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 薄闇に、男女が居た。
一組ではない。
一人の男に、複数の女が侍っていた。
いずれも類稀な美女は全員が男に心酔しているようで、
身体を擦りつけて機嫌をとろうとしていた。
男はそれが生来の態度であるかのように女達を傅かせ、
生っている果実をもぎとるように乳房を掴み、腰を抱き寄せる。
寵を与えられなかった他の女は悔しげな嬌声を漏らし、負けじと肢体を絡みつかせ、
熱い吐息を投げかけて男を誘惑しようとした。
それに応えるように男は一人の女の尻に手を添え、膝に座らせる。
幼い顔立ちからは想像もできない淫猥な腰づかいで男を誘惑したその女は、
乗ってこない男に業を煮やしたように男の股間に手を伸ばし、牡を貪ろうとした。
「御屋形様ッ!!」
 女が牡を隠す野暮な衣服に手をかけたまさにその時、突然襖が開け放たれた。
 無論ひとりでに開いたのではない。
両側に開かれた襖の中央に、男が畏まっていた。
射しこむ光に驚いた女達の悲鳴が闖入者を責めたが、
古風な忍者装束を着たその男は慣れているのか、頭を垂れたまま微動だにしなかった。
光が部屋を照らしだし、中にいた女と男の姿が浮かび上がる。
 男は、ふてぶてしい笑みを浮かべて座っていた。
学生服を着てはいるが、髪を後頭部で結い、眼帯をした姿は威風堂々たるものだ。
骨太の線に力強い眉目が載った顔立ちと共に、世が世なら一国の主をも思わせる風体だった。
昨今ではあまり見られない、男の全身から発散される強烈な牡性に、
女達はいずれも蕩けきった顔をしている。
彼女達は男と同じく制服を着てはいるものの、スカートの裾はだらしなくはだけ、
太腿も扇情的に開いており、そこから立ちこめていた息の詰まるような牝の芳香が、
開け放たれた襖から零れだしていた。
「なんでェ、騒々しい」
 御屋形様、と呼ばれた部屋の中にいた男は、不機嫌そうに言葉を放った。
女達の非難の声にも動じることのなかった忍者装束の男は、初めて恐縮したように身をすくめる。
「申し上げます。鬼道門の封印は邪魔が入り解く事叶わず、
すッ、水角様も討ち死にされた御様子で──」
「なんだと? ……もう一度言ってみろ」
 女の乳房を揉みしだきながら報告を聞いていた男は、驚いたように身を起こした。
膝に跨っていた女が滑り落ちたが、心配しようともしない。
落ちた女も抗議の声をあげることもせず、
それどころかたった今まで淫蕩に戯れていた男に恐怖を感じ、距離を置き始めていた。
「きッ、鬼道門の解封の儀は失敗に──」
「珠はどうした」
 男の声が険しさを増し、装束の男はますます身を縮めた。
「そッ、それが、水角様を斃した輩に奪われ……目下、人を出して捜させております」
「そうか……水角の奴め、せっかく俺が封印を解いてやったってェのによ。で、斃したやつは見たのか」
「はッ、それが……まだ年若い輩で、年の頃は十七、八かと」
「若ェな」
 呟いた男は顎に手を当て何事か考えたが、すぐに離し、不気味なほど陽気な声で配下を呼び寄せた。
「あァ、ちょっとこっちへ来な」
 部下の男は危険を覚えずにはいられなかったが、主君の命令は絶対であり、震える膝を叱咤して歩み寄った。
 刹那、鋭い音が疾る。
一瞬遅れて、膝立ちで近づいていた男の胸から血が噴き出した。
座っていた男が、女を抱きかかえたまま刀を抜き放ち、一刀の許に部下を斬り捨てたのだ。
斬られた男は死期に及んでさえ忠義の証として仰向けに倒れ、主を血で汚すまいとしているようだった。
男が自らの血の池に沈んだ頃、女達の正真正銘の悲鳴が響き渡り、たちまち部屋は地獄絵図と化した。
「長い黄泉路の旅だ、水角もひとりじゃ寂しかろうよ。供をしてやんな」
 物言わぬ屍と成り果てた部下には目もくれず、刀を鞘に収めた男は空に向かって呼びかけた。
「ふむ……炎角、雷角、岩角ッ」
「ここに」
 姿も無く、ただ声だけが応じる。
応じた声は間違いなく部屋の中から発せられたものであったが、
死した男が開けた襖によって陽光が射しこみ、隅々までを照らし出している部屋の中には
御屋形様と呼ばれた男と女達、そして屍の他には誰もいなかった。
 刀を鞘に収めた男は、静かに命ずる。
「お前達は引き続き例の物を捜せ」
「御意。我等、必ずや御屋形様の御役に立って御覧にいれます」
「うむ。あれが俺の手に入らなければ、所詮──全ては世迷い言だ」
