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<<変生 ─後編─ 4へ
鬼道五人衆の中でも炎角の戦闘力は群を抜いていたが、
その炎角でさえも覚醒した醍醐の敵ではなかった。
人の理性に、聖獣たる白虎の力を宿した醍醐の前では、
いかなる攻撃も躱され、あるいは弾かれてしまったのだ。
術(の無くなった炎角の頸(に、重い一撃がめりこむ。
「そんな馬鹿な……人間如きが俺様を……」
無念の怨を残し、炎角は消えた。
倒れ伏した身体が輝き、一個の珠となる。
醍醐がその珠を拾いあげると、闘いを見守っていた龍山と小蒔が寄ってきた。
「全く、未熟者めが」
「仰る通りです、先生。いろいろご迷惑をおかけしてしまって」
「馬鹿もん、謝っとる暇があったらさっさと行かんか」
「そッ、そうだ、ひーちゃん達が中央公園で岩角達と闘ってるんだ。行こう、醍醐クン」
龍山に言われてやっと小蒔は思い出す。
緊張の連続で無理からぬことであったし、
すぐに龍麻達を助けに行くことに気を取られてしまったから、
何故龍山が先に(知っていたかに気付く余裕はなかった。
慌しく走っていく二人を見送った龍山の前に、一つの影が降り立つ。
「如月君──と言ったな。雄矢の──彼らのこと、よろしく頼みますぞ」
「いえ──僕の方こそ、今後は彼らに助けて貰うことになるかもしれません。
……では、御免ッ」
音も無く消えた如月が立っていた場所から視線を転じた龍山は、
今度はそこからいつまでも動かそうとはしなかった。
視線の先にあるはずの新宿中央公園は、竹藪に遮られて見ることは出来なかった。
時間を稼ぐことを主眼として送りこまれた岩角の手下共は、
龍麻達に体力を浪費させるべく素早い動きで二人を翻弄する。
そして隙あらば二人を、そして葵を狙おうとする彼らと闘っているうち、
いつしか二人は肩で息をするまでに追いこまれていた。
「畜生……大丈夫か、龍麻」
「なんとかな。お前はどうなんだよ」
答える龍麻の手足は鉛のように重い。
葵の『力』は疲労をも癒してくれるが、彼女の氣とて無限ではなく、
やがて彼女自身に疲労の色が見え始めたのに気付いた時、これ以上頼る訳にはいかなくなっていた。
「馬鹿野郎、俺は平気に決まってンだろうがッ。
……けどよ、醍醐(をブン殴る分も取っとかねェといけねェからよ」
京一は虚勢を張りつつ木刀を握り直す。
既に指先に力はほとんど無かった。
大きく息を吐き、体内に残ったわずかな氣を練り上げて束ねる。
しかし、木刀の刃の部分に集まったのは、思わず笑ってしまうほどわずかな氣だった。
弱々しい輝きしか放たない得物の先端から、その延長線上にいる岩角へと視線を移す。
腕を組んで闘いを指揮していた岩角は、中々倒れない二人に感心したように言った。
「おめだぢ、ながながやるな。水角と風角を斃(じだだけのごどはある。
だども、息が上がってっぞ」
岩角の指摘に、龍麻は答えなかった。
その手間すら、呼吸に回したかったのだ。
しかし通常の身体の酷使に加え、氣をも用いて闘う分消耗は激しく、
いくら酸素を取り込んでも呼吸は全く回復しない。
恐らくもう一合、保っても二合。
それまでに小蒔が醍醐を連れてこなければ、この闘いは敗北を免れないだろう。
同じことを考えていたのか、京一が独り言のように呟いた。
「もうすぐだ……もうすぐ醍醐が戻って来る。そうすりゃ」
京一は自分が喋ってしまっていることにも気付いていないらしい。
