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龍麻の制服を胸に抱えたまま、小蒔が服を探してくれるのを葵は待っていた。
見るともなく見た部屋の中は、得体のしれない機械で埋め尽くされていて、
龍麻達が来るのがもう少し遅れていたら、どのような実験が行われようとしていたのか、
想像するのもおぞましい。
床に残る、自分が浸けられていたという緑色の液体、強い嫌悪を抱いて葵は頭を振った。
「あったよ、葵ッ! ……どうしたの、頭痛いの?」
「ううん、大丈夫よ、ありがとう」
部屋の隅に無造作に置かれていたという、制服と下着を葵は手にした。
「タオルは……ないのよね」
「あッ、うん、ごめんね、見当たらなかった」
濡れた身体を拭いてから服を着たかったが、仕方なく、葵はそのまま着替えた。
衣服が肌に貼りつく不快感を押し殺して、小蒔に話しかける。
「今何時頃か判る?」
「うーんと、十時半ごろかな? 十二時にはまだなってないはずだよ」
「そんなに早く来てくれたのね」
「当たり前じゃない! 場所を突き止めるのに手間取っちゃったけど、
って言っても探し当てたのは緋勇クンなんだけどね」
複雑な想いが葵の胸裏をかすめる。
助けたからといって、龍麻は恩に着せたり、あるいは言うことを聞かせる材料にしたりはしないだろう。
彼はそんなことはしない――するのなら、有無を言わさず実力行使に及ぶだろうから。
本当は話題にも出したくない龍麻について、葵はもう一つ小蒔に訊ねた。
「緋勇君だけ濡れていたけれど」
「うん、葵はこの部屋で液体の入った容器に入れられてたんだよ。
どうやって助けようかって考えようとしたら、
緋勇クンがいきなり『力』を使って割っちゃったんだ。
葵がケガしないように割り方は考えたみたいだし、一応、
葵にかけてあげられるように上着は先に脱いだけど、ちょっと乱暴だよね」
小蒔の口調が非難がましいのは、親友が怪我をしたかもしれない危険性を慮ってのことだろう。
「そうね……でも、私は本当に何ともないから」
「それならいいんだけど」
引き下がる小蒔に、葵は不意に不合理な感覚に囚われた。
よりによって龍麻を弁護してしまったのだ。
苦い薬を飲んだような葵の顔を、小蒔は不思議そうに眺めている。
訊かれるとよりややこしいことになるのは明白なので、葵は自分から話題を変えた。
「私達も行きましょう」
「え、大丈夫なの? もう少し休んでたほうが良くない?」
「平気よ。私達がここにいるより、緋勇君達を探して合流したほうが早いと思うの」
「……うん、そうだね。それじゃ、行こっ」
内心で親友に謝りながら、葵は薄気味の悪い研究室を後にするのだった。
マリィの案内で龍麻は、葵とマリアが囚われていたという地下の牢屋に足を踏み入れていた。
牢屋は全部で四室あり、異臭が漂ってきたりはしていない。
それほど使われた形跡がないのは幸いだが、牢の中には誰もいなかった。
「ここの他に牢屋はあるのか?」
「ウウン」
明快な返答に龍麻は眉根を寄せる。
結論が導かれるまで、長い時間はかからなかった。
「……連れて行かれたのか」
龍麻は踵を返して地下室から脱出した。
一階に戻ったところで葵と小蒔に行き会った。
マリアの姿がないことに気づいた小蒔が顔色を変える。
「マリアせんせーはッ!?」
「居なかった。多分、あいつに連れて行かれた」
「……!! 急がないとッ」
「ああ」
四人は一丸となって階段を走った。
屋上への扉は叩き壊されていた。
龍麻が突入すると、京一と醍醐が目の前にいる。
前方にはヘリが着陸しており、その前にはジルとマリアが立っていた。
ジルの後ろには彼の部下が二人、マリアに銃を突きつけている。
この位置取りでは容易に踏みこむことができず、二人が動けないでいる間に、
ジルは着々と部下に資料を積み込ませていた。
「マリア先生ッ!!」
「フン──追いかけてきおったか。だがそこまでだ」
「皆ッ、逃げなさいッ! この建物には爆薬が仕掛けてあるのッ!!
