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「紗夜……お前は騙されているんだ。
今その呪縛を解いてあげる。そうしたら、また兄妹で暮らせるよ」
再び腐童に、今度こそ間違いなく龍麻を狙うよう命令を下そうとする死蝋の前に、
新たな人影が複数現れた。
紗夜の悲鳴を聞きつけた京一達が、ついに部屋を探し当てたのだ。
「声がしたのはこの部屋だな」
「お、おい、なんだこりゃ」
「緋勇クンッ!」
壁中に並べられた異形の生物、中央にいる緑色の肌をした巨人、
そしてそこにいる身動きを封じられた龍麻。
異常な状況にとっさには判断がつかず、その場に固まってしまう京一達に向かって、
弱々しいながらも鋭い声が飛んだ。
「早く緋勇さんを連れて逃げてください。早……く……」
京一達の位置からでは巨人の影に隠れて見えなかった紗夜が、力を振り絞って叫んだのだ。
声で初めて紗夜がそこにいる事を知った京一は、血に染まっている顔を見て驚いた。
「ひでェケガしてんじゃねェかッ! 美里、治してやってくれッ!」
「え……ええ、でも」
紗夜との間には巨人がいて、容易には近づけそうになかった。
威嚇するようにうなり声を上げる腐童に、闖入者に同じく呆然としていた死蝋が我に返る。
「お前達……何故ここに……紗夜、まさか」
悪鬼の形相で紗夜を、次いで京一達を睨みつけた死蝋は、死人達の部屋に続く扉を開けた。
「紗夜を、お前達の好きにはさせない──僕の『力』を見るがいい、
行け、死人達ッ! こいつらを殺せッ!」
龍麻が闘ったのと同じ、人の死体を利用して偽りの生命を吹き込まれた死人が、京一達に襲いかかる。
袋から木刀を抜き放ち、京一は構えた。
「醍醐と小蒔は雑魚を頼む。デカいのは俺に任せとけッ。緋勇……少しだけ待ってろ」
素早い動きで左右に散った醍醐と小蒔を、京一は全く見ていない。
彼らが雑魚を片づけてくれることは、すでに京一にとって確定の出来事だった。
龍麻が動けず、紗夜も怪我をしている状況では、一刻も早く敵を倒す必要がある。
それでも京一は決して焦って攻撃を仕掛けはせず、半足分ずつ間合いを縮めた。
慎重に構える京一に対して、無造作に近づいてきた腐童は、そのリーチを生かし、
京一の間合いの外から殴りかかってくる。
つむじ風を巻き起こすほどの豪腕も、氣によって全身を活性化させ、
極限まで集中している京一の眼には止まって見えた。
身を沈め、易々と丸太のような腕を躱した京一は、
そのまま懐に飛びこむと、氣を注ぎ込んだ木刀を一気に斬り上げた。
刀身全体に氣のコーティングを施された木刀は、飴のように腕を斬り落とす。
そこからさらに動作を止めず、更に真横に木刀を振るった。
一瞬の停滞も無く、水面を断つが如き烈しさで腐童を斬り、再び正眼に構える。。
「う……ぉ……ぅ……」
痛みを感じることの無い腐童は、京一の攻撃に顔色ひとつ変えず、
なお命令に忠実に拳を振るおうとした。
しかし、残った左腕から、先ほどとさほど変わらぬ疾さで繰り出された拳のエネルギーを、
真っ二つにされた胴体は受け止めることが出来なかった。
京一が軽くバックステップして躱すと、半円を描いた腕の軌道はそのまま止まることなく一周する。
上半身と下半身が別々の方向を向いた所で腰を蹴り飛ばすと、
下半身が倒れ、だるま落としのように上半身が落ちた。
呆れたことに、それでも腐童は殴りかかろうとしてきたので、京一はもう一度木刀を振るった。
今度は身体を縦に割られ、ようやく腐童はその活動を永遠に停止した。
「ッたく、余計な手間かけさせんなよ」
吐き捨てた京一は、醍醐と小蒔のいずれに加勢するか、状況を見極めた。
醍醐の方は見るだけ無駄というものだった。
体格こそ醍醐と同じであるものの、彼が相手取っている化物は、腐童よりも出来が悪いらしく、
動きが緩慢で、およそ醍醐の敵とはなりえない。
余計な手助けなどしたら後で文句を言われるかもしれなかった。
一目見て醍醐を助ける必要はないと判断した京一は、残る小蒔の方を見る。
間違って女に生まれてきてしまったとはいえ、その実体は男である小蒔を助ける必要はない──
そう思わないでもない京一だったが、事実小蒔は助けなど必要としていないようだった。
