<<話選択へ
次のページへ>>

(1/3ページ)

 龍麻と葵は連れだってマリアの居宅を訪れる。
用件は今日の朝、「学校が終わったら家に来るように」
という担任教師からの伝言をアン子から受け取ったためで、龍麻に拒む理由などないし、
葵は龍麻が呼ぶのならどこへでもついていくので、適当に時間を潰し、
マリアが帰宅する頃に合わせて龍麻の第二のアジトともいえる
彼女の家へと向かったのだった。
 龍麻の家には寄らなかったので二人とも制服を着ているが、
その点に怪しいところはない。
葵は見るからに礼儀正しいお嬢様という雰囲気が漂っているし、
龍麻も、良くはないが悪くもない、
髪がやや長いところが気になる大人もいるかもしれないが、
色は染めておらず悪そうなところはないし、
話してみればより良い印象を受けるだろう。
実際、二人が並んでいるところを見れば、そう不釣り合いというところもなく、
男は舌打ち混じりに、女は幾らかの敗北感を抱いて
彼らが似合いだと認めることだろう。
 だが、彼らが二人きりの時間、どれほどただれた刻を過ごしているか
知る者は少ない。
彼らは男女として必然ともいえる一線も、高校生として慎むべき境界もはるかに越え、
ほとんど欲望の赴くままに肉欲に耽り、快楽を貪っていた。
特に龍麻の方などは葵一人では飽きたらず、友人や年上の女性にまで手を出している。
今から訪れるマリアにしてからが龍麻の担任であり、
訪問の目的も教えを請いにいくなどといった模範的な行動ではなく、
昨日収穫した新たな果実を味わうという、仰天せずにはいられないものだった。
 その辺りの事情は葵も知っている。
知っていてなおこの慎ましやかな顔をした少女は
龍麻に同行するのを嫌がりはしなかったし、
道中、龍麻の手をしっかり握ってしきりに話しかける際の
幸福そのものといった表情は、
淫蕩な行いすらも全て受けいれているのだと納得するしかないのだった。

 新宿区内にあるマリアの家に二人が着いたのは、
 夕方とはいえない時間になってからだ。
それまでの時間新宿を歩き回っていた二人は、葵は満足していたし、
龍麻も、これから過ごす何時間かに思いを巡らせながらも、
彼女を満足させるだけの気配りはしていた。
「マリア先生、帰宅なさっているかしら」
「もう戻ってるんじゃないか、今日は先生の方から呼んだんだし」
 マリアが自宅に龍麻を招くのは、かなり珍しい。
その前に龍麻が行くと言ってしまうからであるが、
その分だけマリアの気合いがうかがえる。
龍麻の口調からそれを察した葵の手のひらが熱を持ち、
気づいた龍麻はやや意地悪く彼女を見やった。
たったそれだけの仕種で葵は火が点いたように顔を赤らめてしまう。
ただれた関係になってからもうずいぶんと日が経つのに、
まだ初々しさを失っていない葵は、
幾人もの女性と情交を結んでいる龍麻でも一番のお気に入りだ。
それどころか葵の清楚さは男性女性を問わず惹きつけてしまうようで、
彼女とほとんど対極に位置する藤咲亜里沙や、
やはり別の意味で対極に位置するマリア・アルカードなどからも妙に気に入られ、
可愛がられている。
見るからに優等生然としているのに、遊んでいる、
と自称する女子高生よりもはるかに淫らな肉の宴に参加して、
嫌がるそぶりも見せず、そのくせ淫乱の性などもなく、
毎回初々しいまでの所作で痴態を振りまくとあれば、
それも当然なのかもしれない。
 恥ずかしがってはいながらも手を離そうとはしない葵に、
今日はどんなセックスをしようかと龍麻は妄想する。
幾つかの体位を思い浮かべ、それぞれにおいての腰の動かし方まで考えたところで、
まだマリアの家に入っていないことを思いだし、チャイムを押そうとした。
 ボタンに手が触れようとしたまさにその時、
階段の影に隠れていた何者かが、イノシシの如く突進してくる。
その何者かは龍麻からみて、ちょうど葵が居る側から突っこんできたので、
複数の敵を相手どっても問題なく戦える龍麻も気づくのが遅れてしまう。
気配を感じて横を向いた時には、すでに敵はさらに側面に移動しており、
完全な奇襲を龍麻は被った。
「ちょっと遅いじゃないのアンタ達!」
 低い、ドスの効いた声を龍麻は遠くに聞く。
声はすぐそこから発せられていたのだが、首に十本の指が食いこんでおり、
極小の時間で意識を断ち切られかけていたのだ。
 どこかで葵がうろたえている。
実際は数十センチと離れていない場所にいる彼女を認識できないくらい、
