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 鬼道五人衆の中でも炎角の戦闘力は群を抜いていたが、
その炎角でさえも覚醒した醍醐の敵ではなかった。
人の理性に、聖獣たる白虎の力を宿した醍醐の前では、
いかなる攻撃もかわされ、あるいは弾かれてしまったのだ。
すべの無くなった炎角のくびに、重い一撃がめりこむ。
「そんな馬鹿な……人間如きが俺様を……」
 無念の怨を残し、炎角は消えた。
倒れ伏した身体が輝き、一個の珠となる。
醍醐がその珠を拾いあげると、闘いを見守っていた龍山と小蒔が寄ってきた。
「全く、未熟者めが」
「仰る通りです、先生。いろいろご迷惑をおかけしてしまって」
「馬鹿もん、謝っとる暇があったらさっさと行かんか」
「そッ、そうだ、緋勇クン達が岩角達と闘ってるんだ。行こう、醍醐クン」
 龍山に言われてやっと小蒔は思いだす。
緊張の連続で無理からぬことであったし、すぐに龍麻達を助けに行くことに気を取られてしまったから、
何故龍山が先に・・事情を知っていたかに気づく余裕はなかった。
 慌しく走っていく二人を見送った龍山の前に、一つの影が降り立つ。
「如月君──と言ったな。雄矢の──彼らのこと、よろしく頼みますぞ」
「いえ──僕の方こそ、今後は彼らに助けて貰うことになるかもしれません。
……では、御免ッ」
 音も無く消えた如月が立っていた場所から視線を転じた龍山は、
今度はそこからいつまでも動かそうとはしなかった。

 時間を稼ぐことを主眼として送りこまれた岩角の手下共は、
龍麻達に体力を浪費させるべく素早い動きで二人を翻弄する。
そして隙あらば二人を、そして葵を狙おうとする彼らと闘っているうち、
半分ほどは倒したものの、いつしか二人は肩で息をするまでに追いこまれていた。
「畜生……大丈夫か、緋勇」
「なんとかな。お前はどうなんだよ」
 答える龍麻の手足は鉛のように重い。
葵の『力』は疲労をも癒してくれるが、彼女の氣とて無限ではなく、
やがて彼女自身に疲労の色が見え始めたのに気づいた時、これ以上頼る訳にはいかなくなっていた。
「馬鹿野郎、俺は平気に決まってンだろうがッ。
……けどよ、醍醐あいつをブン殴る分も取っとかねェといけねェからよ」
 京一は虚勢を張りつつ木刀を握り直す。
既に指先に力はほとんど無かった。
大きく息を吐き、体内に残ったわずかな氣を練り上げて束ねる。
しかし、木刀の刃の部分に集まったのは、思わず笑ってしまうほどわずかな氣だった。
弱々しい輝きしか放たない得物の先端から、その延長線上にいる岩角へと視線を移す。
腕を組んで闘いを指揮していた岩角は、中々倒れない二人に感心したように言った。
「おめだぢ、ながながやるな。水角と風角をだおじだだけのごどはある。
だども、息が上がってっぞ」
 岩角の指摘に、龍麻は答えなかった。
その手間すら、呼吸に回したかったのだ。
しかし通常の身体の酷使に加え、氣をも用いて闘う分消耗は激しく、
いくら酸素を取り込んでも呼吸は全く回復しない。
恐らくもう一合、保っても二合。
それまでに小蒔が醍醐を連れてこなければ、この闘いは敗北を免れないだろう。
 同じことを考えていたのか、京一が独り言のように呟いた。
「もうすぐだ……もうすぐ醍醐が戻って来る。そうすりゃ」
 京一は自分が喋ってしまっているとも気づいていないらしい。
希望を――弱気を口にするなど、武道家として許されざることだ。
恐怖が龍麻の足首を浸したが、それを振り払う力は、もうなかった。
 事実、既に京一を動かしているのは友への想いだけであったが、その気力も今、
鬼道衆の手によって刈り取られようとしていた。
