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 道無き道を、龍麻達は歩いていた。
五人は昨日醍醐が提案した、彼の師であるという人物に会いに、西新宿を訪れていたのだ。
 小さな林の中にあるという住処への道は、
木々が陽射しを遮ってくれているので暑さはそれほど感じない。
それに、鬱蒼と茂る竹は風が吹くたびにある種不気味とも言える音で包みこみ、
車やその他の騒がしい響きから遠ざけてくれる為に、
ともすれば東京にいることを忘れてしまいそうだった。
 普段中々味わえない静謐さに、それぞれ思索に耽りながら歩く四人を、けたたましい男の声が破る。
「おい醍醐ッ! 何が歩いていける距離だッ!!」
「歩いているじゃないか」
「ふざけんなッ!! もうどんだけ歩いてると思ってやがるッ!!」
 実は京一が怒るのも無理はない。
龍麻達はもう小一時間ほども歩き続けていたのだ。
ゴールに美女でも待っていればまた話は違うのだろうが、
生憎と会いに行くのは老人で、しかも行けども行けども目にするのは竹ばかりとくれば、
気の短い京一などは、もともと乏しい歩く気力も使い果たしてしまうというものだろう。
 しかし、それを相手させられるほうはたまったものではなく、
十分に一度はぶつくさ言っていた京一を聞き流していた小蒔も、ついに怒って手厳しく反発した。
「もう、うるさいな。文句ばっかり言うなら、途中から帰れば良かったんだよ」
「くッ……」
「軟弱者が」
 小蒔に続いて醍醐に吐き捨てるように言われ、京一は黙らされてしまう。
助けを求めて龍麻を見ると、頼みの綱は小難しい顔で竹を見ていた。
頼りにならない友人に、京一は腹いせに小石を思いきり蹴とばした。
放りこまれた小石に、竹やぶがざわざわと大きな音を立てる。
「へッ、気色悪い音出しやがって」
 自然現象にまで悪態をつき始めた京一になど誰も構わなかったが、
たしかに薄気味の悪い物音に引っ張られた雰囲気を変えるためか、醍醐が知識を披露した。
「この竹林は古い物でな、なんでも江戸時代からあるそうだ」
「ふーん……なんか凄いね」
 感心する小蒔に、やりこめられた恨みか、京一がまた小石を蹴飛ばした。
幸か不幸か、蹴飛ばす小石はいくらでもあった。
「竹なんてどうでもいいからよ、いい加減そのジジイの家に着かねェのかよ」
「はははッ、ここを抜ければすぐだ、もう少し我慢しろ」
「ッたく、こんな竹ばっかり生やしやがって……パンダでも飼ってんのかよそのジジイは」
 苛立っているために滅茶苦茶なことを言う京一に苦笑しつつ、醍醐は龍麻達を促して再び歩き始める。
それから十五分ほど歩いたところで、竹の向こうに一軒の家が見えた。
「見えてきたぞ、あれが龍山先生の家だ」
「うへェッ、こりゃ昨日の織部神社に負けず劣らずボロい所だな」
「趣があると言わんか。それに、ああ見えて中は綺麗なんだぞ」
 醍醐には悪いが、土壁に茅葺屋根の小さな家は、確かに立派とは言い難かった。
ただしこんな竹やぶの中にいきなりコンクリートの家があっても、それはそれで違和感があるだろう。
「龍山先生──ッ、居ませんか」
 小さな、庵と言っても差し支えない建物の外から、醍醐が呼びかける。
竹がさざめく音しか聞こえないこの場所にあって醍醐の声は良く響き渡り、
中にいる人間が例え昼寝していても目覚めたであろうが、庵の中から返事はなかった。
「留守か」
「おいおい、こんな所まで連れてきておいてそりゃねェだろ」
「いいさ、中で待たせてもらおう」
 焦るでもなく醍醐は中に入った。