 気配が消え、静寂が訪れる。
新たな部下が同胞の死体を片づけるのを見ながら、男は再び口を開いた。
「それから……風角はいるか」
「御屋形様の御側に」
 やはり姿は無い。
しかも声は先ほどの三人に較べ、更にどこから聞こえてくるのか判らない、奇妙な響きを帯びていた。
男は前方を見据えたまま、風角と呼んだ部下に訊ねる。
「準備は進んでいるだろうな」
「委細滞り無く。最後の贄と、月の満ちるのを待つばかりでございます」
「そうか……上出来だ」
「ははッ、ありがたぎ御言葉。この風角、老いた我が身果つるまで御屋形様の御為となりましょう」
「世辞はいい。抜かるんじゃねェぞ」
「ははッ、では」
 気配が消える。
 死体を片づけ終えた部下に顎で退出するよう命じた男は、しばし目を閉じた。
「俺は高みの見物と洒落込むか。くくく……面白くなって来やがった」
 独り嗤った男は、怯えて声も出ない女の腰を抱き寄せ、強引に跨らせる。
襖が閉められ、再び薄暗くなった部屋には、男の嗤い声と血臭だけが漂っていた。

 新宿駅の片隅で、葵は腕時計に目をやった。
小蒔との待ち合わせの時間まで、あと五分。
葵が到着したのはさらに五分前だが、親友の姿は未だ影も形もなかった。
 十分前はともかく、五分前には行動する習慣を、小蒔もそろそろ身につけたほうが良いのではないか。
そう思いもするものの、実際に小蒔が遅刻したことはなく、
それが葵に親友を諌める気をなくさせる理由のひとつだった。
 三分前になった。
右手首の時計を再度見た葵は、今度はそこから顔を上げなかった。
今はもう痕も残っていないが、記憶ははっきりと刻まれてしまった。
 先日、学校の廊下で、佐久間猪三に掴まれた手首。
強く、汗ばんだ手は、葵に多大な苦痛と恐怖をもたらした。
小蒔が救ってくれなかったらと思うと震えが止まらず、家に帰ってから何度も、肌が赤くなるまで洗った。
 それから佐久間とは会っていない。
彼が学校に来なくなったのだ。
それがこの出来事が原因なのかは不明だが、葵としては、
率直に言って彼と顔を合わさなくて済んでいるのは良かったと安堵していた。
手首を見るたびに佐久間を思いださせられるなど、たまらなく嫌だったのだ。
 右の手首には、もう一つの記憶が刻まれている。
それは今年の春に転校してきた緋勇龍麻によってつけられたものだ。
その記憶も、出口のないトンネルのように、暗く忌まわしい。
だが、彼に掴まれた後、なぜか感じる熱は、どういうわけか佐久間のそれのようには疎ましいものではなく、
それどころか、まことに不本意ながら、身体の火照りさえ誘発させられてしまうのだ。
 この信じられない状況を、葵はまだ整合できていない。
それでも、佐久間と龍麻の記憶のどちらがよりましかとなれば、
極めて消極的ながら、龍麻の方を選ぶしかないのだった。
 朝から快いとはいえない思いを巡らせている間に、秒針は一周している。
顔を上げた葵が周りを見渡すと、彼女に向かって一直線に近づいてくる少女がいた。
「おっはよう、葵ッ。まだセーフでしょ?」
 小蒔の快活な挨拶は、直前までの考え事を忘れさせてくれる。
走ってきたのか、葵の所に来るなり肩で息をしている小蒔に、葵は笑顔で応じた。
「ええ、あと一分を切っていたけれど、間に合っているわよ」
「よかった、葵との約束に遅れちゃうわけにはいかないもんね」
 呼吸を整えた小蒔が身体の向きを変える。
「それじゃ行こっか」
「ええ」
 二人は今日の目的地である雑貨店に向かって出発した。
今日はそれぞれ買いたいものがあり、一緒に見て回るのだ。
 雑貨店に行くには新宿駅を突っ切っていく方が早く、なるべく人通りの少ない通路を選んで歩く。
急ぐわけではないので、他愛もないことを話しながらのんびり歩いていた二人は、
やがて小蒔が足を止め、前方に目を凝らした。
「あれ? 緋勇クンじゃない? おーいッ、緋勇クン」
「なんだ、桜井に美里じゃないか」
 葵は表情を隠すのに若干の努力を強いられた。
同じ新宿区内に住んでいるとはいえ、こんなところで龍麻に会う偶然と、
止める間もなく彼を呼んでしまった親友の無邪気さに、心穏やかではいられなかったのだ。
「偶然だね。これからどっか行くの?」
「ん? ああ、ちょっと買い物にな」
「ホントッ!? ボク達も買い物行くところなんだ。それだったらさ、一緒に行かない?」
「……いいのか?」
 そう訊かれて嫌だと言える人間が、どこかにいるのだろうか?
