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変生 ─後編─ 2へ>>
寧日。
龍麻達三人は、真神学園の屋上で放課後の一時を過ごしていた。
空はどこまでも青く、そこからくりぬいたような白い雲が所々に浮かんでいる。
どういう風の吹き回しか、普段なら何人かはいるこの場所は、今日は龍麻達三人だけだった。
と言っても、三人に何か用がある訳でもない。
強いていうならば、今帰ってもラーメン屋がまだ開いていないので、
それまでの時間潰しといったところだった。
「龍麻」
寝転がって空を見ていた京一が、同じく仰向けになっている龍麻に呼びかける。
しかし返事はなく、京一が身体を起こすと、
龍麻は前髪を風にそよがせて健やかな寝息を立てていた。
「ッたく……寝てばっかじゃねェか」
今日は午後の授業を全部寝た為、
今は目が冴えている京一は一向に起きる気配のない友人をつまらなそうに見やる。
起こすか、それとも置いてさっさと帰るか──友をほったらかしにする男にどんな裁きを与えるか、
京一が酷いことを考えていると、金網にもたれていた醍醐が話しかけてきた。
「なあ、京一」
「なんだよ」
「お前、最近の佐久間を見ていてどう思う」
「知らねェよ。俺に男を観察する趣味はねェからな」
もっともな台詞に苦笑した醍醐は、しかしそこで話を止めず、空を見上げて続けた。
「俺はな、京一。この頃良く考えるんだ。
俺達が持つこの『力』は何の為にあるんだろう……ってな」
「……」
「『力』を持つ者と持たざる者──その違いは一体どこなんだろうって考えるのさ」
「またお前はそんな辛気臭ェこと考えてんのかよ」
とりあえず龍麻に対する罰は後回しにし、
京一は全くこの秋空に似つかわしくないことを言う男にらしくない説教を始めた。
「いーじゃねェか、別に、どっちでもよ。別にあって困るもんでもねェだろうが。
──それによ、他人が持ってねェモンを持ってるってコトは、気分がいいじゃねェか」
軽口を叩いてみせる京一だったが、醍醐は乗ってこなかった。
腕を組み、遥か遠くを見つめてひとりごちるように呟く。
「お前らしいな。……が、そう考えられるお前がうらやましいよ」
「……ッたく、美里もだけどよ、お前ら余計なコト考えすぎだぜ」
「あぁ……そうかもしれんな。だが……生きていく上で、こんな『力』は必要なのか?
確かに俺達はこの力のお蔭で命を助けられたこともあった。
だが平凡な人としての生をまっとうできず、愛する者をもこの力の為に失わなければならないとしたら、
俺は……そんな力は欲しくない」
「……」
「俺は、これ以上何かを失うのは御免なんだ」
言葉を切った醍醐は、話題を変えた。
「俺は──今の佐久間に、凶津を重ねて見ているのかもしれない」
「確かに佐久間はお前のことを良くは思ってねェだろうさ。
お前と自分との差を歴然と感じてんだろうよ」
醍醐の心配は、京一には危うく感じられるものだった。
佐久間は他人の努力を認めようとせず、自分に才能が無いことを受け入れられず、ただ妬み、僻(む。
恐らく最も醍醐とは相性が悪いタイプだろう。
はっきり言えば、全く関わらないのが一番の選択なのだ。
しかし京一は、それを口にはしなかった。
「お前があいつのコトを心配してんのは解るがよ、それが佐久間に伝わるかどうかは別問題だろうよ。
佐久間(にはお前の気持ちを受け入れるだけの余裕は無いと俺は見てるがな」
「……」
「あんまり甘ェこと言ってると、取り返しのつかねェコトになるぜ」
「……あぁ」
渋々一度は頷いた醍醐は、すぐにまた口を開く。
「京一、俺は──」
「俺はなァ、醍醐。何が起こるかわからねェ日常の中で、
絶対に護らなくちゃならねェモンを抱えちまったお前の方がよっぽど心配だぜ」
遮った京一の口調に、深い気遣いを感じ取った醍醐はそのまま沈黙した。
解らなかった。
答えがあるのなら、教えを乞いたかった。
しかしそんなものは存在しない。
醍醐の求める問いの答えは、人それぞれが探さねばならず、
しかも正解かどうかは絶対に解らないものだった。
再び腕を組み、己一人の思索の路に入り込んだ醍醐を見やって、京一は頭(を振る。
髪を、ほんの少しだけ冷たさを感じさせる風が揺らした。
乱れてしまった髪をかきあげ、京一は呟く。
