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 豊島区から世田谷区へと移動した三人は、目青不動への道を歩いていた。
「えっと……確か、この先を右に行った所が目青不動よ」
 道案内は葵が務めている。
京一も龍麻も寺社仏閣にあまり興味がなく、場所を調べるのすら怠っていたからだ。
また葵が嫌な顔ひとつせずに調べてくれる為に、二人はもうすっかり彼女に任せてしまっていた。
 葵の案内は正確で、三人は道を間違えることもなく目青不動に着いた。
「ここか? パッとしねェ寺だな」
「パッとする寺ってどんなんだよ」
「あぁ? そりゃお前、金ピカででっけェ大仏がいてよ」
 東京にも幾つか大仏はあり、中でも板橋区の乗蓮寺じょうれんじにある、
いわゆる東京大仏は奈良、鎌倉の大仏に次ぐ大きさである。
京一の言うような金で出来てはいないが、中々の威容で隠れた東京の名物になっている。
そこに較べれば今龍麻達が前に立っている寺は、確かに素朴ではあった。
もちろん寺の格は大きさや大仏の有無などで決まるものではないのだが。
「この目青不動は教学院きょうがくいん最勝寺さいしょうじといって、由緒正しい天台宗のお寺なのよ」
「ふーん。ま、中に入ろうぜ」
 相変わらず由来や縁起と言ったものに全く関心のない京一は、
葵の解説を聞き流して中に入っていく。
苦笑する葵に同じ顔で応えて門をくぐった龍麻は、危うく誰かとぶつかりそうになってしまった。
「なんや、危ないな」
 軽い身のこなしで避けた男は、軽妙な関西弁でそう言った。
驚いて顔を上げた龍麻は、どうやらその男が日本人ではないようだということに更に驚く。
男の関西弁はそれほど馴染んでいたのだ。
 最初から笑っているように見える細長い目は、左側の目に大きな刀傷があって奇妙な凄みがあるが、
時代遅れな鉢巻に、はだけた学生服の内側から覗く赤いシャツが、
いかにも趣味が悪いという印象だった。
その中で、右の肩から突き出ている包みがとりわけ異彩を放っている。
厳重に包まれてはいるが、中身は一体何なのだろうか。
これと似たような物を、どこかで──記憶を巡らせた龍麻は、すぐに答えに行き当たった。
京一が肌身離さず持ち歩いている木刀と、雰囲気が似ているのだ。
ならばこれは、武器なのか──京一以外にそんなことをしている奴がいるのか、
と龍麻は驚いたが、これは愚問だった。
何しろ彼の周りには雨紋や小蒔などがいるのだから。
「ん? んん?? ほうほう──」
 余計なことを考えていた龍麻だったが、とにかくぶつかりそうにはなったのだから謝ろうとすると、
男は先手を取ってしげしげと眺めてくる。
それはほとんど観察であって、龍麻は薄気味の悪さを覚えずにはいられなかった。
「なんだ龍麻、知り合いか」
 激しく首を振る龍麻に、京一は一歩進み出る。
初対面から馴れ馴れしい人間は、あまり彼の好みではなかった。
「おい、俺達になんか用かよ」
「ちょい待ち、そないな恐い顔せんといて。ちょっとこの兄さんがええ男やったさかい」
 流れる空気が一気に変わった。
京一は前に出ていた分をきっちりと下がり、葵もさりげなく龍麻の影に隠れる。
一番下がりたいのは間違いなく龍麻のはずだったろうが、
逃げ遅れた犠牲者は気の毒にも生贄いけにえとして捧げられる運命が待つのみであった。
ご丁寧に背中を押しだす京一に、龍麻が全身の力で踏ん張っていると、
男が嘆かわしげに額に手を当てる。
「なんや、そないに引かんでもええがな。
ま、それはそうと、兄さんたち、目青不動に用でっか?」
「おめェにゃ関係ねェだろ」
 京一の声は威勢が良いが、腰が引けているので迫力はない。
怖い物などそうはないこの男も、