恐怖が龍麻の足首を浸したが、それを振り払う力は、もうなかった。
事実、既に京一を動かしているのは友への想いだけであったが、その気力も今、
鬼道衆の手によって刈り取られようとしていた。
「おで、闘(う。おめだぢを斃じで九角様に褒めでもらう」
岩角の指示の元、いよいよ包囲の環(を狭めてくる鬼道衆に、
龍麻は場違いなほど明るい声で言った。
「京一」
「なんだ」
「俺よか先にやられたら覚悟しておけよ。醍醐に言いふらしてやるからよ」
「ヘッ、上等じゃねェか。てめェこそ先にくたばって楽しようだなんて考えてんじゃねェぞ」
京一は言葉を切り、龍麻の首をぐいと手繰り寄せる。
「美里を護れ。本当は逃がしてェんだが、言って聞くようなタマじゃねェしな」
早口で囁き、龍麻の目が大きく見開かれたのを確認するや否や、一気に岩角に突っ込んだ。
「京一ッ!」
一瞬。
ほんの一瞬出遅れた龍麻は、鬨の声をあげて突進していく京一の後塵を拝するしかなかった。
岩角の手下の忍者が一斉に襲いかかってきたのだ。
葵を護り、京一を助けなければという焦慮が龍麻の動きを散漫にする。
龍麻は京一どころか、葵、そして自分自身をも救う余裕を失くしてしまっていた。
岩角は見た目通り動きは鈍く、そして体力が高かった。
京一は捕まえて一撃を与えようとする岩角を巧みに躱し、木刀を撃ち込んでいたが、
氣を失い、ただ力任せに叩きつけるだけの攻撃に、岩角は応えた様子も見せない。
それでも京一は仲間を救う為に闘い続けていたが、蓄積された疲労が遂に意思を裏切った。
龍麻の視界の端に、岩角の打撃を受けて吹き飛ぶ京一が映る。
「京一ッ!!」
倒れたまま起き上がらない京一の許に駆け寄ろうとする龍麻の前に、鬼道衆の一味が立ちはだかる。
怒りの命じるままに一人を打ち倒した龍麻だったが、京一と同じく、
疲労が溜まった身体はそこまでが限界だった。
首を狙って襲いかかる下忍の攻撃を、二度までは躱したものの、三度目は避け切れない。
鋭い刃先が首筋を切り裂いた。
それが致命傷とならなかったのは、皮肉にも体力を消耗していたためにバランスを崩したからだった。
しかし傷は深く、鮮血がたちまち肩口を濡らす。
「緋勇くん!」
葵の声を遠くに聞いた龍麻は、失いつつある意識の最後の欠片で身体を動かし、彼女を庇った。
抱くように身を挺したまま、数歩だけ葵を闘いの場から遠ざける。
葵を護ることが出来なかったのは痛恨であったが、彼女を想ってすら身体は全く動かせなかった。
京一、すまない──もはや声すら出せない口でそう呟き、龍麻は訪れる苦痛に備えた。
「ぎゃあァッ!」
しかしその瞬間は、訪れなかった。
鋭い音と共に飛来した矢が、短刀を龍麻の背中に突き立てようとしていた下忍の肩を貫いていた。
思わぬ方向から攻撃を受けた下忍が振り向こうとすると、
その暇(も与えられず大きな塊に吹き飛ばされた。
更にその塊は、圧倒的な疾(さで別の下忍に膝蹴りを叩きこみ悶絶させる。
重みを増す龍麻の身体を支えながら、葵は二人の正体を彼に、そして半ば自分に告げた。
「小蒔……それに……醍醐くん……」
葵の声が、龍麻に力を与える。
龍麻だけでない、遠くに倒れ、聞こえるはずのない京一までもが葵の告げた事実に身体を起こした。
無論体力が回復した訳ではなく、どうにか立ちあがるだけの気力を取り戻したに過ぎない。
しかし京一は、木刀を支えにしながらも、大地を踏みしめて還ってきた友を出迎えた。