「風が──強くなってきやがったな」
空に向けて放たれた京一の声は、すぐに秋の始まりを告げる風に乗って散っていった。
龍麻達は、豊島区にある目白不動に来ていた。
江戸の鎮護を願って置かれた不動明王は、当初はこの金乗院(ではなく
文京区にある新長谷寺(にあったとされるが、
第二次世界大戦の戦火により寺が焼失した為現在の場所に移されたという。
弘法大師作と伝えられる不動像は左腕が無い断臂(不動明王であり、
特に徳川三代将軍家光の信仰が篤く、目白と言う号を贈ったのも彼であると伝えられていた。
この場所に龍麻達が来た理由は、
彼らが持つ五色(の摩尼(と呼ばれる、鬼が封ぜられた宝珠を再び封印するためであった。
鬼道衆の手によって奪われ、陰氣を注がれて風角や水角といった人形(を生み出す源となった宝珠。
龍麻達は醍醐が師と仰ぐ、筮竹(によって未来を視る筮法師、新井龍山の勧めに従って、
元あった場所に摩尼を戻すために、東京の各処にある五色不動を回ることにしたのだった。
「龍麻、美里。こっちに祠(があるぜ」
京一の声に、摩尼を安置する祠を三方に分かれて探していた龍麻と葵は彼の所に向かう。
京一は不動堂の裏手、訪れる者もなくひっそりとした場所の一角にいた。
「こいつだ」
「これが、龍山先生の言っていた祠かしら」
「さァな。けど他にそれっぽいのは見当たらねェ──おい、龍麻」
京一に言われて龍麻が袋から摩尼を取り出すと、
風角を斃(して手に入れた珠は乳白色の光を放っていた。
「間違いねェみてェだな」
京一が無造作に祠の扉を開ける。
中には珠の色と同じ、乳白色の布団が置かれているだけで、他には何もなかった。
場所を空けた京一に代わり、進み出た龍麻は丁寧に摩尼を置いた。
手を離し、転がったりしないことを確かめてからゆっくり一歩下がる。
輝きこそ失せたものの、それ以上何も変化は起こらず、拍子抜けした京一が言った。
「これでおしまいか? なんか出て来たりすんじゃねェのかよ」
「……終わり……みたいだな」
肩透かしを食った気分なのは龍麻も同じだった。
扉を閉め、やはり何も変わらないことを確かめると、軽く肩をすくめる。
しかし他にどうしようもないので、三人は寺を出ることにした。
「本当に……三人だけで来て良かったのかしら」
道すがら、葵が呟く。
葵は三人で摩尼を封印しに五色不動を回ろうと言った時から、
ずっとこの場にいない二人のことを気にしていたようだった。
「しょうがねェさ。醍醐にも小蒔にも連絡がつかねェんじゃどうしようもねェし、
それに俺達が持ってるよりさっさと封印しちまった方がいいだろ。
鬼道衆が取り返しに襲ってきたりしたらマズいしな」
「それは……そうだけれど」
葵は京一の正論にも納得した様子を見せない。
醍醐の師である龍山の庵を訪ねた帰り、ごく普通に別れたはずの醍醐と小蒔は、
翌日──つまり今日だ、二人揃って休んだのだ。
特に小蒔に関しては、その日あると言っていた弓道部の打ち上げにも出ていないらしく、
彼女の後輩からそれを聞かされた葵は気が気でないようだった。
一応家には電話し、彼女がいることだけは確認出来たものの、
具合が悪いとかで電話口にも出てもらえなかったらしい。
醍醐に至っては家にさえ帰っていないらしく、龍麻も気にならないはずはなかった。
しかし京一はたまたま二人の休みが重なった程度にしか捉えていないのか、
あるいは今為すべきことをわきまえているのか、さほど心配する様子も見せていない。
「ほら、さっさと目青不動に行こうぜ」
京一に促され、釈然としないながらも二人は歩きだす。
すると横合いからいきなり声をかけられた
「それが五色不動の力って訳ね」
三人が驚いて振り向くと、そこにいたのは、フリーのルポライターを名乗る天野絵莉だった。
二日前に織部神社で会ったばかりではあるが、その時といい今といい、
神出鬼没と言うにふさわしい行動力だ。
「絵莉ちゃん……なんでここに」
「白蛾先生に聞いたのよ。あなたたちが不動巡りをするって」
「あのおしゃべりジジイ」
吐き捨てるように京一は言ったが、知られて困る行動でもなかったし、
基本的には美人に会えて嬉しいはずだから、単なる同族嫌悪なのだろう。
「天野さん、龍山先生とお知り合いなんですか」
代わって葵が訊ねると、絵莉は軽く手を振った。
