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 雛乃は親友の問いには直接答えず、わずかに乱れていた姿勢を正して言った。
「皆様。この地を護ろうとする『力』を大地より授かったのは、皆様だけではございません。
龍脈の活性化は乱世の始まり。そして、それを治めようとする者も同時に現れるのです」
 雛乃の口調に熱が篭る。
穏やかな湖の如しと思われた彼女の感情は、大河のごく一部を見ていたに過ぎなかったのだ。
黒瞳にその奔流を浮かべ、雛乃は龍麻を見やる。
「この東京が歩む道は二つ──陰と陽が互いに共存を目指すかげの未来か、
どちらかがもう一方を完全に殲滅せんめつするまで闘うひかりの未来か。
緋勇様なら──どちらをお選びになりますか」
「共存って……鬼道衆は東京を壊滅させようとしているんだよ?
そんな奴らと共存なんて出来るはずないじゃない」
 龍麻が答えるより先に小蒔が激昂する。
幸いこれまで誰も大怪我をしてはいないものの、鬼道衆との闘いは紛れもなく生命のやり取りであり、
雛乃の言葉は親友といえども、いかにも理想論に聞こえたのだ。
 京一や醍醐も、どことなく小蒔に賛同しているように見え、
黒い座卓を挟んで、龍麻達と織部姉妹はにわかに対立を始めてしまったようであった。
 親友を不安気に見やった葵は、本来雛乃が訊ねた相手が何と答えるか、息を殺して見守った。
 葵の視線に導かれるように、全員の視線が龍麻に集中する。
それら全てを受けとめた龍麻は、一人一人の顔を見返してから、一語一語を選びながら口を開いた。
「確かに鬼道衆のやろうとしていることは、絶対に止めなきゃいけない。
でも、憎しみで闘おうとすると、鬼道衆と同じになってしまう気がするんだ」
 それは善養寺の地下で風角と闘った時から龍麻の裡に湧き起こっていた考えだった。
 致命傷を受けてなお怨念のみで身体を動かし、襲いかかってきた風角。
そして、両親の復讐の為にメキシコから日本に渡り、盲目者を追ったアラン。
二人の氣は龍麻をふるえさせるほどのもので、
風角はともかく、普段は典型的なラテン気質であるアランでさえ変貌させたくらい念。
その陰の氣は誰の心にも在り、消し去ることは出来ないのだと龍麻に気付かせ、
同じ、比良坂紗夜を鬼道衆に殺されたという憎悪で闘っていた彼に、
自分を省みさせるきっかけとなっていた。
「ひーちゃんまでそんなコト言うの!? 鬼道衆あいつらは、比良坂サンを」
 感情に任せて言葉を叩きつけた小蒔は、
龍麻の傷に触れてしまい口をつぐみ、顔にわずかな後悔をひらめかせる。
龍麻は気にしていないというように笑ってみせたが、生じたわずかな苦味を消し去ることは出来なかった。
「もちろん、許す訳じゃない。多分、そんなこと言ってたらやられるのはこっちだと思う。
けど、憎いって気持ちは……歯止めが効かなくなる。俺はそれが怖いんだ」
「でも」
「まあ落ちつけよ小蒔。龍麻が言ってるのは何も鬼道衆と仲良くやろうってんじゃねぇ。
さっきお前も言ったろ? 心が荒んじまうと、俺達の『力』も鬼になるってよ」
 京一が賛同してくれたことで、龍麻はずっと気が楽になった。
 鬼道衆を倒し、紗夜の仇を討ちたいという願いに変わりはない。
しかし、憎み、殺したいという心こそが、鬼を生み、鬼と成る。
かげの心に、囚われてはならなかった。
 京一の言葉にいくらかは感じるところがあったのか、
不本意そうながらも小蒔が黙ると、代わって葵が思慮深げに呟いた。
「もしもこの東京が戦火に包まれれば、きっと、たくさんの人が不幸になる……
私達の『力』で、その未来が変えられるのなら、私は変えてみたい」
「人を不幸にしない為の『力』……か」
 醍醐が重々しく頷く。
この男もまた、望まぬ形で与えられた『力』について、その意味を求め悩んでいたのだ。
葵の言葉は、その悩みにひとつの方向を与えてくれたように感じられた。
「俺も、この東京まちが薄汚ねェ連中に土足で踏み荒らされるのは気に食わねェ。
だがよ、奴らと同じになっちまっちゃいけねェよな」