「おで、だだがう。おめだぢを斃じで九角様に褒めでもらう」
 岩角の指示の元、いよいよ包囲を狭めてくる鬼道衆に、
龍麻は場違いなほど明るい声で言った。
「京一」
「なんだ」
「俺より先にやられたら覚悟しておけよ。醍醐に言いふらしてやるからよ」
「ヘッ、上等じゃねェか。てめェこそ先にくたばって楽しようだなんて考えてんじゃねェぞ」
 京一は言葉を切り、龍麻の首をぐいと手繰り寄せる。
「あのデカブツは俺が殺る。美里を護れ」
 だが、龍麻を置き去りにしようとした京一は、より強い力で引っ張られてバランスを崩してしまった。
「何しやがるッ!」
 叫ぶ京一を二歩離したところで龍麻は息を吸い、氣を練る。
身体に残ったわずかな氣を集め、岩角の前で立ち止まって最後の氣も練りあげると、
篭手を打ちあわせ、溜めた氣を一気に解放した。
 龍麻の身体が金色に輝く。
目を開けてはいられないまばゆい光は、だが、闇を払うには至らない。
異界の生物である盲目者をも切り裂いた聖光は、群がってきた鬼道衆を数人は吹き飛ばしたものの、
岩角を含めて四人が生き残った。
力を使い果たした龍麻は、殺到する敵を他人事のように待ち受けた。
濃緑の忍者装束が金色の輝きを覆う。
「緋勇ッ!」
 消失する輝きを追いかけるように叫ぶ京一も足が動かない。
すでに京一も戦える状態ではなく、立っているのがやっとだったのだ。
 下忍が手にする苦無と刀が、龍麻の身体を貫く。
三ヶ所から同時に鮮血が吹きだし、龍麻は地に膝をついた。
刀を手にした下忍を一人、さらに倒したが、それで打ち止めとなる。
それでもなお戦おうとする龍麻に、岩角が近づいてきた。
「これでめにしてやる」
 岩角は固めた両拳をゆっくりと振りかぶった。
氣は宿っていなくても、大ぶりの玄翁にも匹敵する巨大な拳は、
ただその力のみで龍麻の頭を簡単に破砕するだろう。
「くそッ、お前は逃げろッ!!」
 葵に言い捨てて加勢しようとした京一は、一歩踏みだしてよろけてしまう。
木刀を杖代わりにしてさらに一歩を踏みだしたが、龍麻までの数メートルが絶望的な遠さだった。
 二人が、死ぬ。
知人――少なくとも、同じクラスの人間二人が、血まみれとなって殺されるという
非現実的な光景は、葵から思考能力を奪っていた。
今にも直視できない凄惨な光景が現出するというのに、京一の逃げろという命令も、
まばたきすらも忘れて、絶望に足をすくませていた。
 十メートル先も見えないような暗がりの中で、岩角の振りおろす拳がはっきりと見える。
 だが、それは幻覚だったに違いないとしても、その拳が龍麻の頭を砕く瞬間は、訪れなかった。
いでえっ……?」
 鋭い音と共に飛来した矢が、岩角の腕を貫く。
腕を突き抜けて飛び出た矢じりを、不思議そうに見つめた岩角は、
突然自分に向かって吹き飛んできた自分の部下と、まともにぶつかった。
 思わぬ方向から攻撃を受けた下忍の一人が振り向こうとすると、
そのいとまも与えられず大きな塊に吹き飛ばされる。
更にその塊は、圧倒的なはやさで別の下忍に膝蹴りを叩きこみ悶絶させた。
 前方に現れた白い輝きをまとう男と、後方から赤い氣を宿した矢を放った少女の正体を
確かめた葵は、満身創痍の龍麻と京一に、そして半ば自分に告げた。
「小蒔……それに……醍醐くん……」
 葵の声が、京一に力を与える。
京一だけでない、遠くに倒れ、聞こえるはずのない龍麻までもが葵の告げた事実に呼応し、
崩れ落ちかけていた身体を起こした。
無論体力が回復した訳ではなく、どうにか立ちあがるだけの気力を取り戻したにすぎない。
しかし京一は、木刀を支えにしながらも、大地を踏みしめて還ってきた友を出迎えた。
「醍醐……てめェ、遅いんだよ……」
 友への悪態が、京一に活力を与えていた。