龍麻は追いつめられていた。
このままでは死ぬ――
東京を守るために日々戦っている龍麻は、
その戦いの中でさえ意識したことのない予兆を感じた。
 女と見れば手当たり次第で、守備範囲もほとんど無限大の龍麻ではあるが、
遠野杏子、通称アン子はそのほとんどの範疇に入らない、数少ない例外だ。
スタイルは悪くない――第一印象がまるで違うところに見る者を運ぶので、
なかなか気づく者は少ないが、アン子の肉体は実に見事なプロポーションをしている。
顔もまあ、悪くはない――頭の回転が速いからか、
常に怒っているか怒る直前かなので、これもほとんど気づかれていないが、
理知的な眉目とすっきりした顔立ちは充分美人の範囲に入っていた。
つまりトータルで見れば全く問題はなく龍麻の審美眼に適うのである。
なのになぜ敬遠しているかというと、なにしろ龍麻は、
アン子に出会い頭の攻撃を喰らうことが非常に多いからだ。
攻撃は構わない――サディスティックな女も嫌いではないし、
そういう女を屈服させるのも愉しい。
しかしアン子の攻撃は今のところ命中率百パーセントで龍麻を襲っており、
それが地味にプライドを傷つけているのと、なにしろコミュニケーションの最初が
尻を蹴られるだの首を絞められるだのでは、好意の持ちようもないのだ。
しかも今回は首という、基本中の基本である急所を狙われ、
防御もできずダメージを受けている。
完全敗北を認めるしかなく、アン子の手首を激しくタップして
ようやく解放された龍麻は、十数秒ほどは喘ぐことしかできなかった。
「別に俺たちを待たなくても、もうマリア先生居るんだろ?
入れてもらえばいいじゃねぇか」
 首を絞められたあげくに遅いと言われて龍麻は苛立っている。
 そんな苛立ちなど歯牙にもかけず、アン子は両手を腰に当てて睨みを利かせた。
周りの人間からはリーダー格として認められている龍麻だが、
アン子にはそんなものは関係ない。
彼女の人間関係は彼女の役に立つ者かそうでない者かでしか構築されず、
龍麻は後者であるので好意的である理由がどこにもないのだ。
この男たちは尋常ならざる『力』を持ち、東京を守るために戦うなどという、
どこかの伝奇小説にでもなりそうな日々を送っているのに、
同行どころか取材さえさせないなど、言語道断の極みではないか。
ゆえにアン子は龍麻に対して、憎しみに近い感情すら抱いていた。
 そのアン子がいま、珍しく弱気を顔に浮かべている。
「だって……一人で入ったら、何されるか判らないじゃない」
「何されるかは判ってるだろ……さてはお前、ビビってるな?」
「なッ、なんであたしがマリア先生を怖がらないといけないのよッ、
うっさいわねッ、いいから行くわよッ!」
 アン子にはマリアを怖れる充分な理由があり、それを龍麻と葵はすでに知っている。
つまり強がる必要などないのだが、葵はともかく龍麻に弱みを見せるなど
まっぴら御免であるアン子は、反射的に叫び、同時に呼び鈴を押していた。
しまった、勢いでやってしまった、と思うもすでに遅し、
玄関は明らかに訪問者を待っていたタイミングで開き、住人が姿を現した。
「フフ……来たわね。さあ、入りなさい」
 現れたマリアの姿に、三人は息を呑んだ。
おそらくシャワーを浴びたのだろう。
白いバスローブを着たマリアは、妖艶などと呼びうる範囲を遥かに越え、
淫婦とすら見紛うほどだった。
真神學園の神聖な学舎で毎日一度は必ず話題にのぼる、
アイドルや女優を凌駕するプロポーションはガウンに隠されているが、
洗ったばかりのプラチナブロンドは眩しいばかりに輝いて三人を眩惑した。
 彼女の家に何度も来ている龍麻と葵は多少は慣れているが、
まだ今日で二回目のアン子は英語教師の変貌ぶりにすっかり毒気を抜かれてしまい、
龍麻に腰と、ついでに尻を押されて家の中へ入れられても気づかないほどだ。
そしてそこからはマリアがエスコートの役目を引き継ぎ、
アン子の手を形容しがたい艶めかしさで取ると居間へと案内した。
そのまま寝室に連れこまれてしまいかねないほどアン子は茫然自失していたが、
意外にもマリアは居間でアン子の手を離し、代わりに葵の手を握った。
「それじゃ、ワタシ達は着替えてくるわね」
 マリアは葵を伴って寝室へと消える。
取り残された二人はそれを見るともなしに見送り、同時に視線を戻した。
 とにかく自分の知らないことはなんでも知っておかないと
