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美里葵が用事を済ませ、教室に戻ろうとしたとき。
B組の前を過ぎたところで、勢いよく教室から出てきた人物がいた。
明確に葵を目指して向かってきたその少女は、立ち止まった葵の手をなれなれしく握ると、
良く通る声で話しかけた。
「ね、美里ちゃん、今度の土曜日空いてる?」
訊ねた少女の名前は、遠野杏子という。
学校ではアン子という方が通りがよい彼女は、明晰にして美麗、性格にも言動にも瑕疵のない
真神きっての有名人、美里葵とは別の意味で双璧をなす有名人だ。
新聞部の部長である彼女が通った後にはフケすら残らず、
一旦彼女に目をつけられた取材対象はトイレで使う紙の長さまで知られてしまうと
まことしやかに語られている。
そのアン子が葵に向けた声は、獰猛な虎を撫でるためにご機嫌を取ろうとするような、
うさんくささにまみれたものだった。
彼女の友人――反対側からはただの知人であると猛抗議が来るかもしれない――
である緋勇龍麻や鳳来寺京一が聞けば、必ず良からぬ騒動に巻きこまれる予感を抱いて
丁重に断るか、あるいは問答無用で逃げ出すに違いない、
銭勘定にまみれた一流の商人でも出せないような、己の利益百パーセントの声だ。
しかし、そこにいたのは虎でも、まして龍麻や京一でもない。
彼女たちが属する真神學園の中で、おそらくもっとも悪という素質から縁遠い、
美里葵という少女だった。
アン子に呼びとめられた葵は、頭の中でスケジュールを確かめる。
アン子の指定した日は空いていた――ただしそれは、用事がないという意味であって、
一時間空きがあれば勉強するなり本を読むなりする彼女にとって、
空いている日というのは基本的にない。
それでも友人からの誘いは極力断りたくないと考える葵は、小首を傾げてアン子に続きを促した。
「土曜日マリア先生に呼ばれてるのよ。ね、美里ちゃん、一緒に行ってくれない?」
アン子や葵にとってマリアに呼ばれるというのは特別な意味を持つ。
二人はマリアも含めて龍麻のグループに属しており、率直に言ってマリアの家に行くというのは、
彼女の家のベッドに行くというのに等しいのだ。
だから葵は、アン子の誘いに即答しなかった。
葵は龍麻のもっともそばにいる少女で、必然好色の被害も最大級にこうむっている。
にもかかわらず龍麻から離れようとしないのは、二十世紀も終わりというこのご時世には
死滅同然である彼への一途な想いであって、決して葵が淫の性というわけではないのだ。
それにアン子に対してマリアが特別な感情を抱いているのも薄々気づいていて、
自分が行ったところで邪魔にしかならないとも思うのだ。
ところが、アン子は葵の手を握り、必死の形相で離さない。
「あたし一人だと死んじゃうかもしれないのよ。
美里ちゃんだってマリア先生を犯罪者にしたくはないでしょ?」
「そんな……大げさだわ。マリア先生だって、その……わかっていらっしゃるわよ」
「それが甘いんだって! 前なんて腰が抜けたって言ってるのに、
後ろからガバってこられて、最後なんて気を失うくらい凄かったんだから」
嫌だと言うことを力説したいがために具体的な描写に及ぶアン子は、
そういう話は昼間から、ましてや学校の廊下でするものではないと思っている
葵が眉をしかめているのにも気づいていない。
そんな葵を救ったのは人間ではなく、休み時間の終わりを告げるチャイムの音だった。
「ね、とにかく後生だから美里ちゃん、功徳を施すと思って。卒業まで恩に着るから」
切羽詰まっているのに感謝に期限を切るアン子の図々しさを、
彼女の知人達ならすかさず指摘しただろう。
しかし躾の行き届いている葵はそのようなことを思ったとしてもおくびにも出さず、
かといって頼みを頑と突っぱねることもできず、結局押し切られて了承してしまうのだった。
夕方、二人は連れだってマリアの家に赴く。
呼び鈴を押すとよほど待っていたのか、間を置かずにドアが開き、女主人が二人を出迎えた。
「いらっしゃい、待っていたわ……アラ? 美里サンも一緒なのね」
