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学生のいない学び舎は、寂しげな灰色だった。
窓から射しこむ陽の光も、今日はあいにく曇り空ということで、学校を余計に暗くさえしている。
それは一階から二階、二階から三階へと進むにつれ濃さを増していき、
龍麻達は次第に無口になっていた。
先頭で階段を上る龍麻の背後から、葵と小蒔の小声が聞こえる。
「さすがに……アン子以外は誰もいないよね」
「ええ……そのはずだけれど」
弱気があだとなったのか、それとも怯えが形となったのか。
「うふふふふ〜」
「うわッ」
予想もしていなかった不気味な笑い声に、龍麻は文字通り跳び上がってしまった。
もう少しで葵と小蒔に向かって倒れるところだったが、寸前でそれだけはこらえる。
ぶざまな姿を晒してしまった龍麻に、口許を三日月型に曲げてみせたのは、
隣のクラスの裏密ミサだった。
「ミサちゃん……どうしたの?」
胸に手を当てている龍麻を横目で見やって、代わりに小蒔が訊ねる。
ミサの答えは、龍麻を驚かせるものだった。
「ちょっと調べものをね〜。あと緋勇く〜んを待ってたの〜」
「俺を?」
なぜ今日俺が学校に来ることがわかったのだろう。
非常に疑問に思う龍麻だったが、きっとなんとか占いよ〜、と言われておしまいだろう、
と思いあえて訊かなかった。
それよりも、待っていた理由の方が気になる。
「うん〜。明日〜、一九九九年一月二日、
この日の零時をもって魔星蚩尤旗は黄龍の穴の鬼門に入るの〜。
陰が陽を凌駕して、聖なる方陣が最もその力を弱める〜、この時こそが時代が変わる時〜」
「明日の午前零時に龍脈の『力』が放出されるってこと?」
「多分ね〜。そして〜、それより早い時刻に塔が完全に地上に姿を現して、
この地は大変なことになるわ〜」
それは龍山にも言われていたことで、今更驚くには値しない。
しかし不吉な予言には変わりなく、龍麻は緊張した面持ちで頷く。
するとミサは、後に龍麻が見間違いだと信じたくてたまらなくなった笑みを浮かべた。
「ミサちゃんも寛永寺には行くけど〜、緋勇く〜んも気をつけてね〜」
「行くって、危ないよ」
「うふふふふ〜、こんな大きな研究素材、滅多に見られないもの〜、止めてもムダよ〜」
ミサにさからうと、きっとロクなことがない。
かつて良くわからないうちに約束を破ったと言われ、
思い出すのも嫌なおしおきを受けた龍麻は、早々に止めるのを諦めた。
それにミサならば、例え自分が斃(れたとしても生き残るような気がする。
黄龍の器とやらより、よほど彼女の方が強いのではないかと思う龍麻だった。
今日はこれで家に帰るというミサと別れ、三人は新聞部の部室へ向かった。
小蒔が小さく扉を叩いてみるが、反応はない。
そっと扉を明けた小蒔は、抜き足で部屋に入った。
「アン子、生きてる? 初詣の迎えに来たよ」
小声で呼びかけてみても、やはり返事はない。
小蒔が部屋の主を探してみると、敏腕の新聞部部長にして今は卒業アルバムの編集部員は、
眼鏡をかけたまま机に突っ伏していた。
死んではいないことは、かすかに上下動している身体から確認出来る。
それだけでなく、規則正しい寝息に混じって奇妙な言葉も聞こえてきた。
「やってます……やってますから……今日中にあと四ページ、上げますから……」
魂の叫びというのは、こういうのを言うのだろうか。
うなされている杏子に顔を見合わせた三人は、揃って吹きだした。
このまましばらく聞いていたい気もするが、京一達と待ち合わせているので起こすことにする。
大きく息を吸った小蒔は限界で一瞬動きを止め、溜めこんだ声を一気に吐き出した。
「コラッ、起きろ、アン子ッ!!」
