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外界の音が遮断された部屋に、わずかな抑揚を伴った声が奏楽のように響く。
「昔、遠い昔のお話でございます。
この地方の武家に、ひとりのお侍様がいました。
そのお侍様は心優しく、民を思い、人々から慕われていたそうです。
ですが、ある日──道に迷った女性を助けた時から、お侍様は変わってしまいました。
お侍様は、その女性に恋をしてしまったのです。
その女性は都の姫君でした。
片思いとはいえ、そのような身分違いの恋が許されるはずもございません。
お侍様は呪いました。自分の身分を、そして、無力さを。
お侍様はその土地で奉られていた龍神様の力を呼び起こし、
姫を奪うために、三日三晩都に嵐を起こしました。
都の軍勢はお侍様のお屋敷に攻め込みましたが、そこにお侍様の姿を見つけることはできませんでした。
都の人々が見たのは、醜くもおぞましい異形の者達だったのです。
それは大地の裂目から現れた鬼達と、自らも鬼に変わったお侍様でした。
──やがて鬼達は討ち取られ、お屋敷は焼かれました。
人々はお屋敷のあった場所に社を建て、お侍様の霊を弔ったそうです。
それが──この織部神社です」
語り終えた雛乃が口を閉ざすと、感心したように小蒔が首を振った。
「ここに、そんな言い伝えがあるなんて知らなかったよ」
「そういえば、小蒔様にお話するのも初めてでしたね」
そっと口元を綻ばせた雛乃は、静かに問いかけた。
「皆様──『龍脈』というものをご存知でしょうか」
五人は互いに顔を見るが、知っている者は誰もいない。
雛乃はそれを予期していたようで、再び問いかけてきた。
「では、『風水』というのはご存知でしょうか」
「あ、それなら聞いたコトあるよ。
『幸運を身につける』とか『お金の貯まる』とかそういうヤツでしょ。本屋さんで見たことあるよ」
ようやく判る言葉が出てきて、小蒔が座卓に身を乗り出した。
すると雛乃の隣にいる雪乃が、束ねた髪を小さく揺らす。
「間違っちゃいねェけどよ、それはどっちかって言うと活用法だな。
本来の風水ってのは、昔の中国で生まれた地相占術なんだ」
「地相……占術」
全く聞き慣れない言葉に、龍麻は発音してみるが、やはり想像もできない。
すると、続けて雪乃が説明してくれた。
「地相占術ってのは、そびえる山や流れる川の位置や、その土地の性質を視て、
家を建てる場所や社を建てる場所を決めて個人や、
その地を治める国家全体を吉相に導く呪法の一種さ」
「なんだ、ただの占いかよ」
つい口を挟んだ京一を、雪乃がじろりと睨む。
その程度で恐れ入ることなどない京一はそれを睨み返し、不穏な空気が発生しかけたが、
雛乃が上手にとりなして事なきを得た。
「ふふ、蓬莱寺様、風水はただの占術とは違うのですよ。
風水というのは吉凶を占う法ではなく、確実に吉を得る為の手法なのです。
だからこそ、過去の為政者達は国の中枢を風水において最も吉相とされる地に
おくことに権力を注いできたのです。『四神相応』と呼ばれる場所に」
「四神……なにそれ」
小蒔が訊ねる。
次々と登場する難解な単語に、龍麻や葵もついていくのが精一杯だ。
京一などは既に諦めたのか、話を聞いているようないないような、微妙な表情をしていた。
「四神ってのは東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武。
各方位を守護する聖獣のことさ。
そしてそれらが護る中央には、黄龍って黄金の龍が眠るって言われてる」
「黄龍はそのまま大地の力そのものに例えられ、
地球を駆け巡るその力の通路のことを龍脈──と呼ぶのです」
雪乃の説明を、雛乃が引き取る。
調子は違えど声質は同じ二人の声は、聞いている龍麻達に、
催眠術に近い不思議な感覚を与えていた。