同性愛者となると触らぬ神にたたりなしと言った態度が精一杯なのだった。
「そりゃそうや。でも気ィ付けとき。この辺りは鬼が出る言われとるんや。
せいぜい食われんようにな」
「おい……こいつ大丈夫なのか?」
 それは龍麻こそ聞きたかった。
ぎこちなく龍麻が首を振ると、男は急に興味を失くしたように背を向けた。
あっけにとられる龍麻達に向かって、歩き去りながら手だけを振る。
「ほな、またな」
 あっけにとられる三人を残して、男は消えてしまった。
白昼夢でも見たような顔をしていた三人だったが、
男が消えて三十秒近くも過ぎてから、ようやく京一が呟く。
「鬼、ねェ……」
 本物の鬼と闘っている京一達からすれば、
男の言っていることはいかにも幼稚に聞こえたのは無理からぬことだった。
 手にした木刀で軽く肩を叩いて苦笑した京一は、
まだ固まったままの龍麻の背中を思い切り叩いて促した。
「ヘンなのに関わっちまった。さっさと奥へ行こうぜ」
 中に入った三人は目白不動の経験を生かし、今度は最初から隅の方を探す。
その読みは当たり、それほど時間も浪費せずに隅の方にある小さな祠を見つけることが出来た。
「お、こいつじゃねェか」
「そうね、目白不動の祠と同じだわ」
「てことは」
 龍麻が摩尼を取り出すと、やはり宝珠は蒼く輝いていた。
京一が祠の扉を開き、龍麻が納める。
ほのかな輝きは徐々に薄れていき、やがて完全に消えた。
「二つ目終わり──ッと。ちょろいもんだな」
 再び京一が無造作に扉を閉めたことで、
龍麻達が持っている摩尼は二つとも封印完了となったのだった。
学校を出発する時は何が起こるのかとそれなりに緊張していた京一も、
封印とやらが単なる散歩に終わったことに気が抜けてしまい、大きく欠伸をした。
「んじゃ帰ろうぜ。後は明日、醍醐と小蒔が来たら決めようぜ」
「そうね、そうしましょう」
 出来ることは全て終えたので、三人は新宿に戻ることにしたが、
二人が歩き出してから、龍麻は急に向きを変えて走り出した。
「……っと、ちょっとトイレ行ってくる」
「おぅ、早くしろよ」
 用を済ませた龍麻は戻る途中、制服を着た二人組の女の子とすれ違った。
多分中学生くらいなのだろうが、お参りに来るとは感心なことだ。
自分は全くお参りをしていないくせに、偉そうにそんなことを考えた龍麻の耳に、
特に聞き耳を立てなくてもはっきり聞こえる会話が飛び込んできた。
ここの不動にお参りすると恋が叶うんだって──甲高い声でそう話すのが聞こえた瞬間、
龍麻の、そのまま進もうとして踏み出した足が急停止した。
辺りを見渡し、不動の前に誰もいないことを確かめると、泥棒のように走って前に立つ。
不動への正式な拝み方があるのかどうか知らなかったが、とにかく手を合わせ、一心に念じた。
拝み終えて目を開けると、何をこんなに必死になっているのだろうかと自嘲の笑いがこみ上げてくる。
昨日の今日でもう願かけとは、不動明王も呆れているに違いない。
それでも、随分と心が軽くなった気がして、龍麻は急いで二人の許へと戻った。
「なんだお前、そんなスッキリした顔しやがって。そんなに我慢してたのかよ」
「アホかッ!!」
 下品過ぎる問いの答えは、静謐せいひつな空気が逃げ出すほど大きな声だった。
らしくない一喝をしてさっさと先に行く龍麻に、怒鳴られた京一も、
葵も訳が判らず顔を見合わせたのだった。

 二つの不動巡りを終えて龍麻達が新宿に戻ってきたのは、
辺りもそろそろ暗くなろうかという時刻だった。
既に秋も深まりつつあるこの季節は、駆け足で夜が訪れ、風も冷たくなってくる。
三人とも肌でそれを感じたのか、なんとなく無口で歩いていたが、
中央公園に差し掛かった辺りで京一が口を開いた。
