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五人にアン子を加えた一行は教室へと戻る。
実家は酒屋でありながら、男達の酒飲み話には一切関わらないで先頭を歩いていた小蒔が、
向こうから来た少女に目を留めた。
「あッ、ミサちゃん」
「う〜ふ〜ふ〜ふ〜ふ〜、皆揃ってどうしたの〜?」
妙に間延びした、低く小さな声は、校舎内の喧噪に紛れてしまいそうなのに、
どういうわけか龍麻は、彼女の声が耳元で聞こえたような気がした。
小柄な桜井小蒔よりも、さらに指三本ほど背の低い少女は、肉づきも薄く、
真神の制服を着ていなければ中学生にも見間違えそうだ。
顔が見えればもう少し見分けがつくのかもしれないが、瓶底と見紛う厚い眼鏡をかけており、
しかもどうしたことかレンズ越しの眼が見えない。
光の加減かと思った龍麻が少し立つ位置を変えてみても、やはり眼をみることはできなかった。
不思議な現象に龍麻が首をひねっていると、少女が龍麻を見る。
にたり、という表現がふさわしい笑顔は、口だけが変化したため、たいそう不気味に見え、
大抵のことには物怖じしない龍麻も妙な寒気を覚えた。
龍麻が顔を強ばらせたことなど気づいた風もなく、小蒔が少女を紹介する。
「あのね、この子は隣のクラスの裏密ミサちゃん」
龍麻からミサへ、身体ごと半回転させて小蒔は続けた。
「この人……転校してきた緋勇クンって言うんだけどね、
歓迎会で今日お花見に行こうってコトになったんだ。そうだ、ミサちゃんもどう?」
小蒔の提案におそらく悪意はない。
だが、今ここで会ったばかりの少女に歓迎されると言っても龍麻は素直に喜べず、
そして、もう一人、ミサの参加に異を唱える人間がいた。
「げッ! 馬鹿野郎、余計なコト言うんじゃねェッ!!」
「何が余計よ、緋勇君の歓迎会なんだから、アンタの好き嫌いで人選しないでよね。ね、緋勇君?」
「……」
龍麻は無言でアン子を見つめただけで、何も言わなかった。
強い眼光にアン子はたじろいだが、龍麻が無言だったので、都合良く解釈することにしたようだ。
「ッてなわけでどう? 裏密ちゃん」
ミサを誘うアン子の後ろで、京一が呟くのが聞こえた。
「あいつが居ると妙な寒気がするんだよな……」
「うむ……」
どうやら醍醐もミサを苦手としているようだ。
確かにミサは風貌からして周りに合わせず、独自の道を行くのを好むタイプのようで、
京一の趣味とは合わないのかもしれないが、醍醐までもが苦手としているというのは不思議にも感じる。
さらに、京一が言った寒気という感覚は龍麻も感じたばかりであり、
相当に謎めいた少女であるのは間違いなさそうだった。
誘われたミサは、二つ返事で諒解はせず、アン子に訊ねなおした。
「お花見ってどこに行くの〜?」
「え? 中央公園だけど」
「西の方角ね〜」
そう言うとミサは抱えている人形の中からカードを取りだした。
単なるバッグと考えればよいのだろうが、すでに先入観が形成されてしまっているのか、
どうも禍々しい印象を受ける人形だった。
「7に剣の象徴あり〜。……う〜ん、止めた方がいいかもね〜」
「……どういうこと?」
ザインがヘブライ語で七を意味すると知っている者は居なかったし、
居たとしても意味を理解できた者は皆無だっただろう。
「紅き王国に害なす剣。鮮血を求める凶剣の暗示〜。……方角が悪いの〜」
より具体的になった占いの説明を、今度は全員理解できはしたものの、
鮮血やら凶剣やら、花見に関係する言葉とはとても思えなかった。
「そんなぁ……せっかくのお花見なのに」
嘆く小蒔にミサは突き放したように言う。
「信じる信じないはみんなの勝手だけどね〜。緋勇くんは、どう〜?」
「無理に行かない方が、いいかもしれない」
訊かれた龍麻はミサに同意した。
彼女の占いを信じるわけではないとしても、友人達に嫌われるかもしれないのに、
臆せず不吉な暗示をしたのが気になったのだ。
「そう〜。信じるのなら、きっと予言者の加護があるはず〜」
「おいおい待てよ、カード一枚引いただけで何がわかるッてんだよ。
それに、注意ったって、せいぜい酔っぱらいが暴れるくらいだろ」
「どうかしらね〜」
