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葵と小蒔が着物だったので、花園神社に着くのは思ったよりも遅くなってしまった。
醍醐はともかく、京一は一人で着物美人鑑賞会と称して先に行ってしまっているかもしれない、
と危惧した龍麻だったが、珍しく京一は律儀に待っていた。
「おッ、二人は着物じゃねェかッ!! アン子は相変わらずだけどよ」
「うるさいわねッ、学校からそのまま来てんだからしょうがないでしょッ」
新年の挨拶すら交わさずに喧嘩を始める二人に構わず、龍麻達は醍醐と新年を祝った。
「今年も頼むな、緋勇」
「こっちこそよろしくな、醍醐」
「ああ……絶対に勝とう」
少し堅苦しい挨拶を交わすと、杏子との喧嘩に飽きたのか、京一が割りこんできた。
「ヘッ、ッたりめェじゃねェか、んなコト」
京一は当然だ、というように両者の肩に手を乗せる。
するとまだ舌戦が足りないのか、杏子がまぜっかえしてきた。
「まッ、アンタはその後に卒業出来るかどうか、があるわよね」
「……」
京一の顔がひきつる。
どうやら杏子の嫌味は可能性からそれほど遠くないところにあるようで、
龍麻は東京を救った男が留年するなどという情けない事態にならないよう、
余分に願をかける必要がありそうだった。
境内はなかなかに賑わっていて、ゆっくりとしか進めない。
もちろん早く行く必要もないので、龍麻達はのんびりと歩いていた。
すると小蒔が、目ざとく前方に知り合いを見つけた。
「あれ、霧島クンにさやかチャンじゃない」
「あ、あけましておめでとうございますッ、皆さんッ!!」
二人はやって来た方向からして、今しがた参拝を終えたようだ。
龍麻達は一旦脇に出て、後輩と話すことにした。
「花園神社は芸を司る神様が奉られているそうですから、霧島くんと一緒にお参りしに来たんです」
さやかは残念ながら着物ではなく、地味な普段着だ。
彼女が着物を着たら目だってしまうだろうし、一般人に気づかれた場合に逃げるのも難しい。
だから仕方ないのかもしれないが、やはり残念に思う龍麻だった。
「さやかちゃんの着物、似合っただろうによ、残念だな」
京一は思うだけでなく口にしている。
意見は同じだったから、龍麻は何も言わなかったが、
「お前もそう思うだろ」
訊かれてはいそうですと答えるわけにもいかないのだった。
なにしろここには葵もいる訳で、アイドルと彼女は違う、
と力説したところで決して理解してはもらえないだろうから。
京一の隣では杏子が、カメラを持ってこなかったことを後悔している。
カメラは彼女の手足とも言える存在だが、
卒業アルバムの編集で学校に泊まりこんだ直後ではさすがに用意していない。
新年最初の記事を逃してしまったとあって、杏子の悔しがりようは凄かった。
「ああもう、あたしったらなんでカメラ持ってきてないのよ。答えなさいよ、バカ京一」
「知るかッ!」
二人の漫才は諸羽とさやかにも受けたらしく、いかにも楽しそうに笑う。
「皆さんはこれから参拝ですか?」
「ああ、ちゃちゃッと拝んでくッからよ、良かったら新年初ラーメンとしゃれこまねェか?」
元日からラーメン屋はやってないだろうとか、
元日からラーメンを食べることをしゃれこむというのだろうかとか、
京一に言いたいことはたくさんあったが、提案自体は賛成だったので龍麻は何も言わなかった。
しかし、二人は顔を見合わせた後、申し訳なさそうにこの後事務所で新年会があるんです、と頭を下げた。
いくら京一が厚かましくても、これではどうしようもない。
「そッか、それじゃしょうがねェな。またな、諸羽」
「はいッ、また稽古つけてくださいね、京一先輩ッ」
「ああ、気が向いたらな」
年が変わっても生真面目さは少しも失われていない後輩に、
年が明けてもやる気のまったくない先輩は苦笑して頷いた。
二人と別れた六人は、再び境内を歩きだす。
居並ぶ屋台と人波は、龍麻達に同じ記憶を甦らせた。
「こうして歩いていると、秋祭りを思いだすな」
「そうね……なんだかもう、すごく昔のことみたい」
「写真の整理したりアルバムの編集してると、本当にもう卒業なんだって実感するわ。
あ、京一はもう一年あるか」
「しつこいんだよッ!」
春からずっと変わらぬやり取り。
だがこのやり取りも、あと二ヶ月足らずで終わってしまう。
そしてその前に、このやり取りを続けるために、龍麻達には為さねばならないことがあるのだった。
無事に参拝を済ませた龍麻達は、鳥居のところまで戻ってきている。
まだ新たにやってくる参拝客を避けて端に行くと、杏子が大きな欠伸(をした。
「はぁ……さすがに眠いわね」
嗜(みというものを気にせず、大口を開けて欠伸をする杏子に、
