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真神學園の屋上は、昼休みと放課後に開放されている。
多くの高校は危ないという理由で閉鎖したままなのだが、真神學園は生徒を信用しているのか、
屋上に通じる扉の鍵も生徒たち自身が開けるようになっていた。
そのため放課後には吹奏楽部や演劇部が用い、昼休みは生徒達が昼食を取るために利用している。
青い空の下で数人ずつのグループに分かれて会話と食事を楽しむ彼らは、まさしく青春を謳歌していた。
だが、緋勇龍麻が蓬莱寺京一、醍醐雄矢、桜井小蒔、美里葵を屋上に呼びだしたのは、
彼らと昼食を共にするためではなかった。
龍麻は全員が揃ってから、人目につかない旧校舎側に移動する。
戦前に建設されたという旧校舎は、見ながら弁当を食べると腹をこわすという真神學園七不思議の
ひとつに数えられていて、あえて挑戦しようという生徒はほとんどいない。
教室ではできないような話をするにはうってつけの場所だった。
「おいおい、いったい何だってんだ? 野郎の呼び出しなんざ嬉しくもねえんだがな」
ぼやく京一の隣では、醍醐雄矢が難しげな顔をしている。
さらにその隣には桜井小蒔が、こちらは不審よりも好奇心が勝った表情をしていて、
そして小蒔の横には美里葵が無表情で立っていた。
「そうだな……」
どう話を切りだしたものか思案した龍麻は、いきなり京一の胸に正拳を繰りだした。
「……ッ!! てめえッ、何しやがるッ!!」
冷静になれば、速度も威力も本気の一撃ではなかったことが判っただろう。
しかし、不意を突かれたとはいえ全く反応できなかったこともあって、
京一は考えるより早く殴り返していた。
反射的な一撃にも関わらず、的確に龍麻の顎を捉えたのは、京一が喧嘩慣れしている証拠だろう。
龍麻は大きく仰け反ったが、歯を食いしばっていなければ昏倒していたかもしれない。
「やいてめえッ!! 昨日の友は今日の敵ってワケか、上等じゃねェかッ!!」
気色ばむ京一をあえて無視し、龍麻は顎を撫でながら醍醐と小蒔の方を見た。
「見えたか?」
「ああ……だが、今のは一体……?」
「何、今の……?」
驚く醍醐と目を白黒させる小蒔に、ひとり事情が飲み込めない京一が矛先を二人に向ける。
「やいてめえらッ、何ごちゃごちゃ言ってやがるッ!」
「自分で気づかなかったの、京一? 今、京一の手……光ってたよ」
小蒔の指摘を京一は鼻で笑い飛ばした。
「アホか、手が光るわけねえだろうが。腹が減りすぎて目ェ回ってんじゃねえのか?」
「お腹は空いてるけど違うもん! ね、葵も見たよね」
「え、ええ……」
小蒔は歯切れの悪い葵を不思議そうに見たが、すぐに龍麻に向き直った。
もともと生気にあふれた瞳が、好奇心で爛々と輝いている。
「緋勇クン、どういうこと!? 緋勇クンが手品でもしたの?」
手品、という表現に失笑を誘われながら、まだ怒っている京一をなだめるため、
龍麻は静かに真実を告げた。
「いや、俺じゃない。京一が自分で光らせたんだ……氣で」
「氣!?」
昨夕の葵に続いて非現実的な語句を聞かされた三人は、それぞれの表情で絶句した。
龍麻を凝視し、彼が嘘を言っていなさそうと見ると、今度はお互いで顔を見合わせる。
もちろんそこに答えはなかった。
「氣ってあの……手からなんか出るやつ?」
皆と一緒に居たのに一人だけUFOを見てしまったときのような、
困惑ともどかしさに支配された表情を浮かべて小蒔が訊ねる。
こういうときに必要なのは誇張や冗談ではない。
龍麻は、小さく笑って安心させつつ、小蒔の質問を肯定した。
「手から出せるようになるには相当修行しないといけないけどな」
「緋勇クンはできるの?」
「一応」
目と口で三つの丸を作る小蒔は、ずいぶんと少年めいて見える。
彼女の隣で腕を組んで唸っている醍醐が、信じられないといった顔のまま訊ねた。
「昨日俺に使ったのも」
「ああ。でなきゃあんな鍛えた身体を一発で倒せるわけがない」
醍醐もまた、得心せざるをえなかった。
確かに龍麻の一撃は、単に重い一撃ではなかった。
打撃を受けた腹から、全身を強く揺さぶられたような衝撃が広がったのだ。
格闘技や武術の知識から、発勁かそれに似た技だと見当はつけていたが、