更に話の内容も中々に幻想的なものであるから、ともすればぼんやりとしてしまう。
しかし話は、いよいよ本題に入るようであった。
「さきほどお話しした言い伝えでお侍様に力を授けた龍神様は、
この龍脈を指すのだとも言われております」
雛乃が言い終えると、しんとした空気が満ちる。
彼女の話をまとめてみると、龍麻の脳裏にひとつの結論が生まれた。
「俺達の『力』が、その龍脈とやらに拠るものだってことか……?」
驚いた京一達が、一斉に龍麻を見る。
龍麻も自分自身、飛躍しすぎではないかと思ったほどであったが、
雛乃の深く澄んだ瞳は、その突拍子もない考えが間違っていないと告げていた。
春に起こった小さな事件をきっかけとして宿った、超常的な『力』。
それはより大きな事件に龍麻達を巻きこむ鍵となり、時に忌まわしく、時に支えとなってきた。
しかし当初から抱いていた疑問──この力は何の為に、誰が与えたものなのか──の答えは、
龍麻達の予想を遥かに超えたものだったのだ。
そしてその答えは、龍麻達にとってあまり喜ばしいものではなかった。
「だとしたら、ボク達も鬼になっちゃうの?」
小蒔の悲鳴に近い声は、龍麻達全員の心境を代弁していたと言って良い。
勝手に『力』を与えておいた挙句に鬼に変えてしまうとは、随分な神様もいたものではないか。
雛乃は親友の問いには直接答えず、わずかに乱れていた姿勢を正して言った。
「皆様。この地を護ろうとする『力』を大地より授かったのは、皆様だけではございません。
龍脈の活性化は乱世の始まり。そして、それを治めようとする者も同時に現れるのです」
雛乃の口調に熱が篭る。
穏やかな湖の如しと思われた彼女の感情は、大河のごく一部を見ていたに過ぎなかったのだ。
黒瞳にその奔流を浮かべ、雛乃は龍麻を見やる。
「この東京が歩む道は二つ──陰と陽が互いに共存を目指す陰の未来か、
どちらかがもう一方を完全に殲滅するまで闘う陽の未来か。
緋勇様なら──どちらをお選びになりますか」
「共存って……鬼道衆は東京を壊滅させようとしているんだよ?
そんな奴らと共存なんて出来るはずないじゃない」
龍麻が答えるより先に小蒔が激昂する。
鬼道衆との闘いは紛れもなく生命のやり取りであり、
雛乃の言葉は親友といえども、いかにも理想論に聞こえたのだ。
京一や醍醐も、どことなく小蒔に賛同しているように見え、
黒い座卓を挟んで、龍麻達と織部姉妹は俄に対立を始めてしまったようであった。
全員の視線が龍麻に集中する。
それら全てを受けとめた龍麻は、一人一人の顔を見返してから、一語一語を選びながら口を開いた。
「共存……はできないな」
我が意を得たりと小蒔の顔が輝き、対照的に雛乃はわずかに顔を曇らせる。
「殲滅させようとまでは思わないにしても、桜井の言う通り、東京を壊滅させようと目論み、
そのためには多くの人の命を奪うのも厭わないような連中とは、とても共存なんてできないだろう」
「そう……ですか……」
吐息とともに落胆がこぼれるのを龍麻は感じたが、
だからといって自分の考えを曲げるつもりはなかった。
「オレもそう思うぜ」
龍麻に賛意を告げたのは、意外なところからだった。
雛乃の隣に座る、彼女の双子の姉である雪乃が、妹とは意見を異にしたのだ。
「小蒔から話は聞いてるけどよ、ずいぶんな悪党みたいじゃねェか、その鬼道衆って野郎共は。
そんな奴ら、ぶった斬ってやりゃあいいんだ」
「姉様」
「オレはこいつらについてくぜ」
「待った」
見得を切る雪乃に、龍麻は慌てて口を挟んだ。
「俺はもう何度も大怪我をしているし、この間は桜井に怪我をさせちまった」
「うんッ、その前なんか石にされちゃったしね」
混ぜっ返すかのようにリズム良く相槌を打つ小蒔に、若干顔をしかめつつ龍麻は続ける。
「悪いことは言わないから、ついてこないほうがいい」
