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 龍麻とタクシーに乗って戻ってきた葵とマリィは、龍麻の家に入るなり浴室に向かわされた。
龍麻に対する警戒心はあっても、晴れた日にずぶ濡れで、しかも午前中に帰ってくれば、
いくら娘を信じている親でも、疑問を投げかけずにはおかないだろう。
龍麻の提案に乗るしかなかった。
「ついでだからマリィもシャワーを浴びちまいな。洗濯機の使い方は判るだろう?」
「……ええ、行きましょう、マリィ」
 一時間前には想像もつかなかった事態に戸惑っているであろうマリィを促し、葵は浴室に入った。
「一緒ニ入ルノ?」
「ええ。マリィは日本のお風呂に入ったことはある?」
「ウウン、初メテ」
 マリィを引き取るという龍麻の決断に全面的な賛成はできなくても、
この薄幸の少女を不必要に不安がらせることはないと思ったのだ。
「それじゃ、入り方を教えてあげるから、先に服を洗濯機にかけましょう」
 葵が制服を脱いでも、マリィはじっと葵を見ている。
同性のしかも子供だから恥ずかしくはないが、不思議に思って葵は訊ねた。
「どうしたの?」
「アオイ、オッパイ大キイネ」
 思いもよらない言葉に、葵は絶句する。
だが、マリィに邪念は感じられず、自分と違うものを見つけた子供が疑問をそのまま口にしたのと変わらない。
彼女の十六歳だとはとても見えない、貧相な身体を葵は抱きしめた。
「マリィもきっと大きくなるわ。緋勇君が、診てくれるお医者さんを探してくれるって言ったでしょう?」
「……ウン」
 マリィの返事に元気がないので、葵は、日本語がうまく伝わっていないのかと思ったが、そうではなかった。
「デモ、マリィ注射キライ」
 笑いそうになるのをこらえて、葵は再び少女を抱きしめる。
強く抱きかえしてきてマリィが言った。
「ゴメンナサイ、アオイ。時計ヲトッテシマッテ」
「ううん、いいのよ。マリィはちゃんと返してくれたでしょう?」
「ウン」
「あの時計はあげられないけれど、そうだわ、私がマリィに時計を買ってあげる」
「Really!?」
 顔を輝かせるマリィの、くすんだ金色の髪を葵は撫でた。
少女のいじらしさは誘拐された上に危うく実験材料として使われかけて荒んだ心を癒やしてくれる。
シャンプーを手に取り、マリィの髪を洗ってやりながら、
葵はこの異国の少女のために、できる限り力になってやろうと決心したのだった。

 他人の家の風呂など、それも苦手な男の家の風呂など心安らげるものではないはずだが、
マリィは初めての風呂と初めての友人で少し興奮しているのか、ずいぶんとはしゃぎ、
気がつけば葵も一時間近く風呂に入っていた。
乾燥機に入れた制服も乾いていて、葵は人心地つく。
マリィはといえば風呂から出るなりうとうとし始め、
居間にたどり着くのが限界だったらしく、床に崩れ落ちてしまった。
急いで布団を敷いてマリィを寝かせた龍麻と葵は、思わず顔を見合わせて苦笑した。
「布団も買わないといけないか……用意するものを書き出さないとダメだな」
 天井を仰いで嘆く龍麻に、葵は改めて疑問をぶつけた。
「本当にマリィと一緒に暮らすの?」
「そうだな。嫌な言い方になるが、金を持ってなかったら一緒に暮らすなんて言い出せなかっただろうな。
施設に入れて、せいぜい頻繁に会いに行くくらいがやっとだろう」
 龍麻が幾ら持っているのかを葵は知らず、また、葵自身、これまで金銭的に不自由した経験がないため、
少女一人を養うのがどれほど大変なのか想像できないが、
一介の高校生にはほとんど不可能なほどの困難であることは明らかだ。
仮に龍麻が大金を持っていたとしても、邪心もなく今日知り合ったばかりの
他人に惜しげもなく使えるだろうかという懸念は、葵でなくとも抱いて当然だった。
 ためらいつつ葵が懸念を口にすると、龍麻は天井から視線を葵に向けて答えた。
「マリィは『力』のせいで大変な目に遭ってるわけだし、
今持ってる金は『力』を失くすまでに使っちまおうってのも嘘じゃねえ。
この家を溜まり場にするつもりだった京一には悪いけどな」
「……そう」
 龍麻は再三この『力』を消滅させたいと口にしている。
以前葵が聞いた彼の過去からも、それは本心なのだろう。
そこまでは信じて良いように思われた。
「面倒を見るとは言ったものの、俺には姉妹もいねえし、何をどうしたら良いのか、
実のところ全くわからねえ。できる範囲でいいから、助けてやってくれねえか」
 龍麻の提案に葵は頷かなかった。
いくばくかの勇気を溜め、返事がないことを不審がっている龍麻に、
彼の顔を正面から見返して決意を告げた。
「……あの」
「どうした?」
「マリィを、私の家に引き取りたいの」
 龍麻が転校してきてから、おそらく初めてとなる表情を葵は見た。
