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ゆきみヶ原高校と同じ荒川区にある織部神社は、雛乃の言う通りさほど大きくはなかった。
それでも鳥居は少しくすんではいても立派なものだったし、
木々に囲まれ、やや暗めの色調を持つこの空間は、厳かな空気で龍麻達を出迎えた。
「ここが、わたくし達の家です。……ふふ、こんなに大勢お客様がいらっしゃるなんて久しぶりです」
嬉しそうな雛乃の声に、棘を含んだ雪乃の声が被さった。
「ん、誰だありゃ。こんな所に何しに来てんだ」
語るに落ちることを自分で言ってしまったのにも気付かず、雪乃が目を凝らす。
やがてその人影が、見知った人間のものであると判った時、
彼女は龍麻達があっけに取られるほど怒り始めた。
「──あのブン屋かよッ! 性懲りもなくまた来やがってッ」
彼女に続いて人影に目をやった龍麻と葵は、その人影が雪乃だけでなく、
自分達にとっても知り合いであることに顔を見合わせた。
「って、ありゃ」
「ええ、天野さんよね」
「なんだ、お前らの知り合いか」
「うん、ルポライターの天野サンって言ってね、ボク達に力を貸してくれてるんだ」
小蒔の説明を聞いても、雪乃は到底納得したようには見えなかった。
棘はいよいよ鋭さを増し、声そのものも苛立ちにつれて大きくなっていく。
「そうか……あの女、最近うちの神社の周りをよくうろうろしてやがるんだ。
この間もうちのことを根掘り葉掘り訊いていきやがった」
するとその声に気付いたのか、絵莉がこちらにやってきた。
「あら、緋勇君達じゃない。元気だった?」
フリーのルポライターである天野絵莉は、時に情報をもたらし、時に助けを求めながら、
いつのまにか龍麻達と『力』について、浅くはない関係を築いている。
龍麻達も豊富な情報を有し、大人ぶって説教じみたことを言わない彼女を信頼しており、
歳こそ離れているものの、一種仲間めいた連帯感を抱いていた。
しかし、気さくに手を上げた絵莉に、まず先陣を切って京一が話しかけようとすると、
その前に雪乃が肩をいからせて詰め寄る。
その剣幕は、絵莉をも驚かせるものだった。
「ちょっとあんたッ! 一体何が目的か知らねェけどよ、
今度うちの周りをうろついてたら承知しねェぜ」
「姉様ッ」
雛乃にたしなめられて口こそ閉ざしたものの、露骨な警戒心を隠そうともしない。
絵莉はそれを、洗練された社交術で無視し、人好きのする笑顔を浮かべて挨拶した。
「あら、貴女達、織部さんのお嬢さんね。そういえば、こうして話をするのは初めてかしらね。
──天野絵莉よ、よろしくね」
「何でオレがよろしくされなきゃならねェ──」
「これはこれは、はじめまして。織部が妹、雛乃と申します。
今後とも、よろしくお願いいたします」
姉の剣幕を押し退けるようにして雛乃が頭を下げる。
怒りを空回りさせられた格好になった雪乃は、妹の肩を掴んでたしなめた。
「何普通に挨拶してんだよ雛ッ」
「?」
「こいつは探偵だぞッ! きっとこの神社を潰すつもりに違いねェ」
「まぁ……」
探偵がどうして神社を潰さねばならないのか、雪乃以外の全員がさっぱり解らなかったが、
雪乃は真剣そのものだった。
「こんなボロっちいトコ、放っといても潰れ……痛ッ」
雪乃が激しやすい性格であることはごく短い時間で判っていたから、
火に油を注ぐような言動は慎まねばならない。
龍麻が思いきり京一の足を踏みつけると、反対側で小蒔が彼のわき腹に肘をくれていた。
加害者二人は苦悶にのたうつ京一の背後で顔を見合わせて小さく笑う。
どうにか京一は黙らせた龍麻と小蒔だったが、今度は雪乃を止めなければならない。
これがなかなかに難題で、小蒔でさえも雪乃の気性の激しさにはてこずってしまうのだった。
小蒔が中々突破口を見出せずにいると、雪乃が絵莉に向かって指を突きつける。
「おい探偵、いつでもオレが相手になってやるぜッ!!」
「んー、一応ルポライターなんだけどな」
探偵と言われた絵莉は、人差し指を口に当て、上を向いてみせた。
少し子供っぽくも見えるその仕種は、例えば京一などには可愛らしく映ったようだが、