だから早く逃げなさいッ!!」
マリアの叫びは焦慮と気遣いに満ちたものだったが、京一はむしろのんびりと龍麻を見やった。
目にかかる長めの前髪を風に舞わせている龍麻に、自分と同じ表情を見出して不敵に笑う。
「んなコト言われたってなぁ」
「ああ」
大きく頷いた龍麻は、更に隣にいる醍醐に表情を伝染す。
伝染されるまでもなく、巨漢の顔も既に、教師の指示に従わない不良生徒のものだった。
「肚を決めるしかあるまい。美里に桜井、お前達は」
風に妨げられないよう醍醐が怒鳴ると、短い髪を激しく巻き上げながら小蒔が怒鳴り返す。
「お前達は、何さ、醍醐クン」
「う、む……」
「マリアせんせーを置いて逃げるなんて、できるワケないでしょッ」
眉を逆立てて叫ぶ小蒔も、その隣で逆立ててこそいないものの強い決意を秘めている葵も、
どうしようもない不良だった。
あまり教育上は良くない絆を結びなおした五人に、ジルの怒りは煮えたぎる。
自分がひどく間抜けな道化師であるように思えたのだ。
「劣等人種どもめ……しかし遅いわ、既に点火の秒読みは始まっておる。
わしの崇高な研究を愚民どもに知られる訳にはいかんからな」
「てめェ……」
「動くなよ。動けばこの女の命はないぞ」
部下にマリアを脅させ、ジルはヘリににじり寄る。
劣等人種などと嘲りながら、女を人質に取って逃亡する己の醜さは気にならないようであった。
「わしはこんなところで捕まる訳にはいかんのだ。
この研究資料を持っていけば受け入れてくれる国はいくらでもある。
わしが在る限り、第三帝国復活は必ず実現されるのだ」
逃走を確信したジルは後ろ足でヘリに乗りこもうとする。
その背後から、いきなり火の手があがった。
猛烈な火勢に背中を焼かれ、たまらずよろめく。
「ぐお……ッ、20、貴様──」
念じた場所に焔を点火させる、火走りの『力』でマリィが彼の背中に火を点けたのだ。
ジルは風を起こしている回転翼のほぼ真下にいたため、
焔はたちまち燃え盛り、ヘリ自体にも燃え移る。
「先生ッ!」
京一が叫んだ直後、マリアの左肘が後ろで銃を突き付けていたジルの部下の頬を撃った。
振り向きざまにヘリの方へと男を突き飛ばし、自由を得たマリアは龍麻達の方へ戻ってきた。
「先生、大丈夫ですか」
無事を喜ぶ教え子達にマリアは微笑んでみせたが、そこには苦笑も混じっていた。
「ええ……ありがとう。でも先生の言うことは聞いて欲しかったわね」
同じく苦笑する龍麻達の前方が、ひときわ明るく輝いた。
本格的にヘリが燃え出したのだ。
ジルも既に全身を炎に包まれており、どう見ても助かる見こみはない。
建物の爆発も迫っていることであるから、龍麻達が逃げだそうとすると、
どこからともなく声が聞こえてきた。
「ははは、無様だな、ジルよ」
嘲笑を響かせて現れたのは、刈安色の装束を着た、鬼面の男だった。
色こそ違えどその姿は、もはや龍麻達の馴染みといって良いほどだ。
避けられない闘いを前に、木刀を晴眼に構えた京一が叫ぶ。
「やっぱりてめェらが絡んでやがったのか」
「お初にお目にかかる、鬼道五人衆が一人、我が名は雷角」
そう名乗った男の周りに、同じ服装をした下忍が六人現れた。
「美里とマリィはマリア先生と一緒に下がってろッ」
龍麻の叫びに小蒔は微笑で応じた。
「ボクには下がれって言わないんだね」
「言ったって聞かねえだろ」
「エヘヘッ、まあね」
根っから喧嘩が好きな京一と異なり、小蒔は必ずしも戦いを欲しているわけではない。
しかし今回は葵を拐うような卑劣な輩が相手だったから、許すわけにはいかなかった。
葵とマリィを庇うように彼女達の前に立った小蒔は、静かに矢をつがえた。
炎の勢いに合わせるかのように高まる緊張の中、見捨てられた、死にいく男が見苦しくもがく。
「た……助けてくれ、ほれ、研究資料なら渡す、だから──」
「莫大な金を湯水のように使い、何百人という子供を殺し、その結果がこれか。
もはや貴様が我らの為に役立てることはない。
