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 陽が、不承不承闇に陣地を明け渡す時刻。
新聞部部室に篭もり、うつろう夕陽に目もくれず、ひたすら机に向かっている少女がいる。
眼鏡と、意志の強そうな眉が知的な印象を与える彼女の名前は遠野杏子といった。
ただし彼女を遠野、あるいは杏子と呼ぶ人間はほとんどおらず、
知り合いのみならず真神學園の生徒のほとんどは彼女の名前をもじってアン子と呼んでいた。
 アン子はこの学校にただ一人の、新聞部部員である。
どうして一人なのか、最初からそうだったのか、今では覚えている人間はいない。
しかし、アン子と新聞部がイコールになってから、真神新聞は一号として滞ったことはなく、
学校新聞の癖に金を取るというあくどいスタイルにも関わらず、
毎号売り切れの記録を更新し続けていた。
そしてアン子は次回も記録更新を続けるべく、今日も仕入れたネタを整理し、
原稿を書き、レイアウトまでするという獅子奮迅の働きをしていたのだった。
「あーあ、やっと終わった……久しぶりに日の出てるうちに帰れるわね」
 いっぱしの企業人のような台詞を呟いたアン子は、若いのに凝り気味の肩を叩くと、帰り支度を始めた。
書き終えた原稿を鞄に詰め、戸締まりを確認して廊下に出る。
 もう残っている生徒もほとんどいない校舎は不気味なまでに静まりかえっていたが、
新聞の原稿に目途が立ったアン子はどこ吹く風で軽やかに歩きだした。
 窓ガラスから射しこむ色は濃いオレンジで、もう少しすれば歩くのもおぼつかなくなるだろう。
もっとも、ほぼ毎日これよりも遅い時間に帰っているアン子は、
目をつぶっても校舎を出るくらいには道筋に慣れていた。
だからむやみに駆け足になったりはせず、確かな足取りで廊下を進む。
 新聞部の部室は校舎の端にあり、下駄箱は反対側の端にある。
階段は二箇所にあるから、先に一階まで降りてから廊下を歩くか、
廊下を歩いてから階段を下りるか、二通りの行き方があるが、
アン子はいつも廊下を歩いてから階段を下りていた。
理由は特にない――強いて言えば、三年の教室の前を通った方が慣れている、と言った程度のものだ。
今日も何か予感があったということもなく、単に習性として三階の廊下を通っただけだった。
 自分のクラスを過ぎ、アン子は三年C組にさしかかる。
正確にはB組とC組の間、C組の後ろの扉のところで、ふと足が止まった。
「……?」
 持ち主の意思に反した足を、アン子は信用している。
取材中危ないと思ったらさっさと逃げだしてくれる快速を持っているし、
一日二十キロ近く歩いても次の日に筋肉痛を残さない孝行者でもある。
そして何より、身体の他の部分と連携して、アン子がまだ感づいていない特ダネを察知すると
こうやって警告してくれる、まさにジャーナリストになるために生まれてきたような足だからだ。
 何かが起こっている、という足の忠告を聞きいれ、アン子は気配を殺す。
息遣いも抑え、どこでなにが行われているのか、五感を総動員して探った。
まずはC組の扉の窓から、内部をうかがう。
 予感に反して、教室内には誰も居なかった。
覗いた程度では良く見えず、思いきって窓の正面から見てみるが、
そこには単なる机と椅子が、薄暗い影の中で息を潜めているだけだった。
呼吸を止め、眼を細めて左右、見える範囲を探ってみても、怪しいところは何もない。
 それでも、期待した結果が一度で得られることの方が珍しい、
と年齢に似合わぬ経験の豊富さで熟知しているアン子は、ため息すらつかず、
足音を殺してC組の前扉へと向かった。
 前扉はうっすらと開いていて、容易に中が覗けそうだ。