雪乃には逆効果となってしまったようだった。
「どっちでも同じだッ!!」
「やれやれ、随分嫌われちゃったわね。
でも安心して、しばらくここには来ないと思うから。元気のいい巫女さん」
ますます盛んとなる雪乃の勢いに、さすがに辟易した様子で絵莉は苦笑した。
「なんだよ絵莉ちゃん、もう行っちまうのかよ」
「ごめんね、京一君。ちょっと調べたいことがあるの」
調べたいこと、というのが龍麻は気になったが、
訊ねる前に絵莉は軽く手を上げ、言葉通り去っていってしまった。
隣で京一が肩を落とす。
「嫌なカンジだぜ。じいちゃんも調子に乗って余計なこと話してなけりゃいいけどよ」
「考えすぎだよ、雪乃。天野サンはそんな人じゃないって」
「ヘッ、どうだか」
小蒔がなだめても雪乃は疑いを解かない。
意固地になってしまっている雪乃をなだめたのは、彼女に最も近しい人物だった。
「姉様、おじい様もおっしゃっているではありませんか。
人を疑わば、信を得る事能(わず、って。無闇に人を疑ってはいけませんわ。
織部家の御先祖様も、代々、この言葉を──」
「わかった、わかったよ。オレが悪かった」
「わかればいいです」
滔々(と語り始める妹に危険を感じたのか、雪乃は両手で妹を制し、
早足で家の中に入っていってしまった。
その足取りは過去に何かよほど嫌な記憶があるのでは、と龍麻に推察させるものだったが、
穏やかな雛乃の顔を見ていると、とても訊く勇気はないのだった。
「さあ、それでは皆様、どうぞお上がりになってください」
龍麻達は数人が一度に入っても平気な土間に通される。
靴を脱ぎながら龍麻は、ついぐるりと辺りを見回していた。
コンクリートなど一切使われていない家屋は、柔らかな暖かさで迎えてくれる。
初めて踏み入れるこの場所に、龍麻が覚えたのは何故か懐かしさだった。
だが京一はそんなことはないらしく、感想というにはあまりに酷すぎることを言ってのけた。
「──にしても、古い建物だな。こりゃでかい地震でも起きたらひとたまりもねェぜ」
「うるせェな、うちは江戸時代からある由緒正しい神社なんだよッ。
それからほとんど改築されてねェんだぜ」
とすると、この神社は少なくても百余年、多ければ四百年弱の歴史を有していることになる。
素直に感銘を受けた龍麻達四人は、改めて建物を構成している柱や壁に目をやった。
木目が見えないほど黒ずんでいる柱は、それがいかに大切に扱われ、
磨かれてきたかを物言わず語っている。
すると壁のしっくいなども、ひびが入っているのがかえって趣を感じさせるのだった。
なんとなく暖かな気持ちになった四人だが、一人京一だけは相変わらず遠慮のないことを言う。
「どうりでボロいと思ったぜ」
「歴史があるッつってンだろッ!!」
「姉様、皆様を奥の間に案内しておいてください。わたくしは、お茶の準備をして参ります」
たちまち声を荒げる雪乃に、絶妙の間で雛乃が話しかける。
さすがに双子と言うべきか、雪乃の感情を巧みに読み取り、
大事に至る前にさりげなくなだめる手腕は見事なものだった。
「こっちだ、ついてきなッ」
怒気を未発のまま封じこまれた雪乃は、龍麻に向かって顎をしゃくって案内する。
このままだと限りなく失礼なことを言いかねない京一を龍麻に任せ、
葵は彼女の怒りを和らげるよう丁寧に言葉を選んだ。
「雪乃さんは、この神社が好きなのね」
「あン? ……そりゃ、自分が産まれて育ったところだからな。確かに、ちょっとはボロいけどよ」
「そんなことないわ。四百年近い年月を経てきた、立派な社殿だわ。ね、緋勇くん」
「あぁ……落ち着くね、ここは」
二人に褒められたことで雪乃は機嫌を直したようで、
八人ほどが一度に座れる大きな座卓が置いてある奥の間に着くと、座布団を渡して座るよう勧める。
「そこまで言われるとかえって照れちまうな。ま、適当に座ってくれよ」
この座卓もまた年季の入ったものであることが容易に見て取れる、深い艶の光沢を放っていた。
それにしても、建物だけでなく家財までも江戸からのものなのではないか──
つい龍麻がそう思ってしまうほど、見渡す限りが年代物ばかりだった。
「ま、古いモノにはそれなりの歴史が刻まれてるって言うしな」