彼は全てを呑みこむような漆黒の瞳を大きく見開き、呆然としたのだ。
その表情から、彼がマリィを軽い気持ちで引き取ったのではないと知れる。
 龍麻の気分をなるべく害さないよう、言葉を選んで葵は続けた。
「あの子は、幼いうちに両親に棄てられて、親の愛情に飢えているわ。
私の両親はボランティアに理解があるし、きっとマリィを迎えいれてくれると思うの」
 葵の決意を龍麻は一蹴したり嘲笑したりはしなかった。
驚きを収めた彼は、顔の筋肉を一筋も動かさずに考えこみ、むしろ葵を気遣うように答えた。
「そりゃ、その方がマリィにとっても良いだろうが、ご両親は大丈夫なのか?」
「……なんとか頼んでみるわ」
 言外に含まれた意図を汲み取った葵は、頬が紅くなるのを感じた。
マリィを気遣う気持ちは龍麻に負けていないと思うし、
両親にしてもはじめは驚くにしても、すぐに受け入れてくれるだろうという確信がある。
だが、それ以上に龍麻には金銭的な余裕があり、美里家にはないかもしれないのだ。
こればかりは高校生の身分ではどうしようもないと思うが、
同じ歳の龍麻は特殊な才能があるからといえども少女一人を養えるだけの財力があるのだ。
お金のせいでマリィを引き取れなかったら恥ずかしいという若さゆえの、
そして場違いな自尊心が血流となって葵の身体を巡ったのだが、
龍麻はその点を嗤ったりはしなかった。
「それなら、ご両親が引き取っても良いってことになったらマリィに話そう。
それまでは俺の家で預かる。ぬか喜びさせたら可哀想だからな」
「そうね、そうしましょう」
 龍麻が提案を呑んでくれたことを、葵は感謝した。
マリィに関しては、彼と心が通じあえたのだ。
龍麻を失望させないようマリィの面倒を見なければならないし、葵には十分その覚悟があった。
「ああ、それと」
「何かしら」
「マリィは薬で成長を止められてるって言ってたよな。あれもなんとかしてやりたいんだ」
「ええ、それは私もだけれど、でもどうしたらいいかしら」
「前にお前が夢の世界に囚われたことがあっただろう。
あの時に世話になった病院の先生なら、そういった特殊な事情も診てくれると思う」
「そうなの」
 春に、夢に干渉する『力』を持った嵯峨野麗司という少年に葵が狙われた時、
倒れて目覚めなくなった葵を診察してもらったのが桜ヶ丘中央病院だった。
そこの院長である岩山たか子という女性は、葵が倒れた原因を超常的な『力』によるものと見抜き、
原因を取り除くよう龍麻達に指示した上で、それまでの間葵を診てくれていたのだ。
「あの先生ならきっとマリィを治す方法を見つけてくれると思う」
「わかったわ」
 マリィに関する事柄だけに過ぎないが、初めて葵は龍麻と同志めいた連帯感を抱くことができた。
龍麻も同様なのか、ソファに背中を預けて大きく吐きだした息には、
問題が片づきそうだという安堵が込められているようだった。
 上半身を起こした龍麻が、再び口を開く。
「それで、お前の具合はどうなんだ?」
「ええ、特に悪いところはないわ」
「……まさか、朝から狙ってくるとはな。油断していた」
 龍麻はひどく反省しているようで、葵には意外だった。
「明日からは朝も迎えに行こうと思うんだが」
「ううん、そこまでしてもらわなくてもいいわ」
 マリィの件では心を通わせても、それ以外の部分では、葵は龍麻を信用していない。
朝から彼と顔を合わせるなど、よほどの事態でなければ避けたかった。
 ところが、提案を断られた龍麻は渋面を崩さない。
断った葵が不安を覚えるほどで、困惑しつつも自分から話題に触れるのはためらっていると、
龍麻が真っ向から彼女を見た。
暗黒の瞳が葵を不安にさせる。
「今回の件、気になっていることがある。……あのジルとか言う奴、
お前一人を標的としていたかもしれねえんだ」
「そんな……たまたま私だったのではないってこと?」
「現に俺達は襲われていない。アン子に聞いたが、あいつらはお前だって確認して拐ったんだろう?」
「……」
 葵は返事ができなかった。
思いだしたくはないが、確かに今朝、白人の子供は「美里葵だな」と訊ねてきた。
一緒にいたマリアは、訊かれていないはずだ。
「それにもうひとつ。摩尼を回収しようとした時、今際の際に雷角がお前の名前を出して、
『こんな処に居たとはな』って言ったんだ」
「どういうこと……?」
「判らねえ。そのまま雷角は死んで摩尼になっちまったからな。
だが、鬼道衆はお前を探してる可能性がある。心当たりはないか?」
「あるわけないでしょうッ!」
 葵は思わず叫んでいた。
自分でも聞いたことのない金属質の声に、不快感が入れ子のように増幅していく。
二つの不快感をあえて切り分けないまま、葵はさらに言い募った。
「どうして私が狙われなければならないの!?