明らかに人とは異なる化物にも怯むことなく、素早く矢を番えて放つ。
見事に身体の中央に刺さった鏃の部分から炎がくすぶり始めた。
たちまち大火となり、化物を焼き尽くす業火となる。
「お、おい、なんだそりゃ」
思わず訊ねる京一に、結局寄せつけることさえなく二体の化物を倒した小蒔は事もなげに答えた。
「ん? 何が?」
「何がって、その炎だよ」
「ああ、これ? みんなと同じ、『力』だよ」
「『力』って……お前今まで使ったことなかったじゃねぇか」
「だって、これ使うと矢が使い物にならなくなっちゃうんだもん。矢だって高いんだよ」
「……」
論点のずれた答えに、京一は何も言わずに頭を振った。
京一が頭を振り終えた頃、醍醐も死人を片付け終えている。
最後の一体を力任せに蹴り飛ばし、壁に叩きつける。
膂力に氣を上乗せした力は、衝突した拍子に死人の脆い首を吹き飛ばした。
壁にもたれるように崩れ落ち、そのまま動かなくなった死人の周りにいる、
既に倒された三体の死人が新たに増えた仲間を歓迎したことで、激しい、
しかし一滴の血も流れない戦闘は終わったのだった。
頼みの死人達を殲滅された死蝋は、為す術なくうろたえているようだった。
「うぅ……」
「事情は良く解らんが、こいつが緋勇を攫った犯人か」
「みてぇだな。緋勇を攫うなんざ大したヤツだ──が、その報いは受けてもらわねぇとな」
しかし、京一が一歩踏み出すと、その圧力に耐えかねたように一目散に逃げ出した。
その優男な外見からは想像もつかないほどの瞬発力で、奥の部屋へ入って行く。
「逃げるなこの野郎ッ!」
「待て京一、今はこっちの方が先だ」
「そうだ、あのコは──」
部屋の中央に紗夜はいた。
手伝おうとする葵に耳を貸さず、緩慢な動きで拘束具を外している。
京一達が集まってきても、一切の反応を示さない。
今の彼女にあるのは、ただ龍麻を救けるという一心だけだった。
もどかしい時間が過ぎ、ようやく最後の足枷が外れる。
五日ぶりに自由を取り戻した龍麻が最初にしたのは、紗夜を抱きかかえることだった。
事情はどうあれ、彼女は拘束を解いてくれたのだ。
「ありがとう、助かった」
「良かった……緋勇さん……」
顔の半面を赤に染めた紗夜の、残る半面は蒼白に彩られている。
龍麻を束縛から解き放つことで、紗夜は自分の命を繋ぎ止める力まで遣ってしまったようだった。
龍麻が抱き上げると、唇がひきつりながら動く。
それが笑みを表していると、龍麻は気づいた。
腕の中の紗夜は、死に瀕している。
急速に喪われていく命の温もりが、否応なしにそう告げていた。
「美里……頼む。治してやってくれ」
断崖の底から助けを呼ぶような、昏い声に気圧されて、
心を集中させた葵は癒しの『力』を彼女に与えた。
しかし、紗夜の身体に吸いこまれた氣は、何の癒しの力も彼女に与えなかった。
「どうして……」
自分の精神状態が乱れを生み出したのかと、葵は再び手をかざすが、
龍麻や仲間を癒した『力』は、どういう訳か紗夜には全く効果を及ぼさなかった。
「病院に行こう。今なら、まだ間に合う」
「わたしは……もう……」
「喋るな」
抱き上げようとする龍麻を制する紗夜の腕の力強さは、消え行く炎の最後の輝きだった。
「お願い、緋勇さん。聞いて欲しいの」
唇から血を滴らせながら言う彼女を、誰が止めることができただろうか。
沈痛な面持ちで、龍麻は再び跪いた。
「わたしと兄は、十二年前……父の仕事の関係で、家族と一緒にインドに向かっていました。
でも途中……その飛行機が墜落して……わたしと兄は無事でした。
墜落する時、父と母が……身を呈して護ってくれたんです。
二人きりになってしまったわたし達は、別々の親戚に預けられました。
でも、親戚達は冷たく、生活は悲惨なものでした。
だから……兄が高校を卒業するのと同時に、わたし達は家を出ました。
そして二人で暮らし始めたんです」
触れるほど近くに顔を近づけ、一言一句も聞き逃すまいと耳をそばだてる龍麻に、紗夜が微笑む。
微笑みと共に押し出された呼気には、血の匂いが混じっていた。
「緋勇さん……人は、何の為に生きているんでしょう。
わたし、ずっと考えていたんです。あの事故の時から、ずっと。
