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水岐涼は、まだ生きていた。
だが、それも時間の問題であるのは明らかだった。
全身には痣があり、顔からは血の気が全く失せている。
手加減できる相手ではなく、斃したことに後悔もないが、それでも、死は斃した龍麻だけでなく、
死に立ち会う全ての人間に苦痛を与える。
救えるのならば救おうと、龍麻は癒しの『力』を持つ葵に頼んだ。
「『力』を使ってやってくれないか、美里」
「……はい」
葵の掌が、淡く光る。
それはこれまで幾度となく龍麻たちを助けた、癒しの光だった。
しかし光は水岐の身体を照らしをしても、痣を消し去り、顔色を元に戻すことはない。
何かが、葵の『力』を阻んでいるのだった。
「この人の身体には〜、もう氣がほとんど残ってないわ〜」
ミサの言葉の意味にいち早く気づいたのは、死に瀕している水岐当人だった。
再び手をかざそうとする葵を押し留め、小さく笑う。
それはかつて見た皮肉を口の端に浮かべたものではなく、赤ん坊のような邪気のないものだった。
「君とは……どこかで会った気がする……」
水岐は呟いたものの、それ以上葵に関心を払うことはなく、目を閉じる。
黙然とたたずむ龍麻達の耳に、小さな声が漂ってきた。
「かくて、今……かくて、いま、長き葬列、楽声も読経も無く──
静かに我が魂の奥を過ぎ、希望、打ち砕かれて忍び泣く。
心無き圧制者の苦悩──うなだれし我が頭上に、黒き旗深々と打ち込み……たる……」
声はそこで途切れ、それきり何も聞こえてこない。
それが意味するものの重さに、一行は闘いの興奮も醒め、粛然と水岐の冥福を祈った。
息苦しい沈黙に呑みこまれた一行であったが、俄に鳴動が聞こえてくる。
足元だけでなく、洞窟全体が揺れ始めていた。
「むッ……まずいな、崩れるぞ」
「げッ、とっとと逃げようぜ」
龍麻たちは洞窟を後にして逃げだした。
階段を上りきった後も、鳴動は続いていた。
墓石を戻した龍麻は、入り口に完全に蓋をする寸前、階段が崩れ落ちていくのを目にする。
これではもう、地下に入るのは不可能だろう。
「崩れちゃったね」
「ああ……真実は土の中となってしまったな」
醍醐の言うとおりで、龍麻は忌々しげに自分たちが出てきた墓石を睨んだ。
今回もまた、龍麻たちは鬼道衆の陰謀を阻止はできたものの、
彼らの正体と、突如身についたこの『力』の謎についてはまったく判らなかったのだ。
その間にも水岐涼を含め、多数の犠牲者が生じてしまっている。
彼らの目的が何であるにせよ、たやすく人の命を奪う輩を、許すわけにはいかなかった。
それは龍麻が『力』に目醒めた時からの、誓いだった。
如月とは今後も連絡を取りあうことを約束して別れる。
龍麻たちもそれぞれ解散したが、その前には一悶着あった。
「あァ、腹減った。ラーメン食ってこうぜ、緋勇」
「いや、今日は駄目だろう」
「なんでだよ」
「こんな臭いさせて食べ物屋なんて入ったら、行きつけの店だって追いだされるぞ」
「うッ……」
よほどのことは気にしない京一も、さすがに下水の臭いをつけたままラーメン屋に入る
危険には気がついたらしく、断念せざるを得なかったようだ。
「くそッ、とんだタダ働きだぜ……帰ろうぜ、醍醐」
「ああ、それじゃな、緋勇」
京一と醍醐は連れ立って帰っていく。
雨紋は如月にくっついて帰り、ミサはいつの間にか帰っていた。
後に残ったのは葵と小蒔で、二人は困り果てていた。
「どうしよう、泊まるつもりでウソついちゃったから、家に帰れないや。
今から泊めてくれる子探すのも難しいよねえ」
「そうね……」
二人が思案していると、聞いていた龍麻が爆弾発言をした。
「困ってるんなら、俺の家に泊まっていけばいい」
「えッ!?」
男性の家に泊まるという考えは全くなかった二人は、揃って驚いた。
「誰か当てがあるとしても、その臭いじゃ説明が面倒くさいことになるぞ。
俺の家なら洗濯機はあるし、何なら新しい制服を買ったっていい」
「うーん……」
確かに龍麻の家なら問題のほとんどは解決できる。
小蒔は前向きに検討を始めたようだが、葵にとっては冗談ではなかった。
「いくらなんでも、そこまで甘える訳にはいかないわ」
「別に、甘やかしてる訳じゃねえよ。強いて言うなら礼だな。臭い所につき合ってもらった」
「緋勇クン家って、乾燥機もあったよね」
「ああ」
「ね、葵、泊めてもらっちゃわない?