 建物にふさわしい古い引き戸は、もちろん鍵などついていない。
泥棒が来たら一切合財持っていかれそうな感じであったが、
こんな所まで盗みに来る輩などいるはずもないだろう。
 先頭に立って案内した醍醐は、一同を居間に通した。
五人が入ると結構窮屈さを感じてしまうのは、ただ小さいというだけではなく、
部屋の中央に現代の東京には珍しいものが置いてあるからだった。
「うわぁ凄い、囲炉裏があるよ」
「本当、素敵ね」
 天井から鍋こそ吊るしてないものの、正方形にくりぬかれた床に、灰が敷き詰められている。
今はそれほど寒くはないが、冬になればこれが唯一の暖房器具なのだろう。
初めて目にする囲炉裏を興味深く眺めていた小蒔は、指で灰を触ってみたりしていた。
彼女に倣って龍麻達も腰を下ろす。
「しかしよ、醍醐」
「なんだ」
「お前みてェな頭の固いヤツの師匠だっていうからには、さぞかし頑固ジジイなんだろうな」
 敬老精神のかけらもない京一に醍醐が反論しようとすると、廊下から別の声が先に答えた。
「こいつの頭が固いのは、わしの所に来る前からじゃ」
「うわッ!」
「全く、爺い爺いとうるさい小僧よ」
 不意打ちを受けて飛びのいた京一に、現れた老人は悪戯が成功した小僧のように笑った。
茜色の着物に揃いの頭巾を被り、真っ白な美髯を心地良さげに揺らしているこの老人が、
醍醐の師であるという龍山という人物に違いなかった。
京一ではないにせよ、醍醐を更正させたというからにはそれなりに厳しい人柄なのだろう、
という龍麻の先入観は外れ、龍山の話し方に堅苦しいところは全くなかった。
 慌てて立ちあがろうとする葵を制した龍山は、自分も囲炉裏を囲む輪の中に入る。
「いらっしゃったのなら返事をしてくださればいいのに、盗み聞きとは人が悪い」
「何をぬかすか、ぱったりと顔を見せなくなったと思えば、
こんなに大勢でぞろぞろと押しかけてきおって」
 龍山は醍醐に、年長者というよりも歳の近い先輩のような態度で接している。
醍醐も口調こそ改めているものの、明らかに心安くしており、
龍麻は彼の意外な一面を見る思いだった。
「あの、すみません、突然お邪魔してしまって」
 立ちあがるのを制された葵が、龍山に挨拶する。
(雄矢、お前のこれか?)
「せッ、先生ッ」
 小指を立てて訊ねた龍山は、慌てる醍醐を措いて葵の方を向いた。
その表情は醍醐に対してとは全く違う好々爺ぶりだった。
「あんたが、美里さんだね。よう来なすった」
「は、はい……初めまして」
「わしは新井 龍山と申す。白蛾翁と呼ぶ者もおるがの。
──手紙に書いてあった通り、良い娘さんだ」
「何だ先生、手紙、読んでいたんですか? だったら返事をくれても」
「馬鹿もん、何でわしがむさ苦しい男に手紙なんぞ出さねばならんのじゃ」
 龍山は相変わらず醍醐には冷たいほどの反応で返す。
それでも醍醐が腹を立てないのは、よほど龍山に心服しているのだろう。
 なんとなく龍麻は、半年足らずではあったが彼の師となった人物のことを懐かしんだ。
半ば強引に自分を鍛え、古武術だけでなく様々なことを教えてくれた師。
敬愛するというには、身体中につけられた痣が多すぎて難しいのだが。
 龍麻がそんなことを考えている間も穏やかな眼差しで葵を見ていた龍山は、
胸元にまで達している髭を撫でた。
「美里さん」
「はい」
「あんたのその瞳……いや、なんでもない」
 奇妙なことを言う龍山に葵は首を傾げたが、老人はそれ以上何も言わず、
今度は葵の隣に座っている龍麻に顔を向けた。
「お主が緋勇龍麻か。……縁とは、不思議なものじゃの」
「縁……ですか?」