 言い終えた京一は柄にもないことを言ったというように口の端を軽く曲げたが、
龍麻も含め、真神の制服を着た四人は視線を交わし、大きく頷いた。
すると突然、龍麻達の話を聞いていた雪乃がやおら立ち上がった。
「決めたぜ、雛。オレはこいつらについていく」
 妹を見下ろして力強く断言する雪乃に、雛乃も含めて全員があっけにとられる。
雪乃はそれを気にした風もなく、今度は龍麻を見下ろして言った。
「それによ、オレは、緋勇、お前が気に入ったぜ。
なッ、こんな木刀野郎よりオレの薙刀の方が役に立つからよ」
 腰を下ろし、忙しく上半身を乗り出す雪乃に、龍麻はただ頷くのがやっとだ。
満足気に頷いた雪乃は、どっかりと腰を下ろす。
スカートなのも構わずあぐらをかいているのが、彼女には妙に似合っていた。
「さすが、オレが見込んだ男だぜッ! ヘヘッ、そうと決まったら武者震いしてきやがった。
な、その鬼道衆とかって奴ら、強ェんだろ?」
 拳を打ち鳴らして熱く語る雪乃は、確かに昏い情念とは無縁そうではあった。
成り行きというには奇妙過ぎる展開に、龍麻達はもちろん、
さっきまで怒りに近い感情を噴出させていた小蒔も毒気を抜かれて友人の顔を見るだけだったが、
雛乃の、低く抑えた声が周りを圧する。
「姉様」
「うん……?」
 やや熱を冷まされた態で雪乃は妹を見た。
妹の仕種に危険な兆候を感じとって心持ち身を引いたものの、時既に遅かった。
正座していた身体ごと向き直った雛乃は、滑らかな頬を紅潮させて詰め寄ったのだ。
「姉様は、いつもそうやって一人で決めてしまわれて」
「ひ……雛?」
「わたくしと姉様の力はふたつでひとつ。二人で力を合わせれば、より大きな力となるはずです」
「う、うん」
 姉の熱を奪い取ったかのような口調で話す妹に、雪乃はすっかり気圧されている。
いつになく強い態度を見せる雛乃は、姉が仰天することを言ってのけた。
「わたくしも一緒に参ります」
「ちょ、何言って」
 姉の顔が驚きに変わるのさえ待たず、雛乃は龍麻に向かって座りなおす。
「皆様の身には、これからも幾多の困難が降りかかるでしょう。
この織部神社は、東京に点在する他の社寺と同様、
東京を護るために打ち込まれた、くさびのひとつなのです。
その巫女として、少しはわたくしも皆様のお役に立てるはず。
微力ではありますが、わたくしもご助力致します」
「は、はい、こちらこそよろしく」
 雪乃の時以上に圧倒された龍麻は、もうこれ以上ないほど背中を伸ばし、
両拳を膝の上に乗せて深く頭を下げたのだった。

 途中からはすっかり予想もつかない展開となったが、
織部神社に来たことは龍麻達にとって大いなる収穫だった。
その後もしばらく話しこんだ龍麻達が気付けば外は暗く、完全に夜になっていた。
「もうこんな時間か。今日はありがとう、雪乃さん、雛乃さん」
「いえ、こちらこそ長くお引き止めしてしまって」
「オレは雪乃でいいぜ。さんなんて付けられたらジンマシンが出ちまう」
 本当に嫌そうに雪乃がそう言うと、龍麻達は笑って立ちあがった。
そこまで見送ってくれるという雪乃と雛乃と共に、社務所兼住居となっている建物を辞去する。
 外に出ると、まず京一が大きく伸びをした。
「まったく、座りっぱなしだったからケツが痛ェったらねェぜ。
その上難しい話の連続で、俺はもうクタクタだ」
「俺は結構興味深かったがな。な、緋勇」
 京一との差を見せつけようとするかのような醍醐に笑って龍麻が頷くと、
面白くなさそうにそっぽを向いた京一は、その先にひっそりとたたずむ小さな建物を見つける。
「そんなもんかねェ。──ん? 雛乃ちゃん、あの建物は」
「あそこには、ひい御爺様が乃木様より御預かりした、大切な物が安置してあります」
 乃木、という珍しい苗字に反応したのは醍醐だった。
「乃木って──乃木大将のことか」
「醍醐様は御存知ですか」
「いや、俺もじいさんから名前を聞かされたことがあるくらいだが」
 乃木のぎ 稀典まれすけ
幕末から明治初期にかけての軍人であり、日露戦争では大将として陸軍を指揮した。