葵は沈黙を保つことで、彼女なりの意志を明らかにしたが、
小蒔は気づかなかったようで、この女性にとって極めて危険な男を歓迎さえしていた。
「もちろんッ! 何買うかちょっと迷っててね、緋勇クンにアドバイスしてほしいんだ」
「責任重大だな」
「エヘヘッ、期待してるよ」
「わかった」
 葵が一言も口を挟めぬまま、二人での楽しい買い物は三人での緊張する半日となってしまった。
 龍麻と小蒔が多く話すので、自然と並びは龍麻と小蒔、その後ろに葵となる。
それも面白くはない葵だが、さすがにそんなことで拗ねるわけにもいかず、二人の後ろをついていくしかない。
「で、何を買うんだ?」
「大したものじゃないんだけどね。ボクは弟の誕生日プレゼントで、葵は……確か、日記帳だっけ」
「ええ。でも、私はただ小蒔の買い物のついでにって思っただけで」
 関心を惹かないように、葵は控えめに応じた。
「緋勇クンは何買うつもりなの?」
「食器を少し」
「え、それって」
「今は一人分もないからな。ちょうどいい機会ではあるんだよ」
 先日龍麻の家を訪れた時、京一と小蒔がまた遊びに来たいと言ったのを龍麻は覚えていたのだ。
 そこまでするとは思っていなかったらしく、小蒔は申し訳なさそうな顔をした。
「もしかして、迷惑だった?」
「いや、全然。いつでも来ていいぞ」
「ホント!? えへへッ、じゃあそのうち遊びに行くね」
 喜ぶ小蒔の後ろで、葵は眉を曇らせる。
小蒔一人で遊びに行かせなどしたら、どんな災難が降りかかるかわかったものではない。
是が非でも止めさせるか、あるいは一人で行かせないようにしなければならなかった。
「ねえ、その時は私も行ってもいい?」
 葵が言うと、龍麻よりも小蒔の方が驚いた。
「えッ!? どういう風の吹き回し? まさか葵……」
 盛大に誤解しているらしい小蒔に、葵はとっさに理由を考えた。
「緋勇君の家って素敵だったから、もう一度お邪魔したいって思っていたのよ」
「あー、確かに理想の家って感じだよね。ちょっとうらやましいよねえ」
 特に疑いを持たなかったらしい小蒔に、嘘をついてしまったことを内心で詫びつつ、
彼女のためであると信じ、やむを得ないことなのだと葵は自分に言い聞かせた。
「あ、そうだ、先に言っとかなきゃいけないんだけど、ボク達午後から学校に行かなきゃならないんだ」
「学校? 何の用だ?」
「ボクは部活。もうじき最後の練習試合があるからね。葵は……生徒会だっけ」
「ええ。どうしても片づけなければいけないことがあって」
「そうか。真面目なんだな、二人とも」
「好きでやってるコトだからね」
「美里も生徒会は立候補したのか?」
 急に話題を振られて、葵は言葉を選びつつ答えた。
「ええ、誘われたのは先輩からだけど、一応立候補したわ」
「葵は二年の後期にもう生徒会長に当選したんだよね」
「へえ、凄いな。……大変だったんじゃないのか?」
「そう……ね。少しだけ」
 実際は年下の生徒会長に対する嫉妬などはなく、先輩達のサポートも厚かったので、
仕事以外での苦労はほとんどしていない。
それをそのまま伝えなかったのは、正直に伝えると思い上がっていると取られると考えたからだ。
「大したもんだな。組織の長になるなんて、俺には考えもつかない」
 額面どうりに受け取ったらしく、素直に感心している龍麻に、
小細工を弄した気がして、葵はわずかに後悔した。
「でもさ、緋勇クンだって新しく知り合った人とすぐ仲良くなってるじゃない。
結構トップに立つ才能ある気がするけど」
「仲良くなってるか?」
「だってさ、ミサちゃんが誰かと一緒に行動するのなんて、ボク見たことなかったもん」
「裏密か……正直、知識はともかく体力は全然なさそうだからな。
戦いになったら庇わないとどうしようもないと思ってたんだが、むしろ俺達の方が助けられてるな」
 先入観なしにミサを評価したのが嬉しいらしく、小蒔は大きく頷いた。
「えへへッ、だよね。ボクもミサちゃんが魔術? っていうの?