緋勇クンの言うとおり、こんな臭いで友達のトコには行きたくないよ」
「でも……」
龍麻の家に泊まるなど、自ら虎口に飛びこむようなものではないか。
いくら小蒔と一緒でも、龍麻がその気になれば二人ともその牙にかけるということだって可能だろう。
他に案がないか、必死に考える葵に、龍麻が追い打ちをかける。
「悪いが、シャワーは先に使わせてもらう。で、終わったら何か食い物買ってくるから、
その間にシャワーと洗濯をしておいてくれ。乾燥機の使い方はわかるか?」
「うん、ありがと」
龍麻の対応は紳士的と言えるほどで、葵も口を挟めず、
結局二人とも龍麻の家に泊まることになってしまった。
ただし、油断させておいて後から、という可能性もあるので、安心はできない。
とにかく明日龍麻の家を出るまでは、油断してはいけないと葵は気を引き締めた。
「それじゃ、そろそろ寝るか」
「うんッ、おやすみ、緋勇クン」
「おやすみなさい」
灯りを消し、葵と小蒔は布団に入る。
これまでのところ、龍麻の接待はほぼ完璧で、小蒔などは本気で時々遊びに来たいなどと言いだしていた。
龍麻もそれを拒まず、葵を不安にはさせたが、それは未来のこととして、
ひとまずは今日を無事にやり過ごすことに集中する。
隣ではすでに小蒔が健やかな寝息を立てていた。
葵は息を殺し、いつ扉が開いて龍麻が入ってくるか、ずっと警戒している。
灯りを消してから、一時間が過ぎていた。
龍麻はまだ動きを見せない。
忍び寄る睡魔と戦いながら、葵は、彼がいっそ行動を起こしてくれれば良いのにとさえ思っていた。
このまま待ち続けるべきか――迷った葵は、彼が眠ったのかどうか、確かめてみようと思い始める。
もし龍麻が起きていて気づかれたら何をされるかわからず、あまりにも愚かしい行動ではないか。
そう自制もしてみたが、もしももう彼が寝ていたら、これ以上無駄な時間を過ごす必要もなくなるという
誘惑には勝てず、龍麻が眠っているか、確かめるだけ――という言い訳を自分にして、
葛藤の末、起きて制服を着た葵は、そっと居間の様子を伺った。
龍麻はソファに横たわっていた。
眠ってはいない。
何かの本を読んでいたが、戸を開けた小さな音にも気づいて、葵と目が合った。
「どうした」
警戒している葵を取り越し苦労だと笑うような、優しい声だった。
気づかれてしまった以上素知らぬ顔もできず、葵は居間に入った。
身体を起こした龍麻は、葵に座るようソファの端を指し示す。
以前治療と称して身体を触られた場所に座る気にはなれず、葵が立ったままでいると、
勘づいたのか、肩をすくめた龍麻は、今度はソファの前に置かれたテーブルを指し、自ら床に座った。
ソファよりはましだと、諦めて葵も彼の向かいに座る。
「眠れないのか」
「ええ……緋勇君も?」
「まあな。今日のあの場所……増上寺の地下だと言っていたな、ずいぶん陰の氣が溜まっていた。
あんなのに当てられたら、そう簡単に治まるもんじゃないだろう。
お前が眠れないのも、その影響かもしれねえな」
手を口に当て、考える表情をした龍麻は、おもむろに言った。
「背中を向けろ。少し、陽の氣を入れてやる」
「い、いいわ、そんなことしてもらわなくても」
深夜であることも忘れ、葵は声を大にして拒絶した。
この部屋で氣を使った治療をされ、その後どうなったか、鮮明に記憶が蘇る。
ここ最近の変調も、あれが全ての始まりではないかとさえ疑われるのだから、
氣など注入されるわけには絶対にいかなかった。
「いいから早くしろ。単に氣が多くて昂ぶってるだけなら構わないが、