「痛てて、あっちこっち歩き回ったから足が痛ェぜ」
「運動不足じゃねぇのか」
「んだとてめェ」
 子猫のじゃれ合いのような──そう言ったら二人とも気分を悪くしたに違いないが──
かけ合いを行う二人に、葵は少しだけ羨ましく思いながら声をかけた。
「うふふ、二人ともお疲れ様」
「そういや美里、お前、華奢なくせにタフだよな」
「そうかしら? でも、女性は男性よりタフだっていうものね」
 鮮やかに切り返す葵に、京一は肩をすくめてみせる。
「おっかねェな……気をつけろよ、龍麻」
 京一のそれは普段と同じ、他愛ない冷やかしのはずだったが、
二つの不動で起こった出来事のせいか、冷やかされる方が妙に意識してしまっていけなかった。
「龍麻?」
 急に押し黙ってしまった龍麻に、京一はいぶかる。
葵までもが心配そうに顔を覗きこむに至って、ようやく龍麻は自分が注目を浴びていることに気付いた。
「あ……あぁ、そうだな、気をつけるよ」
 それはいかにも取り繕ったようなぎこちない返事で、二人は更に不審をたたえて龍麻を見やった。
「緋勇くん……大丈夫?」
「ああ、大丈夫、なんでもないよ。ちょっと腹が減っただけ」
 まんざらの嘘という訳でもないことを龍麻が言うと、納得したようで葵は小さく笑って頷いた。
京一も笑っていたが、それを収めると、意外なほど真面目な調子で語りかけてきた。
「そうだ龍麻、明日にでも醍醐んに行ってみねェか」
「ああ」
「悪いな」
 何故、醍醐の家に行くだけなのに悪いな、などと言ったのか、龍麻は疑問に思った。
特に醍醐の家が遠くにある訳でもなく、学校帰りにちょっと寄るだけだというのに。
後日、その理由を知った龍麻は、微小の怒りとわだかまりを京一に対して抱くことになるのだが、
この時はまだ知る由もなかった。
 再び歩き始めた三人の肌を、季節外れなほど冷たい風が過ぎていく。
龍麻が思わず身を震わせると、京一が、空を見上げて呟いた。
「──ッと、風が強くなってきたな。嵐が来なきゃいいけどよ……」
 京一の言葉に、龍麻と葵は、彼と同じ空を見上げた。
 ──月は、出ていなかった。

「それではこれで朝のホームル−ムを終わります。
佐久間クンを見かけた人は、ワタシに連絡してください」
 マリアの声は必ずしも事務的と言う訳ではなかった。
素行が悪くても佐久間は彼女の生徒であり、
親もどこへ行ったか知らないとあれば心配しない訳にはいかない。
にも関わらず、もう一週間以上も同じ台詞を繰り返しているため、
どこか諦めているような響きもそこにはあった。
同級生達の反応は更に寂しく、元から信望の乏しかった佐久間ではあるが、
静かになるのはマリアの声が教室に響く一瞬だけであり、後は彼を話題に出すことすらなかった。
彼ら・・の無情さを嘆きつつも、マリアは話題を変える。
「それから、今日の欠席者も醍醐クンと桜井サン──」
 こちらももう、馴染みになってしまいつつある報告だった。
醍醐と小蒔は日を同じくして突然学校に来なくなってしまい、
小蒔は連絡が取れたものの、醍醐の方は佐久間と同じで全く行方が判らず、
最も彼らと親しい龍麻や京一に訊ねてみても、逆に親から何か聞いていないか問われる始末だった。
この状態がもう数日続けば、
マリアは二人の生徒の捜索願いを出すという不名誉な記録を樹立する羽目になる。
生徒達には聞こえない、極小のため息を形の良い唇から押し出して
マリアが教室を出ようとすると、向こうから扉が開いた。
「遅くなってすいません」
 生気に乏しい声と共に入ってきたのは、桜井小蒔だった。
声だけでない、いつも薔薇色の頬も土気色に変わり、
豊かな感情を描く目鼻は枯れる寸前の花を思わせるほど力無い。
 マリアはとにかく数日ぶりに教え子が姿を見せたことを喜びつつも、