理屈から言えば、緋勇君こそ狙われるはずじゃないの!?」
 それは龍麻が転校してくる前なら絶対に使わなかった、他人に責を求めるという葵らしからぬ論法だった。
言い終えた直後に染みだしてきた、不快感に含まれる苦味めいた成分に冷静さを取り戻した
葵は悔いる表情をしたが、なじられた龍麻は怒らなかった。
「そうだな、お前の言う通り、俺だけを狙ってくれるんなら話は簡単だったんだけどな」
 『力』を巡る戦いは、龍麻が真神に来たことで始まったのだとしても、
彼は原因ではなく、きっかけに過ぎない。
しかも龍麻は初めのうち、京一や小蒔を巻き込むまいとしていた。
彼らの好奇心に押し切られて以後は諦めたようだが、
なるべく彼らに怪我をさせまいとしている龍麻の努力は、葵も認めざるを得ない。
その彼を詰問するのは、さすがにおとなげない行為だった。
 だからといって、葵が鬼道衆などという常軌を逸した集団に狙われる理由など思い当たるはずもない。
もしそれが事実だとすれば、葵こそが災厄の中心であり、
小蒔や友人達を危険に巻きこんでいるのは龍麻ではなく葵ということになってしまう。
理性と本能の両面から、葵は強硬に否定した。
「誰が狙われているにせよ、護ることに変わりはねえ。
ただ、京一や醍醐を護るのと、桜井やお前を護るのじゃ、心構えが少し変わるってくらいだな」
 龍麻の主張は正しく、葵は反論を諦めた。
龍麻も一度口を閉ざし、微妙な沈黙が流れる。
帰るなら今かもしれない、と未だ気まずさを引きずる葵が切りだそうとすると、龍麻が先に口を開いた。
「ところで」
 絶妙に機先を制された葵はつい耳を傾けてしまう。
「賭けの話はどうなったんだ? オナニーせずに我慢できたのか?」
「……!」
 瞬間、視野が暗転するほどの怒りに葵は囚われた。
今日あったばかりの異国の少女に対する善意と同じ口から吐き出されたとは思えないほどの下劣な
言葉の泥は、臭気さえ放つかのようだった。
手元に飲み物がなかったのは幸いで、もしあったなら、葵は彼の顔にかけてしまっていたかもしれない。
「ええ、しなかったわ」
 背筋を伸ばし、用意してあった嘘を葵はついた。
嘘をつくことに慣れていない葵は、その時が来ても上手くつけるかどうか不安だったが、
龍麻の見せた二面性があまりに強烈だったので、怒りが羞恥を包みこんでためらいなく言い放つことができた。
「……」
 葵の語勢に龍麻は殴られたような表情をしている。
このまま押し切れるかもしれない、と葵が思ったとき、龍麻が口を開いた。
「つまり、俺の『力』には他人を操る能力があったってことか……」
 どう答えようもない葵が黙っていると、龍麻が立ちあがる。
武道を修めている者特有の、気配を感じさせない体の移動に、葵の反応は一瞬遅れた。
 その一瞬に加えて、危険を察して逃げようとするまでの二瞬。
時計の針が音を立てる暇さえない間に、葵は龍麻に手首を掴まれていた。
「い、嫌っ……何をするの……!?」
 彼の掌から感じる確かな熱に怯える葵に、龍麻が低い声で告げる。
「今ここで服を脱いでみせろ」
「……! そ、そんなこと……できるわけないわ」
「それなら、俺の命令に強制力なんてないってことを認めるんだな?」
「……っ! 騙したのね……!」
 葵は悔しくてたまらなかった。
龍麻は最初から引き下がるつもりなどなかったのだ。
劣情に負けて自慰をしたなどと葵が答えられるはずがないことを見抜き、
二段構えの卑劣な策略で葵を陥れたのだ。
「嘘をついたのはそっちだろう。俺は自分の『力』に他人を操る能力なんてないことを知ってただけだ」
 嘘をついたという指摘に葵は黙らされてしまう。
掴まれた手を振りほどくことも忘れ、彼の視線から逃れるので精一杯だった。