あそこにあったのは全部陰の氣だからな。悪影響が出てるんなら、早く治した方がいい」
「陰の……氣?」
「氣には陽と陰がある。半々が理想的なんだが、そんな奴は中々いなくて、大体はどっちかに寄ってるらしい。
これは性質の話で善悪の問題じゃないが、あまり一方に偏ると、心身に影響が出る」
龍麻は治療と称する行為を止めるつもりはないらしい。
彼が力づくで行おうとしたなら、引っぱたくなり大声を出すなりできただろう。
けれども龍麻の説明には説得力があり、強引ではあっても乱暴ではなかった。
そしてもうひとつ、何も音のない深夜にあって、龍麻の声は催眠術のように葵の聴覚を懐柔し、
結局葵は、彼に背中を――服を脱げと言われたら、断固として拒否しただろう――
預けることに同意してしまった。
「ゆっくり深呼吸しろ……そうだ、もっとゆっくり……深く、長く……」
龍麻の掌が背中に触れる。
温かく、そして気持ち良い。
「俺もうかつだった。あんなに陰の氣が溜まってる場所だと判ってりゃ、お前を連れて行きはしなかった」
悔いているような発言が意外で、それほど氣というものの影響力は大きいのかと葵は心配になった。
「小蒔や、他の皆は大丈夫なの?」
「俺や、たぶん如月もだな、訓練を積んだやつなら意識して半々を維持できるし、京一達は少し陽に寄ってるんだろう。別に、気分が悪いとか言ってなかっただろう?」
「ええ」
身体が温まるにつれ、澱みのようなものが抜けていくのを感じる。
それは悪くない――悪くなさすぎる心地だった。
呼吸を繰り返すうち、身体に熱が溜まっていく。
病気の発熱時とは違う、気怠さを伴わないそれは、
葵にここ最近馴染みとなりつつある感覚を思いださせてしまった。
「もう……だいぶ楽になったわ。ありがとう」
危険を自覚した葵は、龍麻から離れようとする。
だが、性急だったのが災いしたのか、バランスを崩してしまった。
「あッ……!」
葵は龍麻の腕の中にいた。
床に転ぶのは免れた代わりに、より大きな災厄に飛びこんでしまったのだ。
「は、離して……!」
あれほど警戒していたというのに、自分の浅慮を呪いながら、葵はもがく。
それほどの抵抗にはならなかったが、龍麻はそれ以上狼藉を働こうとはしなかった。
あっさりと葵を離し、あっけにとられる葵に囁きかける。
「そろそろ気づいても良さそうなもんだが」
「……何を……言っているの……!?」
龍麻は答えず、興味はなくしたとばかりにソファに身体を投げだした。
「俺は寝るから、電気を消していってくれ」
小さなあくびを一つして、龍麻は本当に眠ってしまった。
窮地を脱しながら、狐につままれた表情で葵は寝室に戻り、
小蒔が起きていないのを確かめると布団に入った。
といっても寝つけるわけがなく、龍麻の言ったことを何度も反芻する。
いったい、何に気づくというのだろうか。
それに気づいたことで、何が変わるというのだろうか。
龍麻が転校してから今日まで、嫌な記憶も含めて思いだしてみたが、心当たりは何もない。
もっともらしいことを言って、幻惑させようとしているのか――
それにしては自信たっぷりだった。
彼が言う何かに気づいたとしても、彼の思い通りには絶対にならない――
そう決心するしか、今の葵にはできなかった。
さっきまでは感じなかった疲労が、急速にやってくるのを感じて、葵は目を閉じた。
龍麻はもう、今日は何もしてこない気がした。
だからといって、それは決して彼に対する信頼ではない、
と自分に言い聞かせながら、葵は深い眠りに落ちていった。
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