あまりに別人のような彼女に心配を抱かずにいられなかった。
「桜井サン……もう具合はいいの」
「はい」
 必要最小限の返事だけをして、小蒔は席に向かう。
いつもなら何かしら話しかけてくる彼女が、逃げるように背を向けたことに、
マリアの心配は募ったが、今の小蒔にかけてやれる言葉を彼女は持っていなかった。
「そう……でも、あんまり無理はしないでね」
 そういうのが精一杯で、後は彼女の友人達が彼女を励ましてくれるだろうという、
らしくない期待を抱きつつ教室を後にするしかなかった。
 マリアの期待に応えようとした級友達は、話しかけようとして、
小蒔の周りに張り巡らされた不可視の壁に遮られ、あえなく粉砕されてしまった。
椅子に座った小蒔に近づいたはいいものの、
こちらを見上げるただのガラス玉のような瞳に恐怖すら感じ、いそいそと離れていく。
 そんな中で、彼女の傍らに立ち、いつもと同じ挨拶を交わしたのは、
長く、美しい黒髪を持つ少女だった。
「おはよう。もう平気なの?」
「う……うん」
 しかし小蒔からは、彼女が普段から一番の親友であると公言している葵の質問ですら
避けようとしている態度が感じられた。
緩慢な動作で鞄から教科書を取り出す小蒔に、次はなんと言って話しかけようか、
葵が迷っていると、横から腹立たしいほど明るい声が割り込んでくる。
「なんだよなんだよ、シケたツラしやがって。お前は脳天気さだけが取り柄なんだからよ」
 明らかに具合の悪そうな小蒔に対して、京一の物言いはいかにも無神経なものだった。
彼の隣に立つ龍麻も顔をしかめているが、さすがに葵が抗議しようとすると、
その前に小蒔が力無く答えた。
「うん……ごめん」
 それは葵が彼女と知りあって以来、初めて耳にしたといっても良いくらい落ちこんだ声だった。
いくら京一の言葉に傷ついたにしても、こんな風になってしまうことはあり得ない。
言葉を詰まらせてしまった葵の耳に、同じくらい沈んだ京一の声が聞こえてきた。
「……チッ、やっぱり嫌な予感が当たっちまったか」
「え?」
「醍醐も休んでんだよ。お前と同じ日から、ずっとな」
 一瞬だけ見開かれた小蒔の目はすぐに伏せられた。
それは彼女が醍醐の休んだ理由を知っていると、何よりも如実に告げていた。
しかし小蒔は何も言おうとはせず、龍麻達の不安を募らせる。
言いたくないのなら、無理に聞かない方が良いのではないか──
そう、龍麻と葵が思ったのは、小蒔がその小さな身体に抱えている事実が、
触れない方がいい類のものではないかと考えたからだった。
本当に大切なことなら、いずれ話してくれる──
しかしそれは、単に嫌なことを聞きたくないという逃避の一種に過ぎないのかもしれなかった。
 逡巡する龍麻達に代わり、京一は直線的なまでに小蒔に訊ねる。
「病気で休んだなんて、ウソだろ? 何があったんだ、話してみろよ」
「うん……でも」
「言えよ」
 なおもためらう小蒔に、京一の語調が強まった。
低く抑え、情を詰めこんだ声が小蒔の耳を撃つ。
「話せよ。でなきゃ、俺は一生お前を恨むぜ」
「ボク──ボク、どうしていいかわからないんだ。醍醐クンが……っ」
 一気に溢れでようとする感情を制御できず、小蒔の声に涙が混じる。
うろたえる龍麻と葵を横目で見た京一は、親指を天井に向けて立ててみせた。
「とりあえず屋上へ行こうぜ」
 今から行けば、一時限目は出ないことになる。
しかし誰も、葵でさえもそれについては何も言わなかった。
小蒔の話を聞くことは、授業などよりずっと大切なことであるはずだったから。



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