あれほど重かった身体が、嘘のように軽くなっていく。
木刀を握る腕に、力が戻っていく。
大きくその場で一呼吸だけ整えた京一は、再び岩角に挑みかかっていった。
 醍醐の奮闘もあり、龍麻と葵を取り囲んでいた敵は瞬く間に全滅の憂き目に遭っていた。
仲間が──友の存在が、龍麻達の『力』を、足すのではなく掛けていたのだ。
 下忍を片づけた二人は、素早く視線を交わすと、一人奮闘している京一の許へと走った。
残された葵の許に、遠間から弓を放っていた小蒔が駆け寄ってくる。
「葵ッ! 大丈夫?」
「ええ、私は大丈夫よ。小蒔こそ、なんともなかった?」
「うん、鬼道衆の炎角ってヤツが襲ってきたけどね、醍醐クンが護ってくれたんだ」
 嬉しそうに言う小蒔に、葵も笑って頷く。
自分の気力はほとんど限界まで使い果たしてしまったが、小蒔の笑顔でいくらかは癒される葵だった。
 その彼女の背後で、とどめを刺しきられていなかった下忍の一人が、微かに上体を起こす。
彼はもう助からないと自分で解っていたが、鬼道衆として、最後の忠誠心で苦無を投じようとしていた。
龍麻達は岩角と闘っていて、葵と小蒔も気づいてはいない。
下忍は最も手近にいた葵の、無防備の背中に向けて狙いを定め、致命傷となる一撃を与えようとした。
 しかし、彼の手から得物が投げられることはなかった。
どこからか音も無く飛来した、正に今彼が放とうとしたものと同じ形をした武器が、
下忍の絶命の急所となる一点に正確に刺さったのだ。
悲鳴すら上げることも叶わず、下忍は息絶える。
葵の窮地を救った如月は、離れた木の上から龍麻達の闘いを見守っていたが、
闘いの場を見渡し、趨勢を見定めると静かに姿を消した。
 如月の見立ては正確だった。
四神の宿星に目醒めた醍醐と、友の帰還により力を取り戻した京一によって、
岩角との闘いは一気に決着がついたのだ。
 京一が岩角の肩口から反対側の腰まで、一気に木刀を振り下ろす。
氣の刃で袈裟斬られてよろめく岩角に、醍醐の全体重を乗せた拳が打ち下ろされた。
「投げろッ、醍醐ッ!」
 京一の指示をあらかじめ予期していたかのように、間髪入れず岩角の巨体を担ぎ上げた醍醐は、
膝を落として弾みをつけると、一気に岩角を宙に放り投げた。
「行くぜェッ!」
 木刀を下段に構えた京一が、落下する岩角を斬り上げると同時に、
撓めた氣を一気に解き放つと、木刀から噴き上げた氣の刃が岩角を両断した。
「ぐ……おぅ……」
 真剣に勝る鋭い斬撃を受けた岩角の肉体が、落ちる。
だが巨体が地響きを立てることはなく、二つに分かれた肉片は、
地面に着く前に黒い霧となって消え、後には、水角や風角と同じように、黒色の珠が後に残された。
「俺達にケンカ売ろうなんざ、百億年早ェんだよ」
 摩尼を拾いあげた京一は、そううそぶいてみせる。
そこに、醍醐が近づいてきた。
「いろいろ迷惑かけて、すまなかった」
 巨体を縮める醍醐を無言で睨んだ京一は、小蒔に摩尼を放ると、空いた手でにわかに友を殴り飛ばした。
「京一ッ!!」
 小蒔が叫ぶ。
葵が息を呑む。
早くも赤くなり始めている頬もそのままに、醍醐は加害者を見た。
「今更どの面下げて戻ってきやがった」
 京一の顔には、やり遂げた男の表情が浮かんでいた。
「いきなり姿くらませたと思えば、いきなり現れやがって、勝手なコトばっかしてんじゃねェぞ」
 さらに京一は倒れている龍麻の頭も殴る。
「てめェもだッ!! また一人で突っこみやがって、挙げ句やられてりゃ世話ねェぜ」
 毒づく京一に龍麻の応答はない。
「ちょ、ちょっと、緋勇クン息してないよ」
事態の深刻さに気づいたのは小蒔で、龍麻が虫の息であることに気づくと、
慌てて葵に治療を頼んだ。