「お前らは戦いを止めねェんだろ? それとも何か、オレじゃ足手まといだってのか」
龍麻が即答しなかったのを、肯定していると受けとめたらしい。
やにわに立ちあがった雪乃は、仁王像さながらに怒っていた。
「上等じゃねェか、お前の実力がどんなもんか、オレが試してやるぜッ!」
困り果てた龍麻はこの場で彼女を唯一止めてくれそうな、彼女の妹に視線で助けを求める。
だが、先に彼女の考えに同調しなかったのが気に入らないのか、
雛乃は黙したまま立ちあがり、姉の後をついていってしまった。
「……まいったな」
事の成り行きに呆然としながら龍麻も渋々雪乃を追い、京一達も龍麻に続いたのだった。
織部神社には薙刀の教室に使われている、板張りの床の離れがある。
今、部屋の中心には龍麻と雪乃が立ち、壁際に京一達がいた。
薙刀を携える雪乃は、ゆきみヶ原高校の制服のままだ。
武道袴に着替えないのは、よほど頭に血が上っているからだろうか。
こちらも同じく学生服を着ている龍麻は、そんなことを考えながら京一達を見た。
京一は結果が判っているのか、退屈そうにしている。
醍醐は何であれ試合という形ならば真剣に見届けようというのか、どっしりと構えていた。
小蒔は友人同士の諍いに落ちつかないようだ。
葵は試合の行く末よりも、小蒔を案じているように見えた。
「よしッ、準備できたぜ。こぶができるくらいは覚悟しておけよ」
靴下を脱いだ雪乃が告げ、龍麻も構えた。
こうなったら勝負しないことには、収まりがつかないだろう。
「何でもありで来い」
応じた龍麻は自ら氣を練りあげた。
生じた氣の圧に驚いた顔をした雪乃は、すぐに自身も氣を練りはじめた。
「ヘッ、その程度でオレがビビるとでも思ってるのか」
薙刀の切っ先を龍麻の顔に向ける。
薙刀はもちろん練習用の、切っ先が刃になっていないものだったが、
わずかに薄青の光をまとっているのは、彼女の氣だろう。
輝きが明滅しているように見えるのは、まだそれほどには氣を扱えないのかもしれない。
「行くぜ……ッ!」
気合と共に雪乃は薙刀を振り下ろしてきた。
初撃で決めようという強い意思が感じられる激しい一打を、龍麻は半身で躱す。
避けられた雪乃は素早く中段の構えに戻し、今度は横に薙いできた。
空気を断つような疾い薙ぎは、だが、龍麻の胴を捉えない。
左腕を跳ねあげ、雪乃の軌道を逸しつつ身体を沈めた龍麻は、
スライディングの要領で雪乃の足元を狙う。
氣によって強化された身体能力は、雪乃の想像を上回る疾さで襲いかかった。
踏みだした右足にスライディングが当たる。
足を払われた雪乃は、顔から地面に倒れこんだ。
「姉様っ!」
雛乃の悲鳴が室内を割る。
たおやかな彼女のどこから振り絞ったのかというほどの声量が消え去ったとき、
雛乃の姉は龍麻に抱きとめられていた。
龍麻が下になってはいるが、肩を掴まれた雪乃は身動きを封じられている。
「卑怯だぞッ!」
屈辱で顔を赤くする雪乃に、龍麻は冷徹に告げた。
「試合じゃない、戦いでそんな綺麗事は通用しない。それに、薙刀だって脛を狙うだろう」
「……ッ!」
「大方面か胴で俺に勝って良い所を見せたかったんだろうが、技が綺麗すぎてどうしようもない。
人間じゃない化け物と戦うには、どんな手でも使って、そして生き残るって覚悟が要る。
勝ちました、でも大怪我をしました、では駄目なんだ」
雪乃の白い喉が震える。
上体を起こし、雪乃の足の間から抜けでた龍麻は、うなだれている彼女に幾分口調を和らげて言った。
「お前は充分強いよ。でなきゃ、スライディングなんて奇襲技は使わなかった」
慰めのつもりでかけた言葉は、完全に逆効果だった。
龍麻がそれを悟ったのは、雪乃の怒りに歪んだ表情だった。
顔を上げた彼女は、耳まで赤黒く染めて言い放った。
「……オレは、お前についてくぞ」
「は?」
「オレの覚悟が半端じゃねェってところを見せてやるッ!