でも、緋勇さんに会ってわかったんです。護る事の大切さを。
わたし……緋勇さんに出会えて良かった」
龍麻の手に、何かが触れる。
すぐには解らなかったそれは、紗夜の手だった。
デートした時の記憶とは程遠い、冷たい手。
何かをしようと力無くさ迷う手の意図に気づいた龍麻は、しっかりと指を絡めてやった。
安心したように頷いた紗夜の、生気が失われつつある瞳に、躍るような輝きが宿る。
「そうだ……今度、また……デートしてくれませんか」
「ああ……そうだな、今度は俺の好きな場所に比良坂を連れていってやるよ」
「えへへ……楽しみ……です……」
微笑んだ紗夜の顔から、急に生色が失われる。
それが自分自身のことであるかのように、龍麻の顔からも血の気は失われていた。
「何だか……眠くなってきちゃった……それに……少し、寒く……」
「比良坂ッ!」
「緋勇さんの腕の中……あったかい……です……
わたし……もっと早く……緋勇さんに……出会えて……いた……ら……」
氣が、消えた。
彼女が生きていたら、痛いと言うに違いないほど強く彼女の腕を掴む龍麻の手が、ひどく震えた。
あまりの事態に声をかけられないでいる京一達の前で、紗夜の手を胸の前で組ませた龍麻は、
掠れた声で独語した。
「俺は、この『力』を知った時から……こんな力、失くなってしまえばいいと思っていた。
だから、自分で『力』が使えるようになって、真神に行けと言われた時、
何が起こっても一人で動くつもりだった。こんな『力』に関わって、
不幸になる人間が生まれちゃいけないと。なのに」
龍麻の肩が小さく震える。
それが収まってから発せられた龍麻の声は、もう一段低くなっていた。
「比良坂が『力』を持っていたのかどうかはわからない。
だけど、『力』を持つ俺に関わって、彼女は死んだ。
こんな力がなかったら、きっと死ななくて済んだだろうに」
紗夜は兄にそそのかされたに過ぎなかった。
そしておそらくは、兄も。
襲ってくる者を倒すのにためらいはない。
だが、彼らが死ななければならないほどの罪を犯していたとは、龍麻には思えなかった。
京一達もそれぞれの表情で、早過ぎる旅立ちを迎えた紗夜を悼む。
彼女と龍麻、それにさっきまでいた白衣の男との関係は解らなかったが、
まだ自分達と同じ歳頃の彼女が死んで良い理由などあるはずがなかった。
その、決して穢されてはならない時間を、ありえざる声が冒涜する。
「ちッ、役に立たねぇ奴らだぜ。せっかくいろいろ手を貸してやったってのによ」
「誰だッ!」
京一の振り向いた先に、それまで部屋にいなかった人物がいた。
赤色の忍者装束に身を包み、般若の面を被っていて、殺気を隠そうともしていない。
そしてその脇には、無造作に襟を掴まれている、いつのまにか姿を消していた死蝋の姿があった。
その四肢に力はなく、嫌な予感を感じた一行は、放り出された死蝋が微動だにしないことから、
予感が間違っていないことを知らされた。
「鬼道五人衆がひとり──我が名は炎角」
「うわ、火が──」
小蒔が指差した通り、名乗った男の背後で、赤い炎が揺らめいている。
錯覚でない事は、焦げ臭い匂いによってすぐにわかった。
たちまち勢いを増していく炎は、地下室全体を包み始める。
男は京一達が身構えても全く動じる様子もなく、得心したように頷いた。
「風角が言っていた小僧ってのはお前達か。くくく、面白え、こいつも縁って奴か」
般若の面の下で笑った炎角の声に、嘲りが混じる。
「いいか小僧共。この東京は、もうすぐ俺達の手に落ちる。
そうなりゃ、ここは阿鼻叫喚の地獄と化すだろうよ」
「なんだと……?」
「今日の縁が真なら、また相まみえる事もあるだろうよ。
それまで、せいぜい長生きするんだな」
炎角の嘲笑が不意に途切れる。
床を蹴った龍麻が肉迫し、手加減なしの一撃を放ったのだ。
当たっていれば、プロレスラーといえど昏倒したに違いない拳を、だが、炎角は避けた。
「危ねェ危ねェ、やるじゃねェか、小僧。俺が殺すまで死ぬんじゃねェぞ――」
どのような術によるものか、炎角は声だけを残して気配を消した。
龍麻はなお周囲を見渡すが、すでにそれどころではなくなっていた。
「くそッ、あの野郎、何ヶ所も火を点けていきやがったなッ」
「逃げるぞッ!!」