奥津城おくつきは青山霊園だが、彼を奉った乃木神社が日本の何ヶ所かにある、
当時の日本人に慕われた人物だ。
江戸からあるという織部神社だから、乃木大将の名が出てもおかしくはないが、
やはり歴史を感じずにいられない。
「乃木様は、曾御爺様と懇意にされていたらしく、
露西亜ロシアに遠征される前に曾御爺様を訪ねられたそうです。
その時に乃木様は、こんな事を話していらっしゃったと言います。
『もうすぐ『塔』が完成する。その塔が地上に姿を見せた時、我が帝の国は変わるであろう』と」
「『塔』?」
 日本史の授業でそんな塔なんて出てきただろうかと龍麻は首を捻ったが、
これは教科書に載るような類の話ではないようだった。
「はい。乃木様と、同じく当時海軍大将の東郷様が中心となって、
何かの研究を極秘裏に進めていらっしゃったと聞いております。
御預かり物というのも、それに関係する物だと。
乃木様と東郷様がお持ちになっていたそれぞれの品は、ひとつは護国の象徴である新宿靖国神社に。
そしてもうひとつが、この織部神社に預けられたのです」
 雛乃は結局その大切な物が何か、とは教えてくれなかった。
部外者には教えられないのかもしれないし、雛乃自身も知らないのかもしれない。
いずれにしても、あまり深く訊ねるべきではないと思われた。
 龍麻が再び歩き始めると、京一が同意を求めてくる。
「けど、乃木だ東郷だって言われても、誰だかわかんねェよな」
「京一ィ……キミ、一応日本史勉強してんだろ」
 呆れかえって小蒔が尋ねても、京一は動じなかった。
「もちろんだ。俺の日本史は、俺が産まれた時から始まってるからな」
「……帰ろう、みんな」
 これ以上身内の恥を晒さない為に、
雪乃と雛乃に再会を約束して龍麻達はいそいそと織部神社を後にしたのだった。

 戻ってきた新宿は、すっかり様相を変え、
陽気なネオンと会社帰りのサラリーマン、それに彼らを誘惑するあらゆるものがひしめいていた。
「さーてと、腹も減ったしラーメンでも食って帰るか」
 改札口を出た途端に襲ってくる喧騒に誘われるまま、当然のように京一が言う。
しかしこんな誘いにいつもなら最初に乗ってくる小蒔は、今日は首を横に振った。
「あ、ボクは帰るね。今日の試合の結果、家のみんなに報告しなきゃ。葵は?」
「私も今日は帰るわ。もう遅いし、家で夕飯を用意していると思うから」
「なんだよ、付き合い悪ぃな。しょうがねぇ、お前らは付き合えよ」
 既にそのつもりだった龍麻は何も言わず頷いた。
醍醐も苦笑しつつもそれに倣ったが、続けて口を開いた。
「それより明日なんだが、皆に会わせたい人がいるんだ。
俺の師匠みたいな人でな、爺さんだが、いろいろ世情に詳しい。
西新宿の外れに一人で暮らしているんだ」
「へぇ……そんな人いるんだ」
 小蒔が言うと、醍醐はどこか恥ずかしそうに続ける。
「俺が杉並から越してきたばかりで、まだどうしようもない頃に世話になった人でな。
えきをやっているんだ」
「占い師かよ。お前ヘンなの師匠にしてんだな」
 興味の無いものには全く容赦のない京一の態度に、醍醐の口調が荒くなる。
龍山りゅうざん先生はただの占い師じゃないぞ。
易の世界では結構有名人らしいしな。実は前から一度、皆で行こうと思っていたんだ。
龍山先生あのひとならきっと、俺達の力になってくれるはずだ。
ただ、何回か手紙を出しているんだが、返事が無くてな」
「もう死んでんじゃねェのか」
「失礼なことを言うなッ! ……まぁ、京一の言うようなことにはなっとらんと思うが、
その辺りも兼ねて、な」
 小蒔は小首を傾げたが、長い間ではなかった。
「ふーん……ボクはいいよ。葵は?」
「私も明日は大丈夫よ」
「よし、決まりだな。それじゃ、二人とも気をつけてな」
「うん、じゃーね」
「さようなら、みんな」
 女性二人と別れて華を失った三人は、
彼女達の前で我慢させられていた分勢い良く鳴り出した腹をさすりながら
食欲を満たすべく新宿の街へと消えたのだった。



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