いいなッ、オレは絶対にお前に勝ってやるからなッ」
何を聞いていたんだ、と呆れる龍麻に、雛乃までもが異を唱えた。
「緋勇様、姉様を助けるためにわたくしもご同行させていただきます。
この織部神社は、東京に点在する他の社寺と同様、
東京を護るために打ち込まれた、楔のひとつなのです。
その巫女として、少しはわたくしも皆様のお役に立てるはず。
織部が二人、未熟かもしれませんが、必ず緋勇様のお役にたってご覧にいれます」
「いや、そうじゃなくてだな……」
思惑とは正反対となった事の運びに、さすがに苛立った龍麻ははっきりと断ろうとする。
「まあ、いいじゃない。二人だって興味本位でついてくるって言ってるワケじゃないんだし」
雛乃の考えに反対だったはずの小蒔が、いつのまにか彼女達の擁護に回っている。
それでも、龍麻はなお彼女達の同行に反対した。
「盲目者との戦いで、俺は自分の油断から桜井に怪我をさせちまった。ああいうのはもう嫌なんだよ」
「たいした怪我じゃなかったし、別にボクは緋勇クンが悪いだなんて思ってないよ。
それに、いざとなったら葵が治してくれるしね。ね、葵」
「え、ええ、そうね」
この件に限っては、葵は龍麻と意見を同じくする。
得体のしれない『力』などあまり使いたくはないのだ。
だが、表立って龍麻に賛成するのも気が進まず、控えめに小蒔の肩を持つに留めた。
小蒔に渋面を作る龍麻に、京一が笑いかける。
「へへッ、もう諦めろよ。こんな可愛い雛乃ちゃんが一緒に戦ってくれるっていうんだ、
小難しいこと考えずに来てもらえばいいじゃねェか」
ついに醍醐以外全員に賛成されてしまい、龍麻は折れた。
「俺達が相手にしてるのは、得体のしれない化け物だぞ……本当にいいのか?」
「おうッ、望むところだぜッ」
威勢が復活した雪乃に軽いため息をついた龍麻は、同時に上体を起こして雛乃を見る。
「殺そうとしてくる相手に情けなんてかけてたらこっちがやられる。
情けをかけたいのなら、まず勝つ――それも、相手がそれを受け入れるしかないほど
圧倒的な力の差で。それだけは忘れないでくれ」
「はい」
深く、勁く頷く雛乃に、やはり彼女達は双子なのだと説得を諦めた龍麻は、
雛乃と同じ表情で座っている雪乃に手を差し伸べた。
「足首は大丈夫か。痛いようなら治療する」
「えッ!? あッ……べッ、別になんともねえよ」
顔を赤くした雪乃は龍麻の手を取ることなく、逃げるように妹のところに行ってしまった。
なぜ急に機嫌を損ねたのか、さっぱりわからない龍麻に説明したのは小蒔だった。
「ボク、雪乃が照れるところなんて初めてみたよ」
「ばッ、馬鹿野郎ッ、オレは照れてなんてねェッ」
「照れる? どうしてだ?」
「どうしてって、雪乃たぶん男の人の手を握ったことないんじゃないかな」
龍麻が小蒔から雪乃に視線を戻すと、彼女はいよいよ顔を赤黒く染めて叫んだ。
「うるせェッ! ンなこたァ鬼道衆とかいう奴らをぶった斬るのに関係ねェだろッ!」
発覚した雪乃の意外な弱点に、龍麻達は思わず顔を見合わせ、小さく笑うのだった。
笑いを収めた龍麻達は、改めて集まる。
全員を見渡して龍麻は言った。
「鬼道衆の目的が何か、まだ判らない。だが、化け物を喚びだしてまで
東京を破壊しようとする奴等だ、放っておけるもんじゃない」
「うんッ、これ以上犠牲者を出さないために、ボク達の『力』で止められるんなら絶対止めなきゃねッ」
「人を不幸にしない為の『力』……か」
小蒔に続いて醍醐が重々しく頷く。
この男もまた、望まぬ形で与えられた『力』について、その意味を求め悩んでいたのだ。
さらに京一が軽く口の端を曲げる。
「俺もこの東京が薄汚ねェ連中に土足で踏み荒らされるのは気に食わねェ。
しかも暴れた後のメシ代は緋勇が持ってくれるってんだ、派手に暴れてやるぜ」
「本当かよッ!?」
雪乃が訊いたのは京一ではなく龍麻だ。
「ああ、メシで釣る訳じゃないが、メシ代は俺が全部出してる」
「そりゃ良いこと聞いたぜ。鬼道衆とかいう野郎共、ガンガンぶった斬ってやる」
手を打ち鳴らす雪乃の制服の袖を恥ずかしげに引っ張ったのは、彼女の双子の妹だった。