あくまでも含みを保たせるミサに、全員なんとなく薄気味の悪さを覚え、
小蒔でさえもそれ以上誘おうとはしなかった。
「それじゃ……ミサちゃんは行かないの?」
「悪いけど〜、そういうことで〜」
ミサはカードを人形に収納し、立ち去ろうとする。
悠然と歩く彼女を、アン子が不意に呼び止めた。
「待ってミサちゃん。剣ってもしかして、この前国立博物館で刀が盗まれたのと関係があったりする?」
「うふふふふ〜」
我が意を得たり、と笑うミサに、全員が注目した。
「何、盗まれた刀って?」
「聞きたい?」
もったいつけるアン子に、小蒔でさえうんざりするなか、京一が龍麻の横腹をつついた。
「ほら緋勇、聞いてやれよ」
面倒だと思いつつも、聞きたいという気持ちは確かにあって、龍麻はアン子の望み通りにした。
「知ってるなら教えてくれよ」
「緋勇君の頼みなら仕方ないわね」
わずかに鼻を高くしたアン子は、目を閉じて情報を整理してから話し始めた。
「二週間くらい前から国立博物館で、全国から名刀を集めた日本大刀剣展っていうのをやってるんだけど、
そこに展示してあった刀が一口(、盗まれたのよ」
「あ、それ新聞で見たかも」
情報は知る者が少ないほど価値がある。
具体的には十四パーセントほど価値が下がったのだが、アン子は微塵も動揺しなかった。
「ええ、そこまではね。でもここから先はどの新聞にも載ってないんだけど、
盗まれた状況が異常だったのよ」
「どんな風に?」
「警備員も防犯装置も作動しないどころか、その刀が入っていたケースのロックさえ
解かれていなかったんだって」
「なんだそりゃ……で、その刀は有名なやつなのかよ」
「室町時代に鍛えられた、モノ自体は無銘の刀なんだけど、それが納められていた場所が……ね」
「なんだよ、今更勿体つけるなよ」
「三ヶ月くらい前にニュースであったでしょ? 日光の華厳の滝で、古びた日本刀が発見されたってやつ」
「覚えてねェよ、三ヶ月も前のことなんざ。なあ、醍醐」
「うむ……」
どれほど良い料理も食べる人間の舌が肥えていなければその真価は評価されない。
せっかくの情報が無価値になりかけて、アン子は思わず嘆いた。
「もう、アンタ達、一番記憶力が高いこの歳でそんなことでどうするつもりよ。
とにかく、盗まれた刀ってそれらしいのよ。ここまではあたしが裏を取った事実。
で、ここからはあくまで伝承と憶測の域を出ないんだけどね」
一気に喋って乾いた唇を舐めてアン子は続けた。
「戦国時代に、ある一口の刀があった。
その斬れ味は朝露を斬るが如く、刀身は曇ることを知らず。
まさに名刀、って刀なんだけど、その刀には曰くもあったの。
怨念に満ちた妖しの刀で、人の血を求め、持ち主の精を吸う、って。
室町時代に伊勢の刀工が鍛えたそれは、江戸に入ると徳川家に様々の悲惨な死をもたらした」
「徳川に? どういうこと?」
「まず、家康の祖父、松平清康が刀の持ち主に殺されたの。
次に父・広忠も傷を負い、更に家康の子、信康が切腹に使ったのもこの刀だったって。
それ以来、刀は徳川家を祟る妖刀として、その大半が処分された。
そして時代は巡り、その芸術性を認められた残ったうちの一口が、残されることになった」
「でもそれには条件があって、残す──いえ、封印する場所は徳川大権現の霊的支配が及ぶ、
東照宮の膝元だってことになったの」
「……てことは、その盗まれた刀は」
「その妖刀の可能性が高い、って学者先生は見ているわ」
アン子が話し終えた時、龍麻はある単語を思い出していた。
どこで聞いたのかは忘れてしまったが、祟りをもたらすその刀の名を。
「村正──」
「あら、緋勇君、知ってるの? そう、その刀はそう呼ばれていたわ」
杏子が龍麻の博識を誉めると、京一が手にした木刀で肩を叩いて呟いた。
「おいおい、そんなのが中央公園にあんのか?」
「さァ──あたしはミサちゃんが剣、って言ってそれを思い出しただけだから」
いくらなんでも日本刀が盗まれれば警察だって捜索するだろうし、
盗んだ方もその価値を知っているならば売るだろう。
何も花見で賑わう中央公園で振り回す道理はなく、こじつけの感が強い。
中でも猛烈に反発したのは京一だった。
「けッ、日本刀如きに俺の花見を邪魔されてたまるかッ!