 もしかしたら幼い頃にこの老人と会ったことがあるのだろうか。
龍麻は失礼にあたらないよう龍山の顔を観察し、急いで記憶の扉を片っ端から開いてみたが、
どこにも彼の顔はなかった。
どう応じれば良いか判らず、龍麻は申し訳なさそうに龍山を見る。
しかし龍山も、龍麻の過去に触れたことがある訳ではないようで、
続く話題は全く別のものとなっていた。
「うむ。織部の嬢ちゃんたちにはもう会ったか?」
「おじいちゃん、雪乃と雛乃を知ってるの?」
 意外な縁に小蒔が驚くと、龍山はまず喜んでみせた。
「おうおう、おじいちゃんとな。あんたみたいに可愛い娘さんに呼ばれると、悪くないのう」
「エヘヘ、おじいちゃんもありがと」
 どうやらこの中では小蒔と最も意気投合したらしく、龍山は嬉しそうに頷いた。
横で京一は面白くなさそうにしているが、龍麻も相手はしない。
初対面の、それも老人に対する礼儀を守る方が優先だったし、
それに京一の機嫌などラーメン一杯で直る程度のものだと判っていたからだ。
「ところで質問の答えじゃが、知っとるも何も、わしはあの二人の名付け親じゃ。
わしとあの二人の爺さんとは知り合いでな」
「そうなんだ」
 ますます目を丸くする小蒔に、龍山は腕を袂に入れて語った。
「あの神社は、熊野の神である須佐乃男命とともに、
大陰陽師である安倍晴明を祀っておる。
陰陽道の基礎となる、陰陽五行、八卦といったものは風水においてもまた祖となる。
それ故、嬢ちゃんらは風水のことにも詳しかったろう」
「先生、今日お伺いしたのはそのことで」
「わかっておる」
 易を生業としているからか、あるいは醍醐の手紙である程度は予測していたのか、
龍山は龍麻達が訪ねてきた理由を知っているようだった。
自然と息を呑む龍麻達に向かって、龍山は静かに語る。
「醍醐よ。お主の手紙に書いてあったことじゃがな、鬼道衆と言ったか、そいつらのこと、
心当たりが無い訳でもない」
「本当ですかッ!!」
「でかい声を出すな。全くすぐ興奮しおって、日頃の鍛錬が足りんようだの」
「す、すいません」
 巨体を縮める醍醐を軽く睨んだ龍山は、思案深げに目を閉じた。
「ふむ、では少し話してやるとするかの。鬼にまつわる忌まわしき話を。
──まず『鬼道』とは、古くは邪馬台国の女王、卑弥呼が用いたとされる呪法じゃ。
現代では原始的なシャーマニズムと解釈されておる」
「しゃーまにずむ? なんだそりゃ?」
 早速京一が口を挟んだ。
「ようは巫女である卑弥呼が霊的存在、つまり神の意志を聴き、
託宣や予言、病気を治すなどということをやってのけたのじゃ。
今でもあるじゃろう? 神懸りや降霊などと言ったものが」
 龍山の話はいきなり難解な所から始まり、
龍麻達は昨日に続いて理解するのに全力を傾けねばならなかった。
 しかも龍山は、それらについてあまり詳しく説明しようとはしなかった。
これらの話は枝葉であり、より重大な、語らねばならないことが後に待ち構えていたからだ。
「そうやって超自然的な脅威から人々を奇跡によって救うことにより、
卑弥呼は支配者として絶対的な権力を手に入れていたのじゃ。
卑弥呼が用いた鬼道──その力の源がどこにあったのか。
人間にも『力』はある。じゃがそれは小さなもので、自然現象を治められようはずもない。
卑弥呼は研究の末、地球そのもののエネルギーを利用する法を編み出したのじゃ。
つまり、龍脈を利用する方法を……な」
「龍脈って、昨日雛乃が言ってた」
 小蒔に龍山は頷いてみせたが、それは先ほどの好々爺ではなく、
年齢に相応しい皺が刻まれた、重い表情でだった。