嫌味な眼差しを向けた京一は、さりげなく告げた。
「今日は家でおとなしく寝てろよな」
京一の忠告に、杏子は鋭く何かを予感したらしく、目を細めて五人を見回した。
「あんた達……」
記者未満(としての勘が騒ぐ。
龍麻達は何か起こるのを、あるいは起こすのを知っている。
口を閉ざし、へたくそに視線を逸らしている龍麻達に、杏子は眠気も忘れて難詰しようとした。
「……」
しかし、後は発するばかりになっていた声を、杏子は寸前で止めた。
龍麻達は、何も語らない──ならば、何も訊ねないのが自分に出来ることなのだ、と思ったのだ。
己の本能に逆らって口を閉ざした杏子は、すぐにまた開いた。
「……絶対、無事で帰ってきなさいよね。でないと独占手記書けないんだから」
彼女らしい励まし方に、微笑で応えた龍麻達は力強く頷いた。
「手記ってよりは小説になっちゃうと思うけどね」
「作家かぁ……ちょっと志望からはずれちゃうけど、それも悪くないわね」
片頬を吊り上げた杏子は、自分から踵を返し、帰っていった。
「アン子……ちょっと寂しそうだったね」
「しょうがねェだろ。いくらなんでも今日はヤバすぎる」
「そうね……どんな厄災が起こるか解らない、って龍山先生も仰っていたものね」
「そうだな。彼女には全てが終わった後で話せばいい……きっと解ってくれるさ」
そして彼女に話す為には、必ず帰ってこなくてはならない。
改めて夜集まる時間と場所を決めた龍麻達は、最後の休息を取る為にそれぞれの家に帰っていった。
部屋に戻ってコートを脱いだ龍麻は、ポケットに何かあるのに気づいた。
訝(しみながら取り出すと、それは手紙だった。
ますます怪しく思い、友人達の悪戯だろうかと封を切る。
しかし手紙の差出人も、書かれた内容も、予想を大きく裏切るものであり、
龍麻は座ることも忘れ、立ったまま文面を読み進めた。
「今日の午後十時、旧校舎の屋上で待っています──マリア・アルカード」
短く記された文章を二度読んだ龍麻は、そのまま考えこんだ。
マリアがこの手紙をポケットに入れるタイミングは、昼に学校で会った時しかない。
つまり今日会っているわけで、ならば何故直接言わないのか。
言えない用事だとでもいうのだろうか。
それに、時間も場所も、呼び出すには不自然過ぎる。
元日の夜十時に、普段は立ち入りを禁止されている旧校舎の屋上。
どう考えても只事とは思えず、龍麻の胸中に嫌な予感が翼を広げる。
誰かに相談すべきか──しかし、この状況を上手く説明する自信が龍麻にはなかった。
それに恐らく、マリアは他の誰をも介在させたくないからこそ、手紙という手段を用いたのだろう。
マリアがどんな目的で呼び出したにせよ、彼女の期待に沿った方が良いと思われた。
手紙をもう一度調べ、他に何も書かれていないのを確かめた龍麻は時計を見る。
時刻は九時を少し過ぎたところで、今から学校に行けばちょうど良い時間だろう。
醍醐は休めと言っていたが、精神が昂ぶって眠れそうにない。
どうせ休めないのなら、マリアの所に行っても構わないだろう。
そう龍麻は自分を説得して、一度脱いだコートを再び羽織った。
異常なほどに大きく見える月は、不吉な紅さを湛(えていた。
夜道を照らす灯りとなるはずの存在が、今はひどく薄気味悪い。
しかも周りに雲は出ているのに、どういうわけか月だけは全く隠されることなく存しているのだ。
夜空を見上げた龍麻は、意識して顔を伏せると、足早に真神学園へと向かった。
マリアの指定した場所が、学園内で最も月に近い場所であると気づいたのは、
屋上へと続く軋(む扉を開けた直後だった。
手を伸ばせば届きそうな近さにある、夜を傍観するものに、どきりとする。
そして薄い月灯が映し出す、美しい女性のシルエットに魅入られた龍麻の背後で、
扉が厭な音を立てて閉まった。
神経を爪で擦られたような不快感と、月を従える担任の姿は、相反するものであるはずだ。
なのに龍麻は、それらを分かつことが出来なかった。
「先……生」
マリアはこの一年間自分達のクラスを受け持ち、英語を教えてくれた教師だ。
しかし今目の前にいる彼女を先生と呼ぶのは、途方もない間違いのような気がしていた。
「手紙……気付いてくれたのね」
一方のマリアは、蕩けるような声で龍麻を出迎えた。
耳元でこんな声を聞かされてしまったら、魂までも跪(いてしまうような、蟲惑(的な愛の囁き。
それに龍麻が抗うことが出来たのは、まだ彼女とは数歩の距離があったからに過ぎない。
あと一歩でも近づいて声を聞いていたなら、龍麻は全てを忘れてマリアを抱いていただろう。
動けなくなってしまった龍麻に、マリアの方から近づいてくる。
