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一九九八年も、残すところあと二時間と迫っていた。
受験生らしくこたつに問題集を広げていた龍麻は、勉強を切り上げると大きく伸びをした。
まずテレビをつけ、静かだった部屋に音を取り戻すと、
夜食を兼ねた年越しそばを食べるために湯を沸かそうと立ちあがる。
電話が鳴ったのはやかんに水を汲んだところで、
火にかける前で良かった、と思いながら電話機に向かった。
三歩は必要ない、短い距離を移動するまでの間に誰からの電話だろうと思いを馳せる。
「もしもし」
「あ、ひーちゃん!? ボクだけど」
葵だったらいいな、という期待が裏切られたと知った時、
龍麻はわずかな落胆を押し殺すのに努力しなければならなかった。
しかし珍しく焦った様子の小蒔から用件を聞くと、すぐにそれどころではなくなった。
小蒔の電話は、小蒔の親友であり龍麻とも親交のある、織部神社の娘である織部雪乃と雛乃。
彼女達の祖父が、何者かに襲われて重傷を負い、桜ヶ丘中央病院に運ばれたことを知らせるものだったのだ。
そこには彼の友人である新井龍山も来ており、龍麻達を呼んでいる、という。
すぐに行くと答えて受話器を置いた龍麻は、急いで仕度をしてコートを引っ掛けると部屋を飛び出した。
身の縮むような北風に襟を立てながら、病院へと急ぐ。
時が、迫っている──空に浮かぶ月を見上げ、龍麻はそう思わずにはいられなかった。
龍麻が桜ヶ丘中央病院に着くと、もう京一や他の仲間達は来ていた。
夜遅く、状況が状況でもあるので皆とは目だけで挨拶を交わす。
真神の友人の他には襲われた神主の孫娘である雛乃がいて、
龍麻を見ると深々と血色の悪い顔を下げた。
「こんな大晦日の夜分にわざわざ申し訳ございません」
「おじいちゃん……大丈夫なの?」
織部神社には時々遊びに行ったことがあり、雛乃達の祖父とも面識がある小蒔は、
特に心配が隠しきれないようだった。
小蒔に気遣う以外の意図などないのは明らかだったが、
その問いは祖父の惨状を呼び覚ましてしまったらしく、雛乃の瞳に涙が滲む。
既に散々泣いているのだろう、赤く腫れた目は痛々しく、龍麻達は彼女を正視することが出来なかった。
それでも、事は危急を告げているという思いはこの場にいる全員が共有している。
雛乃は嗚咽を無理やり中断すると、事件のあらましを説明した。
「わたくし達が買い物から戻ると、渡り廊下に御爺(様が倒れて」
「刀傷って話だよな。……奴(か」
京一が苦々しく呟く。
柳生宗祟──龍脈の『力』を手にいれんと江戸の世から生き続ける魔人。
龍麻を襲ったあの男が、何らかの目的のために織部神社を襲ったのは間違いなかった。
では、その目的は一体何なのか。
龍麻は出来るだけ声にいたわる調子を込めて訊ねた。
「それで、他に変わったことは」
「はい……それなのですが」
雛乃はそこで一度咳払いをする。
元より気を抜いてなどはいない龍麻達も、一層引き締めて耳を傾けた。
「以前皆様にもお話したかと思いますが、
織部神社には乃木家よりお預かりした、御大将の遺品がございます」
初めて雛乃の家に行き、彼女と双子の姉である雪乃から自分達の『力』について話を聞いた時、
それについての話も龍麻達は聞いていた。
その時は歴史上の人物が身近に感じられた程度の認識しか抱かなかったのだが、
遺品というのは龍麻達にも関わりのあるものだったのだ。
「お預かりしていたのは白い桐の箱だったのですが、奥の扉が壊され、その箱だけが奪われておりました」
乃木稀典(は、雛乃達の曾祖父に『塔』に関係するものだ、と告げて保管を頼んだという。
その塔が具体的にどのようなものなのかまでは雛乃も聞かされていないが、
その後東日本の陰陽師を束ねているという御門晴明に話を聞いた龍麻達は、それが『龍命の塔』という、
大地に流れる龍脈を増幅させる音叉のような役割を持つ塔のことだと結びつけることが出来た。
「龍脈の力を狙う柳生がそれを盗んだとなると」
「ああ……かなりヤバそうだな」