小柄な身体のどこにそれだけの声量(があるのかというほどの声に、
杏子はばね仕掛けの機械のように飛び起きた。
「はッ──!! あ、あれ? なんで桜井ちゃんがいるの? それに美里ちゃんに緋勇君まで」
「なんでじゃないよ、初詣行くっていったろッ。さっさと顔洗ってきなよ」
「顔……あッ! ちょ、ちょっと、緋勇君、見ないでよ」
乱れた髪や目やにのついた眼はともかく、うっすらとよだれの跡をつけてしまっているのは、
確かに年頃の女の子としてはちょっと恥ずかしい格好だったかもしれない。
慌てて顔を隠す杏子に、小蒔は大きく肩をすくめた。
「今更遅いよ……」
「ち、違うのよ、いつもはこんな風に寝てないのよ、今日は特別なんだから」
「もうひーちゃん写真撮っちゃったよ。卒業アルバムに載せてもらうんだって」
「きゃあッ、ちょっと、止めてッ!」
明らかに嘘とわかる小蒔のよた(にも、よほど動揺しているのか、
杏子は顔を覆ったままもう片方の手を伸ばす。
芸能人がカメラから逃れようとする仕種だ、と三人が同時に思っていると、
狼狽した真神新聞スクープ班班長は取引を持ちかけてきた。
「そうだ、美里ちゃんの秘蔵の写真あげるから、それと交換でどう?」
「アン子ちゃん……そんなのいつのまに」
「それボクも気になるなぁ。ホントに撮っとけば良かったね、ひーちゃん」
愕然とする撮られた当人を尻目に、小蒔が興味を示す。
龍麻も心からそう思ったが、賢明にも返事はしないのだった。
急いで顔を洗い、用意を整えた杏子を連れて、龍麻達は花園神社に行く。
一階まで下りてきたところで、ようやく完全に目が覚めたらしい杏子が、思い出したように言った。
「そういえば、今日マリア先生も来てるのよね」
「なんで?」
「さあ、仕事が溜まってる、とは言ってたけど」
それにしても元日から仕事をするとは、よほど教育熱心なのだろうか。
感動しつつ、せっかくだから挨拶をしていこう、と龍麻達は職員室に寄った。
「失礼します」
扉を開けると、職員室の中は薄暗かった。
明かりが点いていないのだ。
仕事をするにはとてもではないが暗く、どこかに出ていったのだろうかと龍麻は室内を見渡した。
マリアは鮮やかな金髪を従えて、窓際にたたずんでいた。
俯きかげんで外を見ているのが、絵画のようにさまになっている。
「先生?」
扉を開けた音は彼女の耳にも届いているはずだが、
気付いた様子のないマリアに、龍麻は小声で呼びかけた。
その瞬間、龍麻はなぜか後ずさりしそうになるほどの強い氣を彼女から感じた。
氣は生気や感情に密接に結びつくもので、全ての生命が等しく有している。
人間も当然例外ではなく、強弱の差はあれ万人に存在するものなのだが、
『力』を持つ者以外でこれほど強い氣を持った人間に会ったのは稀有なことだった。
しかし、マリアが『力』を持っているはずがない。
龍麻が自分を諌(めるように照れ笑いを浮かべると、マリアも笑い、
それ自体が光っているかのような豪奢な金髪を軽く掻きあげた。
「あ……ごめんなさいね、ちょっと考え事をしていたものだから」
マリアの声におかしなところはない。
龍麻はどうして彼女に、一瞬とはいえ強い感情を抱いたのか訝(らずにはいられなかった。
それは殺気──そう、襲いくる敵に対して抱く負の感情だった。
決して教師に、それも生徒のことを本気で案じてくれる教師に向けて良いものではない。
薄暗い校舎やぐずついている天候に、自分でも知らないうちに苛立っていたのだろう、
と龍麻は自分を納得させ、失礼な考えを持ってしまったことを内心でマリアに謝った。
他の三人はもちろん、マリアに何の不審も感じていないようで、
ますます龍麻は自分が間違っていたのだろう、と思い、