 気が済まない性格のアン子は、図らずも龍麻と目を合わせてしまったことに
怒りを覚えつつも、眉をひそめる仕種だけで済ませて説明を要求した。
「趣味なんだよ、マリア先生の。つきあう……というか犠牲にな」
 苦笑いした龍麻は、勝手知ったる風に冷蔵庫を開け、
ミネラル水を一口飲んでから続ける。
「お前もすぐに誘われるよ。ま、頑張ってな」
 何人もの女と関係を持ち、何の罪もないアン子をも巻きこんでおいて
反省の色も見せない悪党のくせに、龍麻の口調には妙に同情めいた哀愁が漂っていた。
当然、アン子は反発し、さらに問いただそうと試みたが、
龍麻はすぐに判ると首を左右に振るばかりだった。
 仕方がないので、アン子はテーブルに片肘をつき、
そこに頬を乗せて龍麻の方を見ずに質問を変える。
「アンタ、いつからこんなことやってんのよ」
「夏休み前からはもうやってたな」
 悪びれるどころか自慢げな口調に、蹴り飛ばしてやりたい衝動に駆られたアン子は、
ここは敵地であるとかろうじて自制し、情報収集に努めた。
「他に誰が居るのよ」
「葵だろ、マリア先生だろ、絵莉さんに亜里沙にお前で五人か」
「あたしはまだ入れないでよね! ……ってアンタ絵莉さんに何してんのよッ!!」
 ルポライターである天野絵莉はアン子の憧れの対象で、
ほとんど崇拝しているといって良い。
以前、龍麻が『活動』絡みで絵莉と知り合ったとき、
ふとした拍子にそれを知ったアン子は、
龍麻の首を締めあげて紹介するよう迫ったものだった。
初対面の時は親切に応対し、将来に期待しているなどと言葉をかけられて
人生で二度しかない経験――興奮のあまり気を失ったのだが、以後接触はない。
連絡先を訊いておかなかったのは痛恨で、以後、
龍麻は露骨に煙たがって会わせようとしないので、
アン子としては卒業したら押しかけよう、と決心しても、
それ以上どうしようもなかったのだ。
 それが久しぶりに名前を聞いたと思えば、
崇拝を打ち砕かれるような事態になっている。
血相を変えて立ちあがったアン子は、
いつでも龍麻の喉笛に爪を立てられる位置に腕を移動させた。
しなやかな猫科の動物というよりは化け猫の趣があるのは、
顔に険がありすぎるからかもしれない。
「いや、絵莉さんはマリア先生の紹介だったんだよ。
こういうのが好きそうなのが一人いるって」
「嘘おっしゃいッ、絵莉さんがこんなの好きなはずないでしょうッ、
どうせアンタ達がだまくらかしたに決まってるわッ!」
 激昂するアン子が唾を飛ばすので、龍麻は少し椅子を退く。
その分すかさず身を乗り出し、アン子は激しく睨みつけた。
「言っておくけどな、俺は嫌がる女には手を出さないぞ。
最初に全部説明はするし、途中で嫌になったらいつでも来るのを止めればいい」
「あたしは無理やりだったじゃない」
「あれはマリア先生が先走ったんだよ。なんかお前のこと気に入ったみたいで」
「都合の悪いときはそうやって他人のせいにしてるんでしょッ、
全然信用できないわッ!」
 全く話を聞く気がないアン子に、龍麻は辟易して首を振った。
一の言葉に十の反撃が返ってくるのではとても勝負にならない。
「……それなら、次に絵莉さんが来るときに、お前も来ればいいだろ。
それで本人の口から聞けよ」
「当たり前よッ、絵莉さんがあたら道を誤るのを看過なんてできるわけないでしょッ」
 この時アン子は魔手に落ちた絵莉を救いだす正義の騎士に自らを任じている。
不幸にも脅迫されている彼女を解放できれば感謝されるのは間違いないし、
あわよくば就職先まで確保できてしまうかもしれない。
 光の速さで打算を巡らせたアン子が、空想を具現化するために龍麻から
言質を取ろうとさらに一歩詰め寄る。
殺意剥きだしの鉤型に曲げられた指に、思わず龍麻がもう一歩椅子を引いた時、
寝室からマリアの声がした。
「いいわよ、二人とも」
「よし、ほら行くぞアン子」
「あッちょっと、待ちなさいよッ!」
 龍麻はアン子に背を向けず寝室へと入っていく。
それを追ってアン子も、鼻息も荒く部屋に飛びこんだ。
「……どうしたの?」
「いえ、なんでも」
 背を向けて入ってきた龍麻に、マリアが奇異の視線を向ける。
龍麻は二人の姿を見てアン子が仰天し、
口をあんぐりと開けて立ち止まるのを確認してから、
ようやくマリアの方へと振り向いた。
アン子にはずいぶんとペースを狂わされているが、
これでどうにか普段通りに事を運ぶことができそうだ。