腰を下ろした雪乃は、忙しく首を振る龍麻に微かな笑みを浮かべつつ言った。
すると廊下から、静かにそれを受ける声がする。
「ただ、歴史が──刻が流れたからといって、その物に価値が生まれるという訳ではありません。
時間の流れよりも大切なものを経て、初めて価値が生まれるのです」
「雛乃」
現れた雛乃は、白と朱の和装に着替えていた。
弓道の袴姿も似合っていた彼女だが、この巫女装束を目にするといささか霞んでしまう。
それほど肌に馴染み、彼女の為人(に合った服装だった。
龍麻達がなんとなくたたずまいを直したのは、彼女に魅了されたというだけでは必ずしもなく、
むしろ彼女の身体から自然に放たれている清廉な威に打たれたからだ。
そんな龍麻達に、雛乃は煙(るような微笑と共に茶菓子を供した。
「お茶が入りましたから、皆様どうぞ」
「ありがと。で、雛乃、時間の流れより大切なモノって?」
この中では双子の姉である雪乃を除いて、最も雛乃と付き合いが長い小蒔は、
男連中と違って特に態度を変えることもなく、早速菓子を口に放り入れながら尋ねる。
姉の横に正座した雛乃は、改めて真神学園の五人を見回し、小蒔のところで視線を固定させて答えた。
「そうですね……例えばそこにまつわる人の想いや言い伝え、
そして、そのもの(が持つ意味など。
それは時として、わたくしたち人間の為すべき道を指し示すのです」
雛乃の言は一般論にしては意味深長なもので、龍麻の背筋は自然と真っ直ぐになった。
小蒔や京一も表情を引き締め、彼女の話に耳を傾ける。
「今日、皆様にお越し頂いたのは、皆様の持つ『力』について──
いくらかでもお役に立てれば、と思ったからです」
やはり彼女は、ただ小蒔の友人と茶飲み話をするために自宅(に呼んだのではなかったのだ。
しかし何故『力』のことを知っているのか、という疑問を、小蒔が説明する。
「前に雛乃と会った時にいきなり氣のコトを訊かれてね、相談したコトがあったんだ。
今まで黙っててごめん、みんな」
「わたくし達は巫女としての修行もいくらかは積んでいるのですが、
ある日、小蒔様の身体の周りにとてもはっきりとした氣が見えたものですから、お訊ねして……
緋勇様達のこともその時にお伺いしました」
小蒔をフォローするように雛乃が言ったが、もちろんそんなことで怒る龍麻ではない。
小蒔は話して良いことと悪いことはきちんと区別できる人間であり、
雪乃ではないが、彼女が話したのなら雛乃は信用に値する、と龍麻は思っていた。
もっとも、雛乃が悪人であるという可能性は、例えまだ少ししか話していなくても、
全く無い、と言い切れるのではあるが。
ただ、雛乃は、氣を感じとることができ、『力』の存在を知っている、
という以上に何かを知っているように見えた。
「これからわたくしがお話しすることは、あくまで、この神社に伝わる言い伝えです。
それをどう思われるかは、皆様にお任せいたします。
わたくしはただ、今、この東京に起こりつつある異変を解く鍵となれば、と」
そう前置き、軽く茶を含んで喉を湿らせた雛乃は、静かに語り始めた。
外界の音が遮断された部屋に、わずかな抑揚を伴った声が奏楽のように響く。
「昔、遠い昔のお話でございます。
この地方の武家に、ひとりのお侍様がいました。
そのお侍様は心優しく、民を思い、人々から慕われていたそうです。
ですが、ある日──道に迷った女性を助けた時から、お侍様は変わってしまいました。
お侍様は、その女性に恋をしてしまったのです。
その女性は都の姫君でした。
片思いとはいえ、そのような身分違いの恋が許されるはずもございません。
お侍様は呪いました。自分の身分を、そして、無力さを。
お侍様はその土地で奉(られていた龍神様の力を呼び起こし、
姫を奪うために、三日三晩都に嵐を起こしました。
都の軍勢はお侍様のお屋敷に攻め込みましたが、そこにお侍様の姿を見つけることはできませんでした。
都の人々が見たのは、醜くもおぞましい異形の者達だったのです。
それは大地の裂目から現れた鬼達と、自らも鬼に変わったお侍様でした。
──やがて鬼達は討ち取られ、お屋敷は焼かれました。