これまでは姿を見せなかった柳生が、自ら動いているというところからも、
柳生の狙い、そして龍麻達が阻止しなければならないもの(が差し迫っているに違いない。
「皆様にお越しいただいたのも、それについて話があると龍山様が」
強張った面持ちで頷きあった龍麻達は、雛乃と共にロビーへと向かった。
「おう、お前ら、来てくれたのか」
ロビーには龍山の姿は見当たらず、代わりに雛乃の双子の姉である雪乃がいた。
小蒔以上に快活──男勝りとも評される彼女だが、身内の不幸に憔悴(している。
「ちくしょう、オレがいたらじいちゃんは絶対護ってやったのに」
雪乃は悔しがったが、龍麻はむしろ二人がその場に居合せなくて幸いだと思っていた。
織部神社を襲ったのが柳生であれば、雪乃や雛乃では全く歯が立たないだろう。
歯が立たないだけならまだしも、最悪、彼女達まで犠牲になるかもしれないのだ。
老神主の容態は気になるが、凶刃にかかったのが彼一人で済んだことに安堵する──
それほど、龍脈の力を手に入れようと江戸の世から生き続ける魔人、柳生宗祟は恐るべき敵だった。
ロビーの奥から、龍山が現れる。
どこかへ電話をしていた龍山は、龍麻達に気づくとわずかに美髯を綻(ばせた。
「おお、来おったな」
久しぶりに会う龍山の顔色は、雪乃や雛乃と同じく、はっきりと悪かった。
長い白髭こそたくわえているものの、齢に似合わぬ若さを持っている龍山がやつれているのは、
年来の友人が襲われたからに違いなかった。
袂(に手を入れた龍山は、苦々しく呟く。
「今しばらくの猶予があると思うておったが彼奴(め、最早待ちきれんとみえる」
「先生。柳生は一体何をしようとしているのですか」
長髭をしごく龍山に、醍醐が性急さを隠そうともせずに問う。
「うむ、それは──」
龍山は語ろうと口を開く。
すると、つけっぱなしにされていたテレビからニュースを読む声が聞こえてきた。
邪魔だと思った葵が消そうとテレビに近寄ると、龍山は何故か正反対のことを指示した。
「すまんが、ボリュームを上げてくれんか」
この場にいる誰もが、龍山の意図を計りかねたが、
この場にいる一番の年長者は食い入るようにテレビを注視し始めてしまった。
仕方なく、龍麻達もそれに倣(う。
「繰りかえしお伝えします。本日午後九時頃、靖国神社に刃物を持った男が押し入りました。
男は関係者に斬りつけ、蔵に安置されていた小箱を奪い逃走しました。
警察は犯人の行方を追うと共に、強盗殺人事件として捜査に──」
ニュースはなお続いているが、もはや龍麻達は聞いていなかった。
乃木稀典と共に龍命の塔について研究していたとされる大日本帝国軍人、東郷平八郎。
雛乃の話では、乃木稀典が織部神社に託したように、東郷平八郎も靖国神社に何かを託したという。
龍麻達が一斉に視線を向けると、龍山は重々しく首を振った。
「柳生が奪った二つの箱。その中に収められているものこそ、帝都の刻よりこの地に眠り続けてきた、
双頭の龍──何処かに眠る龍命の塔の封印を解き、起動させる為の鍵なのじゃ」
その塔が起動してしまえば、東京は未曾有(の混乱に陥るだろう。
そしてこれまで暗躍していた柳生が実力行使に出て鍵を手に入れた以上、
もはや野望の実現を躊躇(する理由はどこにもない。
「恐らく柳生は塔の場所も把握しておるじゃろう。封印が解かれてしまうのも時間の問題じゃろうて」
龍命の塔は、起動する──それが、未来を描く『力』を持つ秋月マサキが龍麻達に示した未来だった。
龍麻達は被害を未然に防ぐことは出来ず、最小限に抑えることが精一杯だというのだ。
それが与えられた宿命だとするならば、なんと残酷なことだろう。
人の努力など無に等しいではないか。
龍麻は知らず拳を固めた。
己への無力と、宿命とやらへの怒り──だが、後手に回るとしても、
柳生の野望は絶対に阻止しなければならない。
東京(を護り、大切なものを護る──『黄龍の器』だけにそれが出来るのなら、
龍麻はやらなければならなかった。
「龍麻よ、お主の父親もそれは強い男じゃった。
それでもその身を挺してようやく、数年の間奴を封じるのが精一杯じゃった」