体験するのは初めてだったし、まさかあれほどの威力だとは、醍醐の想像をはるかに超えていた。
今は光ってはいない、自分の拳を京一はうさんくさげに見る。
風が吹きそうだという予感は、間違っていなかった。
それも望み通り、台風に近いほどの激しい風だ。
三年の始業式からまだ三日だというのに、すでに波乱が起きまくっている。
これから先どのようなことが起こるとしても、退屈だけはしないで済みそうな一年に、
京一の口の端は知らず緩んでしまうのだった。
「こんな突拍子もない話、確かににわかにゃ信じられねえけどよ、
それにしたって、先に説明したっていいじゃねえか」
「言うより体感した方が早そうだったからな」
「けッ。で、お前は何を知ってる?」
「実を言えば、何も知らない」
「てめェ……」
京一の眼光から一度は消えた剣呑さが復活したのは、
自分の身に生じた変化に納得をしていないからかもしれず、
醍醐と小蒔の顔にも敵意でこそないものの、不審が浮かんでいた。
「京一達が氣を使えるようになったのは、昨日の旧校舎で間違いないだろう。
俺たちの身体が光った、あれがきっかけだと思う」
「……」
四人は再度顔を見合わせる。
確かにあの旧校舎内で、気絶していた葵を含めた、龍麻達五人の身体が発光した。
光はすぐに収まり、特に痛みや異変を覚えたわけでもなく、
校舎からの脱出と異様に大きな蝙蝠に気を取られていたので、失念していたのだ。
曲げた人差し指を唇に当てて小蒔が言う。
「ああ、そういえば、朝アン子に葵が無事だったよって言いに行ったんだけどさ、
あの時ちょっと揺れたじゃない? 時間は短かったけど結構激しく。
でもアン子はそんなの知らないって言うんだよ。旧校舎のすぐ外にいたのに、変だよね」
「あの揺れも……この氣とやらに関係しているというのか?」
「それはワカんないけどさ」
醍醐を見上げて答えた小蒔は肩をすくめる。
彼女は兄弟が多く、男性が好むマンガやゲームにもそれなりに詳しく、
その中には氣やそれに似た超能力が出てくるものもある。
しかし、それらは厳しい修行や受け継いだ才能によって発揮されるのが通例で、
旧い校舎に立ち入っただけで素質を授けられるなどとは聞いたことがなかった。
「あ、でも、緋勇クンは光る前から氣を使えたんだよね?」
「ああ」
異なる方向を見ていた四本の視線が、再び龍麻に集中する。
強いものもあればそうでないものもある、それらの視線を龍麻は真っ向からは受けとめず、
彼らの向こう側にあるフェンスと、その先にある旧校舎を見ながら答えた。
「俺が真神學園に来たのは、俺に氣の使い方を教えてくれた人が行けって言ったからだ。
ただ、とにかく行けって言うだけで、何があるのか、それともこれから起こるのか、
そういうことは一切教えてくれなかった。
だから、来てこんなすぐに何かが起こったんでびっくりしてる。
京一たちこそ、あの旧校舎について何か知らないのか?」
龍麻の問いに四人は顔を見合わせた。
およそ二年間、ほぼ毎日見ていながら、旧校舎についてはほとんど何も知らなかったのだ。
なんとなく気まずさを覚えるなか、最初に口を開いたのは醍醐だった。
「昨日話した、軍の研究が行われていたという以外に俺は知らんな」
「祖父(さんの話だったよな。って言うと第二次大戦の頃か、その時も真神學園ではあったんだよな?」
「そうらしい。旧校舎、というより校舎はそこしかなかったんだが、
その一角を立ち入り禁止にして、軍の人間が出入りしていたそうだ」
「何の研究をしていたかは分からない……よな」
「ああ。訊けば教えてくれたかもしれんが、もう死んでしまったしな」
これでは情報もないに等しい。
難しげな顔をする龍麻に、小蒔が口を挟んだ。
「待ってよ、氣ってヤツと軍の研究が関係あるってこと?」
「そうだな……軍が氣を研究していた可能性はあるな。それが個人レベルの話なのか、
もっと大きな話なのかは何とも言えないが」
「もっと大きな話って?」
「氣っていうのは自由に使えるかはともかく、持っているだけなら全ての生命が持っている。
地球上にある一番大きな生命って何か知ってるか?」
「一番大きな……? クジラじゃないの?」
「もっと大きなのがある。……地球そのものだ」
小蒔は思わず足下を見た。
一寸の虫にも五分の魂ということわざを聞いたことはあるが、
