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「で、情報ってなんだよ」
毎度というべきか、すっかり逸れていた話題を京一が元に戻す。
情報(を売りつけ、更にその情報で一稼ぎしようと企んでいた杏子は、
少し当てが外れたことにがっかりしながらも、愛用の手帳をめくりはじめた。
「ああもう、しょうがないわね。……昨日の夜、墨田区の住宅街で発砲事件があったのよ。
暴力団同士の抗争だって警察は発表してるけど、運悪く流れ弾に当たって死んじゃった人がいるのよね」
「何それ……全然面白い話じゃないじゃない」
小蒔ががっかり、といった顔をする。
それは龍麻達も同様で、何の変哲もない(発砲事件など、さすがに興味はなかった。
しかし五人の白眼視にも動じることなく杏子は続ける。
「まぁまぁ、最後まで聞きなさいって。それでその、死んだ人ってのがね、前の建設大臣なのよ」
「その建設大臣が死んだってのが特ダネなのかよ。なんか俺達には全然関係ねェ話じゃねェか」
痺れを切らした京一が吐き捨てる。
その顔はいかにも早くラーメンを食べに行きたそうに、龍麻には見えた。
「聞きなさいってのよ。その流れ弾なんだけどね、偶然じゃないかもしれないのよ」
京一をも怯ませる形相で皆を黙らせた杏子は、
苦労して得た情報(の価値も判っていない龍麻達に、辛抱強く説明を続けた。
「建設大臣には現役時代から汚職の疑惑が持ち上がってたわ。
あちこちの建設会社から多額の賄賂を受け取ってたって。
粛清(か口封じかは今の所謎だけど、
でもこの事件は流れ弾に見せかけて最初から大臣を狙った、一種の──暗殺。
それもその手段から察するに、かなり大がかりな組織の犯行じゃないかとあたしは見てるわ」
「それって……今の日本に暗殺の組織があるってコト?
そんな、テレビか漫画みたいなコトあるわけないじゃない」
いかにも知的好奇心を誘(うように杏子は仕掛けてみたが、
龍麻達は誰も乗ってこなかった。
京一などは軽くあくびをしており、いまいましく思いながらも、
なんとか彼らを引っ張りこまねばならない。
「何言ってんの桜井ちゃん。暗殺のない時代なんて人類の歴史上存在しないのよ。
古代の中国もそう、ローマ帝国にも、昔の日本にも。いつの世にも、権力の隣には暗殺者が潜んでる。
故に──この贈賄と暴力が横行する世紀末の東京に、
謎の暗殺集団が存在するとしても、それほど不思議じゃない。そう思わない?」
「うーん……」
「何よ、煮え切らない返事ねぇ」
小蒔は権力にも暗殺にも程遠い世界で生きている女子高生なのだから、
煮え切らない返事なのは無理もない。
それでも話を打ち切ろうとしなかったのは、彼女なりの杏子への礼儀だった。
これが京一あたりがした話だったら、さっさとラーメンを食べに行ったに違いない。
「でもさ、昔はどうだか知らないけど、人殺しは犯罪だよ?」
「そう、犯罪は悪いこと。当たり前よね。
でも、暗殺が悪っていうのは、歴史上では大きな間違いよ。
例えば幕末に組織された新撰組。
お上から国を護るよう命を受けた彼らは、反幕勢力、尊皇派から見れば脅威の暗殺集団だけど、
幕府の立場から見れば英雄よ。正義、大儀の名の元の暗殺は、はたして悪と言えるかしら」
話が歴史に及んで、遂に京一は我慢が出来なくなったようだ。
もともと聞いてもいないのに大げさに頷いた京一は、話は終わったとばかりに龍麻の肩を叩いた。
「なるほどねェ……でもま、所詮俺達一介の高校生にゃあ関係ねェ話だな、な、龍麻」
実のところ龍麻もこれで失礼したいところだったが、杏子がそうはさせなかった。
眉を吊り上げたかと思うと、話を聞こうとしない不届き者の首を締め上げたのだ。
「まだあたしの話は終わってないわよッ!」
「わ、わがっだ……わがっだがら、そのでを……ばな……ぜ……」
見る見るうちに京一の顔が青くなっていく。
龍麻が止めるべきだろうか、と思いつつ、杏子の勢いに押されてタイミングが掴めないでいると、
幸いにも彼女は殺人を犯す前に手を離した。
「話の腰をいちいち折るんじゃないわよ、まったく」
「折ったのは俺じゃねェだろ」
「なんですってェ!?」
懲りない京一に、再び魔手が伸びる。
