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薄暗い道場には、四人の男がいた。
三人は横に並んでおり、彼らの前には白い道着を着た男が立っている。
道着の男は三人に較べて年長であり、彼らの上位者であるようだ。
四人に共通しているのは、眼光の鋭さだった。
強さも彩りも異なるものの、四人の瞳にはある種の共通点があった。
それは口に出すのは憚られる類(のものだと、四人を同時に見たなら誰しもそう思うだろう。
殺気──現代の東京で生きるには必要ない気配を彼らは有していた。
「三人とも揃ったようだな。今回はお前達三人で仕事に当たってもらう」
そう前置きした道着の男は、三人に向けて数枚の写真を差し出した。
そこには三人と同じ、高校生の男女が写っている。
「これが次の標的だ」
三人のうちの一人、日本刀を持った男が、そのうちの一枚を取り、目を細めて眺めやった。
「この制服、新宿、真神か……」
それを聞いて、呟く男にちらとだけ視線を滑らせた、三人の中で最も痩身の男が口を開いた。
「高校生の標的……任務の内容は?」
男の声はその身に相応しく細い。
しかしそこには、聞く者の背筋を震えあがらせるほどの凄みがあった。
日本刀を持った男の気配が抜き身の刀だとすれば、この男のそれは居合だ。
抜かれた瞬間にのみ放たれる殺気は、普段は深く沈み、決して窺(わせることはない。
だが一度抜かれた時は、必ず敵を斃(す──
その時の為に、研がれ続ける刃だった。
口を閉ざした細身の男に代わって、日本刀を携えた男が訊ねる。
細身の男の殺気が西風のように涼やかで、もしかすれば人に気づかせないほど澄まされているのに対し、
この男の殺気は目を合わせることすら避けさせるものだ。
殺気を放ち、用いることに無上の快楽を覚えている、狂犬の臭いを纏(った男だった。
「脅す程度にチョイといたぶるくれえか? それとも一生病院生活か?」
男は淫蕩な笑みを隠そうともしない。
そして返答は、彼の欲望を存分に満足させるものだった。
「いや、依頼内容は──抹殺だ」
「抹殺……とね。そりゃまた大層なこった。久々に血が見れるな」
「グヘッ、グヘヘヘヘ……楽しくなりそうでごわす」
日本刀の男の含み笑いに、それまで無言だった大男の巨体を揺らしながらの笑い声が重なる。
日本刀の男は中でも、木刀らしきものを持っている男の写真に長く目を留めていたが、
次いで女性が写っている写真に目を向けると、それまでとは異なる種類の笑みを浮かべた。
「それに女が二人か。こいつらは殺る前に愉(しませてもらうとするか」
「お、おでも女欲しいんだな」
あさましい欲望を隠そうともせず、豚のような笑い声を出す巨漢に、
細身の男が、心底軽蔑したように言った。
「下衆が」
「なんだァ? 何か文句あんのか」
それは可聴域ぎりぎりの、独語に近い呟きだったが、日本刀の男が聞き咎めて睨みつける。
どうやら彼らは共通の目的で結びついてはいても、完全な同志と言うわけではなさそうだった。
「別に。それより」
細身の男はその口調に劣らない、鋭い眼光を前に座っている男に射込んだ。
恐らく上位者であろう男にも全く物怖じすることがなく、ともすれば圧しそうな気配すら放っている。
「それよりこの仕事を引き受けたのは、館長のご意向ですか? 副館長(殿」
男の口調にはあからさまな侮蔑が篭っている。
だが道着の男は、表面的には全く動じずに答えた。
ただしその口調は、さっきまでよりもごくわずかだけ早くなっており、
細身の男の威に圧されている。
それに気づいたのは自分以外にいるか道着の男には不明で、自ずと言葉に虚勢が混じった。
「私の言葉は全て館長の御言葉と思え。
貴様等は余計なことを考えずに与えられた任務を遂行しておれば良いッ!!」
この場の決着は完全についていた──にも関わらず、
細身の男は拳を床に着き、深々と頭を下げた。
「──承知」
額づいた男を見下ろした道着の男は、荒々しく床を踏み鳴らして去っていく。
その背中を、四つの目が追っていた。