教室から見えないように半身を隠したアン子は、慎重に隙間から覗きこんだ。
 茜射す教室の端で、二つの人影が重なっている。
だが、それは映画の終わりに出てくるようなシルエットではなかった。
「……ッ!」
 肝の太さは自他共に認めるアン子だが、そのシルエットが演じるものの意味に気づいた時は、
思わず叫んでしまいそうになった。
 二つの影は、一方が一方の腰の辺り――股間に顔を埋めていた。
そして顔を埋めている方は女で、埋められている方は男だった。
それはアン子が初めて目にする、男女の営みだった。
 頭の中は様々な興奮がまだ沸騰して泡がぼこぼこ湧いていたが、
眼はいち早く理性を回復し、拾える情報を貪欲に収拾し始める。
すぐに思考も最低限の冷却がなされ、アン子は目の前の光景を分析した。
 男の方は制服が黒く、顔の部分も影になっているので誰かは判然としない。
女の方も大部分が暗がりにあったが、髪型と体型は確認できた。
 ジャーナリスト志望のアン子は、一度見た人物を忘れないという訓練は日々怠っていない。
ましてシルエットの女性は真神に通っている者なら、アン子ならずとも見間違えようのない人物だった。
「嘘でしょ……!」
 人影の正体を知った瞬間、今度こそアン子は呟いてしまい、慌てて口を塞いだ。
塞いでから、今の独り言が彼らに聞こえてしまわなかったかそっと様子をうかがう。
 幸いなことに──というよりも、彼らは最初から教室の外になど関心を払っていないようだった。
数メートル離れて見ていても熱気が伝わってくるくらい、二人は情動をぶつけあっている。
その一心不乱な様が、ましてそんなことをしていること自体が、
アン子の知っているその人物とはあまりにもイメージが異なるので、
アン子はもう一度、人違いではないか目を凝らして観察したが、やはり彼女は、
C組の委員長にして生徒会長の、美里葵その人だった。
 女性が判れば、男性も予想がつく。
アン子の知る限り葵の周りに男性の影はほとんどなく、親しいとなればC組に数人いる程度だ。
その中で眼前の影と一致する体型は二人いるが、そのうち一人は天地がひっくり返っても
葵とこんな関係になる可能性はなかった。
そして残る一人の方は、もっかのところそういった気配はなかったが、可能性としては充分にありえる。
何しろ彼は、高校三年という奇妙な時期に転校してきて、葵も含めて曲者揃いのC組にあっという間に溶けこみ、
それどころか曲者たちのリーダー格に収まっているのだ。
アン子も話したことがあるが、不快感を抱いたことはないその男の名前は、緋勇龍麻といった。
 驚愕の結論を導きだしたアン子は、内心の動揺を抑えて再び観察に戻った。
 目を凝らして眺めてみると、やはり男女は緋勇龍麻と美里葵に相違なく、
思いがけぬ大スクープにアン子の心臓はかつてないほど飛び跳ねていた。
 これを記事にすれば生徒会長の大スキャンダルとして真神新聞の号外を出せるくらいのネタだ。
だが、いくら杏子でも、彼らを脅すつもりはなかった。
こんな写真で脅して唾棄すべき三流以下のゴシップ屋となってしまうのは、
真実を追究するジャーナリストを目指すアン子にとって自尊心が許さない。
けれども、神聖な学舎でこんな爛れた行為が許されるはずもなく、
「お金はさすがにマズいでしょうけど……あたしのために働いて貰うくらいはしてもらわないとね」
 龍麻は雑用兼ボディガードとしては申し分ないし、葵も真神での権力は絶大で、何かと便利だろう。
 アン子の正義の天秤は、あることはあるのだけれども、まだ一ミリグラムの誤差もないというわけでもなく、
特に自分自身の利益を秤に乗せてしまうと、針先は割とふらふらしてしまうのだった。
 とにかく、部員を二人増やすにせよ懐を季節外れの温かさにするにせよ、確たる証拠が必要だ。