しばらくの間、反省の意を込めて黙っていることにした。
「そうですよねェ、某木刀馬鹿みたいな卒業も危うい問題児がいると、
先生も心休まる暇がないですもんねェ」
マリアが微笑を浮かべただけで答えなかったのは、杏子の言ったのが恐らく事実だからだろう。
龍麻は友人の行く末について若干の不安を抱いたが、こればかりはどうしようも出来ず、
せめて初詣で卒業できるよう祈ってやるくらいしかなかった。
葵と小蒔の着物に気付いたマリアは、敬愛される教師の表情を生徒に向ける。
「これから初詣かしら?」
「そうです、先生も一緒にいかがですか」
「そうね……神様にお願いするのもいいかしらね」
神様、という言葉を、マリアは吐き捨てるように言った。
少なくとも龍麻にはそう聞こえた。
きっとそれは聞き過ごし、あるいは、元日から仕事に来ているストレスが思わぬ形で出てしまったのだろう。
自分の情緒にいささか自信を失っている龍麻は表情を消し、何も感じなかったことにしたが、
薄暗い職員室に、マリアの美しい金髪はなぜか作り物めいて見えた。
「もう少しだけ仕事があるから、それが終わったらワタシも行くわ」
マリアの言葉に従って、花園神社へ先に行っていることにする。
葵達に続いて最後に職員室を出ようとした龍麻は、ふと振り向いた。
マリアは、こちらを見ていた。
美しい蒼氷色の瞳に、強い意思を宿して。
だが距離が遠く、彼女の意思がどの方向を向いているのかは解らなかった。
視線を受けとめることが出来ず、龍麻は俯(く。
そのまま職員室を出てしまえば良かったのだが、
なまじマリアを見てしまったのが災いして、動けなくなってしまった。
視線を逸らしていても、マリアの眼光を感じる。
なぜ彼女は、こんなにも苛烈な眼差しを向けるのか。
龍麻には思い当たるふしが何一つなかった。
マリアはただ射すくめるだけで、近づいても、何かを語りかけもしない。
と言って自分から声をかけることも出来ず、龍麻は途方に暮れるしかなかった。
「ひーちゃん、どうしたの?」
職員室と廊下の狭間に立ちつくす龍麻を救ったのは、ついて来ないことに不審を抱いた小蒔の声だった。
呪縛を解かれた龍麻は、なおざりに頭を下げ、彼女の視線を遮(るように扉を閉めた。
問いたげな視線を向ける三人に、答えることは出来ない龍麻だった。
元日とあって人通りも少ない街を歩く。
制服の杏子はともかく、着物の葵と小蒔はあまり速くは歩けない。
と言って彼女達を急かすくらいなら、京一達を待たせればよい、
と考えている龍麻は、のんびりと歩を進めていた。
すると、前方をひどく浮いた(女性が横切っていく。
頭からつま先まで、見えない定規でもあるかのようにまっすぐ伸ばし、そして完全に同じ歩調で歩いている。
人が一杯いたとしても目立つに違いないその女性は、龍麻の知り合いだった。
気付いた小蒔が足を止め、龍麻の方を向く。
「あれ、芙蓉さんじゃない?」
「本当だ……こんなところでどうしたんだろう」
初めて会った時と同じ、黒いスーツを着た芙蓉は、龍麻が呼ぶと足を止め、直角に曲がってやって来た。
「謹んで新年のお慶びを申し上げます、緋勇様」
お辞儀とはこうするのだ、と手本のように頭を下げる芙蓉に、龍麻も慌てて頭を下げる。
三秒ほど経ったところで一度頭を上げかけて、まだ芙蓉が微動だにしていないので、
慌ててもう一度下げた。
「わたくしに、何か御用でしょうか」
「いや、ご用ってわけじゃないけど、知っている人が目の前を通ったからつい」
「そうですか」
芙蓉はそれきり口を閉ざす。
これは何も龍麻が嫌いなのではなく、彼女は主(である御門晴明以外との会話は必要最小限なのだ。
それを知らない龍麻は、無言で話し相手の瞳を真っ向から見つめる彼女に
しどろもどろになってしまっていた。