「うむ。卑弥呼は龍脈の交わる場所に自分の宮殿を建て、それに付随するように楼観という塔を建てておる。
そうすることによって、より強大な龍脈の力を得ようとしたのじゃ」
 龍脈──地球そのものの力であり、 自分達の特殊な『力』の源になっているかもしれないもの。
それが古代日本から存在し、教科書に載っているような人物と関係があるというのは、奇妙な感覚だった。
 その感覚は日本史を一応は勉強している葵において顕著であり、
春に突如として押しつけられたこの『力』が、
千五百年以上も前から受け継がれてきたという認識は、
たしかに嫌悪だけではない意識の変革をもたらした。
とはいえ、なぜ自分が、なぜこの時期に、という疑問も未だ拭えはしない。
 ふと葵は、隣に座っている龍麻の横顔を見た。
この『力』は彼がもたらしたと信じていたが、どうやら違うのかもしれない。
かといって転校初日に龍麻が葵を襲ったのは事実であり、その点の疑いが晴れたからといって、
彼を好きになりようもないのもまた、事実だった。
 なのに自分は、こうして龍麻の横に座っている。
好悪でいえば佐久間よりも嫌いであるはずの彼に、かなり強引にとはいえ行動を共にし、
鬼道衆とやらいう殺戮集団と戦うなど、正気とも思えない。
これに関しては小蒔が率先して戦おうとしているため、
彼女が怪我した場合を考えると同行するしかないというのも一因ではあるが、
自己犠牲も厭わずに戦っている龍麻の姿は、深刻な嫌悪すら束の間忘れてしまうほど雄々しく、
不本意ながら見惚れてしまうことを認めざるを得ない。
そして――そしてあろうことか、身体の疼きを葵は、彼を使って慰めている。
純血を奪おうとした男の手の動きをなぞり、女を欲望のはけ口としか見ていないような男の瞳を想い、
毎夜の昂りを醒ましている自己矛盾を、葵は未だ解消できていなかった。
むしろ彼を憎いと思うほど、その彼になすすべなく身体をまさぐられる妄想が強くなり、
親友である小蒔にも相談できないまま、ただれた時間だけが積み重なっているのだった。
 あちらこちらにさまよう思考を、葵はなんとか半分ほど龍山の話に戻す。
幸いなことに、どうやらまだそれほど聞き逃してはいないようだった。
「龍脈の力とは、つまるところ地球という巨大な生命を動かすための力よ。
卑弥呼は鬼道によってその力を使ったが、人ごときがその強大な力を理を曲げて使えば、
どこかにしわ寄せが来る。やがてそれは、龍脈の流れに乱れを生むことになったのじゃ。
太陽神の化身と称された卑弥呼の陰に、闇が産まれた。
闇は人の欲望や邪心を映し、ゆっくりと息づき始めた。
それこそが、『鬼』と呼ばれし輩──龍脈の乱れと鬼道の『力』が産んだ、異形の者どもじゃ」
「龍脈の乱れが、鬼を……」
 醍醐が呆然と呟く。
程度の差こそあれ、龍麻達の顔には醍醐と同じものが浮かんでいた。
龍山の話は、昨日小蒔が抱いた危惧を図らずも裏づけるものだったのだ。
 龍脈を操った卑弥呼の心の闇に、鬼が産まれる。
ならばその龍脈から『力』を与えられた自分達も同じく、
邪心に溺れれば鬼と化してしまうということなのだ。
「そうじゃ。そうして霊力の衰えた卑弥呼の死と共に、再び倭国には乱世が訪れたのじゃ」
「恐ろしい話ですね」
「うむ。始めは雨乞いをし、天候の安定を祈るなどと言ったささやかなものであったのじゃろう。
じゃが尽きることのない人の欲望が鬼道を生み、龍脈の乱れが鬼を産んだのじゃ」
 ここで一息ついた龍山は、若者達の顔を見渡した。
驚き、うっすらと恐怖を浮かべている者もいるが、真摯に考えこんでいる者もいる。
それで良い──彼らの中には、より重い宿命を背負っている者もいるのだ。