おねェちゃんに注いでもらった桜の花片が浮く盃を、ぐッと呑みほしてこそ風流ってモンよ、なあ緋勇!」
「どんな花見だよ……」
呆れる小蒔に、自分の役目は終わったとばかりにミサが声をかけた。
「それじゃあ〜、ミサちゃんはもう行くね〜」
「あ、うん、また今度ね、ミサちゃん」
ミサの姿が見えなくなるまで、龍麻達はその場に立っていた。
お互いなんとなく顔を見合わせ、自分が浮かべているであろうものを相手の顔に見いだすと、
苦笑して忘れてしまうことにしたのだった。
ついでだからマリア・アルカードにも昼休み中に声をかけてしまおうということになり、
龍麻達は揃って職員室へと向かった。
だが、気がつけば京一の姿がない。
「どうせお腹が空きすぎて抜けだしたんでしょ」
「あのアホのことだから、職員室行くといろいろマズいんじゃないの?
犬神先生の呼び出しをすっぽかしてるとか」
一片の容赦もない評価を下す小蒔とアン子を、醍醐と葵も否定しないあたりに、
京一の人望のなさがうかがえてしまう。
職員室の机は半分ほどが主を迎えていたが、マリアの姿を探す必要はなかった。
金髪に赤いジャケットは、たとえ朝の新宿駅に居たとしてもすぐに見つけだせるだろう。
「せんせー」
「アラ、どうしたの? 皆揃って」
食事は既に終えていたらしいマリアは、龍麻達が訪れると気さくに応じ、身体の向きを変えた。
教師としては少し短いようにも見えるスカートから伸びる足を惜しげもなく組み、
生徒教師を問わず、真神の男垂涎の美脚を披露する。
「えっと、ボクたち今日、緋勇クンの歓迎を兼ねて中央公園にお花見に行くことになったんですけど、
マリアせんせーもどうかなって。六時からなんですけど」
マリアは考えこんだが、長い時間のことではなかった。
「ええ、いいわ。なんとか六時には仕事を終わらせて行くわ」
教師というのはあまり生徒とプライベートでは交流しないと思っていた龍麻は、
あっさり承諾したマリアに意外さを禁じ得なかった。
「ところで、蓬莱寺クンは居ないのかしら?」
「さっきまで一緒だったんですけど」
「そう……困ったわね。何人かの先生に彼を呼ぶよう言われているのだけれど」
小蒔とアン子はさもありなんと頷く。
後ろでは醍醐が苦渋の表情をしており、京一がどれほど迷惑をかけているか、
これで証明されてしまった。
「とにかく、お花見の件は了解したわ。それでは、また後でね」
「はーい、失礼しまーす」
職員室を出たとき、ちょうど予鈴が鳴った。
教室に戻りながら、小蒔が嬉しそうに言う。
「これでひととおり声はかけたね。マリアせんせーまで来てくれるなんて思わなかったよ。
それじゃ、ちゃんと六時に集まってね」
「ちょっと桜井ちゃん、まだ午後の授業が残ってるわよ」
「あッ、忘れてた」
アン子のツッコミに舌を出した小蒔は、もう待ちきれないとばかりにその場でくるりと回った。
「夜桜かあ、ああもう、早く見たいなあ……どしたの、葵?」
葵の表情がすぐれないのに気がついた小蒔が、心配そうに訊ねる。
彼女の楽しみを損ねたくないと考える葵は、自身の不安を口にはしなかった。
「ううん、なんでもないの。それじゃ、また夜にね。私、用事があるから先に行くわね」
まさか親友が歓迎する対象である主賓と因縁が生じているとは知る由もない小蒔は、
足早に去っていく葵の姿を、怪訝そうに見送っていた。
決められた集合時間である六時の、十五分前に葵は到着した。
葵にとってはあまり気乗りがしない花見だとしても、承諾した以上時間は守るのが当然だと考えていた。
だが、まだ誰も来ていないと思っていたのに、多くの人で賑わう公園の入り口に、
知人の顔を見たとき、葵は後悔していた。
もっと時間ぎりぎりに来るか、せめて親友である桜井小蒔と一緒に来れば良かった。
人混みに紛れて一旦離れようかとも思ったが、先に彼に気づかれてしまった。
「早いな、まだ十五分以上あるのに」
「……緋勇君も、早いのね」
葵は龍麻から五歩ほどの距離を置いて立つ。
友人ではなく知人だとしても、やや遠い距離の意味をすぐに看破したらしく、龍麻は声を立てずに笑った。
小馬鹿にされていると感じた葵の、胸中にかすかに火花が散る。
「昨日は、あれから何ともなかったか」
「……ええ」