その日最後の授業を終えた龍麻は、窓に向けて大きくのびをした。
空は冬らしく青く澄みきっており、風が少し冷たすぎるものの、まず心地は良い。
授業の内容も今日は調子良かったと言え、
上機嫌でのびを終えた龍麻が身体を教室の方に向けると、目の前には一人の同級生が立っていた。
余計な独り言を言わなくて良かった、と思いつつ、急いで腕を下ろす。
不審な挙動にも同級生は何も言わず、首を軽く傾げて微笑みかけてきた。
「ようやく今日も授業が終わったわね」
「ようやく、なんて美里さんでも思うんだ」
学生の務めが終わった解放感からか、龍麻はつい軽口を叩いてしまう。
すると返ってきたのは、棘(のある返事だった。
「何、嫌な言い方」
「ごめん。でもさ、意外だったから」
優等生──もう葵と親しい龍麻は、決して彼女がそうだとは思わないが、
成績は優秀で、運動もそつなくこなす。
傍目から見ればそう言い表されるのも当然な彼女が、
勉強が終わってせいせいしているようなのは、いかにも可笑しく感じられたのだ。
からかわれた、にしてはささやかすぎる軽口を叩かれた葵は、頬を軽く膨らませて拗(ねてみせる。
明らかに怒ってはいないというのが判っており、
安心して龍麻は彼女の滑らかな頬が膨らむのを見ていられた。
白磁の肌に朱が差しているのは、彼女の健康的な美しさをアピールするかのようで、
龍麻としてはその温もりを確かめたくなってしまう。
しかし、頬はおろか手さえ数えるほどしか握ったことがなく、
おまけにまだ同級生がほとんど残っている教室でそんなことをするのは無謀であり、
異性に対しては敵に対する半分も度胸がない龍麻には、夢のまた夢と言える願望だった。
一人で膨らませた願望──あるいは妄想を龍麻が打ち消していると、
葵が小さく鞄を持ちなおした。
「もう用事は終わったのだけど……皆で帰らない?」
「葵、ダメだよ、そーいう時は『二人で帰らない?』って言わないと」
龍麻が返事をするよりも早く、横から出来の悪い後輩を指導するようにそう言ったのは、
葵の親友である小蒔だ。
その手があったか、とまたしても、言えもしないことを龍麻が残念がっていると、
動揺しきった葵の声が聞こえてきた。
「で、でも、私皆と帰るのも楽しみだから」
「……ひーちゃん、まだ道のりは険しいねえ」
小蒔は嘆かわしげに首を振ってみせた。
確かに小蒔の言う通り、道のりは険しい──ゴールが一応あるとして、
まだそれがどこかも、どうやって行くのかさえも判らない状態だ。
一応少しずつ葵との仲は進展している、ような気がしないでもない。
少なくとも小蒔が想像しているよりは進んでいるはずであり、
電話くらいならなんとかかけられるまでになっている。
ただしそれも、葵が彼女直通の電話を持ったと教えてくれてからで、
しかも彼女の部屋には大抵義妹(のマリィがいるのでそれほど親密な話が出来る訳ではない。
何しろ、マリィはこれまでの分を取り戻そうとするかのように饒舌(であり、
葵の取った電話の相手が龍麻だと判ると、途端に受話器を奪ってしまうからだ。
龍麻にしてみれば、もちろんマリィの境遇に同情もするし、妹のように思ってもいるのだが、
電話をする理由は葵と話したいからであるし、
マリィの元気一杯の声を聞いていると嬉しくなるものの、
同時に葵の勉強の邪魔をしているという引け目も抱いてしまい、
なかなか思い通りには事が進まないのだった。
そして登下校時のチャンスは可能な限りものにしたい、というのも本音で、
実際登校時には最近ではほぼ彼女と時間を合わせてささやかな幸福を味わっているのだが、
帰りは京一や醍醐、それに小蒔達と帰りたいというのも、また龍麻の本音だった。
一方小蒔は、二人の仲を知る身として、可能な限り応援するつもりだった。
だから故(あれば中々進まない二人の関係の為に、
二人きりの時間を作ってやりたい、と思ってはいるのだ。
だがそれを阻む強敵が彼女には数多くあり、今も、そのうちの一つが牙を剥こうとしていた。
