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 病院を出た龍麻は、無言で歩いていた。
音が聞こえるほど強い風は、心をも萎縮させる。
様々な想いが胸中をよぎったが、そのどれもを形にすることはなく、下を向いて龍麻は歩いていた。
 ひとつ角を曲がり、裏路地に入った辺りで京一が口を開く。
「柳生のことなんだけどよ」
「どうした」
「バタバタしてて忘れてたけどよ、真紅の学ランっていやぁ、天龍院がそうだったよな」
 この春に転校してきて、東京の他の高校を知らない龍麻以外の四人は顔を見合わせた。
赤い学生服などという目立つ代物を着ていながら、なぜ今まで気づかなかったのか。
「天龍院……都庁の向こう側にある高校か。しかしそうだったか? あまり覚えがないが」
「何年か前に廃校が決まって新入生を入れなくなったからな、今は確か三年だけのはずだ。
あんまり見たことがねェから俺も忘れてたんだけどよ」
 京一の説明に、醍醐は得心したように頷いた。
すると今度は小蒔が疑問をていする。
「でも……柳生って江戸の頃から生きてるんでしょ? なんで高校なんかに?」
「さあな……天龍院あそこに何か意味があるのかも知れねェが、いまさら考えたってしょうがねェだろ。
どっちにしたって龍命の塔とやらの起動は止められねェ。
俺達に出来るのは、柳生をブチのめすだけなんだからな」
 京一の言う通りだった。
敵がどれほど強大であろうと、東京このまちを破壊させる訳にはいかない。
龍麻達は改めて、柳生を倒すことを誓い合った。
 気分的にはこのまま寛永寺に乗り込んでも良いくらいなのだが、
やはり充分に休息を取ってからの方が良いだろうし、小蒔は初詣に行こうと言ったことを忘れていなかった。
「明日……ってもう今日か。どうしよっか、ボク達アン子の様子見に行くことにしてるんだけど」
 小蒔が言うと、京一が呆れたように肩をすくめた。
「なんだあいつ、大晦日まで学校に泊まりこんでんのかよ」
「ええ……高校生活最後の大仕事だからって張り切っているんだけど、
ちょっと根を詰めすぎている気がして。でも、初詣には一緒に行きたいって言ってたから」
 言葉を切った葵は、ちらりと龍麻を見る。
龍麻は彼女の言いたいことを理解し、一緒に杏子を呼びに行くと告げた。
「それじゃ神社の前で待ち合わせでいいか」
「ああ、そうしよう」
 予定を決めた龍麻達は、まず女性二人と別れた。
なんといっても時間が時間であるし、龍麻は醍醐に小蒔を送らせ、
自分は葵を送っていこうと思ったのだが、それよりも先に小蒔に元気良く手を振られてしまい、
目論見はあえなく失敗してしまっていた。
 悲しく手を振り返す龍麻の肩を、京一が叩く。
それを振り払う気力もなく、龍麻はとぼとぼと歩きだした。
 三人の誰もが、無言のままだった。
闘いへの覚悟など今更確認する必要もないことだ。
言葉を交わさないことが、言葉よりも互いを結びつける場合がある。
今は、そんな時だ。
 しかし、今歩いている場所は龍麻に感慨を呼び起こさせた。
新宿中央公園──花見に訪れ、初めて『力』を用いた場所。
龍麻は以前から氣を操ることが出来たが、京一や醍醐は旧校舎に入った時から『力』に目醒めたのだ。
そしてこの場所で、盗み出された妖刀村正に取り憑かれた男を倒す為に、龍麻達は『力』を用いた。
以来東京の各所で起こる異変に、龍麻達は立ち向かってきた。
楽しい、と言えば語弊ごへいがあるが、しかし間違いなく充実した日々。
それらの日々を、龍麻も、京一も、醍醐も、そして葵と小蒔も生涯忘れることはないだろう。