辛い話ではあったが、ここで怯えているようでは、
この先に待っているものになど到底耐えられるはずもなかった。
彼らに対して、孫を見るような表情を美髯の下に浮かべた龍山は、
宿命に立ち向かわなければならない彼らに、更なる知識を授ける。
「話はまだ続きがあってな。卑弥呼が鬼道を修めてから数百年。江戸──徳川の時代のことじゃ。
歴史の彼方に埋もれたはずの、その呪法を蘇らせることに成功したひとりの修験道の行者が現れた」
「修験道?」
 醍醐の問いかけに頷いた龍山は説明を加える。
「修験道というのはな、山に篭り、自然に宿る神霊に祈りを捧げ、
苦行の末、験力──つまり、特殊な『力』を身につけるための修行の道よ」
「また『力』……かよ」
 少しうんざりしたように京一が呟く。
彼を視線で一撫でした龍山は、彼らの中の一人にとって、極めて関係の深い名前を告げた。
「男の名は九角 鬼修」
「九角……ですか!?」
 龍山の口から放たれた名に、思わず龍麻は大声を上げていた。
それまで無言だった龍麻が叫んだことに、京一が興味を込めて尋ねる。
「知ってんのかよ龍麻」
「いや……水角と風角がその名前を言ったのを覚えてただけだ」
 大して知りもしないのに大声を出してしまった龍麻は恥ずかしそうに俯いた。
軽く目を細めて龍麻を見やった龍山は、いよいよ話の核心に触れた。
「鬼修は、外法にも精通していたという。外法──外道は仏道に背く道。
その道士は、鬼神や悪霊を使役する呪術を使うという。
九角はかねてから大地を流れる龍脈の力に目をつけており、その力を我が物にして、
江戸を支配しようと考えていた。その為に使ったのが、長い修行で得た験力と、
外法として蘇らせた『鬼道』よ。そして九角が幕府転覆の為に組織したのが──
鬼道衆と呼ばれた、人ならざる力を持った者どもじゃ」
 龍麻達の驚愕が鎮まるのを待たず、龍山は一気に結論まで語った。
「お主らが相手にしている鬼道衆と名乗る輩も、決してただその名を騙っている訳ではあるまい。
おそらくその頭目は、九角の血を引く者であろうよ」
 そして、その人物は──言おうとして龍山は止めた。
今はまだ、その時ではなかった。
「お主らも解っておろうが、今、東京では異変が起こっている。
それらは全て、『鬼道』によって龍脈が乱れたせいじゃ。
そして鬼道衆の目的は、おそらく東京の壊滅じゃろう」
 鬼道衆との闘いで多少は知っているのか、
東京の壊滅という彼らの目的を聞かされても龍麻達は動じなかった。
 心に一つ頷いた龍山は、重要な件を思い出して醍醐に訊ねた。
「そういえば、雄矢。手紙に珠を手に入れたとかあったの。持ってきておるか」
「はい」
 頷いた醍醐は、かつて水角と風角を倒した時、死んだ彼らが変じた珠を取りだした。
それは龍山にとっても初めてみる球であったが、一見してなんらかの呪力が込められていると判る。
醍醐から球を受け取った龍山が射しこむ陽光に透かしてみると、珠の内側に精巧な龍が浮かんだ。
「ふむ……この龍の紋様、もしかしたらこれは、五色の摩尼やもしれんな」
「摩尼……ですか」
「摩尼というのは梵語で宝珠を意味する言葉でな、江戸時代、
徳川に仕えた天海大僧正なる男が江戸の守護の為に使った珠よ。
五色の宝珠は、もともと天海のいた天台宗の東叡山喜多院に納められていたものでな。
五色とは黄、白、赤、黒、青。それぞれ地、水、火、風、空に対応して、
密教ではこの五色を以って宇宙の基本構造を表しておる。
そして、江戸末期に幕府転覆を企んだ九角が、鬼道によって使役した五匹の鬼が封じられているのも、