「ま、それはともかくさ、そろそろ本格的にラーメンの季節だと思わない?」
この、塩ラーメンと言う名の敵は、実に手ごわく、何度も小蒔は敗れてしまっている。
これを倒すには仲間の協力が不可欠で、愛だの恋だのはこれを倒してからの話だった。
小蒔が実に都合良く龍麻達をラーメン討伐の旅に連れ出そうとしていると、
横合いから口を挟む者がいた。
「今までは本格的じゃなかったのかよ……」
「京一」
彼女の言うことはもっともで、寒い季節に熱いラーメンは最高の組合せと言えるだろう。
言えるけれども、龍麻がもうひとつ思ったことを、京一は代弁してくれていた。
今日は珍しく京一はあくびをしていない。
と言っても勉学に目覚めたのではなく、六時限目の授業が彼の天敵である犬神の生物だった為に、
一秒たりとも寝ることを許されなかったのだ。
その鬱憤(が溜まっているのか、京一は更に毒を含んだ言葉を小蒔に浴びせかけた。
「ッたく、小蒔を落とすにゃ努力はいらねェ、ラーメン一杯ありゃあいい、ってか?」
「失礼だな、一杯くらいじゃ手も握らせないもんね」
一杯くらいじゃ……ということは、何杯かならいいのだろうか。
彼女の食欲を見ていると、案外そんな気もする龍麻だった。
それに葵だって、ケーキを奢った後、短い間だったが手を握ってくれたのだ。
なんだかんだ言って女の子は食べ物に弱いのかもな、
と蔑視(とも取られかねないことを龍麻が思っていると、
意見を異にする人物が笑いながら現れた。
「桜井もそこまで食い物には釣られんということか」
「醍醐クン。そうだよ、大体京一は人のコトバカにしてるよね」
味方を得た小蒔が勢いづいて反撃する。
試しに奢ってみたらどうだ、大盛りなら案外釣れ(るかもよ……と醍醐には言わず、
龍麻は教科書を鞄にしまった。
隣では京一がまだやり返している。
「うるせェな、偉そうに言ったって結局行くんだろうが」
「当たり前だろッ、行くって言い出したのはボクなんだから」
既に言い争うために言い争っている二人を、いつ止めようかと龍麻が葵に目配せすると、
彼女が応じるよりも前に威勢の良い声が二人に割って入った。
「ホンっトにアンタ達は悠長なんだから。そんなんじゃ、この激動の世紀末は生き抜けないわよ」
「うわッ」
「久々に音も無く出てきたね……アン子」
「忍者(だってもうちっと判りやすく出てくんぜ」
京一の嫌味を、杏子は鼻で笑殺してのけた。
「アンタ達がいっつも話に夢中で気がつかないだけでしょ」
敗れ去り、黙らされた京一に構わず、アン子は五人の輪の中に入る。
その瞳は、爛々(と輝いていた。
彼女がそういう瞳(をする時は、大抵金の匂いがする。
龍麻は経験でそれを学んでいたので、葵が訊ねる前にいくらかの心構えが出来た。
「何かあったの? アン子ちゃん」
「大アリよ大アリ。面白い情報(を手に入れたから商売しに来たの」
最近では彼女は商売っ気を隠そうともしない。
記者と言うのは名誉欲はあっても、金銭欲は薄いものなのではないかと、
龍麻が皮肉に考えていると、口達者な記者志望は早速交渉をしかけてきた。
「百円、千円、五千円。どれを選んでも損はないけど、高い分だけお得度も大きいわよ。
さ、どれにする?」
何の情報かも判らないのに、値段だけ言われても──
戸惑う龍麻に、杏子はさっと手を出す。
もちろん杏子は、交渉の手段としてわざと大上段から入っているのだ。
「じゃ、じゃあ千円で」
釣られたわね──
杏子は内心でほくそ笑んだ。
五千円では高過ぎる、百円では人の良い龍麻は安過ぎると思って言わないだろう。
すると実質千円しか選択肢はない訳で、見事に龍麻は引っかかってくれた。
あとは情報を与え、それを許に彼らを働かせれば良い──
心理学者顔負けのかけひきで交渉を成立させた杏子だったが、ここで思わぬ外的要因が邪魔をした。
「ッたくお人よしだなお前は。
俺達のおかげでたんまり儲けたこいつに金なんて払うこたァねェぞ、龍麻」
「何それ」
訊ねる小蒔に京一が説明する。
その瞬間、眼鏡の奥で杏子の眼が彼に対して憎々しげに光った。