 龍麻が二人を見ると、彼らは解っている、というように小さく頷いた。
そして、その全てが終わる時が近づいていた。
「明日……か」
「ああ……明日だ」
 京一の声は重く、龍麻を立ち止まらせるだけの力があった。
足を止める龍麻が見た京一の眼には、なぜか殺気すら宿っていた。
息を呑む龍麻に、これまで聞いたことのない種類の京一の声が染みてくる。
「俺はあの時お前を護れなかったことを後悔してる」
 気にするな、と言おうとする龍麻を制して京一は続けた。
「だからよ、終わったら……俺にラーメン奢らせろ。
いいか、奢らせるまでは勝手に死のうとか考えるんじゃねェぞ」
 一気にまくしたてた京一に、龍麻は答えられなかった。
京一の隣では醍醐が、言葉こそ語らないものの、眼差しで告げていた。
 二人は龍山の話を聞いた時から、龍麻が父親と同じく、
己の身を犠牲にして仲間や東京を救おうとしていることを見抜いていたのだ。
不器用にいさめてくれた京一と醍醐に、龍麻は胸が熱くなった。
そして自分を犠牲にする、という考えをきっぱりと捨てることにした。
 彼らと共に闘い、そして共に勝つ。
大きく、力強く、龍麻は二人に頷いてみせた。
「大盛りチャーシューネギ玉子付きな」
「くッ……てめェ、調子に乗りやがって」
 自分から言い出して怒りかけている京一に笑みを誘われながら、龍麻はもう一人の友人の方を向いた。
「じゃあ醍醐は俺の奢りだな」
 龍麻の意図を汲んだ醍醐は、顎に手を当て、しかつめらしく考えて言った。
「ふむ……ならばカルビラーメン特盛り全部乗せにするか。
一度食べてみたかったんだが中々金がなくてな。京一、お前は何がいいんだ」
「そりゃ味噌バターコーン大盛り……って馬鹿野郎、それじゃ自分てめェで食った方が早ェだろうが」
 京一が大声を張り上げると、反応してどこかで犬が鳴いた。
妙な哀愁が夜の東京に漂う。
龍麻は声に出さず笑い、京一の腕を叩いた。
「自分で食うのと奢りで食うのとじゃ張り合いが違うだろ。いいから終わったら皆で王華に行こうぜ」
「……ちッ、わかったよ。いいか醍醐、奢るまで死ぬんじゃねェぞ。俺の損になっちまう」
「ああ……緋勇もな」
「言い出したお前がくたばんなよ、京一」
「誰がくたばるかッてんだ。ああ、もうどうでも良くなっちまった。とっとと帰ろうぜ」
 軽くあくびをした京一に同意して、龍麻と醍醐も再び歩きはじめた。
風は、もう冷たくはなかった。

 醍醐とも別れた龍麻は、京一と二人で歩いていた。
さっきのやりとりで意は充分に交わしたので、今更何を話す必要もない。
そう思い、龍麻は特に話題も探さなかった。
しかし、彼と別れる辻まで来ると、京一の方から話しかけてきた。
「ところでよ」
「なんだ」
 陽性の男らしくない、静かな水面のような語り口に、思わず龍麻は引きこまれる。
すると言葉を切った京一は、おもむろに龍麻の首に腕を回した。
「そのマフラーどうしたんだよ。お前のセンスじゃねェだろソレ」
 不意を衝かれて、龍麻は激しく狼狽した。
クリスマスイブに葵から貰ったマフラーを巻いてきてしまったのは、全くうかつというべきだった。
しかし十二月の夜は寒かったし、
病院でも誰にも何も言われなかったのですっかり油断してしまっていたのだ。
「こ、これは……」
「へーへー、ッたくお熱いこった」
 必死に言い訳を考える龍麻の腹に、軽い一発が入る。
拳が添えられた程度の殴打だったが、動揺しきっていた龍麻にはひどく痛い一発だった。
「その辺の顛末てんまつはいずれゆっくり聞かせてもらうからな」
 高らかに言い捨てて京一は帰っていく。
どうやら闘いが終わっても、心休まる時が訪れるのはもう少し先になりそうだ。