貴様の奥底にとぐろ巻く、憤り、怒り、怨み──それを以ってこいつらを斃す他にはな」
どのような処置を施しているのか、
ジルは全身を猛火に焼かれながらもなお生にしがみついていたが、
酷薄にそう告げた雷角は、左手で印を切った。
燃えるジルの身体が、別種の光を放つ。
「なッ、何だ──」
「変生せよ──堕ちよ、ジル・ローゼス、狂気の医師よ」
光は彼の背後で燃えさかる炎よりも明るく輝き、龍麻達は一瞬目が眩む。
彼らが再び目を開けた時、ジルの姿はなく、代わりに醜い怪物が一体そこにいた。
「こいつは……」
醍醐の巨体が怒りに慄える。
目の前にいる化け物の姿が、
鬼道衆に弱い心をつけこまれた佐久間が変生させられた姿と極めて似ていたからだ。
ジルに同情の気持ちなどないものの、人の命を玩ぶ鬼道衆は決して許せなかった。
「緋勇」
雷角を睨みつけたまま、醍醐は言った。
「雷角は俺にやらせてくれ」
醍醐の声に動かしがたい意思を感じた龍麻は、作戦をわずかに変えた。
「解った。それじゃ京一は」
「あの化け物をやりゃあイイんだろ」
雑魚を、と言おうとした龍麻は、勢いのある京一の口調に遮られてしまった。
「お前はさっき役得があったんだから、今度は俺の番だ。譲らねェぜ」
「……桜井、俺が雑魚をやる。援護してくれ」
「うんッ!!」
説得を断念した龍麻は雷角の部下達と対峙する。
じりじりと輪を作り、包囲しようとする敵に対して、龍麻は跳躍して先制攻撃を仕掛けた。
虚を突かれた下忍は慌てて応戦しようとするが、低い姿勢で潜りこみ、
龍が首を伸ばすように突き出された龍麻の掌をまともに受け、
三メートルほども吹き飛ばされて悶絶する。
包囲陣を崩された下忍達は怒りに燃えて龍麻に襲いかかり、乱戦が始まった。
「行け、京一、醍醐ッ!」
「おうッ」
左右から放たれた攻撃を身を沈めて躱し、そのまま力を撓める。
右足を踏み出し、間合いに入ると同時に地面を撃ちぬくように蹴りつけ、
その方向に肘を乗せて上方に突き出した。
「ぎゃあッ!!」
顎を砕かれた下忍が吹き飛ぶ。
烈しく宙に舞い上げられた下忍が頭から地面に落ちた時、
既に彼の仲間は昏倒させられていた。
間を置かず三人が倒された鬼道衆は、作戦を変更したようだった。
二人が龍麻を牽制し、残る一人が小蒔達の方に走る。
当然小蒔達の方に駆けつけたい龍麻だったが、下忍二人は付かず離れずの間合いを維持し、
しかも龍麻が小蒔達に背を向けるような位置関係を保とうとする。
とにかく片方を倒そうとする龍麻は焦りのあまり攻撃が単調になり、
避けに専念する一方に有効打を与えられないまま、もう片方の敵に攻撃を受ける有様だった。
傷は深手ではないが出血しており、いずれ動けなくなるのは目に見えている。
その前に、せめて一人だけでも倒しておく――そう判断した龍麻は、
反転して今まさに斬りかかろうとしている下忍に攻撃対象を変えた。
刀は避けられないが、向こうも間合いを外せなくなる。
相打ち覚悟の攻撃だった。
振り下ろされる刀の軌跡から、致命傷となる分だけ避ける。
シャツに刃を滑らせながら下忍に肉迫した龍麻は、掌を彼の腹部に添え、練った氣を一気に放出した。
「ぐええッ!!」
一瞬の後に全身に龍麻の氣が浸透した下忍は、腹を抑える余裕さえなくその場に崩れ落ちた。
下忍が倒れたことを確認した龍麻は、一息つきかけてもう一人敵が居たことを思いだす。
斬られた痛みを無視して小蒔達の方に向かった下忍を探すと、
彼は小蒔達から一メートルほどの位置で、変わり果てた姿になっていた。
全身を炎に包まれた下忍は、小蒔達にあと一歩というところで立ち尽くしている。
炎に焼かれているにせよ、動かないのは不自然だと龍麻が思った時、下忍がゆっくりと後ろに倒れた。
その身体には矢が突き立っており、その一矢が下忍を進行方向とは逆に倒したようだった。
女性達の戦闘力に舌を巻きながら、龍麻は三人の無事を確認する。
「……怪我はないか?」
「うん、ボク達は大丈夫。それより、緋勇クンこそ怪我してるじゃないッ!