アン子は愛用の使い捨てカメラを懐から取りだし、いつでもシャッターが押せるよう構えながら
二人が決定的瞬間を見せるまで待つことにした。
「それにしても……見せつけてくれるわね、まったく」
 我知らず唇を舐めまわし、アン子は囁いた。
初めて目にする男女の、それも同級生同士の営みは、眼鏡のレンズなどたやすく貫通する生々しさで眼球を虜にする。
視力があまり良くないのを呪ってしまいつつ、アン子は目を最大限見開き、
さらに可能な限り顔を扉の隙間に近づけて教室内を覗きこんだ。
 龍麻が机の上に座り、その足の間に葵が跪いている。
葵は頭を龍麻の股間に押しつけるようにしていて、何をしているのかはすぐに判った。
「フェラチオ……だなんて、美里ちゃんも大胆ね」
 虫も殺さないような顔して、と頭の中での独り言に余計な一言をつけ加え、アン子はさらに仔細に観察した。
 左手で龍麻の腰を掴み、顔を下に向けたまま、葵は動かない。
アン子が知っているフェラチオとは様子が異なるが、ペニスを奥まで咥え、
奉仕しているのは間違いないだろう。
葵の頭には龍麻の手が添えられ、時折褒めるように撫でているのが、かえっていやらしさを感じさせた。
 そして龍麻の右足は、葵の股間へと消えていた。
どこを触っているのかは一目瞭然で、葵も身体をよじったりしているが、嫌がっているわけではないのだろう。
「足で触るなんて……」
 声には出さず呟いたアン子は、図らずも自分の股間を連想した。
スカートに触れ、一度は引っこめた右手を、ひどく慎重な手つきで潜らせるのにはそれなりに葛藤もあったが、
それを振り切らせたのは学園随一の優等生でもしているのだ、という事実だった。
 強い刺激を与えないよう慎重に、おそるおそる触れる。
「――ッ!」
 それなのに、驚くほど熱くなっていた下着は触れただけでひどく大きな水音を立てて、
アン子は危うく声をあげてしまうところだった。
すんでのところで自制心を発揮し、もうほとんど出かかっていた喘ぎを無理やり押し戻す。
けれども危険を招いた原因である指先を、股間から離そうとはしなかった。
それどころか中指に伝わる水気に顔をしかめつつも、湿り気がどこまで広がっているか、
確かめるようにそろそろと指を動かす。
 不快感と、それに倍する気持ちよさが、足の付け根のあたりを侵食していく。
他人の情事を覗き見ただけでこんなにも興奮するのかと驚きつつ、
こなれた動きでスリットを探り、最も気持ち良くなれる場所を慰めた。
「……ん……」
 ジャーナリスト未満として、今目の前で起きていることをきちんと目撃しなければという思いが、
アン子に二人の蜜事を真摯に観察させる。
しかしそれはアン子の身体にも劣情を蓄積させていく毒のようなもので、
徐々にアン子は男女の営みに心を奪われ、自慰に夢中になっていった。
「んんっ、んふぅっ……」
 教室の中から、小さな息漏れの声が聞こえてくる。
規則正しくはなく、むしろ無秩序に発せられる吐息は、葵の舌遣いまで想起させて、
アン子の指先は知らず同じ軌跡を辿った。
指の腹で微弱になぞらせていたのを、スリットに沿って押すように力をこめる。
官能は指先に的確に応え、アン子は徐々に全身に火照りを感じていた。
 龍麻たちがこの程度では終わるまい、というのは、予測なのか願望なのか、
アン子には判然としなかったが、二人は考えたとおり、さらに性行為を続ける。
 龍麻が何事か囁いたのか、葵が立ちあがった。
何と言ったのかは聞き取れなかったが、葵は自分から動いて龍麻とくちづけを交わし、
龍麻は当然のように葵の腰を抱いた。
龍麻の手つきはここからでも判るくらいにいやらしかったのに、葵は逃れようともせず、