それは龍麻も、龍山に初めて父の話を聞かされてから考えていたことだった。
父親に、龍山に、楢崎道心に、劉の父親……いずれも手練(れだったろう。
それでも父親は斃(れ、柳生は一旦は封ぜられたものの蘇(った。
自分達で柳生に勝てるのだろうか。
父のように、刺し違えてでも柳生を倒し、仲間を救えるのならまだ良い。
だが自分は、一度なす術なく柳生に敗れている。
死ななかったことが奇跡だと、葵が癒しの『力』で治療してくれなかったら多分死んでいたと、
葵と共に治療してくれたたか子に言わしめるほどの傷を負わされて、
もう一度やれば勝てるなどという楽観は到底持てなかった。
龍麻の怯えを、龍山は理解していた。
わからぬはずがない。
柳生は不死に近い魔人であり、十七年前に柳生と相対した龍山も、同じ怯えを抱いたからだ。
それは形となる前に、龍麻の父親によって苦味を伴いつつも霧散した。
だから今度は、龍山が怯えを取り除いてやる番だった。
「わしらも奴と闘った……じゃが、わしらとお主達とでは大きく異なることがある」
教えを請う──すがるような目をする龍麻に、龍山は息子を見るように微笑み、励ました。
「龍麻よ。お主の存在じゃ」
「……」
「お主に惹かれた宿星達の煌きは、わしらよりも遥かに強い。
柳生の陰(に、対抗しうるほどにな」
龍山の言は、龍麻の期待に応えてはくれなかった。
もっと必殺の術や、必勝の策でも授けてくれると思っていたのだ。
そんなものがないと知りつつも、まさに龍山の口にしたのと反対の意味で、
龍麻は都合の良いそれらの存在を願わずにいられなかったのだ。
宿星──この春から東京の各所で発生した事件に関わった時に出会った仲間達。
確かに彼らは人を超えた『力』を持ち、頼めば危険を顧みず力を貸してくれるに違いない。
そして龍山の言う通り、彼らの力を借りなければ(柳生には勝てないだろう。
だが龍麻は、柳生との決戦の際に彼らの誰をも呼ぶつもりはなかった。
柳生との闘いは文字通り命を賭したものになるだろう。
現に龍麻は一度敗れ、死の縁をさ迷っているのだ。
彼らを同じ危険に晒すことは龍麻には出来なかった。
本音を言えば京一達すら置いて、一人で東京に眠る龍穴がある寛永寺に行きたいくらいだ。
しかし既に全ての事情を知っている彼らは、決してそれを許さないだろう。
こうなったら、せめて──
龍麻は悲愴な覚悟を固めざるを得なかった。
沈黙の檻に閉じこもった龍麻を、仲間達は気遣わしげに見る。
龍麻が何を考えているか、この一年間行動を共にしてきた彼らには、おおよその見当がついていた。
普段は鷹揚(なくらいの龍麻だが、仲間の危険に際しては頑(ななのだ。
関わる全ての人間を、護ろうとする──
その為になら自分の命すら厭(わず投げ出そうとする、危険なまでの信念が、
龍麻が護れなかった少女に起因することを京一達は知っていた。
だから、龍麻を掣肘(することは出来ない。
しかし、龍麻には龍麻の想いがあるように、京一達には京一達の想いがあった。
龍麻についていくのではない。
龍麻と共に闘うことこそが、京一達が選んだ道だった。
それを龍麻に理解させねばならない。
四人は素早く視線を交わしあい、頷きあった。
龍山の話も終わり、今日はこれ以上ここにいても仕方ない。
龍麻達が帰ろうとすると、ロビーに低い、荘厳な音が響き渡った。
外から入ってきたその音は、幾拍かの間を置いて何度も鳴り響く。
ロビーにかかっている時計を見上げて、小蒔が呟いた。
「あっ……除夜の鐘だ」
「まさか桜ヶ丘中央病院(で年越しとはな」
鳴り響く鐘の音を聞きながら、しみじみと京一が頭を振った。
恐らく京一にとっては、世界で最も年を越したくない場所に違いない。
龍麻もさすがに病院、それも産婦人科で新年を迎えるとは思っておらず、苦笑で答えようとしたが、
鐘の音に混じって微かな地響きが聞こえてきたので、慌ててそ知らぬ顔をした。
「何か不満でもあるのかい」
「げッ、いえ、滅相もないです」
鐘の音にも劣らない低音を轟かせて現れ、世に怖れるものもない京一を怯えさせるのは、