出迎えたマリアの姿に、二人は圧倒されていた。
シャワーを浴びていたのが一目で知れる、白いバスローブ。
まだ乾ききっていない髪からはローズの匂いが漂ってきて、
学校で教鞭を執っているときとはまったく異なる、
上流社会の貴婦人めいた気品を醸しだしていた。
彼女が教え子の爛れた性関係を正すどころか、率先して生徒たちに淫靡な授業を行い、
今日もまたそのつもりで自分たちを呼び寄せたと知っている二人でさえ、
マリアを嫌悪することはできない。
彼女を特に印象づけている蒼氷色の瞳に見つめられると、そのまま氷づけにされてしまうような、
妖しくも甘美な感覚に心が囚われてしまうのだ。
「は、はいッ、来る途中でばったり会ったんでマリア先生の家に行くって話したら、
どうしても美里ちゃんも行きたいって言うんで」
友人の策謀に葵は唖然として声も出ない。
しかし、ここでアン子を問い詰めても話がややこしくなるだけだと思い、
仕方なく慎ましやかに沈黙を保った。
「ええ、もちろん歓迎するわ、美里サン。さァ、二人とも入って」
幸いなことにマリアはアン子の嘘を追求しなかったので、
葵も黙したまま、マリアの家に入った。
「まずは座って。何か食べてきた?」
親しげに語りかけるマリアに、二人が揃って首を振ると、
女主人は我が意を得たりとばかりに用意を始めた。
手伝おうとする葵を制し、手際よく皿と食べ物を並べていく。
食べものといっても火を通したものはなく、チーズやクラッカー、
それにその上に乗せる物がほとんどで、それらを並べ終えたマリアは、
ワインセラーから一本のワインを取りだし、テーブルの中央に置いた。
最後に部屋の照明を落とし、キャンドルに火を灯す。
経験したことのない幻想的な雰囲気に、二人は包まれていた。
「いつもは一人で食べることが多いから、今日は嬉しいわ」
マリアの好意に感謝しながらも、葵は控えめに辞退する。
「私達、未成年ですから」
「少しだけよ。これはそんなに度数の高くないワインだし、
大人が適切に飲ませるのなら問題はないわ」
「でも……」
葵がためらっている間にも、マリアはグラスに注いでしまう。
二口分ほどの白く透明度の高い液体は、確かにそれほど危険な飲み物という印象はない。
それでもやはりアルコール飲料ではあるはずで、葵はふんぎりがつかなかった。
「さあ、乾杯しましょう。……そうね、女だけのひそやかな集まりに、ということにしましょうか」
性急ではないがさりげなく有無をいわせないマリアに、
とりあえず乾杯だけでも葵はグラスを合わせた。
その隣ではアン子が、いかにも知った顔をしてグラスを傾けていた。
「……へえ、ホント、アルコールの感じがしなくて美味しい」
「アン子ちゃん」
葵の傍らでアン子が一気にグラスを傾ける。
少量とはいえ一気に呑むのは危険だと葵が指摘するより先に、
真っ先に止めるべき年長者があろうことかアン子をねぎらった。
「いい飲みっぷりね、遠野サン。もう少しいけるかしら?」
「いただきます。……はぁ、美味しい……ね、美里ちゃんも呑んでみなさいよ。
平気だって、これくらい。本当に美味しいんだから」
「そうね、無理強いはしないけれど、この量でひっくり返ることはないでしょうから、
何事も経験だと思って呑んでみるのはどうかしら」
二人に迫られ、また、非日常的なオレンジ色の照明が
ほんの少しの好奇心を葵に芽生えさせる。
それでもしばらくは理性との間で迷っていたが、
夢幻的な炎のゆらめきについにグラスを手にした。
「ん……」
予想と異なり、ワインは喉を素通りしていく。
口の中に広がったぶどうの味に、ごくわずかなアルコールが彩りを添え、
爽やかな呑みごたえが後に残った。
さらに数拍おいて、腹にアルコールのおだやかな熱が満ちていく。
その熱は、構えていた自分が馬鹿らしくなるほど快適だった。
「どうかしら?」
「美味しい……です」
「気に入ってもらえたみたいで良かったわ。もう少し、呑んでみる?」
砕けた口調のマリアに警戒心も薄れ、葵はグラスを差しだす。
二杯目はさらに味わいが深くなったように感じられた。
「ねえ先生、あたしにももう一杯ください」