「それに言っただろう。俺は『力』を悪用するつもりなんてねえってな」
「……」
 嘘をつき、暴かれたという恥ずかしさと、手首から広がる熱が混ざり、
何も考えられなくなった葵は、ソファに背中を押しつけられてしまう。
そのまま右手を持ち上げられ、ソファの座面に固定されて、ようやく龍麻の顔を見た。
欲望に取り憑かれても、冷めきってもいない、不思議な表情。
黒い瞳は葵を塗りつぶそうとも曇ってもなく、ただ葵を吸いこもうと鈍く光っている。
その引力に抗うには、もう近すぎた。
「止め……て……」
「お前には、まだ左手が残ってる。本当に嫌なら、突き飛ばすなり平手打ちするなりすればいい」
 龍麻の右手が葵の左頬に触れる。
暴力が嫌なら、この手を払いのけるだけでいい。
龍麻は暗黙のうちにそう言っているのだ。
 だが、左手に力が入らない。
彼の言う通り、意志に従って左手を動かして彼を拒絶すれば良いのに、
左手は麻痺したように動かなかった。
 いや、左手だけではない。
感覚があるのは掴まれている右の手首だけで、
両足は彼を蹴飛ばそうとせず、身体も彼から逃れようとしない。
五感が集う頭さえ彼の視線に囚われたまま、まばたきさえできなくなってしまっていた。
「わた……し……」
 自分は何を言おうとしているのか?
恨み言か? 最後の抵抗か? それとも?
葵自身にさえ興味があった言葉の続きは、永遠に聞こえない。
代わりに葵にもたらされたのは、静寂と手首以上に熱い、唇の熱だった。
 熱が溶ける。
頭上にある手首から、溶けた熱が身体に落ちてくる。
それは最初から奔流であり、終えるところを知らない新たな流れだった。
葵が経験したことのないそれは、唇から流れこむ支流とひとつになって葵を押し流す。
すでに足の指先まで、どこにあるかわからないくらい感覚を喪失していた。
 葵が自己を認識するのは、龍麻によってだ。
手首と唇、そしてもう一箇所、龍麻の右手がまさぐる場所。
左頬から耳朶、首筋、肩。
そこから胸を経て腹へと至り、制服の内側に入りこんで再び乳房へ。
あらかじめ定められていたかのように淀みなく過ぎる彼の手によって、
葵は自分の肉体の形を嫌でも認識させられていた。
肌の上を滑る指先は、葵を恍惚とさせる。
自分で触れるのとはまるで違う、気が遠のくような快さに、たちまち溺れていく。
もう、龍麻のことを好きか嫌いかはどうでも良くなっていた。
 唇が離れていく。
遠ざかる気配に葵が目を開けると、龍麻の顔がそこにあった。
彼の黒い瞳を見て、葵は小さく呻いた。
 この暗黒から逃れることはできない。
光も熱もないはずの闇に、温かさを感じてしまったから。
即物的な、偽りの温かさであっても、葵はそれを求めている。
そのことに、葵は気づいてしまった。
 龍麻の親指が、胸の頂を撫で回す。
葵が抵抗しないことを確信した、微細な動きだ。
やがて頂は硬さを増し、それにつれて指の動きもより複雑になる。
いいように乳首を弄ばれながら、葵は龍麻の瞳から眼を逸らすことができなかった。
 果てのない暗黒は、葵を嘲りはしない。
快楽に負けて嫌っている男に身体を許そうとしている惨めな女だと嗤ったりせず、
どうすれば葵が感じるのか、ただ観察しているように見える。
 手首、頭、そして胸で響く血流の音が、葵の思考を奪っていた。
押しのけ、逃げなければならないという意思が、鳴動にかき消されて不確かなものになり、
肉体の悦びだけが確かになっていく。
 乳房を包んでいる掌が、腹部へと降りていく。
臍を撫で、横腹を滑り、そして太腿を辿る手は、岩肌から滲みでる水のように緩慢な動きで、
いつでも逃れてよいと暗黙のうちに告げていた。
 それでも、葵は動かない。
龍麻に嬲られている葵の全身の筋肉を硬化させていたのは、恐怖ではなかった。