人々はお屋敷のあった場所に社を建て、お侍様の霊を弔ったそうです。
それが──この織部神社です」
語り終えた雛乃が口を閉ざすと、感心したように小蒔が首を振った。
「ここに、そんな言い伝えがあるなんて知らなかったよ」
「そういえば、小蒔様にお話するのも初めてでしたね」
そっと口元を綻ばせた雛乃は、静かに問いかけた。
「皆様──『龍脈』というものをご存知でしょうか」
五人は互いに顔を見るが、知っている者は誰もいない。
雛乃はそれを予期していたようで、再び問いかけてきた。
「では、『風水』というのはご存知でしょうか」
「あ、それなら聞いたコトあるよ。
『幸運を身につける』とか『お金の貯まる』とかそういうヤツでしょ。本屋さんで見たことあるよ」
ようやく判る言葉が出てきて、小蒔が座卓に身を乗り出した。
すると雛乃の隣にいる雪乃が、束ねた髪を小さく揺らす。
「間違っちゃいねェけどよ、それはどっちかって言うと活用法だな。
本来の風水ってのは、昔の中国で生まれた地相占術なんだ」
「地相……占術」
全く聞き慣れない言葉に、龍麻は発音してみるが、やはり想像も出来ない。
すると、続けて雪乃が説明してくれた。
「地相占術ってのは、そびえる山や流れる川の位置や、その土地の性質を視て、
家を建てる場所や社を建てる場所を決めて個人や、
その地を治める国家全体を吉相に導く呪法の一種さ」
「なんだ、ただの占いかよ」
つい口を挟んだ京一を、雪乃がじろりと睨む。
その程度で恐れ入ることなどない京一はそれを睨み返し、不穏な空気が発生しかけたが、
雛乃が上手にとりなして事なきを得た。
「ふふ、蓬莱寺様、風水はただの占術とは違うのですよ。
風水というのは吉凶を占う法ではなく、確実に吉を得る為の手法なのです。
だからこそ、過去の為政者達は国の中枢を風水において最も吉相とされる地に
おくことに権力を注いできたのです。『四神相応』と呼ばれる場所に」
「四神……なにそれ」
小蒔が尋ねる。
次々と登場する難解な単語に、龍麻や葵もついていくのが精一杯だ。
京一などは既に諦めたのか、話を聞いているようないないような、微妙な表情をしていた。
「四神ってのは東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武。
各方位を守護する聖獣のことさ。
そしてそれらが護る中央には、黄龍って黄金の龍が眠るって言われてる」
「黄龍はそのまま大地の力そのものに例えられ、
地球を駆け巡るその力の通路のことを龍脈──と呼ぶのです」
雪乃の説明を、雛乃が引き取る。
調子は違えど声質は同じ二人の声は、聞いている龍麻達に、
催眠術に近い不思議な感覚を与えていた。
更に話の内容も中々に幻想的なものであるから、ともすればぼんやりとしてしまう。
しかし話は、いよいよ本題に入るようであった。
「さきほどお話しした言い伝えでお侍様に力を授けた龍神様は、
この龍脈を指すのだとも言われております」
雛乃が言い終えると、しん(とした空気が満ちる。
彼女の話をまとめてみると、龍麻の脳裏にひとつの結論が生まれた。
「俺達の『力』が、その龍脈とやらに拠るものだってこと……?」
驚いた京一達が、一斉に龍麻を見る。
龍麻も自分自身、飛躍しすぎではないかと思ったほどであったが、
雛乃の深く澄んだ瞳は、その突拍子もない考えが間違っていないと告げていた。
春に起こった小さな事件をきっかけとして宿った、超常的な『力』。
それはより大きな事件に龍麻達を巻きこむ鍵となり、時に忌まわしく、時に支えとなってきた。
しかし当初から抱いていた疑問──この力は何の為に、誰が与えたものなのか──の答えは、
龍麻達の予想を遥かに超えたものだったのだ。
そしてその答えは、龍麻達にとってあまり喜ばしいものではなかった。
「だとしたら、ボク達も鬼になっちゃうの?」
小蒔の悲鳴に近い声は、龍麻達全員の心境を代弁していたと言って良い。
勝手に『力』を与えておいた挙句に鬼に変えてしまうとは、随分な神様もいたものではないか。
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