵は馴れ馴れしい亜里沙を、態度にこそ出さないものの明らかに煙たがっていたが、
残ると決めた以上口を聞かないわけにもいかない。
「こ……こちらこそよろしく」
硬い、距離を置いた挨拶を交わした葵は、一瞬だけ龍麻に視線を向け、男の部屋へと上がりこんだ。
扉を閉めた龍麻は、彼女達に続く。
二人の女の変化しつつある関係は、とても興味深いものだった。



<<話選択へ
次のページへ>>