「姉様」
「なんだよ、別にいいだろ」
食事のために戦うというのはあまりにはしたないと雛乃には思えたらしく、
健康的な肌の雪乃に較べると、むしろ彼女の姉の名前にこそふさわしい、
白雪に近い肌を先程の雪乃に劣らぬくらい染めてうつむいてしまう。
京一の図々しさにすっかり慣れている龍麻などには、それが随分初々しく見えるのだった。
途中からはすっかり予想もつかない展開となったが、
織部神社に来たことは龍麻達にとって大いなる収穫だった。
その後もしばらく話しこんだ龍麻達が気づけば外は暗く、完全に夜になっていた。
「もうこんな時間か。今日はありがとう、二人共」
「いえ、こちらこそ長くお引き止めしてしまって」
そこまで見送ってくれるという雪乃と雛乃と共に、織部神社を辞去する。
道場の外に出ると、まず京一が大きく伸びをした。
「まったく、難しい話の連続で俺はもうクタクタだ」
「俺は結構興味深かったがな。な、緋勇」
京一との差を見せつけようとするかのような醍醐に笑って龍麻が頷くと、
面白くなさそうにそっぽを向いた京一は、その先にひっそりとたたずむ小さな建物を見つける。
「そんなもんかねェ。──ん? 雛乃ちゃん、あの建物は」
「あそこには、曾御爺様が乃木様より御預かりした、大切な物が安置してあります」
乃木、という珍しい苗字に反応したのは醍醐だった。
「乃木って──乃木大将のことか」
「醍醐様は御存知ですか」
「いや、俺もじいさんから名前を聞かされたことがあるくらいだが」
乃木 稀典。
幕末から明治初期にかけての軍人であり、日露戦争では大将として陸軍を指揮した。
奥津城は青山霊園だが、彼を奉った乃木神社が日本の何ヶ所かにある、当時の日本人に慕われた人物だ。
江戸からあるという織部神社だから、乃木大将の名が出てもおかしくはないが、
やはり歴史を感じずにいられない。
「乃木様は、曾御爺様と懇意にされていたらしく、
露西亜に遠征される前に曾御爺様を訪ねられたそうです。
その時に乃木様は、こんな事を話していらっしゃったと言います。
『もうすぐ『塔』が完成する。その塔が地上に姿を見せた時、我が帝の国は変わるであろう』と」
「『塔』?」
日本史の授業でそんな塔なんて出てきただろうかと龍麻は首を捻ったが、
これは教科書に載るような類の話ではないようだった。
「はい。乃木様と、同じく当時海軍大将の東郷様が中心となって、
何かの研究を極秘裏に進めていらっしゃったと聞いております。
御預かり物というのも、それに関係する物だと。
乃木様と東郷様がお持ちになっていたそれぞれの品は、ひとつは護国の象徴である新宿靖国神社に。
そしてもうひとつが、この織部神社に預けられたのです」
雛乃は結局その大切な物が何か、とは教えてくれなかった。
部外者には教えられないのかもしれないし、雛乃自身も知らないのかもしれない。
いずれにしても、あまり深く訊ねるべきではないと思われた。
龍麻が再び歩き始めると、京一が同意を求めてくる。
「けど、乃木だ東郷だって言われても、誰だかわかんねェよな」
「京一ィ……キミ、一応日本史勉強してんだろ」
呆れかえって小蒔が尋ねても、京一は動じなかった。
「もちろんだ。俺の日本史は、俺が産まれた時から始まってるからな」
「……帰ろう、みんな」
これ以上身内の恥を晒さない為に、雪乃と雛乃に再会を約束して
龍麻達は織部神社を後にしたのだった。
電車の扉に龍麻は背を預ける。
まずまず混んでいる車内では、ついたため息など雑音に紛れてしまうはずだったのに、
どう聞きつけたものか、京一が目を合わせてきた。
「雛乃ちゃん達が仲間になるのが、まだ不満なのかよ」
京一の問いに龍麻は小声で、しかし声を荒げて答えた。
「どいつもこいつもどうして首を突っこみたがるんだ? 死ぬかもしれないってのに。
おまけに共存を目指すなんて腑抜けた考えじゃ、鬼道衆には立ち向かえねえだろう」
「そりゃ、お前が悪い」
目を細める龍麻に、京一は当然とばかりに告げた。
「お前、あの勝負で『負けたら仲間にはしねェ』なんて言わなかっただろ?