「知り合いってほどじゃないけど、以前、仕事で占いの取材をした時にお会いしてね。
風水や陰陽道にも詳しいと聞いていたから、
今回の一連の事件のヒントが得られないかと思って昨日会いに行ってみたの」
「昨日? それじゃ、俺達と入れ違いかよ」
「そうみたいね。京一くんのこと、先生仰っていたわよ」
「どうせやかましい小僧が、とかそんなんだろ」
「ふふッ。──そういえば、今日は三人だけなの?」
笑いを収めた絵莉が訊ねる。
彼女にとってさえ自分達は五人一緒にいるのが当然であると映っていたようで、
そのせいか、やましい訳ではないのに龍麻は返事を口篭もらせてしまった。
「え……ええ」
「そう……ま、いいわ。実は鬼道衆について判ったことがあるの。ちょっと時間ある?」
もちろん龍麻達に否やはない。
三人と絵莉は、境内の日陰になっている部分に場所を移した。
まだ夏の暑さが色濃く残る一日(は、不快な汗を肌に浮かべさせる。
時折、思い出したように吹く微風を唯一の涼として、龍麻達は絵莉の話に耳を傾けた。
「実はね、鬼道衆の狙いがなんなのか、それを調べていたんだけど」
「東京の壊滅じゃねェのかよ」
何を今更、といわんばかりの京一の態度にも、絵莉は怒ったりはしない。
「ええ、それがひとつにあるのは間違いないわ。
でも鬼道衆(の動きを見ていると、それだけじゃないように思えるの。
水岐君や他の人達を唆(して事件を引き起こしたりしているのは、
何か別の意味があるんじゃないかっ……て」
「何か……?」
「二日前、織部神社であなた達に会ったでしょ。
あの時、神主の織部さんに見せて頂いたものがあるの。
江戸時代の古い書物なんだけどね、そこに気になることが書いてあって。
菩薩眼(──って聞いたことある?」
ここ数日で色々新しい単語を覚えた龍麻達だったが、
また新しい一語を覚えなければならないようだった。
困惑した顔を浮かべる三人に、絵莉は微笑して小さく頷く。
彼女自身も、その書物を見て初めて知った言葉だったから、彼らが知らないのも無理はなかった。
「まぁ、当然よね。その書物には菩薩眼なるものの説明が簡単に記されていたんだけど、
菩薩眼──別名龍眼っていうのは、
元々風水の発祥の地である中国の客家(という土地に伝わる話で、
地の龍──つまり龍脈が乱れる時その瞳持つ者が現れ、人を浄土へと導くと言われたらしいわ。
その眼は氣の流れを詠(み、太極(を視(ると言われた。
でもその瞳(は何故か女性にしか発現せず、風水に詳しい時の権力者達は、
こぞって菩薩眼の女を探したと言うわ。
そしてそれだけじゃなく、その書物には、
鬼(達が菩薩眼の瞳を持つ女性を攫(っている様子も記されていたわ」
「鬼達が……?」
「ええ。何故鬼が菩薩眼を狙っているのかという理由は記されていなかったけれど、
江戸時代、人と鬼の間でその菩薩眼を巡る闘いがあったらしいわね。でも」
絵莉はここで言葉を切った。
あれほど鳴いていた蝉(でさえもが、彼女の言葉を聞き入ろうするかのように押し黙った。
「でも、私が驚いたのは、当時その鬼達が、町の人から何と呼ばれていたかなの。
書物(にはこう記されていたわ。鬼道衆──とね」
龍麻は一瞬ではあるが、不快な暑さを忘れていた。
昨日龍山に聞いた話では、江戸時代に九角鬼修(と言う男が幕府転覆を謀る為に組織したのが、
鬼道衆という人ならざる『力』を持つ集団なのだということだった。
今龍麻達が闘っている鬼道衆の棟梁も九角の血を引く者だろう、そう締めくくった龍山の話は、
これでいくらか補強されたことになる。
子々孫々に渡って受け継がれる恨み──その積年の怨念は、いかほどのものだろうか。
そう考えた時、激しい悪寒が龍麻の身体を駆け抜けたのだった。
意思によらず身体を震わせた龍麻は、ふと心付いて絵莉に訊ねる。
「それじゃ、今俺達が闘ってる鬼道衆の目的も」
「その可能性はあるわね。
今までの事件が菩薩眼の伝承と関係するとしたら、鬼道衆の目的は東京の壊滅よりも
東京を混乱させ、龍脈を乱すことによって菩薩眼を持つ者を覚醒させることかもしれないわね」
「なんだそりゃ……そんなことの為に罪のない人間を苦しめてるってのかよ」
立ちあがった京一は、理解不能、と言った趣で叫んだ。
葵にも同種の表情が浮かんでいる。