ホラー映画かサスペンスの犯人を思わせる鋭い眼光を、龍麻は本能的に見なかったことにする。
「この前の真神新聞、あれで随分稼いだんだよ、アン子(は」
「この前……って、ああ、さやかチャンの特集号だったやつ」
情報提供の見返りに、龍麻達が知り合ったアイドルの舞園さやかを紹介するという約束を
強引に取りつけた杏子は、その後約束の履行をとぼける京一の首を締め上げて守らせたのだ。
一方的な問答の末に承諾させた杏子が手を離した後に、
京一の首にくっきりとついていた彼女の手形を見て、龍麻は思わず自分の首を押さえたものだった。
そうして二人は彼女を渋々紹介させられたのだが、
今がまさに旬のアイドルであるさやかの取材は、
一介の高校新聞などが手がけるには分不相応もいいところだった。
それを杏子は、インタビューから撮影まで、全てを一人でこなして充実の記事を完成させたのだ。
さやか自身も新聞を見て喜んだと伝えられる
(その噂は杏子自身が流したのだろうと京一は確信しているが)
真神新聞第十一号、舞園さやか特集号は
プロの目線とはまた異なる、同世代のインタビューということもあって、
その受け答えには雑誌の記事では見られない彼女の新しい魅力がある、
と、瞬く間に評判になったのだった。
「ええ……確か他の学校からも問い合わせがあって、増刷に次ぐ増刷だったって」
一応真神新聞は学校公認で予算も下りているのだが、
この時は何しろ印刷が間に合わなかったので、
杏子は事後承諾で生徒会の印刷機をフル稼働させて対応したのだ。
その件について、生徒会長を退いた後も執行部の信任篤い葵のところには、
控えめな苦情と共に報告が回ってきていたのだった。
それについて葵は怒るつもりはないが、新聞部が自分のところで予算を確保出来るのなら、
その分を他に回せるのだから、その辺りはきちんとして欲しい。
ということを一言も匂わせずに、相手にきちんと理解させるのは、葵の才能のひとつだった。
「な、なによ、アンタ達にはちゃんと紹介料払ったでしょッ!!」
小蒔にじっとりと白い目で見られ、杏子は開き直った。
既に劣勢は自覚していたが、尻尾を巻いて逃げ出すのは主義ではなかったのだ。
「確かにな。けどお前の儲け具合からするとちっと少ないんじゃねェのか」
「う……わ、わかったわよ、無料奉仕(でいいわよ、タダでッ!!」
しかし、千円そこそこを惜しんでより大きな魚(を逃がしては元も子もない。
京一など眼中にないが、穏やかに微笑む葵に、遂に杏子はこの場での強硬策は諦めることにした。
うっかり千円払うところだった龍麻が友人に内心で感謝──口に出せば奢らされるので──
していると、小蒔に袖を引っ張られる。
「紹介料って、いくら貰ったの?」
「え? あ、いや、お金じゃなくて……」
言葉を濁した龍麻だが、そんな程度で小蒔の好奇心を躱(すことなど出来はしない。
「じゃなくて?」
漲(る好奇心を杏子と同じに爛々(と輝かせて、小蒔は身を乗り出した。
なんとなく彼女の隣に立っている女性の視線が刺さるのを感じつつも、
龍麻は説明せざるを得なくなった。
「……じゃなくて、その……写真を貰ったんだ、記事に使う為に撮ったのから」
「へー……ひーちゃん、いつのまにそんなにさやかチャンのファンになったの?」
「い、いや、そんなファンってほどでもないんだけどさ、京一が貰うからなんとなく」
この期に及んで自分は従の方である、と言い逃れしようとした龍麻だが、
友人は黙って濡れ衣を被ってくれるような男ではなかった。
「嘘つけよ。お前が抜け駆けして貰ってたじゃねェか」
「そ、そうだったっけ」
あっというまに嘘を暴かれ、龍麻は窮する。
伺いを立てるように葵を見ると、彼女は気にしていない、と柔らかな笑みを湛えていた。
それがかえって、龍麻には恐ろしかった。
また予定外の支出を強いられそうな龍麻は怯えていたが、それを表に出すことはなかったので、
仲間達の誰も気づくことはなかった。
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