龍麻はがっくりとうなだれて、夜の新宿を歩いていった。

 龍麻が目覚めたのは、もう昼近くだった。
昨日遅い時間に帰ってきたから無理はないが、葵達との待ち合わせの時間まではそんなにない。
あわただしく起きた龍麻は、寝ぼけた頭を強引に覚ますために浴室に向かった。
 熱湯を被り、鼓動が早くなる。
しばらくそのまま身体を湯に打たせ、龍麻は考えていた。
今日──今日で闘いが終わる。
龍麻の父親をたおし、龍麻自身にも重傷を負わせ、
龍脈の『力』を手に入れて世界を修羅の世に変えようともくろむ悪鬼、
柳生宗祟と決着をつけなければならない。
 熱湯を浴びているにも関わらず、龍麻は寒気を感じた。
怯えている。
一度はなすすべなくやられ、柳生の強さを骨まで刻みこまれた身体が、
再び彼とあいまみえることを怖れているのだ。
今度負ければ間違いなく殺される。
世界の破滅も恐ろしいが、生々しく彩色された自分が死ぬという想像は、龍麻を芯から怯えさせた。
 春からの闘いの中で死を覚悟したことは幾度かある龍麻だが、
それらは全て闘っている最中に抱いた感覚であり、闘う前から恐怖するのは初めてだった。
いくら京一や醍醐の励ましがあっても、圧倒的な柳生の技量への怖れは拭い去れるものではなく、
こうして一人になると、あぶくのように膨れてしまうのだった。
 だが──龍麻はそれでも闘って、勝たねばならない。
仲間を、葵を、大切なものを護るために。
 龍麻はシャワーを止め、堪えていた息を吐き出した。
身体は寒いままだ。
しかし、心は息と共にいくらかは恐怖も追い出すことが出来たのか、もう冷えてはいなかった。
龍麻は両手で頬を叩くと、気分を切り替え、浴室を出た。
 自分には仲間がいる──ひとりなら怖れても、仲間となら立ち向かえる。
ひとりでは歯が立たなくても、仲間となら。
昨日の夜は仲間を頼らず、ひとりで寛永寺に行こうとすら考えていた龍麻だったが、
それは浅はかな考えだった。
京一に醍醐、それに葵に小蒔……五人でなら、きっと勝てる。
この春からずっとそれで上手くやってきたように、五人でなら必ず柳生を倒せる。
 髪を乾かし、服装を整えた龍麻は、鏡の前に立って抱いていた不安を洗い流したことを確かめると、
ひとつ頷いて葵と小蒔の待つ真神学園へと向かうことにしたのだった。

 学校に着くと、もう葵は校門の前で待っていた。
こちらに気づいた彼女は、たもとを抑えながら手を挙げる。
 彼女までの数メートル、新年最初にどんな表情をすれば良いのだろうか迷った龍麻が結局選んだのは、
顔の下半分を手で抑えるというなんともしまらないものだった。
不審者にも見られかねない格好に、葵が眉を軽くひそめる。
「どうしたの?」
 悪意のない、それだけに答えようのない問いを、龍麻は白々しくごまかすことにした。
「それよりその、挨拶を」
 龍麻が言っても、葵はしばらく小首を傾げて問い詰めるような表情をしていたが、
どうやら追及は止めてくれたようで、両手を揃えて深々と頭を下げた。
龍麻もそれにならう。
「あけましておめでとうございます」
 この時ばかりは丁寧に新年の賀詞を交わしたものの、直後に二人とも軽く吹き出してしまった。
心地の良い照れくささが抑えられなかったのだ。
「着物、迷ったのだけれど、その……龍麻に見て欲しくて」
 男として、これほど冥利に尽きる台詞はそうはない。
深く感動した龍麻は、改めて艶やかな着物を眺めた。
 落ちついた赤──後で聞いたところによると、唐紅からくれない色というらしい──の着物には、
控えめに花の柄があしらわれていた。
制服姿がほとんどで、葵の私服を見ることが出来るようになったのも割と最近の龍麻にはなんとも新鮮で、