まで使えるなんて思ってなかったけどさ。占いがよく当たるのは知ってたけど」
「もうちょっと具体的に教えてくれるとありがたいんだがな」
「それはボクもちょっと思うけどね。でも占いってあんなもんじゃない?」
 そんなことを話しているうちに、目的地に着いた。
 上から順番に見ていこうという意見が一致したので、エスカレーターを上る。
雑貨店と百貨店の中間のような店はまだ開店直後とあって、さすがに人は少ない。
テンションが上がっているのか、小蒔は小躍りするように移動した。
その後ろをごく普通についていく葵は、三階から四階へ上がる途中で訊ねる。
「小蒔の弟さんって、来年中学生になるのよね」
「それは上から二番目。今度誕生日なのは一番下のヤツなんだ。来年小学校に上がるの」
 まだ他にも兄弟がいることをほのめかす小蒔の口ぶりに好奇心を刺激されたようで、龍麻が割りこんできた。
「桜井のところは何人姉弟なんだ?」
「あ、緋勇クンは知らなかったっけ。ボクが一番上で、下に五人いるんだ」
「五人!」
 絶句する龍麻に、小蒔は愉快そうに腹を抱えた。
「多いよね、今どきにしては。緋勇クンちも葵んちも一人だもんね」
「そりゃ賑やかそうだな。毎日が楽しそうだ」
「まあね、ご飯のときとか大変だけど、新鮮ではあるよ」
「桜井が一番上なのか?」
「うんッ、あとは男女交互に五人。覚えやすいでしょ」
「……そうだな」
 龍麻の返事が遅れたのは、覚えてどうするのだと思ったからかもしれず、
逆に、何か良からぬことを考えたのかもしれない。
小蒔の身の安全を慮る葵としては、親友が無警戒に情報を漏らしていくのは止めさせたかった。
「あっ、この階よね。小蒔の買い物って」
「そうだね」
 タイミング良く目的の階に到着したので、なんとか話題をそらすことができた。
 高校三年生ともなると、おもちゃ売り場とは縁遠くなっているだろう。
葵など、そもそもおもちゃ売り場に来た回数が数えるほどしかなく、
今日も少し気恥ずかしさを覚えるくらいだが、小蒔はそうでもないらしく、
売り場を見渡す目は楽しそうに輝いていた。
まさかさっき歩くのが速かったのは、早くここに来たかったからではないのか。
あくまでも好意的に、けれども少しだけ意地悪に葵はそう思いもする。
「んっと、おもちゃ売り場はここだね。何にしようかな」
「候補はあるの?」
「うん、テレビでやってるロボットか、このラジコンか……あ、ゲームもいいよね。
緋勇クンならどれがいい?」
「迷うな。ロボットもラジコンも面白そうだし、ゲームは大勢で遊んだら楽しそうだ」
 真剣に吟味する龍麻に、小蒔は驚いたようだ。
あるいは、男の物欲というものを甘く考えていたのかもしれない。
「ねえ、緋勇クンが買うみたいだよ」
「ん? ああ、悪い。そうだな……ゲームがいいかな」
「そうだね。ゲームなら皆で遊べるし、いいかも。んじゃ買ってくるからちょっと待ってて」
 小蒔はあっさりと同意し、支払いをするべくレジに向かった。
 図らずも龍麻と二人きりになってしまい、自分からは話しかけたくない、
と思っている葵に、龍麻の方から話しかけてきた。
「美里はゲームはするのか?」
「えッ? ううん、しないわ」
「そうだろうな」
 全く腹を立てる必要などなかったにもかかわらず、
いかにも人となりを知っているような龍麻の返事に、葵は気分を悪くした。
龍麻になど知られても迷惑なだけだというのに。
「緋勇君はするの?」
「ああ、人並みには」
 人並みというのがどの程度なのか、葵には判らなかった。
そもそも親友の小蒔がどの程度ゲームをするのかも、実はよく知らない。
そういえば男子生徒とそういう話をしていた気もするが、葵自身が興味が無いので気に留めることもなかったのだ。
もう少し関心を持っておけば良かった、と思ってみても後の祭りだ。
葵としては、警戒を強めるしかなかった。
 支払いを終えた小蒔が戻ってくる。
会話をしていながら、微妙に楽しそうではない二人の表情が気になったようで、
次の階に移動する前に二人に質問した。
「お待たせッ。何話してたの? ボクに言えないようなコト? デートの相談とか」
「そ、そんなんじゃないわ」
「美里はゲームをするかって訊いたんだよ」
「ああ、しないよね、葵は全然。緋勇クンはするっぽいよね」
「修行を始める前までは結構してたな。今も別に飽きたわけじゃないし」
「どんなのが好きなの?」
「一通りはするな。ゲーセンも行くし」
「ホントッ!? ボクもね、ゲーセン好きなんだ。今度一緒に行こっか」
「いいぜ」
 軽く約束してしまう小蒔に、葵は心中穏やかでなかった。
 


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