 スカートを辿って一度膝の近くまで降りた手が、スカートの内側へと潜る。
太腿全体を微弱に、そして丁寧になぞっていく。
葵が本当は何を欲しているか、その答えを引きだそうとするかのように、
細胞のひとつひとつに問いただしていくかのように、龍麻の手は動く。
 考えがまとまらない。
彼の掌と五本の指に、脳を直接触られているかのような感覚に葵は囚われていた。
 右の手首と左の太腿を、快感が繋ぐ。
以前嵯峨野麗司によって夢の世界に囚われ、彼の精神が生みだした鎖に拘束されたこともある葵だが、
その時とはまるで異なる感覚だった。
恐怖はなく、代わりにあるのは熱。
身体を斜めに貫いた快感の帯は、葵の唇を自然と開かせる。
押し殺した、それでもわずかに呼気の混じった吐息は、
葵のまとまらない思考に一つの方向を与えつつあった。
 龍麻の手が、下着に触れる。
女の一番大切な場所に手をかけられても、葵は抵抗できなかった。
「本当は、もうとっくに気づいていたんじゃないのか」
 囁きが下腹を振動させる。
そのさらに下からは、甘美な愛撫が伝わってくる。
自慰とは比較にならない、魂をねぶられるような恍惚に、葵は打ち震えるばかりだ。
「自分がどうしたいのか。どうされたいのか」
 淫裂を単調に往復するだけの動きは、返事を待っているのだと葵に気づかせる。
葵が一声発すれば、龍麻はたちまち求める以上のものを与えてくれるに違いない。
その誘惑はもはや抗いようもない、肌が粟立つほどの期待を葵にもたらしたが、
同時に、一度屈すれば二度と元には戻れないという、彼の瞳の如き暗黒に対する恐怖も同等に芽生えさせていた。
「私……まだ、わからないの」
 快楽に喘ぐ唇を無理に動かす。
「緋勇君の言う通り……なのかもしれない。
他の男の人とは違うものを、確かに緋勇君には感じているわ。
でも、まだ違うって、そうじゃないかもしれないって、心のどこかで思っているの」
 ここで踏みとどまらなければ、果てのない暗黒に堕ちるだけだと本能が察知したのか、
恐怖に抗うために、ほとんど出まかせを葵は口にした。
それが嘘であることは、何よりも身体が白状している。
龍麻の愛撫に紅潮し、すっかり彼を受け入れている肉体は、
ともすれば自分から擦りつけてしまいたくなるほどだ。
される側の自分がこれだけ焦れているのだから、する側の龍麻はもう我慢できないかもしれない――
まとまりもなくそんな風に考えていた葵だから、
龍麻が手首を離し、身体を起こした時、葵は驚かずにいられなかった。
「答えは出たように思えるけどな。今日はお前も大変だったし、少し休んだ方がいいかもしれねえな」
 執着もなく解放した龍麻に葵は理不尽な苛立ちを覚えた。
口を開きかけ、慌てて閉じる。
龍麻の魔手から逃れたといっても、身体の火照りはしばらく収まる気配もなく、
苦労して身体を起こし、乱れた服装を整えた。
立ちあがった際に足が擦れ、思わず反応してしまったが、幸運にも龍麻は気づかなかったようだった。
「送っていくから支度をしろ。マリィも連れて行くから、説明してくる」
「一人で帰れるわ、緋勇君はマリィと一緒に居てあげて」
「駄目だ」
 裁断機のように龍麻の返答はにべもなく、その口調の強さが、
鬼道衆に狙われているのは葵なのだと彼女に思い起こさせた。
他の仲間達を危険に巻き込んでいるのは、龍麻ではなく葵なのだ。
その事実は龍麻に屈しかけたことよりも葵を打ちのめした。
一体、自分はどうすれば良いのか――
容易に答えの出ない難問に葛藤する葵の足取りは、奈落に向かうかのようにどこまでも重さを増していくのだった。



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