急速に周る火の手が、地下室を包む。
紗夜と死蝋の遺体を運びだす余裕もなく、京一が先頭に立ち、
醍醐が殿を受け持って、龍麻達は急いで逃げだした。
地下から出た直後、小さな爆発音がして、階段から炎が噴き上がる。
誰も近づく事のできなくなった地下室で旅立った紗夜の魂を、一同は粛然と見送っていた。
「あの男……鬼道衆と言っていたな。凶津の言っていたことは本当だったのか」
「あぁ……これも、鬼道衆が仕組んだんだろうよ」
その正体は杳として知れなくても、倒さなければならない相手だというのは歴然としていた。
死蝋と紗夜の死に大きく関わり、凶津に邪悪な『力』を与えた集団。
彼らが東京を阿鼻叫喚の地獄に落とすというのなら、絶対に阻止しなければならなかった。
まだ燃えさかる建物を、険しい表情で見ている龍麻に、京一が訊ねる。
「独断専行するのは、俺達を危ない目に遭わせねェようにだったってのか」
「……ああ」
前を向いたまま龍麻が答えた途端、京一にいきなり頭を叩かれた。
驚いて振り向いた龍麻の、顔を直視して京一は言う。
「お前が『力』とやらを俺達に使えるようにしたってんならともかく、違うんだろ?」
「ああ」
同じ返事を繰り返すしかない龍麻に、京一は今度は笑ってみせた。
「なら、お前が心配するコトじゃねェだろ。今後俺達に気使うようなマネしてみろ、タダじゃおかねェぜ」
京一に続いて、小蒔がもっともらしく腕を組んで言う。
「ボク達がこの『力』を使えるようになったコトに意味があるんなら、
それはきっと緋勇クンと一緒に戦えってコトだと思うんだよね」
「小蒔の言うとおりだぜ。大体お前、こんな面白そうなコト、黙って見過ごせるかってんだ。
なあ醍醐」
「面白いかどうかはわからんが、鬼道衆という奴らと俺は無関係ではなくなったからな。
一緒に往かせてもらうぞ、緋勇」
親友が鬼道衆に唆された醍醐を説得するのは難しいだろうし、
好奇心を全面に出している京一と小蒔を諦めさせるのはもっと難しいだろう。
龍麻は諦めて頭を振った。
「わかったよ。……改めて、よろしく頼む」
「へへッ、任せとけって。ま、今日のところはとりあえずラーメン食いに行くか」
「賛成ッ! 氣って使うと結構お腹減るんだね。ボク、さっきお腹鳴っちゃったよ」
「やれやれ……お前たち、緋勇からラーメンをたかるために一緒に行動するんじゃないだろうな」
「そんならお前は自腹で食えよ」
一刀のもとに切り捨てられ、声をつまらせる醍醐に、小蒔が笑いだす。
つられて笑った龍麻は、ラーメンを奢ることを確約し、京一たちは一層盛りあがるのだった。
火は強さを増し、龍麻たちのところまで熱気を運んでくる。
もはや消せるものではなく、近隣住民が通報もしているだろう。
「逃げようぜ。事情を説明したところで、信じてもらえるとは思えねェ」
京一に頷いた四人は、人が集まってくる前にその場を離れた。
新宿に戻った龍麻たちは、ラーメン屋に向かう。
京一と小蒔がどこの店にするかで口論を始めたので、葵はその隙に帰ることにした。
「えッ、葵帰っちゃうの?」
「ええ、少し疲れてしまったから、先に失礼させてもらうわ」
「わかった、それじゃまた明日ね」
「じゃあなッ」
小蒔に小さく手を振って葵は家路につく。
疲れたというのは嘘ではなかったが、より大きな理由が葵にはあった。
今、龍麻とは一緒にいられない。
鬼道衆という、平気で人を殺せるような集団も恐ろしかったが、
自分の身に生じている変化のほうが、葵には恐ろしかった。
龍麻のことを考えるだけで、落ち着かない気分になる。
それは絶対にあってはならないことで、葵は、幾度も頭を振って雑念を追い払った。
龍麻とはもう一秒たりとも一緒に行動したくないが、
卒業までは一緒に行動するという約束を交わしてしまった。
それに、約束を交わした時に龍麻が言ったように、葵が巻きこみたくない小蒔は、
自分から龍麻と一緒に戦うと宣言した。
龍麻と敵、双方から小蒔を護るために、葵も往かなければならない。
そのためには、勁くならなければ――
顔を上げた葵は、強い決意を眉目にみなぎらせて自分自身に誓うのだった。
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