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屋上にはもちろん誰もいなかった。
それでも龍麻達は隅の方の、あまり目立たない所を選んで小蒔の話を聞いた。
龍山の許を訪れた帰り、佐久間と手下に襲われたこと。
助けに来てくれた醍醐が、突然人が変わったように佐久間に襲いかかったこと。
佐久間が水岐のように化け物に変わってしまったこと。
そして、その化け物を醍醐は容赦無く斃し、息の根を止めたこと。
その後醍醐は、どこへともなく行ってしまったこと。
それらのことを小蒔は、時間をかけて、ぽつりぽつりと話した。
聞き終えた龍麻達は、しばらく声も出なかった。
まさか佐久間がこうも過激な手段に出てくるとは思わなかったのだ。
そして小蒔を傷つけた佐久間への憎しみは当然あるが、
それよりも佐久間を唆(して醍醐を追い詰めた鬼道衆への憎しみが増すばかりだった。
龍麻と葵は二人の受けた心の傷を思い、心を悼(めたが、京一の反応はやや異なっていた。
「あの野郎……てめェ勝手なコトしやがって」
葵は初め、野郎というのが醍醐を指しているのだと解らなかった。
それほど京一の言葉には彼らしくない憤(りが含まれていたのだ。
「醍醐くんはきっと、私達に迷惑がかかると思って」
「それがてめェ勝手ってんだよッ!! そんなに俺達が頼りにならねェってのか」
小蒔のことを思えば言えるはずもなく、また殺人を犯したなどと相談出来る訳もない。
京一の言うことは明らかに理不尽であったが、葵は引き下がった。
これ以上京一を刺激しても仕方なかったし、彼が怒る理由も理解は出来たからだ。
「野郎……探し出してブン殴ってやらねェと」
「探し出すのはいいけど……どうやって」
指を鳴らす京一に、小蒔が訊ねる。
全てを、一人で背負うには重すぎる事実を仲間達に話したことで幾らかは荷が軽くなったのか、
朝のような死人さながらの表情からは回復していた。
自分の受けた傷も確かに酷いけど、醍醐クンの方がもっと辛いはずだ。
だから、今はガッカリしてる場合なんかじゃない──
そう考えられるのが、彼女のかけがえのない勁(さだった。
醍醐を探し出す方法までは考えていないのか、京一は無言で小蒔を睨みつけるだけだ。
思案を巡らせた葵は、こういう時最も頼りになる人物を挙げてみた。
「ねぇ……アン子ちゃんやミサちゃんに相談してみたらどうかしら」
「他に方法はねェ……か。しょうがねェ、美里、もうすぐ一時限目が終わるからよ、
そしたら小蒔と一緒にアン子を捕まえてくれ。
そうだな……新聞部の部室で落ち合おうぜ。俺も後から行くからよ」
葵の提案に、京一はあまりいい顔はしなかった。
それは消極的な同意からも判ったのだが、
龍麻には、彼の拒絶がかなり深いところから生じていると感じられた。
「ええ、わかったわ。行きましょう、小蒔」
葵には感じ取れなかったらしく、小蒔を促して杏子達の所に向かう。
大きな音を立てて扉が閉まると、京一はこの場に残った龍麻に強く促した。
「なんだよ、お前も行けよ」
京一は明らかに龍麻が残るのを歓迎していなかった。
自分の予感に自信が無かった龍麻も、その態度でそれを確信に変えた。
京一は、一人で醍醐を探そうとしている。
それはきっと、醍醐の一番の友であるという想いからなのだろう。
しかし、京一が醍醐に対して怒ったように、龍麻にも二人の友だという自負がある。
京一と醍醐の紐帯には及ばないかもしれないが、誰にも──自分にも頼ろうとしない京一を、
そのまま行かせる訳にはいかなかった。
邪魔者を見る京一の態度に刃向かい、龍麻は無言で立ちはだかる。
そのまま殴りかかってくるのではというほど殺気を漲(らせて肩をいからせた京一は、
諦めたように髪を勢い良く掻いた。
「チッ、ッたく、勘がいいってのは良くねェな」
敗北を認めたようにぼやいた京一は、次の瞬間、手近にあった金網を力一杯殴りつけた。