「ええ、どうぞ」
アン子は早くも三杯目を注がれている。
彼女のペースは少し早いのではないか、との危惧が葵の脳裏をよぎったが、
キャンドルの炎が照らす、肘までむきだしになったマリアの、
ボトルを持つ白い腕の美しさに見惚れているうちにそのような思いも消え、
マリアの巧みな話術に引きこまれ、三人での談笑に時間を忘れていった。
葵がふと気づけば、隣でアン子はテーブルに突っ伏していた。
幸せそうな寝顔に、はしたないという思いと、
自分もあんな風に寝てしまいたい、という欲求が、
葵の頭の両端を数秒ごとに行ったり来たりする。
「よほど気に入ったみたいね」
マリアの囁きがどこかから聞こえた。
正面にいたはずなのに、と葵が横を向くと、マリアはアン子に毛布を掛けてやるところだった。
「アナタはどう? 美味しかった?」
「はい、とっても」
正面で見ていたときよりも、陰影が濃さを増したマリアに、葵の心臓は高鳴る。
もともと美女として名高い彼女ではあるが、こうして昼よりも夜、
夜よりも闇にたたずむマリアは、同性であっても心奪われる美しさだった。
「そう、良かった」
紅の唇を三日月型にしたマリアが、髪をかき上げる。
そしてその手はもとあった場所に戻らず、葵の髪に触れた。
「あ……」
髪に触られただけなのに、官能のさざめきが肌を走り抜けていく。
身体の内側に溜まっているワインの味に似た、それよりもずっと蕩けるような甘さ。
もっとその甘さに浸かりたくて、葵は首を傾げた。
冷たいマリアの掌が心地よい。
その冷たさは葵が素面であったなら気づいたかも知れない、
人の手にあらざる冷たさだったが、火照った肌が妖艶な教師の掌から感じたのは、
ただ恍惚だけだった。
「アナタは……酔った顔も素敵ね、美里サン」
「先生……」
葵は頬へと滑る掌に、上から手を重ねた。
大人の女性に美しさを褒められたのは悪い気分ではなく、葵の気分は高揚する。
マリアの指先が明確な意志をもって唇をなぞりはじめても、むしろそれを歓迎すらした。
新雪の上に跡も残さない、そんな繊細なタッチで一周、唇をなぞった指は、
さらに下へと滑っていき、顎の下端で止まる。
そこでごく微量加えられた力が、葵の唇をマリアのそれと引き合わせた。
「ん……」
指先と同じく冷たい唇。
口の中に冷気が流れこんだように感じたのは、錯覚か否か葵にはわからなかった。
肉厚のマリアの唇が、優しく唇をついばむ。
キャンドルの炎が闇に消え落ちたとき、葵は全てをマリアに委ねた。
下着姿の葵の目の前で、マリアがガウンを脱ぎ捨てる。
白い裸身が暗い寝室に淡く浮かび、葵を魅了した。
ベッドの上に座る葵に近づいたマリアは、陶然としている少女を抱きしめ、
甘いくちづけを何度も与える。
ブラジャーを脱がせ、反射的に胸を覆った手に指を絡め、
マリアには劣るものの充分すぎる大きさと美しさを備えた乳房に、自分のそれを押し当てた。
「あ……」
頬を染める葵に、幾度か動きを繰り返す。
こうした他愛のない戯れが、自分の見た目とのギャップを与え、
少女たちを打ち解けさせることをマリアは長年の経験で知っていた。
「美里サンのバスト、とっても柔らかいのね」
「……」
どう応じて良いかわからないらしい葵の乳房に横から触れる。
葵に嫌がる様子はなく、四つの巨大な肉果が押しあう光景を恥ずかしがりつつも
受けいれているようだった。
「でも、硬いところもあるみたい」
悪戯っぽく告げたマリアは、バストトップを擦りあわせる。
「は、恥ずかしい……です……」
「ワタシのも、硬くなっているでしょう? 美里サンがあまり可愛いからよ」
「先……生……」
「呼びつけておいて遠野サンには悪いけれど、二人きりで愉しみましょう」
優越感をくすぐられた葵は、潤んだ瞳でマリアを見上げる。
マリアは期待に応え、しっとりと唇を重ねてやった。
胸に顔を埋めて甘えてくる葵に見えない位置で、マリアはゆっくりと唇を舐め回す。
次に濡れた唇から紡がれた台詞には、少女を誑かす毒が含まれていた。
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