全体を見ることもできないほど巨大な物体にも生命が宿っているなどという考えは、
簡単に受け入れるのは難しかった。
「もしも地球そのものが持つ氣を利用できたら、莫大なエネルギーになる。
俺みたいに氣を使えるように訓練するとか、氣そのものを敵にぶつけるとか。
軍が研究しようとするのも無理はない」
「……」
龍麻の話はあまりに突拍子もないように思え、三人は黙ってしまった。
とはいえ笑い飛ばすには自分たちの身に起こった出来事がある。
京一と醍醐、それに葵は身をもって体験しているのだから、信じないわけにはいかなかった。
ただ一人、まだ氣を体験したことのない小蒔が訊ねる。
「それで、氣って何ができるの? 京一を殴るときに便利なだけ?」
「なんで俺限定なんだよ」
笑いを押し殺して龍麻は説明した。
「本来は自分の身体を強くするために氣の使い方を学ぶんだ。
身体が強くなれば、殴るのはもちろん、足だって速くなるし、ジャンプ力だって増す。
それから、これは難しいけど、自分や他人の怪我を治したりもできる」
「骨とか折れてても?」
「それはさすがに無理かな。くっつくのを早くするくらいはできるだろうけど」
「ふーん……それで、どうやったら使えるの?」
「一番手っ取り早いのは、さっき京一がやったみたいに怒ればいい。
と言っても、怒ろうとして怒ったんじゃ足りないけどな。
それに、怒って生みだした氣はコントロールが難しい」
「なんか難しそうだね」
「コツを掴めば簡単なんだけどな」
小蒔が唸りはじめたのは、さっそく氣を使おうとしているのだろうか。
顔を赤くしてうんうん言っている小蒔を横目で見て、京一は龍麻に問いかけた。
「で、俺たちゃどうすりゃいいんだよ」
「何もしないでいいんじゃないかな。世界征服を企む悪の組織でも出てきたら、また考えればいいだろ」
「おいおい、そんな奴ら居るわきゃねェだろ」
「そりゃそうだ」
龍麻は肩をすくめる。
仮にそのような事態が発生したとしても、彼らと共に戦うつもりなど龍麻にはなかった。
ところが、この場で氣を使うのは諦めたらしい小蒔が、まだ少し上気した顔でぼやく。
「えーッ、いないのかなぁ。ボク達ちょうど五人いるしさ、なんかそういうのできそうじゃない?」
「お前、高三にもなってまだそんなの観てんのかよ」
「ボッ、ボクじゃないよ、弟たちだってば。そりゃボクもつきあって観るコトはあるけど」
京一に対してムキになって否定する小蒔の声に、金属質の声が被さった。
「私は……嫌よ」
「葵……?」
「私は傷つけられるのも、誰かを傷つけるのも嫌。戦うなんて絶対に嫌よ」
「そりゃ、そうだけどさ……」
葵の親友である小蒔は、彼女が生真面目で、このような怪力乱神を、
少なくとも居たら面白いな、などと考えている自分と違って本気では信じていないことを知っているから、
はしゃぎすぎたと反省した。
それでも、葵の怒りようは少し度が過ぎているように小蒔には思えた。
屋上に来てから一言も発しなかった葵が、客の目の前でシャッターを閉める店のような激しい態度を
見せたことで、京一と醍醐もどこか白けてしまったようだった。
京一が頭の後ろで両手を組む。
「まあ、緋勇の言う通り、何が起こるワケでもねえだろうし、
こんな『力』、使い道もねェんだからよ、普通に過ごしてりゃいいんじゃねえか?」
常識的な台詞は京一らしくなかったようで、醍醐と小蒔が驚いているが、
葵は目に見えて安堵し、急に顔を赤らめた。
「そ、そうね、私ったら、少し先走ってしまったみたい」
「へへッ、真神の聖女も時にはそういうのがあってイイんじゃねェか? なあ、緋勇」
葵にそんな別名があったとは初めて聞いた龍麻は、真顔で頷いて京一を更に笑わせ、
京一が笑ったことでようやく場の雰囲気も和らいだ。
龍麻から話を聞かされたときは驚いたが、そう、変な力に目醒めたとしても、
何も起こらなければ問題ないのだ。
高校生活もあと一年、わけのわからない超能力などに振り回されず、青春を謳歌すべきなのだ。
葵は強くそう思った。
「おッし、話も終わったことだしよ、とっとと教室に戻ってメシにしようぜ。食う時間がなくなっちまう」
先頭を切って教室に戻ろうとした京一を、小蒔の大声が呼び止めた。
「あッ、そうだ、せっかく揃ったんだしさ、今日学校が終わったら新宿中央公園に桜を見に行かない?