何の罪もなく揺らされた網は仲間に被害を訴え、大きな音が屋上に鳴り響いた。
「野郎……俺にすら相談しねェなんてよ、
俺は──俺はあいつにとってその程度のモンだったってことかよ」
血を吐くような声が、青空に溶けていく。
龍麻は初めて見る、己を曝け出す京一を、ただ無言で見守っていた。
「……すまねェ」
荒れ狂う感情をどうにか鎮めた京一は、ぶざまなところを見せたと恥じる。
無表情で、視線をずらしてくれている龍麻の配慮がありがたかった。
最後にもう一度だけ頭を振り、思考を未来へと切り替えた京一は、
葵や小蒔には言わなかった事実を告げた。
「実はよ、前に水岐を追って港区の地下へ行ったことがあったろ。
あん時に如月が俺に言ったことがあってよ」
頷いて続きを促す龍麻に、京一は金網にもたれて続ける。
「奴は『醍醐から目を離すな』って言いやがったんだ。
意味がわかんねェから聞き直したらよ、醍醐の氣がどうとかって余計わかんねェこと言いやがって」
「それで」
「それだけだ。もうちっと聞こうとしたら小蒔に呼ばれちまってよ。
そん時ゃ気にも留めてなかったんだけどよ」
確かに如月は、何かを知っている節がある。
今回の件について有益な情報を持っているかは判らないが、行ってみる価値はあるように思えた。
「如月……か。行ってみるか」
龍麻が賛意を示すと、京一は二つ返事では頷かなかった。
「なぁ龍麻、悪ィけどよ」
そこで言い淀んだ京一の意図を、龍麻は正しく理解した。
「あぁ……俺達二人で行こう」
「すまねェな」
葵達を騙すことになるが、あまり女性をこの件に立ち入らせたくなかったのだ。
仲間意識や友情とは異なる、説明のしにくい男の性(のようなものが、
二人の裡には確かにあり、暗黙の了解となって龍麻と京一を衝き動かしたのだった。
階下への扉を開けた龍麻は、内心で葵達に謝る。
しかし、扉が閉まると、彼女達のことは一時的に頭から追い出して走り出した。
如月骨董品店の扉を、京一は何の前置きもなく開けた。
手入れが行き届いている引き戸は勢い良く滑り、派手な音を立てる。
京一はそれを気にも留めずずかずかと踏み込んだ。
「如月、いるか」
さほど大きくはない店の隅々にまで届く京一の声だったが、店主からの返事はなかった。
龍麻を振り返った京一は、焦りを転化させて罵(る。
「くそッ、留守かよ。無用心なやつだな、鍵もかけねェで。なんか盗まれたらどうすんだよ」
「心配はいらない」
京一にとっては何の意味もない商品の一つを手に取り、
自分の言ったことが実行可能であると証明するように手の内で弄(んでいると、
いきなり奥から声がした。
もちろん京一は本気で盗もうとしていた訳ではないが、虚を突かれたのは確かで、
品物を取り落としそうになってしまう。
「どわッ!! 居たら返事くらいしやがれ」
「ちょっと品物の整理をしていたんだ」
「学校はどうしたんだよ」
驚かされた腹いせだろうか、京一は皮肉を込めて言ったが、如月は眉ひとつ動かさず受け流した。
「それは君達もお互い様だと思うけどね。どうしたんだい、二人だけで」
「あァ──実は訊きたいことがあってよ」
「醍醐君のことかい」
単刀直入に過ぎる如月の言葉に、二人は目を見張った。
京一が商品を置き、如月に詰め寄る。
「知ってるのか」
「いや、ただ血相を変えて君達が入ってきたから、そうじゃないかと思っただけだ」
「頼む、醍醐(に何が起こったのか、知ってるなら教えてくれ」
京一の声には龍麻が彼と知り合ってから、まだ幾度かしか聞いたことのない、
他人を心配する響きがあった。
いつもの飄々(とした感じも失せ、焦った様子が滲み出ている。
彼らとは一年にも満たない付き合いでしかない龍麻は、二人の間にある、
年月のみが織りあげることが出来る絆を羨ましく思った。
「……僕が今から話すことは、君達の闘いにこれから深く関わることだ。
良く覚えておいて欲しい」
如月もいつになく真剣な京一の態度に表情を改める。