葵、緋勇クンを治してあげて」
「ええ」
葵が癒やしの『力』を使って傷を治している間、龍麻はマリィに話しかけた。
「その『力』を使っても、マリィは何ともないのか? 頭が痛くなったりとか」
「ウン、平気」
「そうか。とにかく、助けてくれてありがとうな」
無事な方の手でマリィの頭を撫でると、少女は腕に抱いている黒猫が驚いて鳴いたほど顔を輝かせた。
「ウンッ!!」
少女に笑顔で応えた龍麻は、治療が終わった肩を二度ほど回して具合を確かめ、今度は葵に礼を言った。
「完全に治ったみたいだ。助かった」
「ええ」
「制服を預けておいて良かった、また買わなきゃいけないところだった」
冗談に応じず、葵が制服を返そうとすると、龍麻は首を横に振った。
「もうちょっと持っててくれ」
まだ醍醐と京一は戦っており、どちらか、あるいは両方を助けに行くべきだったからだ。
しかし、もう彼らに支援は必要ないようだった。
「せいッ」
敏捷な動きで雷角の刃を躱した醍醐は、彼の背後を取る。
固めたした両腕に力を凝縮し、一気に雷角の身体を持ち上げ、後ろに放った。
綺麗な弧を描いて頭から地面に激突した雷角は、そのままぴくりともしない。
コンクリートの地面に受身も取れずに叩きつけられては、致命傷となって当然だ。
「……」
白虎の『力』だからこそ為せる大技ではあったが、一歩間違えば死の危険すらある闘いの中で、
観客に魅せる為に洗練されてきた技を用いた醍醐に、龍麻は呆れて物も言えなかった。
「せやあッッ!!」
醍醐が殺人投げで雷角を葬ったのと時を同じくして、
京一の気合いが氣の刃を生み出し、化け物と化したジル・ローゼスの身体を両断した。
遠目からでも判るほど濃い氣の軌跡が、化け物の巨体を縦に斬る。
あまりにも凄まじい斬撃に、斬られた化け物はすぐに倒れず、
何秒かの間を置いてから左右に分かれていった。
「……」
化け物はもちろん難敵のはずで、それを軽く屠った京一に龍麻は言葉もない。
もちろん、普段の状態であったなら京一も苦戦を免れなかっただろうが、
皮肉にもイワンとの闘いが彼に変化を与えていた。
拳に氣を集め、操る技術はより精密なレベルでの氣の制御を可能とさせ、
更に、彼との闘いで溜まった欲求不満が氣の増幅を促したのだ。
「ま、素手喧嘩も悪くねェけどよ、やっぱ俺は木刀の方が性に合ってるな」
大きな地響きを立てて倒れた化け物を見下ろし、京一はそう呟いたのだった。
「終わった……か」
自分達以外に立っている者がいなくなると、龍麻達はお互いの無事を確かめあった。
大した怪我がないのを喜んだのも束の間、大きな爆発音と、それに続く揺れが襲いかかる。
「ヤベェ、爆発のコトすっかり忘れてたぜッ!」
「逃げるぞッ、美里はマリィを頼む」
龍麻達は急いで屋上を後にする。
最後に階下へ続く扉をくぐろうとした龍麻は、雷角の身体が光を放っていることに気づいた。
「早くしろ緋勇ッ!」
「先に逃げろッ、摩尼を回収するッ!」
どのような術によってか、鬼道衆は死ぬと摩尼に変ずる者がいる。
もしかしたら摩尼に術をかけて仮初の命を与えているのかもしれないが、
いずれにしても、摩尼は本来安置されるべき場所である、五色不動に還す必要があった。
すでに雷角の死は確実とはいえ、最後にどのような反撃があるかもわからない。
龍麻は慎重に雷角の手が届かない位置に立った。
龍麻の足元から、雷角の呪詛が響く。
「美里……美里葵……そうか、こんな処に居たとはな……
お前はもう逃げられぬ……九角様がお前を待っておる……ぞ……」
「……おい、どういうことだ……!?」
敵の口から突然葵の名前が出たことに驚き、龍麻は屈んで話を聞こうとしたが、
もはや龍麻の存在すら感知できないらしく、不気味な怨み言を残したのみで雷角は消え去った。
「……」
無言で摩尼を拾った龍麻は、踵を返して紅蓮の炎に包まれる屋上から脱出した。