今度こそ彼の命が危ない、と思い、龍麻は杏子の気を逸らすことにした。
「で、続きって?」
「ッたく……アンタも少しは緋勇君を見習いなさいよね。
いい、あたしがなんでこんな話をわざわざアンタ達にしたか」
「金儲けだろ」
「黙ってろっつッてんのよッ!!」
男も顔負けの啖呵(を切った杏子は、話を続けるために数度咳払いをした。
その後、京一を睨みつけてから話を再開する。
「この事件は発砲事件として報道されてるわ、でも、
あたしが知り合いの鑑識の人からこっそり入手した情報によると、
現場に残された血痕からは、どうみても銃創とは思えない、鋭利な刃物──例えるなら、
日本刀のような物でバッサリやられたみたいなのよ。
しかも現場に残されていた衣服の繊維を調べてみたら、これがどうも学生服じゃないかって話なの」
ここに至ってようやく、話が近くまで来たようだ。
自分達と同年代の人間が、暗殺などという物騒な稼業に手を染めていると知って、
龍麻達は色めきたった。
「高校生が……暗殺?」
「しかも日本刀でかよ。また随分えれェところに話が飛んだな」
「それとね、これは秘中の秘なんだけど、その大臣のボディーガードも一緒に殺されているのよ。
それで、大臣は今言った通り日本刀で殺されたみたいなんだけど、
ボディーガードの方は……原因不明なのよ」
「どういうことだ、遠野」
「さすがにまだそこまでは解らないわ。ただ、死亡推定時刻からして、
大臣と同じ時間に殺されたのは間違いないわ。そしてどうやら殺人の実行は単独犯」
奇妙な謎かけだった。
殺してしまうのなら、わざわざ別の方法を採ることもない。
何か意味があるとすれば、どこに──
皆が考えこむ中、醍醐が自信なさげにではあったが、自分の考えを口にした。
「もしかしたら、アピールしているのかもしれんな」
「どういうコト?」
「仮にその暗殺集団とやらが実行したとして、そいつらは遠野が言った、
そいつらなりの理由で殺人をしている。
あくまでも標的はその大臣で、ボディーガードは本意ではない、という意思表示なんじゃないか」
一理はあるものの、答えは暗殺した当人に聞いてみないと判るはずもない。
腕組みを続けたまま、京一が唸(った。
「……にしてもよ、わかんねェのはその殺し方だよな。
凶器じゃねェ、原因は不明、けど誰かに殺されてる……どういうこった」
「もしかして、『力』を持った人が……」
葵の想像をとっぴだと片づけるには、龍麻達は春から続く様々な事件に関わりすぎていた。
だがこれも証拠はなく、結局は推論の域を出ない。
言葉すら滞(り始めた一同に、杏子は少し話題を変えた。
「ただ、その衣服の件に関しては一切公表されてないわ。
もし高校生だとしたら、相当センセーショナルな事件になるし、犯人もすぐに特定出来そうなのに」
「公表しない……なんで?」
小蒔の問いに、杏子は肩をすくめた。
高校生にしては抜群の取材能力を持つ彼女だが、彼女でもどうにもならないことはあるのだ。
「もしかしたら、暗殺組織が存在するとして、警察の上の方でそいつらと繋がってるのかもね」
「そんな……」
「他にも気になる事件(を浚(ってみたんだけど、
社会的な大物……そして、権力、財力、知名度を盾に裏であくどいことをやってる奴が、
結構殺されてるのよ」
それらは事故死、原因不明、あるいは詳しく検死されることもなく闇に葬られているという。
殺される側にも後ろぐらいところがある為に、必死に捜査されることもあまりないのだと。
長い話を終えた杏子は、音を立ててメモ帖を閉じると、胸のポケットにしまった。
生徒手帳も女子はあまりそこには入れないのだが、彼女は利便性を優先して使用している。
何かネタを見つけた時に、とっさにメモが取れないようでは記者失格だからだ。
斜めに、無造作に差したメモ帖の収まり具合を確かめ、杏子はひとつ頷いた。
「ま、いいわ、とにかくあたしには暇がないのよ」
「暇がない……って、まさかお前そいつらを調べようってんじゃ」
さすがに声を荒げて京一が言うと、杏子は平然と頷いた。
全く危険性を理解していないらしい彼女を、醍醐が血相を変えて止める。
「止めろ遠野! いくらなんでも危険過ぎるぞ!」
「平気よ、あたしの読み通りなら彼らは社会悪に対抗する組織だもの、