細面の彼が顔を引き締めると、女性の多くが魅了されてしまうであろう貌(が浮かんだが、
如月は自分の容姿には全く関心を払わない性格だった。
もちろん龍麻達も如月の表情に興味はなく、彼が告げる真実にのみ注意を払う。
静まりかえった店の中に、如月の声が響いた。
「人は──生まれながらにして『宿星(』というものを持っている」
「それが醍醐と何の関係が──」
たまらず京一が遮ったが、如月は強い調子で続けた。
「いいから聞くんだ。宿星は『星宿(』とも言って、
元々は古代中国で星座を表す呼び方なんだ。
人はそれぞれ、天が決めたその宿星に導かれるままに一生を送ると言われている。
僕も──そして君達も、宿星を持って生まれてきているんだ。
そして特に強い宿星を持つ人は、大きな因果の流れの中にいると言ってもいい。
例えば──君達のように」
「宿命……ってやつか」
「そうだね。宿命という言葉はそこからきているんだ」
少し表情を和らげた如月は、龍麻達に質問した。
「君達は『四神』というものを聞いたことがあるかい」
「少しだけなら」
その言葉は数日前、織部神社の双子巫女である雪乃と雛乃から聞いた覚えがある。
確か、風水という占いの一種における、東西南北を守護する獣のことだったはずだ。
ただしその時の話の論点は、四神の中心にいる『黄龍』が象徴するという龍麻達の力の源、
龍脈の方だった。
龍麻がそう答えると、如月は組んでいた腕を解いて口調を改めた。
「そうか。それでは結論を言おう。
醍醐君は四神のうち、『白虎』の宿曜を持って生まれた人間だ」
「白虎ォ?」
いよいよ訳が解らなく京一は素っ頓狂な声を上げたが、
龍麻は小蒔の話のある部分を思い出していた。
──醍醐クンは人が変わったみたいに、ううん、獣になったみたいに佐久間に襲いかかって──
彼女は屋上でそう言っていた。
単なる比喩だと思っていたのが、そうではなかったということなのだろうか。
考える龍麻の内心を読んだかのように如月が言った。
「そうだ。醍醐君は杉並区で生まれたと言っていたね」
「それがどうかしたのかよ」
答えたのは京一だった。
頼って来た如月があまりに意味不明なことを言うものだから、
声には棘(を通り越して毒が含まれている。
しかし如月は、顔色ひとつ変えずにその毒を吸収してしまった。
「杉並は、この新宿の西──白虎は西の守護の星を持っている。
醍醐君は間違いなく白虎の宿曜を持っていると見ていいだろう」
「なんでそんなコト言い切れるんだよ」
「僕には解る訳があるんだ。それよりも」
この時の如月は、強引に話題を変えようとしているように龍麻には見えた。
その疑問を追及してみたく思ったが、如月は口を差し挟む隙を与えずに話を続けた為、
遂にタイミングを逸してしまう。
「醍醐君は不安定な龍脈の影響で急激に覚醒してしまい、
白虎の氣に呑み込まれてしまったんだろう。
今はきっと、文字通り生まれたばかりの虎のように自分の『力』に戸惑っているに違いない。
そこを鬼道衆が狙ってくる可能性は非常に高いと言えるだろう。まだ力を制御しきれない彼を」
一拍置いて、如月は二人に檄(を飛ばした。
「急ぐんだ。彼を救えるのは君達だけだ」
「けどよ、やつの居場所が判らねェんだ」
「そう遠くへは行けないはずだ。多分、まだ新宿近辺にいるんじゃないかと思う。
この辺りで彼が身を寄せそうな場所に、心当たりはないかい」
如月の質問に、龍麻と京一は同時に同じ場所を思い浮かべた。
「一箇所、あるな……ジジイんとこがよ」
「行ってみよう、京一」
「ああ。すまねェな如月、急に来ちまってよ」
「いや、構わないよ。それより、僕にもそこの住所を教えてくれないか。
何か解ったら連絡するよ」
手早く龍山の庵の場所を伝えた龍麻は、既に店の外に出ている京一を急いで追いかけ、共に走り出す。
彼らを見送った如月は、素早く身を翻すと店の奥へ姿を消した。
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