少し油断していると口が開いてしまう。
やはり葵は何を着ても似合う、と安直だが正直な感想を抱いた龍麻は、更に視線を上に移した。
 朝から美容院に行ったのだろうか、着物に合わせて結ってある髪には、
着物と同じ色のかんざしがいろどりを添えている。
髪をまとめただけでこうも印象が変わるのか、と龍麻は驚かずにいられなかった。
隣に並ぶことに、嬉しさと気恥ずかしさを同時に抱いてしまう。
こんな艶姿を一年に一回しか見られないことを心から残念に思っていると、
通りの向こうから小蒔がやって来た。
「あ、二人とも来てたんだ」
 見れば小蒔も着物姿だった。
葵よりも更に色の濃い着物は、活発な彼女の印象を随分と変えることに成功している。
馬子にも衣装だな、と京一なら言ったかもしれないが、龍麻はそんな風に思いもせず、
素直によく似合っていると褒めた。
「エヘヘッ、ありがと、ちょっと照れるね。あ、そうだ、明けましておめでとッ」
 小さい子のように袖のところを掴んで、小蒔ははにかむ。
その笑顔は醍醐に見せてやればよいのに、とは龍麻と葵、双方が思ったことだった。
 杏子を呼びに三人は校内へと入る。
歩きながら、小蒔が大儀そうに帯を撫でまわした。
「着物って……お腹きっついんだね。これじゃなんにも食べられないよ」
「小蒔ったら、お正月から屋台を回るつもりだったの?」
「だってお店があったら食べたくなるじゃない」
 小蒔の場合は服が変わっても中身は変わらないようで、
龍麻と葵は内心ため息をつかざるを得ない。
自分達が一応上手くいったので、出来れば他人も応援してやりたい、と思う二人だったが、
これでは中々前途は厳しそうだった。
 友人二人がそんなことを考えているとはつゆ知らず、小蒔はさっさと校内に入っていく。
薄暗い、電気も点いていない校舎を、小蒔はうそ寒そうに見渡した。
「休みの学校ってすっごく静かだよね。アン子、怖くないのかな」
「そうね……夜一人だなんて、私には無理だわ」
「葵はいいじゃない。ひーちゃんにいてもらえば」
 春からの、半ば定番と化した冷やかしのつもりで小蒔は言った。
しかし、返ってきた反応はこれまでと異なる種類のものだった。
「そうね……そうしようかしら」
 親友の声に余裕と、信頼のようなものを感じとって、小蒔は目を丸くした。
葵はすました顔で先に行ってしまう。
本人から真意を聞けなくなってしまった小蒔は、あらぬ方を見ている龍麻の耳を引っ張った。
「痛て、何?」
「何、じゃないよ、あれどういうこと」
「さ、さあ」
 自分のことは鈍いくせに、他人のことには鋭い小蒔に答える龍麻の目は、
くらげのようにぷかぷかとさ迷っている。
目を細めて恫喝した小蒔だが、元日ということもあるので厳しい追及は控えてやることにした。
ただし。
「味噌バターラーメン大盛り三杯ね」
「なんでだよ、俺は何も」
「アン子、新年早々スクープ出来るって大喜びしちゃうかなぁ」
 龍麻が反発するには、今から会いに行く相手はいかにも具合が悪かった。
ジャーナリストの他に芸能リポーターの適性も高そうな杏子が相手となれば、
小蒔よりも遥かに厳しい追及の手が伸びるに違いない。
「……わかったよ」
 龍麻は自分と葵の名誉の為に、私財を投じる羽目になってしまった。
「交渉成立だねッ。毎度あり、ひーちゃん」
 思わぬ相手からお年玉を獲得した小蒔は、意気揚々と新聞部へ向かう。
その後ろを、彼女の幸せを願うどころではなくなった、すっかり意気消沈した龍麻がついていった。



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