秘密さえ厳守すれば快く取材に応じてくれるはずよ」
「しかしだな」
「大丈夫だって! それより京一、あんたこそ気をつけなさいよ。
あんた真神にのさばる悪だから、そのうち暗殺されるかもよ」
そう冗談を飛ばした杏子は、心配する龍麻達をよそに、気楽に手を振って走っていってしまった。
もう残っている生徒も随分少なくなった教室で、醍醐が大きく嘆息する。
「仕様のない奴だな」
「でも……大丈夫かしら」
葵の心配はもっともであったが、京一は全く気にしていないようだった。
皆を促し、帰路に就きながら適当に流す。
「まァ、止めたって聞くタマじゃねェしな。なんだか知らねェが運はやたらあるみてェだしよ」
「ああ、それ言えるかも。自分でも『運がいいのは記者の条件のひとつ』って言ってたよ」
後ろを、つまり龍麻達の方を向きながら器用に歩く小蒔が、龍麻に笑いかけた。
自分で言うなら世話はない──が、確かに彼女を見ていると、
呆れたタイミングで情報(を掴んだり、また危険を回避したりしている。
それに止めたところで聞くはずがないという京一の意見も至極もっともで、
龍麻達はやや無責任ながら彼女を放っておくことにした。
「大体よ、あいつは信じきってるみてェだけどよ、その暗殺集団ってのは本当にいンのか?」
「そうだよねぇ。いくらなんでも今の東京にそんなのいるワケないよね」
どれだけ説明されても、杏子の話を半信半疑以上では聞けなかった小蒔は
京一に大きく賛同すると、不意にお腹を押さえた。
「それにしても……お腹減った」
「小蒔ったら、さっきからずっと無口だと思ってたらラーメンのこと考えてたのね」
「だってさ、アン子の話長いんだもん」
葵に照れ笑いをした小蒔に、京一が絡む。
「本当にお前は色気より食い気だな。イイ歳して恥ずかしくねェのかよ」
もはや吸って吐くレベルのやり取りのはずだったが、何故か小蒔は考えこみ、立ち止まった。
ぶつかりそうになった龍麻が慌てて避けると、横に並んで歩き出し、
拳を唇に当て、なぜか龍麻の方を見て訊ねる。
「色気……ねぇ。それってさ、やっぱりあった方がいいの?」
そんなことを訊かれても龍麻としては困るしかない。
世の中には胸が大きな女性が好きな男もいれば、指やうなじに女を感じる男もいる。
そもそもいくら多くの異性から好かれようが、
本人が好きになった異性に好かれなければ意味はないわけで、好みなど一般論で語っても仕方ないのだ。
と恋愛に関しては案外古風な龍麻が述べると、小蒔はわかったようなわからないような表情をした。
「う〜ん……やっぱ、良くわかんないや」
はにかんで笑う小蒔に、後方から声がかかる。
「桜井はそのままが一番良いと思うがな」
実にさりげなく爆弾発言をしてのけた醍醐を、三人は素早く見た。
この朴念仁は、どさくさに紛れて何を言うのだろう、と等しく思ったのだ。
そういうものは時と場所を選ぶべきだろうに、
ここでフられでもしたら全員が気まずくなるとは考えないのだろうか。
しかし、龍麻よりも判りにくい伝え方をした醍醐が伝えた相手は、その上をいく鈍さを持っていた。
「えヘヘ、ありがと、醍醐クン。そうだよね、ボクもそうじゃないかと思ってたんだ」
お前らの方がよっぽど道が険しそうだ──
何か小学生のように笑っている二人を見て、内心そう思う龍麻だった。
走ってくる人影に最初に気づいたのは、葵だった。
視線を動かす彼女を見て、龍麻も倣(う。
明らかに自分達の方に向かってくるのは他校の女子生徒だったが、
その姿に龍麻は見覚えがあった。
しかし、本当にその女性が自分が知っているのと同一人物なのか、
龍麻は記憶を手繰り寄せて確認しなければならなかった。
セーラー服のスカーフを大きく揺らして息せき切っている少女は、
勝気な態度も、高校生とは思えないほどの色気もどこかに置いてきてしまったかのように弱々しく、
焦慮が浮かんでいたからだ。
「あんた達──!」
龍麻が自分に気付いてくれたことに、少女はあからさまな安堵を見せる。
少女に気付いた他の四人も彼女を見て、一様に意外な表情を浮かべた。
少女は墨田区覚羅(高校の、藤咲亜里沙(だった。
彼女とは春に、墨田区で発生した事件を縁(に知り合っている。