その五つの珠だと言われておる。
その後、鬼を封じた宝珠は天海によって江戸の繁栄と天下泰平の祈願の為に、
それぞれ、江戸を取り巻く五つの不動尊に鎮守されたという。
それが、江戸五色不動と呼ばれておるものよ。
鬼の霊力によって、更なる鬼や邪の侵入を防ぐ方陣としたわけじゃな」
「この珠にそんな意味があったのか……」
 斃した水角や風角がこの珠に吸いこまれるように消えたことから、
ただの珠ではないとは思ってはいたが、それほど重要なものだとは龍麻達の想像を超えていた。
小蒔などはよほど驚いたのか、おっかなびっくり置かれた珠を突ついたりしている。
「とりあえずお主らは、その宝珠を持って不動を巡ってみることじゃ。
境内の奥の方に宝珠を納める為の祠があるはずじゃ。
そこに宝珠を納めれば、不動の霊力が再び宝珠を護るであろう。
それぞれの寺に話は通しておくから安心せい」
 長い話が終わった頃、辺りは薄暗くなっていた。
 昨日に続き長話を聞かされた京一は、いかにも苦痛から解放されたというように欠伸をする。
相変わらず失礼な京一を醍醐はたしなめようとしたが、彼の師は京一に関心を払っていなかった。
「葵さんよ」
「はい」
「お主はあまり、この『力』を良く思っておらぬようじゃの」
 頷いて良いものかどうか、葵は迷った。
龍山翁の話は『力』を肯定しているようにも受け取れたからだ。
特別な力を授けられたのだから、戦えと。
 だが葵の眼を見た龍山は、彼女に戦いを使嗾しなかった。
「それで良い……人の身に、過ぎたる力は必要ないとわしは思っておる。
人は己の努力で人生を全うすべきなのじゃ」
「それなら……どうしてこんな『力』が私達に宿ってしまうんですか?
私はこんな『力』欲していません。戦わなければ傷つきもしないのに、
どうして戦わなければならないんですか!?」
 なまじ龍山の言い方が諭すようであったために、かえって葵は想いが昂ぶってしまった。
龍麻や京一のように望んでいたわけでもないのに『力』を押しつけられ、
死ぬかもしれない危険な戦いに身を投じなければならないという、
この春からずっと葵の裡でくすぶっていた理不尽が、一気に噴出したのだ。
 かつて龍麻に同じ問いをぶつけたが、その時は答えを得られなかった。
この老人ならば何らかの答えを得られるだろうと、葵はすがるように龍山を見た。
「なぜお前さん達に『力』が宿ったのかは、答えられん。
宿命と言う他はないが、そんな答えでは納得できんじゃろう」
 露骨に失望を浮かべる葵に、龍山は激昂したりはしなかった。
「じゃが、お前さんではなく、お前さん達に力が宿ったということを良く考えて欲しい。
そして、できるなら皆で力を合わせて困難に立ち向かって欲しいのじゃ……
『力』が必要なくなる、その日まで」
 老人特有のはぐらかしをされた気がして、葵の不満は収まらなかった。
しかしこれ以上なじったところで意味がないのも確かであり、葵は唇を引き結んで会話を打ち切った。
 葵を痛ましげに見つめていた龍山は、一度目を閉じ、今度は龍麻を見る。
「緋勇よ」
「俺ですか?」
 声をかけられるとは思っていなかった龍麻は、少し大げさに振り向いた。
だがそこで見た龍山は、殺気を感じるほど強張った表情をしていた。
「またここに来ることがあれば、お主に話したいことがある。
それまでは、己が信じた道を歩むが良い」
 実に思わせぶりな龍山の態度に、つい龍麻は訊ねてしまう。
「今じゃ駄目なんですか?」
「そうだ、ケチケチしないで教えてやりゃあいいじゃねェか」
 京一が賛同したのは、またこの道のりを歩くのが嫌だったからに違いない。