「醍醐……てめェ、遅いんだよ……」
友への悪態が、京一に活力を与えていた。
あれほど重かった身体が、嘘のように軽くなっていく。
木刀を握る腕に、力が戻っていく。
大きくその場で一呼吸だけ整えた京一は、再び岩角に挑みかかっていった。
「醍醐……」
龍麻も戻ってきた二人に失われた気力が蘇るのを感じていたが、
出血はいかんともしがたく、氣を練るまでは出来ない。
自分の重く、激しい呼吸に腹立ちを抑えられないでいると、背中から暖かな氣が流れこんできた。
包み込み、優しく溶けていくような心地良い氣。
他の意識と共に失いつつあった、彼女を、仲間を護りたいという想いが全身に満ちる。
急速に膨れていく氣を、練り上げさえせずに、龍麻はその体勢のまま回し蹴りを放った。
運悪く踵の軌道上にいた下忍が哀れな悲鳴と共に吹き飛ぶ。
しかし彼の不運はまだ良い方で、反転した龍麻はその一呼吸で再び氣を高め、
別の下忍のわき腹に掌を押し当てる。
昇る龍の如き氣のうねりを徹(された下忍は、自分が何をされたかさえ理解出来ずに地に伏した。
醍醐の奮闘もあり、龍麻と葵を取り囲んでいた敵は瞬く間に全滅の憂き目に遭っていた。
仲間が──友の存在が、龍麻達の『力』を、足すのではなく掛けていたのだ。
下忍を片付けた二人は、素早く視線を交わすと、一人奮闘している京一の許へと走った。
残された葵の許に、遠間から弓を放っていた小蒔が駆け寄ってくる。
「葵ッ! 大丈夫?」
「ええ、私は大丈夫よ。小蒔こそ、なんともなかった?」
「うん、鬼道衆の炎角ってヤツが襲ってきたけどね、醍醐クンが護ってくれたんだ」
嬉しそうに言う小蒔に、葵も笑って頷く。
さっき龍麻に用いた『力』で、自分の気力はほとんど限界まで使い果たしてしまったが、
小蒔の笑顔でいくらかは癒される葵だった。
その彼女の背後で、とどめを刺しきられていなかった下忍の一人が、微かに上体を起こす。
彼はもう助からないと自分で解っていたが、鬼道衆として、最後の忠誠心で苦無を投じようとしていた。
龍麻達は岩角と闘っていて、葵と小蒔も気付いてはいない。
下忍は最も手近にいた葵の、無防備の背中に向けて狙いを定め、致命傷となる一撃を与えようとした。
しかし、彼の手から得物が投げられることはなかった。
どこからか音も無く飛来した、正に今彼が放とうとしたものと同じ形をした武器が、
下忍の絶命の急所となる一点に正確に刺さったのだ。
悲鳴すら上げることも叶わず、下忍は息絶える。
葵の窮地を救った如月は、離れた木の上から龍麻達の闘いを見守っていたが、
闘いの場を見渡し、趨勢(を見定めると静かに姿を消した。
如月の見立ては正確だった。
友の帰還により力を取り戻した京一と、更に下忍を片付けた龍麻と醍醐が加勢したことで、
岩角との闘いは一気に決着がついたのだ。
京一が岩角の肩口から反対側の腰まで、一気に木刀を振り下ろす。
氣の刃で袈裟斬られてよろめく岩角に、醍醐の全体重を乗せた拳が打ち下ろされる。
そこに間髪入れず充分に氣を練った龍麻の両の掌底が押し当てられ、
爆発的な氣の強打が岩角を打ちのめした。
「う……お……」
三人分の氣を一身に受け、岩角はよろよろと二歩ほど後ずさると、大きな地響きを立てて倒れる。
そのまま動かなくなった岩角の身体はやがて黒色の輝きを放ち、
彼の巨体が消えると、水角や風角と同じように、黒色の珠が後に残された。
「俺達にケンカ売ろうなんざ、百億年早ェんだよ」