転げるように学院の敷地から出ると、建物が本格的な崩壊を始めた。
ここにいては怪しまれるので、龍麻達は少し離れた場所まで行ってから状況を確かめる。
「ふぅ、間一髪だったな」
「ああ……皆、怪我はないか」
マリアも含め、ここにいる全員は龍麻を除いてかすり傷程度しか負っていなかった。
後は一人別行動を取っていた絵莉が気にかかるところだ。
しかし、さすがに建物には近づけず、無事を祈るしかない。
家に戻ったら龍麻が彼女に連絡を取ってみることで、彼らはひとまず納得せざるを得なかった。
「……ま、抜け目ないから大丈夫だと思うけどよ」
「そうそう、京一なんかよりよっぽどしっかりしてるもんね」
明るい声で小蒔が言い、ようやく龍麻達に日常が戻ってきたのだった。
均等に五人を見回したマリアが、思慮深げに言う。
「それにしても、アナタ達……その『力』、春に見たときよりも遥かに強くなっているわね」
「こんな『力』、無くなればいいと思ってるんですが、
どういうわけか『力』絡みの事件に巻きこまれてばかりで」
龍麻の返答をマリアは危険だと叱ることも荒唐無稽だと笑うこともせず、
妙に睨めるような眼光で彼を見るだけだ。
もっとも、その眼差しは二秒ほどで消えたので、眼差しを浴びた当の龍麻ですら気づかぬほどだった。
「……何か、意味があるのかも知れないわね……アナタ達が『力』を使えるようになった理由が」
「俺もそう思います」
二人の会話は教師と生徒ではなく、男と女でも無論なく、求道者のような重みを有していた。
二人のただならぬ雰囲気を皆察したが、ただ一人、能天気なほどの声が割って入った。
「あーあ、腹減った、とっとと新宿に帰ろうぜ」
「アナタ達……学校はどうするの」
京一に答えるマリアの声は、もう普段教室で聞く彼女の声と変わりなかった。
そして、声が戻ったのと同様に、態度も生徒を見守る教師のそれに戻っている。
となれば当然、このまま解散しようとする龍麻達を見逃しはしなかった。
これだけの大事件の後で、見上げた教師根性と言うべきだったが、
京一と龍麻と小蒔は思わず顔を引きつらせる。
そんな彼らを、蒼氷色の瞳をどんな不正も許さないという輝きで見つめていたマリアは、
いきなり吹き出した。
「……ま、今日は仕方ないわね。皆格好がぼろぼろだし」
話せる担任を持ったと、京一が小さく口笛を吹く。
その隣で小蒔が、満面の笑みを湛えて言った。
「マリアせんせーもサボるんでしょ? 頭ぼさぼさだもんね」
頭に手を当てたマリアは、その惨状に美しい眉目を曇らせ、今度は大きなため息をついた。
「そうね……これじゃとても人前には出られないわ。はあ……明日、何て説明したらいいのかしら」
「ま、なるようになんだろ。帰ろうぜ」
全く他人事のように京一が言い、更に大きなため息をマリアがついたことで、
一同は笑いを必死に噛み殺さなければならないのだった。
誰かが通報したのだろう、消防車やパトカーがサイレンを鳴らして集まってくる。
長居は無用と、龍麻達は新宿に帰ることにした。
その中に一人、帰るべき場所が無くなってしまった少女がいる。
親に捨てられ、ジルに拾われて異国の地へと連れて来られたマリィは、
今その育ての親さえ失い、どうして良いかわからず、大粒の涙を瞳に浮かべて所在無く立っていた。
「この子……どうしようか」
耐えかねて口火を切った小蒔に、一同は顔を見合わせた。
親に見捨てられたマリィが日本で生きていくのは不可能に近い。
助けてやりたいとは思っても、同情でどうにかできる問題ではないのだ。
残酷だとしても、公的な施設に預けるしかない。
だが、誰がそれを年端も行かない少女に告げるか。
小蒔達が目配せしあう中、ただ一人顔を見合わせなかった龍麻が事も無げに言った。
「マリィ。うちに来るか?」
「えッ!?」