満開だって朝テレビで観たんだ。去年よりちょっと早いんだって」
小蒔の提案に意外そうな顔をした京一は、すぐに破顔した。
「おッ、いいねェ。桜を見ながら一杯呑るってのも乙じゃねェか。
んで隣のOLグループと仲良くなっちゃったりしてよ」
「このアホッ、ボク達は学生なんだからお酒なんて呑んじゃダメに決まってるだろッ!!」
「いいじゃねェか、ちょっとくらい。お前に呑めとは言ってねェよ」
「生徒会長も行くのに何考えてんだッての! ねえ、葵」
「え、ええ……」
葵の返事は歯切れが悪かった。
龍麻と距離を置きたいと思っている葵は、突如降って湧いた花見の提案を、
口実をつけて断ろうと考えていたのだが、その矢先、小蒔に同意を求められ、
やむをえず頷くしかなかった。
醍醐も承諾し、龍麻も応じたことで話が一応まとまり、京一は今度こそ教室に戻ろうとする。
すると校舎へと戻る扉が、突然京一の方へと開き、一人の少女が勢いよく出てきた。
「その話、乗ったわッ!」
「げッ、アン子ッ!! どっから湧いてきやがったッ」
非好意的な京一の視線を、現れた遠野杏子、通称アン子は全く意に介さず、
制服を斜め上方に押し上げる、豊かな胸を強調するように背を反らした。
「壁に耳あり障子に目あり、真神の校舎にアン子あり、よ。
この学校の内部であたしに暴けない秘密はないわ、心しておきなさい」
京一が制服をバタバタさせたのは、盗聴器でもつけられていないか疑ったのかもしれない。
それくらい絶妙なタイミングでの登場だった。
「アホは放っておいて、桜の下でインタビューってのも洒落てるわよね、緋勇君」
アン子は訊ねておいて返事を待たずに小蒔の方へと向き直る。
「というわけで桜井ちゃん、あたしも参加させてもらうからよろしく」
「う、うん」
さすがの小蒔もアン子の勢いに圧されているようだ。
あっという間に増えた参加者に、京一が軽く舌打ちした。
「ちッ……お前が来ると、なんかロクでもねぇことが起きそうなんだよな」
「あら、失礼ね。いい? 有能なジャーナリストは、己が本能の赴くままに行動するの。
あたしが事件を起こしてるんじゃなくて、事件の方があたしを求めてやってくるのよッ」
「……しょうがねェな」
熱弁を振るうアン子に、京一がそれ以上反論しなかったのは、腹がいい加減悲鳴を上げていたからだ。
これ以上時間を浪費したら昼飯を食べる時間がなくなってしまう。
学校生活の数少ない楽しみを放棄するつもりは、この男にはさらさらなかった。
「じゃ、公園の入り口に六時にしよっか」
小蒔の提案に頷いた醍醐が、重々しく言った。
「アルコールは無しだぞ、京一」
「しつけーな、保護者ヅラすんなよ」
「お前のあきらめの悪さを知る者としては、言いたくもなるさ」
「ッたくよ、花だけ見たって何にも面白くねェだろうが。なァ緋勇」
「そうだな」
龍麻の返事に京一はたちまち上機嫌になった。
「お、お前呑けるクチだな?」
人目につく場所でわざと喫煙して目立とうとする不良達とは異なるが、
龍麻はアルコールと無縁ではなかった。
それどころか、種類だけでいうなら世界に存在する酒は一通りたしなんだことがある。
決して積極的にではなく、氣の修行をしていたときに、師や先輩たちから勧められてではあるが、
拒んだこともなく、盃を出されれば当然のように呑みほした。
どうやらアルコールには強い体質らしく、周りの連中が驚くのが、密かな快感でもあった。
「まったく……悩みの種をこれ以上増やしてくれるなよ」
「お前が勝手に悩んでるだけじゃねェか。頼んだ覚えはねェぜ」
嘆く醍醐に、勢力を確保するつもりか、龍麻の肩に腕を回して京一が言い返す。
「どうでもいいけど、高校生が校舎内で堂々と飲酒の話をしないでよね。生徒会長もいるってのに」
アン子の正論にはぐうの音も出ず、男達は沈黙するしかなかった。
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