珠を拾いあげた京一は、そううそぶいてみせる。
そこに、醍醐が近づいてきた。
「いろいろ迷惑かけて、すまなかった」
巨体を縮める醍醐を無言で睨んだ京一は、龍麻に摩尼を放ると、空いた手で俄(に友を殴り飛ばした。
「京一ッ!!」
小蒔が叫ぶ。
葵が息を呑む。
そして摩尼を慌てて受け取った龍麻は、額に手を当てていた。
偽悪的に言っていただけだと思っていたのが、まさか本当に実行する気だったとは。
「今更どの面下げて戻ってきやがった」
京一の顔には、やり遂げた男の表情が浮かんでいる。
早くも赤くなり始めている頬もそのままに、醍醐が加害者を見ていると、
「いきなり姿くらませたと思えば、いきなり現れやがって、
勝手なコトばっかしてんじゃ……ねェ……ぞ……」
そのまま京一は倒れてしまった。
四人は一瞬肝を冷やしたが、程なく寝息が聞こえてくる。
どうやら、疲労の為に気を失ってしまっただけのようだった。
「ッたく……何考えてんだろ、このアホは」
小蒔が呆れたように言うと、苦笑いで応じた醍醐は、静かに京一を背負う。
「まぁ、これくらいは覚悟していたからな。皆にも謝るよ。すまなかった」
「エヘヘッ……おかえり、醍醐クン」
小蒔と共に龍麻と葵も、それぞれの笑顔で還ってきた仲間を迎えた。
赤面した巨漢は、背中ですっかり気持ち良さそうに寝ている京一を背負いなおす。
「こいつは俺が家に送るよ。それが心配かけた、せめてもの償いだ」
「でも、京一が途中で起きちゃったら怒るかもね。『なんで男に背負われなきゃならねェんだッ!』って」
仕種まで真似る小蒔に、小蒔自身も含めた四人は笑ったが、今度は龍麻がくずおれてしまった。
笑ったことで本当に最後の気力まで使い果たしてしまったのだ。
「む……困ったな。二人は担げんぞ」
「大丈夫。緋勇くんが起きるまで私が見てるわ」
「しかし、美里も」
食い下がる醍醐を、小蒔が遮った。
「うん、それじゃ悪いけどひーちゃんのこと頼むね、葵」
まだ何か言いたそうな醍醐の背中を押し、帰っていく。
三人を見送った葵は、苦労しながらも龍麻を公園の椅子に寝かせた。
頭を膝に乗せ、額に貼りついた髪を分けてやる。
血に汚れたシャツが目に入り、葵はそっと手をかざした。
どうにか彼を癒すだけの力は使えそうだった。
しかし、力を用いようと念じかけた葵は、彼の口元から聞こえてくる、穏やかな寝息に集中を中断する。
もうしばらく、このままでいようと思ったのだ。
秋の心地良い風に身を任せ、葵は静かに目を閉じた。
「あれ、美里……さん?」
ぼんやりとした視界に、下から見上げる葵の顔が映る。
街灯の光に照らされた寝顔は幻想的なまでに美しい。
何故自分がこんな体勢で葵を見ていられるのか、どこかで警鐘が鳴っていたがあえて無視し、
龍麻は疲労も忘れて彼女に魅入った。
しかし幸福な時間は長くは続かず、葵が目を覚ます。
瞬(きも忘れていた龍麻は、思いきり彼女と目を合わせてしまった。
目を擦った葵は、恥ずかしそうに微笑む。
「あ……緋勇くん、大丈夫?」
「あ、うん、大丈夫……ごめん、すぐどくから」
「無理しないで」
葵の声は、そうして欲しがっているように聞こえた。
「……それじゃ、もう少しだけ」
だから、龍麻はそう答えた。
小さく頷いた葵が手をそっと握ってくる。
目を閉じた龍麻は、同じ位そっと、握り返した。
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