この病院の院長である岩山たか子だった。
氣を用いた霊的治療では世界でも五本の指に入る能力を持つ彼女は、
いつでも治療を行えるよう膨大な氣を蓄積する為に、自ら肥(っている。
二週間ほど前は瀕死の重傷を負った龍麻を治療する為に己の氣をほとんど消費し、
元(の体格に戻っていたこともある彼女だが、今は初めて龍麻が会った時と同じ、肥った姿だった。
早くも醍醐の背中に隠れようとする京一だったが、それよりも先に雛乃が進み出た。
「先生、御爺様は」
当然の問いを発した雛乃を、たか子は煩(わしげに睨みつけた。
これは何も雛乃に隔意を抱いているのではなく、
たか子は美少年を愛するのと同程度に女性が嫌いなのだ。
その証拠に、睨みつけながらもたか子は医師としての義務はおろそかにしなかった。
「老齢だからな、出血が多くて危なかったが、峠は越した」
「……! ありがとうございます、先生」
目許に涙を滲ませ、雛乃が低頭する。
その隣では雪乃が、頭こそ下げなかったが大きく安堵していた。
しばらくは安静だが、今月半ばには退院出来るだろうというたか子の言葉に、再び雛乃が礼を言う。
龍麻達も老神主の無事を喜び、雪乃と雛乃に声をかけようとした。
その時、不意に地面が揺れた。
それはたか子が歩いた時に起こる地響きとはむろん異なる、もっと長く、強い揺れだった。
強い地震かと思った龍麻だったが、醍醐に身体を支えられた龍山は、揺れの正体を知っているようだった。
「まさか奴め、龍命の塔の起動を──」
「そんな、それじゃもう」
一同は顔を青ざめさせる。
しかし龍山の答えは、龍麻達の不安とはやや異なっていた。
「いや、わしが聞いたところによると、地中にて稼動し始めた塔は大地の氣を吸い上げ、
一昼夜の後に地上に姿を現すそうじゃ。
そして塔の出現によって龍脈はさらに増幅され、天昇する龍の如く、一点の高みへと駆け上る。
己を受け入れるに相応しい者(の待つ、上野、寛永寺へ」
寛永寺──そここそが、江戸の高僧天海によって封じられた日本最大の龍穴が存する場所だ。
そこに柳生は、『陰の器』と共にいるのだ。
「塔の起動は一度始まってしまえば誰にも止めることはできぬ。
果たしてその時この地が、いかなる厄災に見舞われるのか、それはわしにも解らぬ。
じゃが、その時こそが時代を分ける最後の闘いの時じゃろうて」
誰からともなく視線を交わした龍麻達は、揃って頷いた。
時計を見上げた醍醐が、顎に手を当て呟く。
「一昼夜か……ならば、一旦帰って身体を休めておくべきだろうな」
「あ、それならさ、明日……もう今日か、初詣に行かない?」
小蒔の提案は生死を賭けた決戦の前に行うにはあまりにも相応(しくないように、龍麻達には思えた。
「お前な……その後何すんのかわかってんのかよ」
「だから余計にじゃない。新宿の神様だって自分の街壊されるのは嫌だと思うからさ、
お願いしたらちょっと力貸してくれるかも」
思いきり呆れる京一にも怯む様子もなく初詣を主張する小蒔に、龍山が笑って同意した。
「嬢ちゃんの言う通りじゃ、花園神社に行ってみたらどうじゃ」
「……まぁ、初詣は構わねェけどよ。着物のおねェちゃんが一杯いるしな」
「どっちがわかってないんだか」
場所が場所だけに遠慮がちではあったが、新年初笑いを果たした龍麻達は、
改めて家に帰ることにした。
「オレ達も一旦戻るぜ。初詣の準備もしねェといけねェからな」
雪乃が言うには織部神社に参拝にくるのは地元の老人が大半で、それほど忙しくはないという。
しかし神主が不在では二人に負担がかかるはずで、精神的な疲労も大きい二人を龍麻は心配した。
「大丈夫だって。小っちぇ頃からずっとやってんだからよ」
そう答える雪乃は普段の彼女に戻っている。
龍麻は落ちついたら真っ先に報告しに行くことを約束し、彼女達と別れた。
柳生との闘いに彼女達を巻きこんで、これ以上負担をかけることは出来ない──
暗黙の内に交わされた合意は、全員に固く守られたのだった。
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