葵の返事が遅れたのは、質問の意味を計りかねたからだ。
たぶん蝙蝠の毒か何かが回らなかったという意味ではないかと推測して答えた葵は、
龍麻の返事に憤慨することとなった。
「俺が初めて氣を使った夜は、サカっちまって眠れなかったけどな」
「……!」
吐気を催すほどの下劣さに、葵はさらに半歩下がる。
そんな葵を見て、龍麻は薄く笑った。
「別に、恥ずかしがることじゃねえさ。氣ってのは生命力だ。
それを使うってことは、消耗もするが活性化もするってことだからな。
まあ、普通は消耗の方が激しいからサカることはねえとしても、なったときは凄いぜ」
葵は龍麻の何もかもが嫌いになった。
大勢の人が居る前でこんな下品な話を平気でするのも、自分と二人の時だけ口調が変わるのも、
内心を見透かすように据えた眼をするのも、彼を受け入れられる要素は何一つなかった。
そもそも氣などという怪しい力を持たされたのも、彼が転校してきたからに違いないのだ。
平穏な生活を望む葵が、彼と歩調を合わせるなど不可能だった。
葵は今でさえ、何か口実を設けて帰りたいと思っている。
しかし、自分のための嘘さえついたことがない彼女にとって、適当に理由を作るというのは難題で、
彼と目を合わせるのを避けて考えているうちに、小蒔が来てしまった。
「……あれ? おジャマだったかな?」
「もう、そんなのじゃないのよ」
友人の冗談にこの上ない真剣さで葵は答えた。
あらぬ誤解――絶対にあってはならない誤解をして欲しくなかったのに、
小蒔には笑って流されてしまった。
「それにしても、凄いなここの桜は」
「でしょ? エヘヘッ、ボクね、この季節にここ通るの大好きなんだ」
「名前が桜井だしな」
「そうなんだよね、もう一年中桜が咲いてたらいいのに」
「でも、一週間かそこらで散るからいいって気もするな。また来年って感じで」
「それもそうなんだよねえ。緋勇クンとは気が合うよ」
先ほどの下劣な会話が嘘のように、龍麻と小蒔は意気投合している。
葵は彼の本性を教えてやりたいが、そうしたところで小蒔が本気にするはずもなく、
むしろ葵が冗談を言ったと目を丸くするに違いなかった。
さらに公園の入り口に、真神の制服を着た女性が現れる。
「おっはよう」
「あ、アン子。おはようって、もう夜だよ」
小蒔の指摘に遠野杏子は全く動じなかった。
「いいのよ、業界じゃ何時でもこうやって挨拶するんだから」
「業界って……」
アン子が加わり、ほどなく醍醐も合流する。
こうなってしまっては、葵が嘘をついて帰るのは難しくなってしまった。
「あとは……マリア先生と京一だね」
「京一はともかくとして、マリア先生はどうしたのかしら」
アン子の語尾に重なるように、この人混みにあって異彩を放つ女性が早足で歩いてきた。
金髪に赤いジャケットとスカートを着た、長身の女性は龍麻達の担任であるマリア・アルカードだ。
龍麻達以外も含めたこの場の視線を一身に集める彼女は、龍麻達に真摯に頭を下げた。
「ごめんなさい、少し遅れてしまったわ」
「そんな、まだ集合時間には二分あるから大丈夫だよ、せんせー」
あまり時間ぎりぎりに来る習慣を教え子達につけさせたくないと考えるマリアは、
小蒔のフォローに苦笑いで応じた。
「んじゃ、揃ったことだし行こっか」
小蒔が宣告し、先頭を切って歩きはじめる。
ついていったものかどうか、龍麻がためらっていると、後方から男の怒鳴り声が聞こえてきた。
「待てこらッ!! 俺を置いていくなッ!!」
その声は、龍麻にとって聞き覚えのある声で、他の連中にも聞こえているはずなのだが、
足を止める者は誰もいない。
「待てって言ってるだろうがッ!! この薄情者どもッ!!」
再三にわたる怒声に、ようやく小蒔が足を止めた。
わずかに遅れて舌打ちの音が、アン子の方から聞こえてくる。
ようやく一行に追いついた京一は、息を切らしながら彼を置き去りにした首謀者を非難した。
「くそッ、てめェら、ちょっと遅れただけで血も涙もねェのか……」
「どうせおねェちゃんのお尻でも追っかけて遅れたんでしょ。そんなの待ってる義理なんてないモン」
「ぐッ……」
小蒔に図星を指された京一は、悄然と一行に加わった。
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