しかし龍山は、顔を綻ばせはしたものの、どうしても今言うつもりはないようだった。
「ふむ、そう急くな。まだ──宿星が輝いておらん」
「……?」
 何のことだか判らなかったが、とにかく今日のところは帰るしかないようだった。
 にぎやかに帰っていく龍麻達を見送った龍山は、彼らの姿が見えなくなるとため息をつく。
彼らの未来を思いやって零れたそれは、年齢よりも老いを感じさせる、深く、大きなものだった。

 再び龍麻達が新宿に戻ってきたのは、もう辺りがすっかり暗くなってからだった。
「あぁ、やっと都会に戻って来たぜ。どうも田舎は調子が狂っていけねェ」
「そうかな、京一なんてマンモスとでも戦ってる方が似合ってそうだけど」
「俺は原始人じゃねェッ!」
 相変わらずな京一と小蒔のやり取りを聞き流しながら龍麻が時計を見ると、針は六時を指していた。
「今日は不動巡りは無理だな」
「そうだな……ま、明日からにすっか。新宿からだと一番近いのは、どこだ美里」
「えっと……豊島区の目白不動かしら」
 京一に訊かれて葵は思わず即答してしまった。
「よし、んじゃ明日学校終わったらそこから行ってみようぜ」
 葵は横目で小蒔を見たが、彼女は当然行くつもりであるようだ。
となれば同行するしかなく、葵は内心でため息をついた。
 明日の予定も決まったので、解散しようかというところで、醍醐がおもむろに龍麻に訊ねる。
「ところで緋勇。先生はどこかお前のことを気にしているようだったが、思い当たる節はあるのか」
「いや、全然」
「でも、なんか初対面とは思えない感じだったよね」
 そう言う小蒔に向かって、龍麻はまさにその通り、と頷いた。
そう感じていたのは自分だけだと思っていたのだが、どうやら皆同じ感想を抱いていたようだ。
と言ってやはり龍山と以前に会った覚えはなく、彼との接点は全く見出せなかった。
 次第に気になって考えこむ龍麻に、醍醐がとりなすように言う。
「先生は易者だからな、お前の顔に何か特別な相でも観たのかもしれん」
 それならそれで説明してくれても良さそうなのに、と龍麻がおどけて答えると、四人は笑って頷いた。
 笑いながら何気なく自分の腕時計を見た小蒔が、顔色を変える。
「あ、いっけない、もうこんな時間だ。
ごめん、ボク、これから弓道部のみんなと昨日の打ち上げなんだ」
「遅くまで付き合わせて悪かったな」
「ううん、おじいちゃん面白いヒトだったし。それじゃね」
 手を振って去っていく小柄な姿は、たちまち闇に紛れて見えなくなってしまった。
葵も別れを告げ、後には男三人が残ると、それを待っていたかのように京一が口を開いた。
「しかし厄介だな」
「何がだ」
 京一は訊ねた醍醐ではなく、今は龍麻が持っている袋を見ながら言った。
「この珠だよ。じじいの話だと、珠は五つあるんだろ? てことは、あと三人はいるんだろ」
 京一の言葉に、龍麻は水角と風角が現れた時のことを思い出していた。
確かに彼らは、自分達を鬼道五人衆が一人と名乗ったのだ。
京一の言う通り少なくともあと三人、そして恐らく、彼らを束ねる首魁がいるに違いなく、
鬼道衆との闘いはまだ半分も終わっていないのだ。
向こうも仲間を二人斃され、本腰を入れて襲ってくるに違いない。
 厳しい表情で龍麻が決意を新たにすると、醍醐と京一もそれぞれ頷く。
これからの闘いの激しさを予感しつつ帰路についた三人だったが、
鬼道衆は彼らの想像を超える早さで次の手を打ってきていたのだった。



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