龍麻が尻を触りだし、さらにはスカートの内側に手を入りこませてもキスを止めようとはしなかった。
 長く、しかし一秒たりとも目を離せない光景は、まだ続く。
アン子が見るところ、葵の方が積極的だったキスがようやく終わり、龍麻と葵は束の間顔を離した。
そこでまた龍麻が何事か言ったらしく、葵の動きが止まる。
一方で龍麻はスカートの中に入れている手とは反対の手を葵の背中に回し、
中央辺りを探るような動きをしていたが、そこで一旦止まると、今度は両手でセーラー服をたくしあげた。
「……!」
 教室内でフェラチオをしていたのだから、今更驚くことではないのかもしれない。
けれども、性行為のために素肌を露出させるというのは、やはりアン子には衝撃だった。
 全部は脱がせず、セーラー服を胸の上までたくし上げさせた龍麻は、今度はブラジャーに手をかける。
もうホックは外されていたので簡単に脱げたブラも同様に胸の上にずらし、無遠慮に乳房を撫でまわした。
 葵は乳房への愛撫は止めさせないまま、中途半端に胸を隠している。
薄暗いただ中に浮かぶシルエットはギリシアの彫刻めいた美しさで、
同性にもかかわらずアン子は魅入られていた。
同時にその美しさを冒涜する龍麻に義憤めいた怒りも抱いたが、葵はやがて跪き、さらに自らその美を汚した。
 再び龍麻の股間に肢体を投げだした葵だが、今度はそれよりも位置が高い。
龍麻の股間――性器のある場所に葵が触れさせたのは、頭ではなく胸だった。
 パイズリ、という下品な行為の名前を、アン子は一応知っていた。
この世紀末の魔都東京には、望まなくても過剰なまでの情報が、
時として濁流となって人を呑みこむまでにあふれているのだ。
その情報を生みだす立場にならんと志すアン子は、溺れないために日々収集と分析に力を注いでいたので、
いわゆる「耳年増」的にそれらの事柄を知っていた。
もちろん、名前を知ったからといって、アン子はいずれ恋人ができたときにも
そんな行為をするつもりは毛頭なかったし、知識自体引き出しのかなり奥の方に放りこんでしまっていた。
 けれども、百聞は一見にしかずということわざがあるように、
見てしまえばどれほど奥の知識でも呼び覚まされる。
まして実演しているのが知人達という生々しさは、
情報の整理に長けたアン子ですら呆けさせてしまうほどだった。
 自らの乳房に手を添えた葵は、男性器への奉仕を始める。
あの胸の間に龍麻の勃起があり、それを葵は両側から圧迫しているのだ。
やはり暗がりになっていて葵の素肌をはっきりと見ることはできなかったが、
手が添えられている大きな膨らみは、アン子にもあるそれを自然と意識させた。
「ん……」
 制服の上からなぞった手を、アン子はすぐに服の内側に忍ばせる。
ブラの存在がもどかしく、自分が思ったよりもずっと興奮しているのをアン子は知った。
下腹をまさぐる動きをやや大胆なものにし、怠惰な情動に身を任せる。
ここでこんなことをしていても、何も建設的な方向には進まない。
しかし、そうと判っていても、なじみのある淫楽を手放す気にはなれなかった。
龍麻と葵がどこまでするのか見届ける必要がある、と理性を説き伏せ、
数センチの隙間の向こうで繰りひろげられる痴態を凝視した。
 眼球は指令に応えようと最大限にズームを行うが、どうしても鮮明には見えない。
初めて視力の悪さをアン子が呪った時、突然、肩に手が置かれた。
「──ッ!!」
 驚き、同時に叫んだはずなのに、声は出なかった。
その一瞬前に首に小さな痛みを感じ、急速に意識が薄れていったのだ。
何が生じたのか分からないまま、アン子は額を扉にぶつけ、そのまま気を失った。



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