夜の闇全てを照らすはずの月は彼女一人のスポットライトと化し、妖しくマリアを輝かせていた。
吐息が触れるほどの距離まで近づいてきたマリアは、左手を伸ばした。
頬を撫でる繊細な指先に、我を忘れた龍麻の唇が薄く開く。
満足気に微笑んだマリアは、ワイングラスを持つように顎に指を添え、
龍麻が月を正面から見据えるよう傾けた。
「ご覧なさい、今宵は満月。紅の女王が心を奪い、心地良い狂気へと誘(う、そんな夜だわ」
微かな痛みを龍麻は唇に感じる。
マリアの爪が、それをもたらしているのだ。
しかし龍麻は恍惚の中に痛みを受け入れ、年上の女性をぼんやりと見つめていた。
「あなたを今夜ここに呼んだのは、教師としてじゃない」
深紅の唇が蠢いている。
龍麻はそれを半ば見、半ばは見ず、遥か遠くにある天体と、
至近にある色香に満ちた貌(を同時に見ていた。
甘美な罠に落ちた龍麻の耳に、囁きが漂ってくる。
「寛永寺には、行かせないわ」
マリアが知るはずのない地名。
知っていたとしても今この時には決して出てこないであろう地名が、龍麻を胡蝶の夢から醒まさせた。
「どうして……それを」
「ワタシにはアナタが必要なの……『黄龍の器』であるアナタが」
龍麻自身、つい半月ほど前に父と共に柳生と闘ったという
楢崎道心から聞かされるまでは全く知らなかった宿命を、なぜ彼女が知っているのか。
驚愕に口を縛られた龍麻は、マリアをただ見るしかない。
心身の双方が警告を発している。
一介の教師であるだけのマリアが、数多(の闘いで鋭敏になっている感覚をしきりに刺激していた。
氣を練れ、構えろ。
しかし龍麻は、幾度も自分や仲間を救ってきたその感覚に初めて叛旗(を翻した。
マリアが敵であるはずがない。
そもそも彼女は敵や味方といった概念から離れたところにいる、ただの(人間ではないか。
己を説き伏せる龍麻の耳に、マリアの声が聞こえてくる。
甘く、醒めた声は、魔力でも篭っているかのように一語一語がはっきりと脳に刻まれていった。
「ワタシが生まれたのはルーマニア……トランシルヴァニアという地方の古城。
紅き血潮の香りを求め、月と共に永劫を生きる者、
吸血鬼(……アナタ(達の呼び方ではそういう種族。それが……ワタシよ」
驚愕、という言葉では到底尽くせない事実を告げ、マリアは微笑む。
それは授業で生徒の努力を褒める時に見せる、優しい微笑みと同じだった。
だから、マリアは嘘を言っていない。
納得しかけた龍麻は、慌てて否定しようとして混乱した。
先生は、昼間でも活動していたじゃないですか──
吸血鬼に対する、子供でも知っている認識を、龍麻は口に出来なかった。
もし、その問いに答えられてしまったら、彼女の正体を認めなければならなくなる。
未だ顎に添えられたままのマリアの指先は、冷たかった。
彼女の手は、最初からこんなに冷たかっただろうか──龍麻は、わからなくなっていた。
月の明度が落ち、マリアの肢体(が陰(に移ろう。
闇にたたずむ彼女の中で、蒼氷の瞳は深く輝いていた。
「ワタシがこの地に降り立った時には、既にあの男は天龍院高校で『陰の器』を手に入れていた。
と言うことは、『陽の器』は対となる真神学園(に現れる……ワタシは、アナタを待っていたのよ」
なぜ──問おうとした口は動かない。
しかし、淡い微笑を湛(えたマリアは、龍麻がまだ訊ねてはいないことを語り始めた。
「かつて地上には、陽と陰、神によって等しく創られた二つの世界があったわ。
そしてそれぞれの世界には、それぞれの種族が生きていた。
太陽を欲する人間と、月を愛する魔。二つの種族はお互いの領域(を侵さぬことで、
しばらくは共存してきたのよ」
気が遠くなるほどの昔。
人間はいつでも領土を求め、仲間同士の愚劣な殺し合いを繰りかえしていた。
一方魔族は、分を弁(え、必要以上の領域を欲せず、
人間が踏み入れることのない深い森の中で静かに暮らしていた。
二つの種族は、ごくまれに不幸な出会いが起こることもあったが、
魔族の節制により接触は最小限度に抑えられ、望ましい関係が続いていたのだ。
「けれど、人間達は月をも欲した。闇を怖れる卑小な存在は、
陽に生きるだけでは我慢できず、愚かにも陰を征服しようとしたのよ」
鬱蒼(と茂る森。
峻厳(な山岳。
人は己の足跡が記されていない、それ自体をよしとせず、
ありとあらゆる場所に土足で踏み込み、そこに生きるものを駆逐していった。
「獣ですら、食べる以外の殺戮は無闇に行わない。摂理というものを知っているからよ。
けれど人間は、自分達以外の存在を許そうとしなかった。
土地を奪い、城を破壊し、全てをワタシ達から取り上げていったわ」
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