それでも小蒔に横腹を突つかれ、何か言おうとする。
ちょうどその時芙蓉の背後から、二人の女性が近づいてきた。
「あら、龍麻じゃない」
「ホントだ〜、わ〜い、あけましておめでとう〜ッ」
二人は藤咲亜里沙と高見沢舞子だった。
とある事件をきっかけに出会った二人は、その後も時々会って遊んでいるようだ。
しっかり腕を取る舞子に、それほど嫌そうでもない亜里沙の様子からそれが伺えた。
それに正月から一緒にいるのも、仲が良い証拠だろう。
台詞こそ違うものの、普段と変わらない調子の舞子に龍麻達も和む。
彼女は居るだけで周りの気分を明るくさせるという、貴重な才能の持ち主だった。
「あんた達はこれから初詣?」
「あぁ……ってことはもう行ったのか?」
「そう、今帰りなの。ちぇッ、こんなことならもう少し遅く行けばあんた達と一緒にお参りできたのに」
残念そうに言った亜里沙は、異質な雰囲気を保ったまま無言でいる芙蓉に興味を抱いたようだ。
「この人は?」
「ああ、芙蓉さんって言って」
そこから先をどう説明したものか、龍麻が言葉を選んでいると、芙蓉が実に礼儀正しく頭を下げた。
「天后芙蓉と申します。以後御見知りおきを」
慇懃(に頭を下げる芙蓉に、多分そのようなものとは縁遠いと思われる亜里沙と舞子は面食らったようだ。
彼女達も自分と同じということで、少し余裕を取り戻した龍麻は、
どうして芙蓉が元日の朝からこんな所にいるのか訊ねた。
「晴明様の御命令で、少々調べ物を」
芙蓉が人ではなく、御門に使役される式神という存在であることを知っている龍麻達は
彼女の説明に納得したが、事情を知らない亜里沙は命令、という言葉に引っかかるものを感じたようだ。
「誰だか知らないけどさ、正月から女の子に働かせるなんてロクでもないね」
「あ〜ッ、それじゃ、みんなで遊びに行かない〜ッ?」
「それいいね、ね? あんたも男の言うことただ聞くだけじゃなくてさ、
たまには突き放す素振りも見せないと。男ってのはすぐ調子に乗るからね」
「は、ですが」
恐らく彼女達のような人間と接するのは初めてなのだろう、芙蓉は見たことのない表情をしていた。
馴れ馴れしい亜里沙と、無邪気な舞子を、
彼女一人でいるところに声をかけられたなら冷然と無視していただろう。
しかし二人は御門の知人である龍麻の知人のようであり、邪険に扱うわけにもいかない。
それに遊びに誘われる、ということ自体が初めての芙蓉は、明らかに戸惑っていた。
事の成り行きを龍麻が興味を込めて無責任に見守っていると、芙蓉が見る。
助け舟を出して欲しいというのがありありと判ったので、龍麻は口添えをしてやることにした。
「いいよ、御門には俺が言っておくから、たまには遊びに行ってみたら」
唖然とする芙蓉を笑わないようにする為に、龍麻は自分の足をつねっていなければならなかった。
隣では小蒔が同じように笑いを堪えている。
孤立無援となった芙蓉は困り果てる暇さえ与えられず、舞子に腕をしっかりと抱えこまれてしまった。
両親の間にぶら下がる子供のように、右に芙蓉、左に亜里沙を伴って、舞子は満面の笑みを湛えていた。
「決まりね。初対面の定番って言うと、やっぱりカラオケかしらね」
「あ、あの、ですが、わたくしは」
「わ〜い、行こう〜ッ。じゃ〜ね〜」
大きく手を振って、舞子達はやって来た道を引き返していった。
「芙蓉さん……何唄うんだろ。興味あるよね、ひーちゃん」
「凄く」
龍麻が答え、葵も頷く。
角を曲がり、見えなくなってしまった三人について想像を巡らせるのは、
花園神社までのいい退屈しのぎになりそうだった。
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