堂々と立っているマリアと、しきりに身体を隠そうとしている葵を
それぞれじっくりと眺め、龍麻は満足げに一息ついたのだった。
 一方のアン子は一息つくどころではない。
ベッドサイドに立つマリアと葵を見て、声も出ないありさまだった。
 葵は赤のビスチェを着せられている。
一見して高価そうだとアン子が思ったよりも実際にはさらに二割ほど
高価なランジェリーは、葵の持つほとんど冒しがたいまでの清純さを
一変させるという難題を見事に達成していた。
肩口からバストトップにかけては濃い色ながらも薄い生地のため、
肌はおろか乳首までがくっきりと視認できる。
下半分を支えるカップは黒く縁取られ、
乳房の大きさを強調する役目をそつなく果たしていた。
さらにバストの下端からへそまでの中心線はリボンで結ばれているだけで、
隙間から覗く肌がひどく扇情的だ。
へそのところで左右に開くデザインはガーターベルトを吊るために
一度下方へと伸びるが、そこからわき腹にかけてはふたたび上へと切れこんでいき、
ウエストからヒップを惜しげもなく解放していた。
その、下着としての役目はほとんど成していないようなビスチェの他に、
ストッキングとグローブも着けた葵は、
そのままモデルとして通用するほどの妖しさだった。
 普通の高校生はなかなか着ないような葵のランジェリーではあるが、
それすらもマリアの前では霞んで見えた。
 全身を覆うボディストッキング。
薔薇の刺繍が施されていて、それ以外は全て透けている。
それ以外の下着は一切身につけていないマリアは、乳首やヘアも丸見えになっていて、
しかもそれすらデザインの一部としていた。
肌の露出はほとんどないのに、これほど淫靡な服装をアン子は見たことがない。
常人が着ていたらまず変態としか思わないが、
世界美女ランキングでも上位に入るのではないかと思われるマリアが着ると、
デザインに意図された艶めかしさが全て引き出されているようだった。
「ア、アンタ達……」
 二人が、たとえば世の男が好きそうな、
キャバクラだの風俗店といった類の店の女ならば、納得はできる。
可能な限り関わりあいにはなりたくないと思っても、そういう職業の女性が、
世間で一定の需要があるというのは、アン子も理解しているのだ。
 しかし、目の前で片や恥じらい、片や妖艶な笑みを絶やさない二人は、
一人はアン子と同じ学校に通う生徒会長で、
いま一人はアン子に英語を教える教師なのだ。
服装一つで女はここまで変わる、という事実を目の当たりにして、
アン子は呆然とするほかなかった。
自分の着ている制服こそが正しいはずなのだが、
この場では完全に場違いとなってしまっている。
空気だの雰囲気だのといった目に見えないものはあまり重視しないアン子も、
この部屋に漂う息が詰まりそうなくらいに濃密な、
いかがわしい空気は意識せざるをえない。
大きな音を立てて唾を呑み、それを耳ざとく聞きつけたマリアが
巧みに退路を塞ぐように回りこんだのにも、
彼女が背後から獲物を狙う蛇の瞳を輝かせたのにも気づかず、
両肩に手を置かれて、やっと忘れていた呼吸を始める始末だった。
「ずいぶん熱心に見ているようだけれど、遠野サンも……
こういうランジェリーに興味があるのかしら?」
「い、いえッ、あたしは……その、あの」
 さりげない強制力を秘めた手にアン子は百八十度回転させられる。
より間近で見るマリアの肢体は迫力がありすぎて、
アン子の最大の武器である喋りも虚しく空気だけを吐いていた。
どこに視線を置いて喋ったらよいか判らず、アン子は忙しく眼球を動かして答える。
と、いきなり顎をつままれ、上を向かされた。
「フフ、アウターだけが女を美しくするのではないのよ。
むしろ素肌に触れるインナーこそが女を引き立てる……わかるかしら?」
「は、はい」
 教卓に立つ時とは異なる輝き方をしている瞳に、アン子は魅入られてしまう。
瞳にも、マリアそのものにも昨日まで全く興味のなかったのに、
たった一日で激変した価値観は、その輝きをたいそう美しいものだと
捉えるようになっていた。
知性を重んじる職に就きたいと願っているアン子としては、
その対極にある感情に流されて物事を判断するなどもってのほかだと思いつつも、
圧倒的な――不穏当な表現をするなら、
人間離れした美貌を持つマリア・アルカードに、
こんな間近で凝視されるとそれだけで力が抜けてしまいそうになるのだ。



<<話選択へ
次のページへ>>