それに足元掬うなんて一番怪我しねェやり方、しかもご丁寧に受けとめやがって、
尻もちぐらいつかせてやりゃ良かったのによ」
「……! それは……でも、解るだろう普通!?」
「ンなこたァ俺じゃなくてあのオトコ女に言えよ。ま、お前はそういうところがヌけてるからな」
実力差を――少なくとも、すでに鬼道衆との戦いを経験している人間との実力差を見せつけることで、
雪乃の意思を挫くという龍麻の目論見は、負けて怯えず、
従うを良しとしない彼女の苛烈ともいえる気質と、
京一の指摘したとおりの龍麻のミスによって脆くも崩れ去ったのだった。
雪乃の強情に腹を立てていた龍麻は、自分にも非があると気づかされて空しく口を開閉させる。
そんな龍麻を、京一は遠慮なく笑い飛ばした。
「ま、諦めるんだな。お前はどうも怪しい奴等を引き寄せるみてェだからな。
せいぜい面倒を見てやるこった」
自分を棚に上げて龍麻の下に集う仲間達をこき下ろした京一は、
消沈する龍麻を遠慮なく笑い飛ばすのだった。
新宿駅に到着した龍麻達は、改札口を出て人気のないところに移動する。
会話ができるようになった途端、小蒔が興味津々で訊ねた。
「ね、京一と電車の中で何話してたの? なんか楽しそうだったけど」
まだ自失から回復していない龍麻に代わって答えたのは京一だった。
「お前の祝勝会をどこでやろうかって相談してたんだよ」
「わッ、ホント!? あ、でも、今日はダメだなあ、試合の結果を家のみんなに報告しなきゃ」
「主役が来れないんじゃしょうがないな。祝勝会は別の日にしよう」
自失から回復した龍麻が言うと、京一が肩をすくめた。
「ちッ、しょうがねェな。今日は普通にラーメン食って帰るとすっか」
「エヘヘッ、ごめんね。それじゃね、みんなッ」
「私も今日は帰るわ。もう遅いし、家で夕飯を用意していると思うから」
すかさず小蒔に倣った葵に、京一も龍麻も疑問を抱かなかったようだ。
「なんだよ、つき合い悪ィな。しょうがねぇ、醍醐はつき合えよ」
苦笑しつつも頷いた醍醐は、続けて口を開いた。
「それより明日なんだが、皆に会わせたい人がいるんだ。
俺の師匠みたいな人でな、爺さんだが、いろいろ世情に詳しい。
西新宿の外れに一人で暮らしているんだ」
「へぇ……そんな人いるんだ」
小蒔が言うと、醍醐はどこか恥ずかしそうに続ける。
「俺が杉並から越してきたばかりで、まだどうしようもない頃に世話になった人でな。
易をやっているんだ」
「占い師かよ。お前ヘンなの師匠にしてんだな」
興味の無いものには全く容赦のない京一の態度に、醍醐の口調が荒くなる。
「龍山先生はただの占い師じゃないぞ。
易の世界では結構有名人らしいしな。実は前から一度、皆で行こうと思っていたんだ。
龍山先生ならきっと、俺達の力になってくれるはずだ。
ただ、何回か手紙を出しているんだが、返事が無くてな」
「もう死んでんじゃねェのか」
「失礼なことを言うなッ! ……まぁ、京一の言うようなことにはなっとらんと思うが、
その辺りも兼ねて、な」
小蒔は小首を傾げたが、長い間ではなかった。
「ふーん……ボクはいいよ。葵は?」
「え、ええ、私も明日は大丈夫よ」
小蒔が行くと言ってしまった以上、彼女を一人にはできない葵は当然そう答えるしかなかった。
「よし、決まりだな。それじゃ、二人とも気をつけてな」
「うん、じゃーね」
「さようなら、みんな」
明日の再開を約した五人は、男達は夜の街に、女達は家へと足を向けるのだった。
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