全員の視線が集中する。
「あんまり贅沢はさせてやれないけど、成人するまでなら……マリィは今何歳なんだ?」
「十六」
「十六……って、とてもそんな風には」
悲しませてはいけないと思いつつも、小蒔はついそう言ってしまった。
するとマリィは悲しそうな顔をして、彼女が実年齢よりもずっと幼く見える理由を述べた。
「研究……成長止メル。大キクナルト、『力』ガ弱クナルッテ。デモマリィ、薬モ注射モキライ」
マリィは、ジルの極めて利己的な動機によって成長を抑制されていたのだ。
その恐ろしく、そして哀しい理由に、小蒔は涙を抑えることができなかった。
腕を組んで何事か計算するように上を向いていた龍麻が、視線をマリィに向ける。
「だとすると、あと三年か。後半年くらいで俺が卒業すれば、また化け物退治で金を稼いでもいいし、
なんとかなるだろう」
確かに最大の問題点は解決できるかもしれないが、その他の問題点も無視してよいものではない。
龍麻が気づいていないのかと思った小蒔が、注意を喚起した。
「ま、待ってよ。緋勇クンって一人暮らしだよね?」
「ああ、だから問題ないだろう? 一人と一匹増えるくらい、場所はある」
「いやいやマズいでしょ、男女が同じトコで暮らすのは」
「男女ってあのな、何考えてんだお前」
半ば呆れ、半ば怒る龍麻が見たのは、小蒔と同じ懸念を浮かべる京一達の眼だった。
彼らの誤解に抗議するべく頭をかき回した龍麻は、マリィを引き取る理由を説明した。
「マリィは『力』を持っている。何もないところに火を点ける能力を」
「マジかよ……! 急にヘリが燃えたのはそのせいだったのか」
「俺はその『力』に助けられたからな。放ってはおけねえよ」
「けどよ、俺の貴重なアジトが」
『力』を持つがゆえに不幸な人生を強いられている少女の未来と、
単に自分の邪な欲望を満たしたいだけの男のそれとは天秤にかけるまでもない。
恨みがましい京一の視線を、龍麻はきっぱりと無視した。
「それくらい我慢しろ、別に来るなとは言わねえから」
「……」
そうは言っても男だけの楽園に女、それも子供が居たのでは大きく価値が下がる。
京一はがっくりと肩を落とし、醍醐や小蒔も極めて消極的ながら龍麻の案を受け入れたのだった。
「それじゃあまた明日学校でな。行こうぜ、マリィ」
「ウン」
マリィの手を引いて龍麻が帰ろうとしたとき、小さなくしゃみが聞こえた。
くしゃみをしたのは葵で、顔色は良くなく、震えている。
見れば制服は濡れていて、それが原因なのは明らかだった。
「美里も俺の家で少し休んでいけよ」
「でも」
「服を乾かさないといけないだろうし、ついでにシャワーも浴びていけ」
この場には教師であるマリアもいるのだが、龍麻の口調に下心が感じられず、
またマリィに関する決断が高校生、というより常人離れしていたため、
そちらに気を取られて口を挟むタイミングを逸してしまっていた。
彼女が我に返ったのは龍麻と葵とマリィと子猫が居なくなってからで、
今更ながらに教え子の素行に疑問を持った彼女は、他の教え子に答えを求めた。
「緋勇クンと美里サンは、交際しているわけではないのよね?」
「それは……ないと思うケドなあ。京一はどう思う?」
「いやァ、ねェだろ。もしンなことになってんなら、俺に隠し事してるってことだからな。
アイツに限ってそりゃねェだろ」
「どうしてそんな自信満々なのさ、いつもご飯おごってもらってるくせに」
「それこそ友情のなせる業だろうが。お前にゃちっとハードル高い話だろうけどな」
「ボクだっておごってもらってるもんッ!」
期せずして教え子の別の素行不良を知ってしまったマリアは、
彼らにまっとうな人生を歩んで欲しいと願わずにいられないのだった。
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