その時の彼女は、『力』を用いて葵を己の歪んだ心で支配しようとした嵯峨野麗司(
という少年と共に龍麻達の前に立ちはだかった敵だった。
ただしその後、彼女と嵯峨野を結びつけていた哀しい理由を知り、
また彼女も改心したことで、龍麻達は彼女を受け入れたのだ。
と言っても、彼女は行動を共にしたいようだったが、
『力』を持たない彼女を闘いに連れていくのは危険であり、到底出来るものではない。
だから家の電話番号を強引に聞き出された龍麻は彼女から同行や、
何をどう気に入ったものなのか、時にはデートの誘いの電話がかかってくる度、
必死になって言い訳を考えねばならなかった。
しかし、今の彼女はどう見てもデートを申しこみに来たようには見えない。
茶色く染めた髪が乱れてしまっているのにも気づかない様子の亜里沙に、
興味深げに訊ねたのは京一だった。
「なんだ、藤咲じゃねェか。珍しいな、こんなトコで」
「良かった……まだ帰ってなくて」
「藤咲サン……目、真っ赤だよ。何かあったの?」
小蒔の言う通り、亜里沙の目は泣き腫らして真っ赤だった。
事態が只事でないのを直感した龍麻達は彼女が事情を説明するのを待つが、
亜里沙は小蒔に言われて何かを思い出したらしく、目許を拭った。
「藤咲?」
儚さすら感じさせる亜里沙に、珍しく京一が情感を刺激されたようで、いたわりの声をかける。
すると亜里沙は、すがりつくようにやって来た理由を説明した。
「エルが……いなくなっちゃったの」
エル、と言う名を龍麻が思い出すまで、少し時間が必要だった。
確か彼女が飼っている大型犬がそんな名前だったはずだ。
嵯峨野の精神世界に引き摺りこまれた龍麻達は、
葵を自分の世界(に繋ぎとめようとした彼を倒したまでは良かったが、
その後、彼が心を閉ざすに至って、その精神世界に閉じ込められそうになってしまったのだ。
現実世界では眠っている龍麻達は、誰かによって目覚めさせられなければ、
そのまま永遠に眠り続けることになる。
窮地に陥った龍麻達を救ってくれたのが、亜里沙の飼い犬であるエルだった。
エルの鳴き声により龍麻達は、全員が無事に目を覚ませたのだ。
龍麻は犬に詳しいわけではなく、エルがボクサーという犬種であることまでは知らなかったが、
聡そうな目と、亜里沙に忠実に従う様子が印象に残っていた。
「エルって……あの時の犬?」
頷く亜里沙に、龍麻は重ねて訊ねる。
「いなくなったって、どういうこと」
「そんなのわかんないよッ、今日の朝、いつも通り餌をあげようと思って小屋に行ってみたら……
辺り一面に血の痕が……」
まだ混乱しているのだろう、亜里沙は強い口調で食ってかかってきたが、
責める気にはむろんなれない。
それよりも、状況の異様さが龍麻の関心を惹いた。
その血痕がエルのものだとして、大型犬を傷つけるなど大人でも難しいことだろう。
しかも、家人に全く気づかせることなしになど、至難の技といって良い。
誰が、どうやって──考える龍麻をよそに、亜里沙の話は続く。
「一日中探しまわったけど見つからなくて、もう、どうしたらいいか解んなくなって……
気がついたら……ここに……」
弟を陰湿ないじめによって失い、その後龍麻達に出会うまでは荒(んだ生活を送っていた亜里沙には、
同級生に頼れる人間があまりいないのだろう。
だとすれば、頼られた龍麻達は彼女に応えなければならなかった。
どのみち今日はラーメンを食べに行くくらいで、大した予定もないのだ。
龍麻が京一達の顔を見まわすと、仲間達は当然のように頷いた。
「墨田か……早く行かねェと日が沈んじまうな」
「そうだね、暗くなっちゃうと探すの大変だし」
反対した者は誰もおらず、全員がエルを探すと言ってくれたことに、亜里沙は心底驚いたようだった。
「ありがとう……あたし」
今日は化粧もしていない顔に涙を浮かべ、年端も行かぬ少女のように頭を下げる。
「急にしおらしくなっちまってよ。けどまァ、エルは俺達の命の恩人とも言えるしな」
「あぁ、行こう」
こうして龍麻達は、亜里沙の飼い犬を探すため、彼女の住む墨田区へと向かうことにしたのだった。
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