その菩薩眼とやらがどれほど重要かは知らないが、無辜(の人々を巻き込み、
東京を混沌の渦に叩きこむ行為など許されるはずがなかった。
鬼道衆に対して強い嫌悪と憤りを浮かべる龍麻達の顔を見て、
絵莉は胸に抱いていた想いを静かに吐露する。
「私ね、ずっと考えていたの。何故……あなた達のような若者にだけ『力』が発現したんだろうって。
何故、大人(ではなく」
それは彼女が渋谷で鴉が人を襲うという怪事件を縁に『力』持つ雨紋や龍麻達と出会い、
その後も東京の各処で起こる怪異を追いかけるようになってから、ずっと抱いていた疑問だった。
事件を起こした人間も、それを解決しようとする龍麻達も皆、
大人への最後の階(を上る寸前の年齢だった。
そこに何らかの意味があるのか──絵莉は考えると同時に、ある種のやりきれなさをも感じていたのだ。
彼らだけに責を負わせ、何も出来ない自分に。
しかし、今の龍麻達の表情を見て、絵莉はその意味をある程度理解したように思えた。
未来を見る、純粋な瞳。
良きにつけ悪しきにつけ、その真っ直ぐな想いは人生のごくわずかな期間にしか得られないものなのだ。
彼らの瞳に浮かぶ、いずれ失ってしまう貴重な輝きを、絵莉は眩しげに見やった。
「でもね、もう考えないことにしたの。あなた達は──選ばれたんだから」
「天野さん……」
龍麻達には、絵莉の寂しそうな表情の意味を推し量るだけの年輪が不足していた。
それはいみじくも彼女が感じた眩しさと一体のもので、
まさに彼らの年齢だけが持ちうる光は、その眩しさ故に影すらも生み出さないのだ。
年上の女性を慰める言葉など持たない龍麻達は、無言で絵莉を見るしか出来なかったが、
続く彼女の言葉には力感が漲(っていた。
「頑張って、みんな。あなた達にこの東京(の未来がかかっているの。
私も出来る限り協力するけれど、東京を護って、未来を作るのはあなた達なんだから」
それは大人なら誰でも言いそうな陳腐な説教だったかもしれない。
しかし龍麻は、素直に感動し、彼女の督励(を受け入れていた。
絵莉が真剣にこの東京の未来を案じ、自分達に希望を託しているのがはっきりと伝わってきたからだ。
「協力はありがてェけどよ、また危険な場所に行くのかよ」
「大丈夫よ、今までだって結構ハードな現場をくぐってきてるんだから」
皮肉とも本気ともとれる京一の台詞に、絵莉はおどけて胸を叩いてみせ、勢い良く立ちあがった。
その仕種こそ、龍麻達には眩しく映る。
「それじゃ、私は行くわね。
菩薩眼のことや、白蛾先生が仰っていた九角って人のことをもう少し調べてみるわ」
「俺達はこれから目青不動に行きます」
「ええ、何か判ったら連絡するわ」
絵莉は律動的な足取りで去っていく。
口では表しにくい、胸に込み上げるものを感じながら、龍麻達は後ろ姿を見送っていた。
ふと京一が、顔はそのまま動かさず訊ねる。
「ところで連絡──ってどうやってすんだ? これまでは行く先々でなんか会ってたけどよ」
「俺一応自宅(の電話番号教えたけど」
龍麻が答えるや否や、京一は胸倉を掴みかかってきた。
静から動へ、鮮やかな豹変に龍麻も反応できない。
「何ィッ!! てめェ何抜け駆けしてやがんだッ!!」
「抜け駆けって……聞かれたから教えただけだって」
「だ・か・ら・ッ!! いつ、どこで、どうして聞かれたんだってんだよッ!!」
馬鹿正直に答えようとして、それが何の意味もないことだと龍麻は気付いた。
教えた所で京一の、明らかに間違っている怒りが解ける訳もないのだ。
胸元を締め上げて詰め寄る京一を払いのけ、葵の手を掴む。
「美里さん、行こう、早く次の不動に行かないと日が暮れちゃう」
成り行きを半分呆れて見守っていた葵は、突然引っ張られて声も出ない。
龍麻の方から手を握られたのは初めてだったのだ。
彼の力強い手に新鮮な驚きを覚えつつ、そのまま何歩か引っ張られる。
外れそうになる手を、少しだけ強く握り返して一緒に走り出した。
龍麻は逃げるのに夢中で気付いていないようだ。
「あッ!! 待ちやがれッ!!」
静かな寺におよそ似つかわしくない大声を上げて、京一が追いかけていく。
必死の形相の二人の間を走る葵の眉目は、楽しそうに踊っていた。
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