 葵が『力』で龍麻を治す間、小蒔は京一を非難する。
「緋勇クンが死んじゃったらどうすんのさ」
「けッ、何回言っても聞かねェ奴なんざ、三途の川でも見てくりゃいいんだ」
「そんなコト言って、最後に殴ったの京一だから、捕まるんなら京一だよね」
「ぐッ……」
 京一がぐうの音も出せなくなっている間に治療は無事済んだようで、
龍麻は息を吹き返し、身体を起こした。
「痛てて……なんで頭が痛いんだ……?」
 しきりに頭をさする龍麻を見て、小蒔が京一の脇を肘でつつく。
何食わぬ顔で龍麻に手を差し伸べた京一は、殊勝にも制服の汚れを払ってやった。
「あと一歩ってところだったが、悪いな、賭けは俺の勝ちだ」
「……そうみたいだな」
 素直に頷いた龍麻の肩に馴れ馴れしく腕を回し、新宿に向かって指をさす。
「よっしゃッ、こんなシケたところからはとっととおサラバしてラーメン食いに行こうぜ」
「しょうがねえな」
 しかし、京一の威勢はそこまでだった。
龍麻が彼の腕を肩から振りほどくと、京一はそのまま地面に倒れてしまったのだ。
龍麻の次は京一かと動揺した小蒔達だったが、程なく寝息が聞こえてきて、
どうやら、疲労の為に気を失ってしまっただけのようだった。
「ッたく、殴るだけ殴って寝るなんて……何考えてんだろ、このアホは」
 小蒔が呆れたように言うと、苦笑いで応じた醍醐は、静かに京一を背負う。
「まぁ、これくらいは覚悟していたからな。皆にも謝るよ。すまなかった」
「エヘヘッ……おかえり、醍醐クン」
 小蒔と共に龍麻と葵も、それぞれの笑顔で還ってきた仲間を迎えた。
赤面した巨漢は、背中ですっかり気持ち良さそうに寝ている京一を背負いなおす。
「こいつは俺が家に送るよ。それが心配かけた、せめてもの償いだ」
「でも、京一が途中で起きちゃったら怒るかもね。『なんで男に背負われなきゃならねェんだッ!』って」
「『俺のラーメンはどこ行ったッ!』かもな」
 京一を真似る小蒔と龍麻に、ようやく日常が戻ってきたように思われ、醍醐は笑った。
 
 醍醐と小蒔が前を歩き、龍麻と葵は後ろで並んで歩いている。
四人とも口数は少なく、聞こえるのは竹林のさざめきだけだ。
不気味ではあったが、小声で話してもよく聞こえてしまう今の状況は、葵にとって好都合だった。
龍麻も醍醐や小蒔の前では、下劣な話はしないだろう。
 龍麻は一言も発しない。
傷は治したとはいえども激しい戦いの後であり、疲れているようでもあるから無口なのかもしれない。
それならばよいが、龍麻が話しかけてこないならこないで葵には不安もあった。
 龍麻は昨日の賭けの結果を確信しているのではないか。
彼にするなと命令されたにも関わらず、身体の疼きを抑えきれず自慰してしまったことを、
疑っていないのではないか。
 訊かれた時に嘘を吐く準備と覚悟はしていた――とっさの嘘でさえほぼ使ったことがなかった
葵にとって、あらかじめ嘘を用意するというのは、随分と悪いことをしている気分にさせられた。
それでも、報酬の魅力を考えれば、それだけの価値があると自分を納得させ、
龍麻との受け答えを想定しておいたのだ。
 なのに龍麻は一言もその話題に触れてこない。
予想外の一日であったのは確かだが、葵は怖くなっていた。
嘘を吐くための覚悟を、明日も持続できるかどうか自信がなかった。
もしも龍麻がそこまで考えていて、あえて訊いてこないのだとしたら、
そんな悪魔のような知恵を巡らせる相手に抗するのは、もうほとんど無理なのではないか。
 葵の悲観的な考えを煽りたてるように、竹林は不気味なさざめきをいつまでも奏でていた。



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